凍える道と矢の傷――伯爵を追う者たち②
「何――!?」
灰色のローブの男たちが驚きに声を上げる。レオンもまた、短剣を握った姿勢のまま凍りついた。
どこから現れたかも分からないほど突然に、三人の男たちの間を割って入る人影があった。その人影は、二人の前にすっと立ちはだかり、背中越しにレオンとクリスを庇う形になる。なびく赤いマントと、燃えるような赤毛――レオンははっと目を見開いた。
「……兄貴?」
名前が熱を帯びて零れる。
そこには、荒々しくも凛々しい風貌の男・ダビドが立っていた。名うての実力を誇る銀翼騎士団ダビド班のリーダーであり、レオンが「兄貴分」と認める人物でもある。
「すまない、遅くなった。レオン、クリス」
ダビドは振り向きもせず、軽く言葉を投げかける。だが、視線は三人の男たちに据えたままだった。
「だ、ダビドさん……! 助かった……でも、どうしてここに……」
クリスが痛みをこらえながら声を絞り出すと、ダビドは肩をすくめ、低く笑う。
「お前たちが街に入ったのは確認していたんだが、思ったより早く『釣れた』ようだな。詳しいことは後で話すとして、まずはこいつらを何とかしないと」
簡潔な説明だが、彼の指が空を二度、軽く弾く。闇がさざめき、足音が四つ――用意はとっくに整っていた。
「一人増えたところで結果は変わらぬ。貴様ら全員、ここで滅すまで」
先頭の男が低い声で言い放つ。だが、その瞬間、ダビドは腰の剣へ手も伸ばさず、冷ややかに笑みを浮かべるだけ。
「何を言ってるんだ。俺一人なわけがないだろう?」
唇の片端だけが、楽しげに上がる。
彼の言葉と同時に、灰色のローブの男たちの背後に四人の男が現れる。どれも見知った顔――銀翼騎士団ダビド班の精鋭たちだ。
「なるほど……釣られたのは、我々ということか……してやられたものだ」
頭領らしき男の呟きが、煙の前触れ。
「班長! 狙撃手を確保しました! 安心してやっちゃってください!」
高みの声が、夜をめくる。
「これで遠距離から狙われる心配はなくなった。さて、どうする? 俺も最近、いろいろ溜まってるんでな。お楽しみに付き合ってもらえるか?」
挑発の温度が一段上がる。
「ふん、笑止……」
真ん中の男が短く呟く。左右の二人がこくりと頷いた刹那――突如、あたりが白い煙に包まれた。あっという間に視界を奪われ、ダビド班はローブの男たちの姿を見失う。どこかでカチャリと金属が擦れる音が響いたが、それもすぐに遠ざかった。
「ちっ……!」
ダビドが苛立ちを込めて舌打ちする。
煙が晴れはじめる頃には、灰色のローブの男たちは、まるで最初から存在しなかったかのように姿を消していた。夜の闇と煙幕の相乗で、完全に退却を図られたのだ。
「班長! 屋根の狙撃手は取り押さえました!」
上から降りてきた班員が息を切らせながらも、誇らしげに報告した。ダビドはわずかに口角を上げて応じる。
「よくやった。『自決される』前に押さえられたのは上出来だ」
ダビドが短く頷き、空気が引き締まる。
「周囲にまだ残党がいるかもしれない。警戒を怠るな」
ダビドは周囲を見回して、仲間たちに短い指示を飛ばす。班員たちは次々と頷き合い、速やかに狙撃手を拠点へ連行する算段を整え始めた。
風が少しずつ通い、路地に漂う煙が薄れていく。煤けた煙が消えてゆくと、そこにはダビドや班員、そしてレオンとクリスの姿が見えた。雪が淡く反射する夜の光の下、静寂だけが戻ってくる。
「奴らの素性についてはだいたい察しはつく。だが、こちらも油断した。ここまで動きが早いとは思わなかった」
ダビドが低く呟く声には、騎士としての責任感と悔しさがにじむ。レオンは短剣をおさめ、クリスの負傷した腕を気遣うように覗き込んだ。
「クリス。おい、大丈夫か?」
視線がやわらぎ、眉間の皺が少し解ける。心配げに見つめると、クリスは痛みに耐えながら小さく頷く。腕には矢が突き立ったままだが、命の灯はまだ消えていない。少しだけ息を整えながら言葉を探す。
「うん……なんとか……。ごめん、役に立てなくて……」
唇の内側を噛み、声が細る。
「何言ってるんだ。おまえが突き飛ばしてくれなかったら、俺死んでた。けど……そのせいでお前が……」
言い切れず、喉が詰まる。レオンの声は辛そうで、彼女の痛みを代わりに背負うかのよう。
「傷を見せろ」
