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黒髪のグロンダイル  〜わたしたちは、ふたつでひとつのツバサなのだから〜  作者: 玉緒息吹
第二部 時間遡行編 第二十章 雪路をゆく、ふたりの銀翼
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女王が戴く嘆きの冠──宰相に挑む白刃

 朝の会議を前に、ミツルは窓の桟に手を置いた。王冠とマントを身につけた自分を意識すると、民衆の前でヴォルフと聖剣を掲げ、即位を宣言した日のことを思い出す。そのときの記憶は曖昧で、歓声よりも、肩にかかったマントの重みがよく残っていた。


 今は、十九歳のメービスの身体で女王を務めている。王冠もマントも、まだ借りた衣裳のように思えた。隣の若い王配ヴォルフにも、よく知るヴィルの魂が宿っている。


 周囲は二人を、愛し合う女王と王配として扱う。ミツルには、伝承の中へ入り込んでしまったように思えた。


――これは夢なの?


 即位した頃は、そう疑った。それでも、王宮では儀礼と執務、晩餐と応対が続いた。事情が分からないままでも、務めを果たさなければならない。


 口にした言葉は、女王の意向として重みを持ってしまう。微笑を返しながらも、その責任に戸惑うことばかりだった。一人になれば、「本当に、ここにいていいのだろうか」と考えてしまう。答えが出ないまま、ミツルは今日も女王を演じている。


 前世で得た知識や倫理観に、この世界で学んだことを重ねても、国を治めるには足りない。ミツルには、まだ付け焼き刃に思えた。


――それでも、わたしは演じることには慣れている。


 前世において、深淵の血族の要となる三家の一つである柚羽家で生を受け、両親が謀殺された後に当主を務めて深淵の巫女を演じた。一度目の死後は弟の弓鶴に憑依して男の子を演じた。学園祭の演劇で泉の巫女メイヴィスを演じ、転生した先では十二歳のミツルとして、大人の心と子どもの器との間で揺れ続けた。自分は役柄になりきることでしか、生きられないのかもしれない。いつだって思っていた――


――わたしは誰なの?


 それでも、国の仕事は待ってくれない。ミツルとヴィルは、今日も女王と王配として会議に臨まなければならない。


◇◇◇


 魔族大戦で荒れた国土は、まだ復興の途中にある。そこへ、レズンブール伯爵の失踪が重なった。リュシアンを王太子に擁立しようとする陣営の要であり、宰相派の筆頭とも目される伯爵が、ミツルとの謁見へ向かう途中で襲われた。拉致か、自作自演か、それとも第三勢力の仕業か。噂は王都に広がり、貴族院の重鎮たちも騒いでいる。男爵家には伯爵の配下とされる兵が入り、ロゼリーヌとリュシアンを保護の名で拘束しているという。けれど、真相を掴めないうちは、宰相派の言い分を退けることも難しかった。


 昨夜、執務室で読み返したダビドの報告書には、伯爵の闇取引を示す証拠と、宰相を支える諜報組織についての記述があった。


 噂だけでなく、その存在を示す証言がある。


――通称『影の手』。


 王族ですら実体を知らぬ者が多いという。情報収集だけでなく、工作や暗殺も辞さず、宰相の権力を裏から支える。報告書は、そうした組織の存在を示唆していた。伯爵が邪魔になれば、宰相は不正を暴いて失脚させることも、密かに葬ることもできるのかもしれない。ダビドは、二人が互いを利用する関係にあると見ていた。


 伯爵は北方の隣国アルバート領にいるロドリゲス伯との闇取引で武器や火薬を買い、私兵へ回した余剰分を転売して利益を得ている。宰相はすでにその不正を掴み、いざとなれば『影の手』を使って暴露も抹消もできる――報告書に示されたのは、そういう構図だった。


 女王として命じることはできる。それでも、実際の力は宰相に偏っていると、ミツルは感じていた。


 先の会議で、宰相は『影の手』との関わりを否定した。その答えは議事に残してある。だが、母子の救出を理由に動かれれば、拒んだ女王の側が責められかねない。伯爵の失踪にも『影の手』が関わっているのかもしれない。混乱が深まるほど、宰相は「陛下と国のために働く者」として立ち回れる。母子が王宮へ取り込まれれば、擁立を既成事実にされかねない。対抗するには、こちらも表に出さずに動くしかないのだろうか。


