第十一話【逃げ場のない船上】
レオンがアラタに敗れてから、数日後。
机の上に置かれた魔力通信のモニターが、着信音を鳴らした。
帰りの船に、何かあったのだろうか。
すぐに応じると、画面には派手なスーツに身を包んだ男が映った。
見るからに胡散臭い笑顔。マックスだった。
「どうしたの?」
『エルザお嬢様の興味を引きそうな、実にスマートなお話がありましてねぇ』
「……話して」
『以前、ワタクシが禁書庫の謎を追っているとお話ししましたね?』
「ええ」
『武闘会で優勝したアラタ選手には、その禁書庫を閲覧する権利が与えられます。そこで彼に頼み込み、ワタクシのボールを同行させてもらうことに成功いたしました!』
「あの人、優勝したのね……。それより、ボールとは何かしら?」
『彼の近くを飛びながら、周囲の映像を届ける魔道具です。離れた場所からでも、その場にいるようにご覧いただけますよ』
わたくしは眉をひそめた。
「一日中つけ回すなんて、はしたないわ」
『そこはご安心を。トイレや浴室では撮影しないなど、本人やお仲間と細かく決めておりますので』
「……それは、レオンにもつけられるかしら?」
『はしたないのでは?』
「……ちっ」
『おや、貴族にあるまじき舌打ちまで聞こえた気がしますが』
「していません。話を続けて」
マックスは楽しそうに笑い、ようやく本題へ戻った。
『現在、アラタ選手とそのお仲間は、禁書庫へ向かうため、王都行きの船に乗っています』
「王都行きの船……?」
『ええ。レオン様と同じ、マクシム・グレース号です』
指先が、机の縁をつかんだ。
「まさか……」
『今朝、船内で少々面白いことがありまして。まずは、その録画をご覧ください』
画面が切り替わった。
──
映し出されたのは、最上階にある豪華なレストランだった。
朝食のビュッフェには、色鮮やかな料理がずらりと並んでいる。
その前で、アラタが皿へ肉を積み上げていた。もう一切れ載せれば、崩れてしまいそうだ。
『アラタ! いくら食べ放題だからって、お肉ばかり山盛りにしないの! 野菜も食べなさい!』
銀色の長い髪を揺らしながら、少女がその皿へ野菜を載せていく。
『ヤシマには、こんなうまい肉はなかったんだ』
『言い訳しない!』
『銀髪の女性は、リゼリア嬢。若くしてSランクに到達した探索者です』
映像に、マックスの説明が重なった。
「わたくしたちと、年も変わらないように見えるけれど……」
『ええ。かなりの実力者ですよ。もっとも、アラタ選手のお世話にランクは関係なさそうですが』
アラタは載せられた野菜を一枚つまみ、素直に口へ入れていた。
レオンへナイフを突きつけた時とは、まるで違う顔だ。
「その方よりも、アラタは強いの?」
『武闘会マニアのワタクシが保証いたします。あんな選手は見たことがありません。まるで、最初から勝つことが決まっているかのようで──』
『ほら、ゼノンも甘いものばかり……って、ちょっと!』
画面の中で、リゼリアが振り返った。
眼鏡をかけた少女が、十種類以上のケーキを皿へ積み上げている。
『論理的な糖分補給だ。脳の演算には莫大なエネルギーを消費するからな!』
『ただの食い意地でしょう!』
『あちらがゼノン嬢。決勝でアラタ選手と戦った魔術師です。完膚なきまでに敗れた後、すっかり彼を気に入ったようでして』
「負けた相手と、一緒に旅をしているのね……」
「リゼリア嬢と、この後に出てくるルーティ嬢、そしてゼノン嬢は幼なじみなんです」
「幼なじみ……」
旅行を楽しんでいるかのような雰囲気が、羨ましかった。
もし時代や生まれが違ったなら、わたくしもレオンとこうして──。
いえ、幻想や妄想に焦がれている場合ではない。状況を把握し、しっかりと計画しなければ。
アラタがケーキの山を見て、感心したようにうなずいた。
『そんなに食えるのか?』
『当然だ。すべて計算してある』
『その計算、野菜が抜けてるわよ』
リゼリアの声を聞きながら、わたくしは画面の隅へ目を移した。
少し離れた席では、片腕の大男と白衣姿の女性が、コーヒーを飲んでいた。
あの男性は、武闘会でレオンが侮辱した人だ。
『ビュッフェは性格が出るねぇ。やだやだ』
白衣の女性が、騒がしい三人を眺めて言った。
けれど、その手は角砂糖をコーヒーカップへ落とし続けている。
一つ、二つ。数えるのをやめた頃にも、まだ入れていた。
『ルーティ……病気になるぞ』
片腕の男が忠告すると、彼女は何も聞こえなかった顔でカップを持ち上げた。
『男性が、オラクルのギルドを率いていたマスター。そして白衣の女性が、特級研究員のルーティ嬢です』
「ずいぶんと変わった仲間に囲まれているのね」
『本人が一番変わっておりますがねぇ』
五人が同じテーブルへ集まっていく。
誰もアラタを英雄として扱ってはいない。山盛りの肉を笑い、野菜を食べないことを叱っている。
彼も、少しも気にしていなかった。
そこで、マックスが映像を止めた。
「彼は、何者なの?」
『神託板でも測定不能。わかっているのは、極東のヤシマ出身であることくらいです』
「ヤシマって……何もない、あの?」
『そのヤシマです。もっとも、「何もない」と「何も知らない」は違いますからねぇ』
マックスですら、正体をつかめていない。
けれど、彼が何者であろうと、レオンを殺さなかったことに変わりはない。
使い込まれた剣を見て、レオンの努力を認めてくれたことも。