ダビドが割って入り、クリスの腕をそっと見やる。矢は貫通しているが幸い大きな血管を外れているらしく、出血は多少抑えられているようだった。彼は素早く目配せし、応急処置の道具が運ばれる。矢が動かないように固定し、出血を抑える――抜くのは拠点に戻ってからだ。
「ここではろくな手当もできん。とにかく安全な場所へ運ぶぞ。マリア、止血を頼む」
短い命令が、安心の網になる。
「はい、班長!」
張りのある声で応じた女性班員のマリアが、クリスの腕を優しく支えながら傷を確かめてくれる。その間、ダビドは路地の奥を振り返り、すぐに宰相の私兵が来るリスクを気にしている様子だ。
「クリス、痛むだろうが、ねぐらに辿り着くまでは我慢してくれ。ここに長居して騒ぎを大きくすると、宰相の連中に目をつけられる」
「……わかりました」
クリスは短く息を整えてから頷いた。レオンが支え直してくれる。痛みで足が震えるが、倒れず歩みを続ける決意を抱く。
こうして煙の残り香が漂う夜の路地を後にし、ボコタの街を慎重に移動し始めた。
◇◇◇
夜通しの手当てと休息を経て、クリスはようやく意識をしっかりと取り戻した。布団の匂いに薪の甘さが混じり、まぶたの裏がゆっくり明るむ。
手当ては応急処置の経験が豊富なマリアが担ってくれた。彼女が慎重に矢を抜き、縫合や消毒を施してくれたおかげで、出血は止まっている。腕は厚く包帯で巻かれ、鈍く疼くような痛みは残っているものの、歩き回ることはできそうだった。
「……クリス、大丈夫か?」
声が枕元でやわらかく落ちる。レオンが心配そうに布団の脇へ腰を下ろす。拠点として借りた空き家の一室は粗末だが、暖炉があり、やわらかな火が室内を照らしている。夜明けの薄光が窓辺を染めはじめ、かすかな温もりが漂っていた。
「うん、マリアさんが痛み止めの薬をくれたし、思ったより平気。矢が綺麗に貫通してたから、逆に良かったかも……」
クリスは自嘲と安堵の混じる弱い笑みを浮かべ、右腕をかばうように動かす。痛みを感じるたびに顔が少し歪むが、血は止まっているし大丈夫そうだと思える。
「ほんと、無茶しやがって。俺なんかどうなってもいいのに……」
レオンがぽつりと漏らす。その声には悔しさと情けなさが混ざり合っていた。自分を助けるために彼女が矢を受けた事実が、彼の心を重くしているのだろう。
クリスは首を振る。
「そんなこと……よくないに決まってるじゃない。目の前でレオンが傷ついたり……死んじゃったりしたら、わたし……どうしたらいいの?」
言葉が震えて、最後の一音が息になる。
レオンは気まずそうに顔を伏せる。互いに「守りたい」という気持ちが強すぎて、どちらかが犠牲になる形は本意ではないのに――けれど、あの場ではそうするしかなかった。そんな互いの気持ちが言葉にならず、気まずい沈黙が落ちる。
暖炉の木が一度だけ小さく爆ぜた。階下から足音が近づき、扉が軽く叩かれた。
「よう、目が覚めたか。具合はどうだ?」
戸の向こうのダビドの声に、レオンは「はい、どうぞ」と返した。
「ありがとうございます、ダビドさん。おかげで随分楽になりました」
クリスが上半身を起こして礼を述べると、部屋に入ったダビドは椅子を近くへ引き寄せて腰を下ろした。その仕草には班長らしい落ち着きがあるが、どこか優しさも感じられた。
「すまない。救援に入るのが遅れたせいで、お前がひどい怪我を負う羽目になった。陛下に報告したら、きっと嘆かれるだろうな。あの方はひどく心配性だから……」
言いながら、視線は包帯にそっと落ちる。
ダビドの言葉にクリスは慌てて首を横に振る。
「いえ、とんでもありません。わたしたちの注意が足らなかっただけです。助けていただいて、本当にありがとうございます。あのままだと、確実に……」
語尾が細り、手が布団を握る。
レオンも深く頭を下げ、気まずそうな表情を浮かべる。するとダビドは、ふっと笑みを浮かべて手を振った。
「礼はいらんさ。それより、本命を取り逃がしてしまったのは残念だ。一網打尽にする絶好のチャンスだったんだが……さすがに相手もこの手の荒事には手慣れている」
短い悔しさを噛み、すぐ先を見る目つき。
「ところで――伯爵の情報は何か掴んだのか? お前たちがボコタに入った理由はそれだろう」
ダビドの問いに、レオンとクリスは顔を見合わせた。苦々しい表情を浮かべながらも、街外れの店へ案内されたことや、怪しいハーブティーを出してきた情報屋とやり取りした話を素直に打ち明ける。
確固たる情報を得られず、逆に危ない目に遭ったことを省みれば、ダビドに叱咤されても仕方ない。
