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黒髪のグロンダイル  〜わたしたちは、ふたつでひとつのツバサなのだから〜  作者: 玉緒息吹
第二部 時間遡行編 第二十章 雪路をゆく、ふたりの銀翼
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白銀の市で手を取り合う新婚夫婦は騎士でした

 正午が近づいたころ、街角には粉雪が舞っていた。角を曲がると、怒号が聞こえた。


「なんだよ、そっちの馬車がいきなり突っ込んできただろうが!」


「はあ? ふざけんな。こっちは道を開けたつもりだぞ!」


 雪道の真ん中で向き合う二人は、襟元を掴みかけたまま肩をそびやかし、白い息だけが絡み合っていた。周囲の人々は肩をすぼめ、「またか」という顔で足を止めるだけだった。


「レオン……どうする?」


 クリスは小声で問いかけた。外套には昨夜の炭火の匂いがわずかに残っていたが、冷たい風の中へ薄れていく。


「俺たちが仲裁に入るのは不自然かも。……でも、これ以上騒ぎが大きくなると道が塞がって通れなくなるし。困ったな」


 レオンは手綱を握り直した。行商の夫婦でいる限り、騎士だと気づかれてはならない。


 片方の男が相手の肩を押し、もう一方も「やる気か!」と前に出かける。足元で雪が軋んだ。


「まずいな。さすがに放っておけない。よし、行くか」


「レオンはここにいて。わたしが行ってみる」


「いや、あいつらもう引っ込みがつかなくなってる。危ないだろ」


「あなたが行っても、仲裁どころか大喧嘩になるんじゃないかな?」


「た、たしかに……うまく収める方法が思いつかない」


「こういうときの、女は愛嬌じゃないかな?」


「いや、なんか意味が違う気がするんだが」


「細かいことは気にしないの。まあ、任せてみて」


 馬車が脇に寄ると、クリスは素早く降りた。剣には手をかけず、男たちへ笑顔を向ける。


「すみませーん! あの……馬車を通したいのですけど」


 柔らかな声色に、男たちの鋭い視線がクリスへ向いた。マフラーの隙間から白い息が漏れた。


「ここでケンカなんてしたら、危ないですよ。憲兵さんが来たら大変じゃないですか? 最近物騒な噂も聞きますし、捕まったらいいことありませんよ」


 短い沈黙のあいだ、遠くで車輪が雪を押しわける音が聞こえた。


「……ちっ、めんどくせえな。場所を変えるぞ」


 ひとりが舌打ちして距離を取り、もうひとりも文句を零しながら後ずさる。二人は滑りやすい地面を確かめながら通りの脇へ移り、まだ何か言い合っていたが、馬車が通れるだけの道は空いた。周囲の視線も散っていった。


「危なかったな。もし凶器でも出されたら、いくらクリスでも止められなかったかもしれない」


「ふう……」


 クリスは小さく息をつき、馬車へ戻ってレオンの隣に腰を下ろした。


「いざとなれば、俺がどうにかしてたと思うけど……目立つとまずいからな」


「どこに目が光ってるかわからないからね。無用なリスクは避けないと、宰相の耳に入るかもしれない。そうなったら、陛下にも迷惑かけちゃうしね」


 レオンは通りに視線を走らせた。


「まだ昼前だし、もうひと回りしたら宿に戻ろう。疲れたし」


「うん、同意」


 馬車が動き出し、車輪がきしんだ。風は次第に冷たさを増し、通りを行き交う人々の足取りも早まっていた。屋根の雪が解け、滴が馬車の幌に落ちた。


 けれど、計画は思うように運ばない。慣れない商売の段取りや聞き込みに時間を取られ、気づけば光は傾き、街の屋根の縁に橙が差し始めていた。


◇◇◇


 宿の戸をくぐると、炭火の匂いがした。冷えた頬に暖気が触れ、指先のこわばりがほどける。クリスが外套に積もった粉雪を払うと、板の軋む音や湯気の立つ鍋の匂い、旅人たちの笑い声が囲炉裏端から届いた。


