表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/15

第十二章「断罪の舞踏会」

舞踏会の夜が来た。

十一回目に見るシャンデリアの灯りは、初めて見た時より美しかった。

いや、美しく見えるようになった、と言うほうが正確かもしれない。

一度目の夜、私はこの灯りを「約束された未来」だと思っていた。

今夜の私にとって、この灯りは「終わらせるべき夜の始まり」だ。

深紫のドレスを選んだ。

胸元には、侯爵家の紋章ではなく、ルシアンが用意してくれた小さな護符を下げた。

魔術的な効果は限定的だが、彼が込めた意図が、お守りとして機能する気がした。

馬車の中で、ルシアンと向かい合って座った。

彼は今夜も黒だった。

ヴァルフォード家の正装で、普段より整えた姿だが、表情は変わらない。

変わらないが、今夜だけは何かが違う。

目に、力がある。

 

「準備はいいか」

 

「はい」

 

「今夜のことを、もう一度確認する」

 

「殿下が婚約破棄を宣言したら、即座に動く。証拠を出すのではなく、術式の構造そのものを広間で暴く。渇望の存在を、その場にいる全員に示す。リリィの本質を、人々の目の前で明らかにする」

 

「その後」

 

「断罪の場で私が絶望しないことで、核の機能が揺らぐ。揺らいだ瞬間に私が核を取り込む。同時にあなたが術式の構造に干渉して、崩壊の連鎖を逆方向へ向ける」

 

「順番が狂うかもしれない」

 

「狂っても対応します。十回分の経験があるので」

 

ルシアンが、わずかに目を細めた。

笑ったわけではない。

しかし、そう見えた。

王城の正門をくぐる時、私は深く息を吸った。

この門を、何度くぐっただろう。

しかし今夜が、最後だ。

広間に入ると、一度目と同じ景色が広がっていた。

揺れるシャンデリア、咲き誇るドレス、甘い蜜蝋の香り。

そして人々の視線が、ルシアン・ヴァルフォードと並んで現れた私へと集まった。

氷血公爵と侯爵令嬢が並んで登場したことへの驚きが、さざ波のように広間を伝わっていく。

エドガー殿下が見えた。

いつもの場所に、いつもの顔で立っている。

隣にリリィがいた。

白いドレスで、儚げで、完璧に人間を模倣した顔で立っている。

リリィの視線が、私を捉えた。

一瞬だけ、その目が変わった。

今まで見せなかった何かが、その瞳の奥に走った。

驚き、ではない。

渇望に驚きはない。

ただ、想定外の変数が入ってきた時の、わずかな停止のようなものだった。

乾杯が終わった。

ダンスが一段落した。

そして、エドガー殿下が声を上げようとした。

私が、先に動いた。

広間の中央へ歩み出た。

足が震えていないことに、自分でも驚いた。

十回分の記憶が、足元を固めている。

 

「皆様に、申し上げたいことがあります」

 

私の声が、広間に通った。

予想外の方向から声が上がったことで、貴族たちの視線が私へと集まった。

エドガー殿下が眉をひそめた。

 

「セレナ、今は」

 

「今でなければなりません、殿下」

 

穏やかに、しかし退かない声で告げた。

 

「この広間で、今夜、ある儀式が完成しようとしています。皆様が知らないうちに、皆様の命と、この王都の命と、この世界の命が、奪われようとしています」

 

広間がざわめいた。

何を言い出したのかという困惑が、空気になって広がる。

しかし私は続けた。

 

「三百年前にも同じことがありました。世界の狭間から這い出た「渇望」と呼ばれる存在が、人の形を借りて人の世に根を張り、愛情と執着を糧にして世界を内側から食い荒らす」

 

「何を」

 

「リリィという名の少女は、人間ではありません」

 

静寂が落ちた。

先ほどとは質の違う静寂だ。

困惑ではなく、緊張の静寂だった。

リリィが動かなかった。

ただ立っていた。

笑っていた。

私はルシアンへ目を向けた。

彼が頷いた。

術式の準備が整っているという合図だ。

 

「証明します」

 

私は、十度のループで集めた証拠を取り出した。

リリィと接触した人々の証言書、魔力枯渇に倒れた女官の記録、古代文献の写し、そして王都各地で起きた異変の記録。

一つひとつを、広間にいる人々へ向けて示していく。

貴族たちがざわめく。

侍女たちが顔を見合わせる。

エドガー殿下の顔に、混乱が走った。

 

「そんなはずは」

 