 銀翼騎士団を国境へ展開し、国外からの介入を防ぐ。宰相が自ら男爵家へ赴くと申し出るなら、北行きを許すことも考えられる。こちらも独自に調べ、その背後で動く者を確かめておかなければならない。


◇◇◇


 ミツルは息を整え、会議室の扉を押した。高い窓から冬の朝の光が差し、城門の方からは近衛騎士団の号令が微かに聞こえる。隣には王配ヴィルが立っている。銘無しの聖剣は腰の鞘に収まり、柄と鞘には儀礼用の装飾が施されていた。彼は貴族や重臣たちを見据え、動かなかった。その長身が隣にあるだけで、ミツルは少し呼吸が楽になった。円卓の周りには、先王の代から国政に携わってきた貴族や閣僚が並んでいた。奥にいる宰相は何人かと視線を交わし、合図を送っているように見えた。


 ミツルは、まず復興政策の進捗を簡潔に報告した。


 御用係が次の議題を読み上げると、宰相が口を開いた。


「恐れながら、伯爵不在の件につき一言申し上げます。ご高承のとおり、伯爵は亡きギルク王子の御子――リュシアン殿擁立の交渉を一手に担っておりましたが、その要が行方知れずとなりましては、陛下のご威信にも関わりかねません。まこと憂慮すべき局面かと存じます」


 ミツルは冷めた茶器に指を添えた。


「ご指摘の趣旨は承りました。まずは伯爵の安否確認を最優先といたします。わたくしとの謁見に向かう途次で足取りが絶えた件、事実関係の精査を急がせます」


 ミツルの返答に、宰相は深く頷いた。


「さようにございます。陛下のご心痛、いかばかりかと拝察いたします。差し当たり、リュシアン殿の擁立を妨げんとする向きが動いた可能性を念頭に、早急の備えが肝要かと存じます」


「承知しております。ただ、男爵家周辺に不穏の報が続いています。伯爵の私兵が母子を保護の名目で囲っているとの指摘もある。宰相殿、把握状況を明言してください」


 重臣たちが息を呑む中、宰相は落ち着いて答えた。


「確かに、男爵家には伯爵の配下が入っております。まずは安全確保を図る――伯爵のご意図も、その一点にあったものと拝察いたします。何者かの暗躍があるならば、なおさらでございますな」


 「保護」という言葉に、ミツルは軽く目を伏せた。「本当に伯爵が保護? とんでもない。母子を拘束しているだけでは」と思っても、ここで感情的になるわけにはいかなかった。


 ミツルは隣に立つヴィルを一瞥する。


 ヴィルは無言で控えていた。その視線を受け、顔をそらす重臣もいる。その姿を確かめ、ミツルは落ち着いた声で問いを続けた。


「擁立を妨げる勢力とおっしゃるなら、どなたを指すのかご見解を伺います。リュシアン殿は王家の尊き血筋。わたくしがその血筋を疑う理由はございません」


 宰相は唇をわずかに歪め、嘆息した。


「軽々な断定は差し控えますが、世の中には尊きを脅威と見る向きもございます。万が一を想定せねばなりますまい」


 場内がざわめいた。伯爵も母子も無事かどうか分からない。その不安を利用しているように、ミツルには思えた。


 ミツルは宰相へ微笑を返した。


「ご懸念は尤もです。ゆえに――銀翼騎士団を男爵家へ向かわせたいと存じます。新設とはいえ精鋭です。危機が現実なら、一刻の猶予もありません」


「左様にございましょう」


「必要とあれば、わたくし自身が赴くことも考えております」


 ヴォルフが小さく頷いた。ミツルは宰相派の席へ目を向ける。


 宰相が口を開いた。


「恐懼ながら、ご再考をお願い申し上げます。銀翼は御旗にございます。練度と兵数を勘案すれば、いま投入するのは時期尚早。ましてや陛下ご自らのご動座は、危地を招きかねません」


「危ういとのご判断ですね。では、宰相殿、取るべき措置を明確に示してください」


「実は、かねてより伯爵から密書を受け取っておりました。すでに我が配下の私兵を極秘裏に斥候として走らせ、状況把握を進めております。陛下にご懸念をおかけせぬよう、まずは私の権限で前段を整えていた次第。無礼の段、平にご容赦を」