「おかえり。あんたら、今日も泊まるんだね?」


 帳場の奥で主人が声を張った。木匙が鍋肌に当たり、ころん、と音がした。


「はい、明日の朝に出ようと思います。本当は昼には出たかったんですけど、北が物騒だって聞いて心配で……あちこち情報を聞いて回っていたら、こんな時間に」


「そうかい。そいつは正しい判断だ。雪も深いし、慌てることはないさ。じゃあ、夜はまたシチューでいいかい?」


 クリスは愛想よく頷いた。


「はい、お願いします」


 旅人たちの話し声と皿の重なる音に紛れるように、二人は声を落とした。


「今日のところは、もう外に出ないほうがいいよね。これ以上うろつくと目立つし、夜になったら危険だし……」


「そうだな。宰相の手下が潜んでいる可能性もないとは言えない。慎重に動いたほうがいい」


「でも、時間が経つほどに証拠は失われるし。敵が動き出している以上、焦るなって言われてもね……」


「陛下からも、無茶するなって言われてるしな。俺たちは行商夫婦らしく、のんびり探るしかない。……そういえば、そろそろ夕飯だな」


 ほどなく、運ばれてきた皿から湯気が上がった。匙を入れると、芋の角がほろりと崩れた。


「今日は忙しかったな。ケンカの仲裁に、まさかの売れ行き。……それでも宰相まわりは、拾い直せたくらいか」


「でも、伯爵の話はほとんど出てこなかったけどね」


「仕方ないさ。こういう小さな街には伯爵の動きなんて届かないだろう。やっぱり北のボコタへ向かうしかなさそうだ。それまでに、ダビドの兄貴と連絡が取れればいいんだけど……」


「そうだね。わたしたちだけじゃ手が回らないところもあるし。それに、もし私兵や例の影の手と正面からぶつかることになったらどうしよう……」


 クリスは匙をいったん置き、膝の上で手を重ねた。隣にレオンがいると思うと、思っていたより気持ちが落ち着く。


「けどさ、クリス」


「ん?」


「こうして二人だけで旅するのって、案外悪くないよな。こうやって落ち着いて話し合えるし」


「うん、わたしも……同じ気持ち。あなたとこうして落ち着いて向き合えるのって新鮮だなって。訓練や任務に追われてばかりだったから、なおさらかな」


「かもな」


「……お互いを見つめ直す時間なのかもね」


「本当にな。変な話だけど、俺、自分ががさつで無神経なのは分かってるんだ。でもさ、最近は自然と相手のことを気にするようになった気がする。……まあ、まだぎこちないけどな」


「わたしも、そうかも……」


 二人の匙が止まり、囲炉裏のはぜる微かな音が耳に残った。


◇◇◇


 夜は、窓の向こうで雪明かりが淡く揺れていた。一つきりの寝台で毛布の縁を整える間も、板壁に当たる風の音が聞こえる。


「……またも同じベッドで寝ることになるわけだ。これも任務だし、慣れていくしかないよな」


「そうね」


 布の擦れる音がして、二人の呼吸がすぐ近くに聞こえた。


「うん。大丈夫。昨日もやってるんだし、今さら何もないよ。むしろ……あなたが隣にいると、いろいろ安心するんだけど。変かな?」


「変じゃないさ。でも俺、結構ドキドキしてる。こういうときは、なおさら……」


 クリスは視線を天井に逃がし、毛布の端を指でつまんだ。


「ねえ、もし北のほうで本格的に、宰相や伯爵の私兵と接触したら……怪しまれずにやり過ごせるかな?」


「そんなのは分からないさ。でも、剣を抜くのは最後の最後だ。そうなったら、俺はクリスを守るために全力を尽くす」


「ありがとう。わたしだって、あなたを守るつもり。騎士として、一応……夫婦として――それが自然だよね」


「そうだ。こんなことで死んだらつまらないからな。陛下だってそう言ってくれた。……それに俺たちは、まだ半人前だ。一人前の騎士として認められるのが、お前の夢だろ?」


「うん、そうだよ……」


 やがて灯りが落ちると、窓辺に雪明かりだけが残った。クリスは背中にレオンの体温を感じながら、昼間から残っていた緊張が少しずつほどけていくのを感じていた。


「じゃあ、おやすみ、クリス」


「うん、おやすみ、レオン。明日は早いから、ゆっくり休もう」


 寝息が整い、外の風が窓を揺らして遠ざかった。


◇◇◇


 明け方、部屋の空気は冷え込み、吐く息がまだ白かった。先に目を覚ましたレオンが灯を点けると、薄い橙の光がクリスの寝顔を照らした。レオンは物音を立てないよう、支度を進めた。