「……正体はわからなくても、レオンを助けてくれたことには感謝しているわ」
『助けた、ですか。負けたのに……?』
「余計な詮索はしないで。続きを見せてちょうだい」
──
画面の中では、ルーティがスマホをアラタへ差し出していた。
『アラタ、これを見て』
優勝杯を掲げるアラタの写真が、大きく映っている。
『──おわっ!?』
『一夜にして有名人ね。どう? 今の気分は?』
『いや、わ……からないな。ヤシマにいる父さんは知らないだろうし』
『ヤシマ基準なの……? 今や世界中がアラタを知ってんのよ? あ、ただし、コメントは見ないことね』
『なんで?』
『レオンの首にナイフを突きつけたでしょう。あいつ、SNSでは何かと注目されているから、今も大荒れよ』
胸が、かすかに痛んだ。
レオンを傷つけてきた言葉が、今度はアラタへ向けられている。
けれど、彼は写真を眺めたまま、あっさりと言った。
『別に酷いことを書かれても平気だ。どうせ、画面閉じれば見えないし』
『メンタルつよ……それもヤシマ基準?』
アラタはスマホを返し、肉を口へ運んだ。
レオンは、画面を閉じても傷ついたままだった。
この人は、閉じた画面よりも、目の前の朝食を見ている。
その時、アラタのスマホが短い音を鳴らした。
彼が取り出すと、マックスが映像を拡大した。手元の画面に、メッセージの文字が読める。
【マイフレンド! 朝食は楽しんでいますか? ロイヤル・スイートをご用意できなかったのは残念ですが、今のお部屋の寝心地はいかがでしたかな!?】
「あなた、ずいぶんと世話を焼いているのね」
『大切な優勝者ですから』
マックスは、それ以上答えなかった。
アラタが片手で返事を打ち始める。
横から手元をのぞいたリゼリアが、目を丸くした。
『マックスにもらったばかりなのに、もう覚えたの? 器用ね』
『ルーティに教えてもらってから、楽しくてずっと触ってたんだ』
『……依存しないようにね』
返信は、短かった。
『最高だったよ。ありがとう。ロイヤル・スイートって?』
数秒後、新たなメッセージが届いた。
【実は、お隣にはさらに豪華なロイヤル・スイートがあるのです! 数ヶ月前から、超VIPの貴族様が予約なさっていましてねぇ。今のお部屋でもご満足いただけたなら、何よりです!】
隣の部屋……。
思わず、マックスを問いただしかけた。
けれど、画面の中ではアラタがスマホをしまい、空になった皿を持って立ち上がっている。
『あの部屋より豪華なのか……』
『ちょっと、またお肉を取りに行くの!?』
『次は果物にしておくよ』
リゼリアへ軽く手を上げ、アラタはビュッフェへ向かった。
山積みの果物へ、トングを伸ばす。
その時、隣から白い袖が伸び、同じ果物をつかもうとした。
『……ん?』
アラタが顔を向ける。
金色の髪をきれいになでつけた、背の高い青年。
相手もアラタを見ると、トングを持ったまま動きを止めた。
『き、貴様は……っ!?』
レオンだった。
わたくしは、思わずモニターへ近づいた。
怪我をした様子はない。きちんと服を着て、自分で朝食を取りに来ている。
それだけのことが、たまらなく嬉しかった。
だが、レオンの顔はみるみる赤くなっていく。
『なぜ貴様が、この船にいる! しかも、最上階のレストランに……!』
アラタは果物を皿へ載せながら、平然と答えた。
『なぜって……朝飯を食いに来ただけだ』
『……このようなことになるのなら、大衆の真似事などせず、部屋で食べればよかった』
苦々しそうに吐き捨てるレオンへ、アラタが首を傾げる。
『負けて悔しいのはわかるが、あれは試合だろ。そんなに怒るなよ』
『ただの試合ではない!』
その声に、胸が縮んだ。
レオンにとっては、家を救うための最後の機会だった。
アラタは、まだ何も知らない。
周囲の客たちが、二人へ目を向け始めた。
『あの方が、武闘会で優勝した久遠アラタでは?』
『隣にいらっしゃるのは、レオン・ランダル様だぞ』
話し声が広がり、食事の手が止まっていく。
また、レオンが人々の視線にさらされる。
わたくしが息を詰めた時、彼は周囲を見回し、気まずそうに顔をしかめた。
『ちっ……。ここでは話せん。貴様、少し来い』
レオンが、アラタの腕をつかむ。
剣へ手を伸ばすことはなかった。
『皿、置いてからでいいか?』
『早くしろ!』
アラタが近くのテーブルへ皿を置くと、レオンはそのままレストランの奥へ歩き出した。
リゼリアたちも顔を見合わせ、慌てて二人の後を追っていく。
──
そこで映像が止まり、マックスの顔が戻った。
『と、まあ、このようなことがありまして。今からレオン様の部屋で話をするそうです』
「……喧嘩にならないかしら」
『さて。それを、今から確かめませんか?』
「と、殿方の部屋を覗き見しろと!?」
『はしたないと感じられるのであれば、仕方ありませんねぇ。では、この話はなかったことに──』
「…………て」
『はい?』
「つなげて!」
わたくしが身を乗り出すと、マックスは待っていましたとばかりに笑った。
『承知いたしました。それでは、ここからは現在の映像をお届けしましょう』
画面が、再び切り替わる。
広い部屋の中央に立つレオンが見えた。
すべてを失い、自分を打ち破った相手と向き合うレオン。
彼はいったい、アラタへ何を語るのだろう。
わたくしは食い入るように、モニターの向こうを見つめた。