「いかなる事情があれど、女王の承認を経ない独断は容認できません。以後は一切おやめください。……わたくしが女王です」


 「さすが宰相様の思いやりは……」という囁きに、「女王を差し置いて?」という声が交じった。


 ミツルは机に指先を置き、出席者を見渡した。


「皆々様方に告げる。今後は一切、そのような隠し立てや独走は認めません。わたくしが女王であることを、どうか忘れないように」


 広間が静まった。宰相が再び口を開いた。


「ところで陛下、ひとつ愚考を申し上げます。リュシアン殿のご存在は尊きがゆえ、これを脅威とみなす向きが無いと断じ切るのは難しい。伯爵がそうした手に落ちたとすれば……」


 「女王自身か、あるいはその周囲がリュシアン殿を脅威と見ているのでは?」とほのめかされているように感じた。ミツルは笑みを保ったまま問い返す。


「さて、どなたを指しておられるのか。具体をお示しください」


 宰相は重臣たちを見回し、言葉を続けた。


「伯爵は亡きギルク王子のご遺志を体しておりました。それを疎む者が排除に動いた――そう見る向きもありましょう。無論、陛下の御周辺にそのような方があろうなどとは露ほども存じませんが、政治とは複雑でございます」


「その複雑な政治のただ中にいるのは、宰相殿もまた同じことではないですか?」


 ミツルが皮肉を込めて微笑むと、宰相は小さく息を吐いた。


「誤解なきよう。私めは誰よりもリュシアン殿の安寧を願っております。ゆえに、男爵家を速やかに王宮の庇護下へ移すべきかと存じます」


 このまま移送の話を進めさせれば、母子が宰相に取り込まれる。ミツルは、ここで攻勢に出ることにした。


 隣でヴィルが頷いた。「いいだろう」と言ってくれたように思えた。


「宰相殿。レズンブール伯爵は、隣国アルバート領のロドリゲス伯とつながりがあると伺います。何かご存じではありませんか?」


「……さて、どのようなことでございましょう。私には初耳でございます」


「彼の工房都市で製造された武器や火薬が安価に流れ、レズンブール伯爵が買い付ける。私兵に回し、余剰は傭兵や闇市へ転売――そう伝わっています」


 宰相はわずかに口角をつり上げた。


「ふむ……。もし真であれば、伯爵は私腹を肥やした、ということになりますな。とはいえ、それのみをもって失踪の因と断ずるのは早計。精査が必要でございましょう」


「調査では隠し口座の疑い、契約書の紋章や印の切り取り痕も確認しています。そこに宰相派の名があれば、王家として看過できません」


 「宰相派」という言葉に、何人かの重臣が動揺を見せた。


「陛下、いささか飛躍が過ぎませぬか。私と伯爵との間に、深き縁はございません。むしろ伯爵が亡き王子のご旧交を騙っていた可能性こそ高いと存じます」


 ミツルは唇の内側を噛み、言葉を飲み込んだ。


「その見立ては保留します。伯爵が王都に急いだ真意は、擁立以上の動機に拠る――そう考えます。わたくしに真実を伝える意図があった可能性も捨てきれません」


「……真実、でございますか。望むところにございます。陰謀があるなら白日の下に――それを糺すのが私どもの務め。……ただ、世間は時に残酷でして、伯爵失踪で得をするのはどちらか――などと申す声も出ましょうな」


「不当な示唆ですね。民心を乱す思惑は、王家として容しません。最優先すべきは、母子の安寧です――この一点を違えないでください」


「仰せのとおりにございます。とはいえ、まずはリュシアン殿のご身辺の安全が第一。陛下のご裁可さえ賜れば、軍を正式に派遣し早急に対処いたしますが」


 重臣たちの視線が、ミツルへ集まった。


「そのご提案では、伯爵を排除し母子を保護する功を、宰相殿が一手にお取りになる形にも見えます。わたくしも母子の保全を最優先といたしますが、権勢のための軍事行動は看過いたしません」


「お疑いが過ぎます。私めはあくまで王家と国家の安定を願うのみ。軍の派遣が要か否かはさておき、リュシアン殿の安全最優先は陛下もお認めでしょう。伯爵に不正があるなら、なおさら迅速な制圧が肝要。母子を王宮へ安全にお迎えするのが、私の務めと存じます」


 宰相は続けた。


「いかがでしょう、陛下。男爵家には伯爵の私兵が潜み、闇取引の強力な武器すらある可能性が高い。そのような危険な場所に銀翼を投入するよりは、兵を動かすほうが合理的かと思われますが」