「殿下」

 

私は殿下へ向き直った。

責める声ではなかった。

 

「あなたは操られていました。リリィが殿下の感情に干渉し、判断力を少しずつ歪めた。婚約破棄を言い出したのも、あなた自身の意志ではなかったはずです」

 

殿下の顔が、揺れた。

何かが揺らいでいた。

リリィによって薄くなっていた感情が、それでも残っていた部分が、今揺れていた。

 

「私は……」

 

「殿下を責めているのではありません。ただ、今夜だけ、目を覚ましてください」

 

その瞬間、リリィが動いた。

今まで見せなかった動きだった。

優雅でも儚げでもない、まっすぐな、目的だけを持った動きで、私へと向かってきた。

広間の空気が変わった。

温度が一気に下がった。

シャンデリアの灯りが青白く歪んだ。

人々が本能的に後退した。

リリィが口を開いた。

しかし今夜の声は、これまでと違った。

美しかったが、二重どころか多重に響いた。

人の声ではない、何かの根源的な音が、言葉の形を借りている声だった。

 

「妨害は、許さない」

 

「させません」

 

私は動かなかった。

リリィが私の前で止まった。

至近距離で、その目を見た。

虚空を見ていると証言されたあの目を、正面から見た。

何もない目だった。

瞳の形をした、空洞だった。

しかしその空洞の奥に、私は核を感じた。

初めて感じた。

ここにある、と体が告げた。

私の絶望から生まれた錨が、この存在の核として、今ここにある。

 

「返してもらいます」

 

私は手を伸ばした。

リリィが激昂した。

人間の怒りではなかった。

存在全体が反応した、機能としての拒絶だった。

白いドレスが黒に変わった。

広間の床に亀裂が走った。

壁が揺れた。

シャンデリアが激しく揺れて、灯りが乱れた。

人々が悲鳴を上げた。

逃げ惑う足音が重なった。

テーブルが倒れ、グラスが割れた。

しかし今夜は違う。

ルシアンが動いた。

今まで組んだどの術式とも違う、残滓の感知能力を全開にした、世界の層そのものへ干渉する術式を展開した。

黒い外套が術式の光を受けて、金色に縁取られた。

広間の空気が、別の意味で変わった。

ルシアンの声が、低く広間に響いた。

呪文ではなく、術式の構造そのものへ語りかける言葉だった。

 

「三百年眠っていた術式よ、今夜で終わりだ」

 

床の亀裂が、一瞬止まった。

渇望が私とルシアンの両方を同時に捉えようとして、処理が遅れた。

その隙間は、一秒にも満たなかった。

しかし私には十分だった。

手が、リリィの核に触れた。

触れた瞬間、視界が白くなった。

何かが流れ込んできた。

私の絶望の残滓が、十度分の死が、積み重なったループの全てが、逆流するように私の中へ戻ってきた。

痛かった。

今までの死の中で、一番痛かった。

しかし今回は意識を手放さなかった。

奥歯を噛んで、足を踏ん張って、立ち続けた。

渇望が叫んだ。

広間の天井に亀裂が走った。

柱が崩れ始めた。

外の空が、真っ赤に染まり始めた。

世界崩壊が、始まっていた。

しかし核は今、私の手の中にある。

渇望は世界へ接続するための錨を失おうとしている。

ここで押し切れれば、全てが変わる。

ルシアンの術式が、崩壊の連鎖を受け止めようと広間全体を覆った。

金色の光が壁を伝い、天井を走り、崩れゆく石を一時的に押さえた。

エドガー殿下が動いた。

混乱した顔のまま、しかし確かに動いた。

リリィとは逆の方向へ、人々を誘導するために。

操られていた精神の中に、まだ残っていたものが動いていた。

広間の半分が崩れた。

石が落ちた。

煙が舞い上がった。

私は核を手放さなかった。

渇望が、私の中に流れ込もうとしていた。

吸収しようとしていた。

私を、次の「器」にしようとしていた。

そうはさせない。

十度分の経験が、私の内側を固めていた。

九回の死が、私の芯を作っていた。

そして一つの告白が、私に戻ってくる理由を与えていた。

今夜死んでも、戻れない。

それを知っているから、今夜は死なない。

 

「セレナ!」

 

ルシアンの声が聞こえた。

広間の向こうから、崩れ落ちる石の間を縫って、こちらへ来ていた。

私は渇望の核を、自分の中へ、深く、押し込んだ。

世界が、揺れた。









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