「なるほどな。宰相の私兵だけでなく、影の手に通じて協力する輩まで潜んでいるのかもしれん……。ボコタの闇も相当深いみたいだな。これはもう、お前らだけの手には余る状況だ。仕方がないさ」
言いながら、腕を組む肘が衣擦れの音を立てる。
「陛下からは『お前たちが表立って動くことで宰相側が釣られる――つまり囮になる危険性もある』とは聞かされていた」
レオンもクリスも、互いに薄々感じていたようで、黙って頷いた。
「……なんにしても、伯爵の居場所は特定できていないが、まだ生きている可能性が高いということは確かだ。あれだけの腕利きがわざわざ現れたってことはな……」
レオンがダビドへ確かめた。
「既に殺されているなら、こんなめんどくさいことはしない……ってことですよね」
「だろうな。あくまで推測だが、伯爵を生餌にして、女王派を釣るのが目的かもしれん。捕らえた上で襲撃犯に仕立て上げ、陛下を追い詰めるっていう目論見だったんじゃないか?」
「なるほど……そういうことか」
レオンの返事を受け、ダビドが続けた。
「……お前たちは傷が癒え次第、うちの班に合流してもらうが、いいか?」
短く、決定の音。
「はい」
声がそろって落ちる。
「だが、焦るとまた同じ目に遭うぞ? 二度と相棒を痛い目に遭わせないようにしろ。お互い、大切だって思う相手なんだろ。違うか?」
からかい半分、釘刺し半分の声だった。ダビドがレオンを見やると、レオンは少しうろたえながらクリスの方を振り返った。
「いや、まあ……」
耳の先が赤くなる。
「大切って……その……」
言い淀んだ声が、布団の皺に落ちる。クリスは、恥ずかしそうに俯きつつ、でもどこか嬉しくもある。
「陛下もお前たちは仲がいいと喜んでおられるが……こんな形で危険を冒すのは歓迎しないだろう。これから捜索を本格化させるが、お前たちは、まずはここで静養しろ。これは命令だ。いいな?」
語尾だけ少し強く、芯はやさしい。
レオンは情けなさそうに唇を結び、クリスの横で「はい……わかりました」としか言えない。今は痛みを抱えたクリスに無理をさせるわけにはいかず、自分一人で動くにも状況が厳しすぎる。
「なんにせよ、無事でなによりだ。……さて、俺は捕虜の尋問に戻る。また後で呼ぶから、その時に詳しく話そう」
ダビドが立ち上がると、椅子の脚が床で小さく鳴った。部屋を出る前に、ちらりとクリスの腕に視線を走らせ、少しだけ安堵の表情を浮かべてから扉を閉じていった。
「ふふ……相変わらず、兄貴らしいや」
レオンの肩から力が抜けていく。クリスもほっと息をついて肩をすくめた。レオンが言葉を続ける。
「……でも、ほんとに命拾いしたよ」
その言葉に、クリスも深く頷く。
混沌とするボコタの街で、命を繋ぎとめられたのは奇跡に近い。宰相の影はどんどん拡大している気配があるが、今はとにかく休息と傷の回復が最優先だろう。
クリスは包帯を巻いた腕をそっと撫でる。まだズキリと痛む感覚があるが、不思議と心は落ち着いてきている。
あの矢を受けた瞬間、自分が無我夢中で彼を突き飛ばした事実が、どうしようもない本心を突きつける。
――レオンが無事でよかった。
それだけで、痛み以上の価値がある気さえするのだ。
外では薄い雪が舞い始めたようで、窓に月明かりが反射している。昨夜の激しい緊迫感からは信じられないほど、静謐な光景が広がっている。
火のはぜる音が遠のき、呼吸が同じリズムになる。
苦しみの果てにも、きっと明けない夜はない。そう信じたいという思いが胸を満たし、クリスは深呼吸をしてまぶたを閉じた。少しでも眠って体力を回復しなくては。
レオンはそんな彼女の横に寄り添い、彼女の手を優しく握る。まるで「大丈夫、これからも一緒だ」と伝えるかのように、微かな熱が伝わってくる。
心拍が落ち着きを取り戻し始めると、先ほどまで渦巻いていた不安も薄らいでいく。危険だらけの旅だが、共にいるという心強さが、クリスに前を向く力を与えてくれるのだ。
夜明けの静かな空気の中、二人は再会した仲間の力を借りながら、傷と疲労を癒し、次なる作戦へと歩みをつなげていく。
宰相の影はさらに深くなり、伯爵の行方も依然として闇の中に沈んでいる。それでも、戦友として、これからも共に歩んでいきたい。そう思うクリスの胸には、もうその言葉だけでは収まらない感情があった。
窓の外で、短音の笛が二度。ダビド班の暗号だ。