「……わたくしとしては、王家の内紛めいた騒動を大軍をもって解決するのは本意ではありません。ですが、男爵家の母子を救わなければならないのも事実。……だからこそ、銀翼を男爵家へ向かわせるつもりでしたのに」


「いえ、先ほど申し上げましたとおり、兵の練度や員数を勘案すれば、危険を増すばかりにございましょう。どうかご安心くださいますよう。すでに私直下の『影の手』を投入し、調査は進めております。かかる汚れ事は彼らの得手にてございますゆえ、何とぞ私めにお任せいただきたく――」


 先の会議で、宰相は自分も宰相府も『影の手』には関わっていないと答えた。今は、自らの直属だと言っている。ミツルは書記官へ目を向けてから、宰相に問いかけた。


「『影の手』……先の会議でのお答えとは異なりますが、ご自身の直属とお認めになるのですね――では、議事録に残します」


「ええ、『影の手』こそ、裏の裏にまで手を回せる組織であり、静かに穢れを洗い清める役を担っております。すべては国家安寧のため、たとえ王族といえども手出しできぬ領分にございます。栄えある銀翼騎士団をお使いになるのは、国益にも適いませぬし、王家の尊厳をも損ないかねません。――ゆえに、この件は私めにお任せくださいますよう、陛下のご裁可を賜れますれば」


「つまり、宰相殿ご自身が男爵領へ赴かれると?」


「左様にございます。かかる事態に処すには、女王陛下に代わり、私自らが陣頭に立つべきでありましょう。然らば万事滞りなく、陛下の御心をお騒がせすることもございますまい」


「……それならば、銀翼を近隣国境線へ配備させましょう。冬季演習で兵を展開させておりますし、隣国アルバート領からの介入、あるいはロドリゲス伯に通じる輩が現れれば厄介ですから。あくまで、万が一の保険として」


「無論、それは陛下のご随意に。私めが直接男爵家へ赴き、この事態を収めて参ります。ロゼリーヌ殿ならびにリュシアン殿を安全に王宮へお連れいたしましょう。つきましては、陛下のご厚意を示すご書簡を一通賜れれば、先方も安んじて応じましょう」


 北へ赴く許可を、母子を王宮へ移す承認として使うつもりなのかもしれない。ミツルは、宰相の言葉をそのまま受け入れるわけにはいかなかった。


 周囲を見渡しても、目の合った重臣たちは視線をそらした。


 母子の意思を確かめずに居場所を決めることは認めない。すでに告げたその条件は変えず、書簡も、自分の名代として男爵家へ赴くためのものにする。移送や擁立まで承認するつもりなど、毛頭なかった。


「……わかりました。では、銀翼騎士団は北方の哨戒にあたらせ、アルバート方面の動静を監視いたします。宰相殿が男爵家へ赴かれることは許可いたしましょう。……書簡はわたくしがしたためます。ご出立までに用意させます」


 宰相は朗らかに笑い、「ありがたき幸せにございます」と頭を下げた。背後の重臣数名もほっと息を吐き、目配せを交わす。やがて、彼らは出口へ向かった。


――このまま母子が宰相の手に落ちれば、どうなる?


 母子が宰相の手元へ移されれば、本人たちの意思とは関係なく擁立を進められるかもしれない。伯爵の行方も、まだ分からない。


 ヴィルの落ち着き払ったまなざしに、胸のこわばりが少し緩んだ。いまはこれが最善なのだと、ミツルは思った。


 宰相派の重臣たちの足音が廊下を遠ざかっていく。ミツルは椅子に深く沈み、手にしたペンを見つめた。


――この先、何を差し出せばいい。母子を宰相の魔手から引き剥がすために。こちらは手札が、致命的に足りない。


 大義名分を得た宰相は、急ぎ出立の準備を進めるだろう。伯爵は戻ってくるのか、それとも冷たい報せが届くのか。まだ何も分からなかった。


 報せを運ぶ足音は、まだ聞こえなかった。


 ヴィルが身じろぎする気配に、ミツルはそっと目を閉じた。先手を取られた悔しさは消えない。書簡と保護状を用意し、監察の手配も進めなければならない。ミツルは震える指先を見つめてから、書記と使いを呼ぶために鈴を引いた。

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