「クリス、起きれるか? まだ早いけど、出発したい……」


「ん……うん、わかった」


 クリスが身を起こすと、毛布の内側にこもっていた熱が逃げ、肌に朝の冷たさが触れた。肩をすくめて外套を羽織り、二人は荷をまとめていく。


 階段を降りると、帳場から欠伸まじりの声をかけられた。


「おう、早いね。もう行くのかい?」


「ええ。今日こそ次の街へ向かわないといけなくて……。大変、お世話になりました」


「いつでも戻っておいでよ」


「そうだ。これ、道中で食べな」


 差し出された油紙の包みには、まだ温かさが残っていた。


「はい、ありがとうございます。すごく助かりました」


 扉を開けると、朝の冷気が頬に触れた。馬車の座面に薄く積もった雪を払い、出発の支度を整える。


「じゃあ、行くぞ。……寒いけど、がんばろう」


「うん。ここ、いい宿だったね。またいつか来たいな。こんな任務じゃなくて、ふつうに……」


「そうだな」


 手綱が軽く鳴り、車輪がきしみ始めた。二人は静かな路地を門へ向かった。


「不思議なもんだけど、夫婦って呼ばれるのがちょっと嬉しくなってる。なんでだろうな……」


「わたしも。同じ気持ち。最初は戸惑ってばかりだったのに、いまは『旦那さん』『奥さん』って呼ばれても――もう平気」


「慣れって怖いよな……いや、でも良い意味かもしれない。旅のあいだだけだとしても、何かしらプラスになってる気がする」


「だね。任務もきっとうまくいくよ」


「次の街でもっと聞き込みしてみよう。宰相の手勢が北へ向かってるっていうなら、絶対何かあるはずだし。危険は増すかもしれないが、二人でなら大丈夫さ。お前は頼りになるから心強いよ」


「わたしだって、あなたが隣にいてくれるから怖くないよ。……ああ、そういえば、あの陛下の心遣い。使う機会はないだろうけど、どうしたもんだか」


 照れ笑いがこぼれた。


「おい、勘弁してくれよ。……お守り代わりに、どこか見えないところへしまっといてくれ」


「そうだね。恥ずかしいけど、陛下の気持ちがこもってるって思おう」


 二人の短い笑い声が上がった。


◇◇◇


 街の門を出る頃、東はようやく白みかけていた。灰色の雲が垂れ込める冬空にも、ところどころ薄い光が差し、雪原がぼんやりと輝いていた。


 馬が白い息を吐き、蹄が雪を踏む音が続く。道はまだ静かで、人影も少ない。レオンとクリスは地図を確かめながら小声で言葉を交わし、北方へと馬車を進めた。


「次の町まで距離があるんだっけ? 夕方くらいには着けるかな」


 クリスが声を張って問うと、レオンは地図を脇に置いて答えた。


「道が凍ってなければなんとかなりそうだけど、無理しないように行こう。あまり急いで馬車を壊したりしたら元も子もない」


「わかった」


 クリスはマフラーを直し、鼻先に当たる風の冷たさを堪えるように息を吐いた。レオンも、北へ行くほど寒さが増すこと、宰相の私兵や盗賊、影の手にも警戒しなければならないことは分かっていた。それでも、ここで引き返すわけにはいかない。


 雪道を進む馬の足取りは重く、時折ぬかるみで滑りかけた。そのたびにレオンが「よし、がんばれ」と馬を励まし、クリスは積み荷のズレを確かめて衝撃に備えた。もし荷が崩れ、隠し装備が露わになれば、一瞬で偽装は破綻する。


「俺たちなら、きっと乗り越えられるさ。情報が役に立てば、きっと宰相の陰謀にだって打ち勝てる。そんな気がするんだ」


 レオンは遠くの雪景色へ目を向けた。枝に張りついた細やかな樹氷が、かすかな光を受けてきらめいている。


「……陛下の願いを叶えて差し上げること。それがわたしたちの恩返しになるんだから。わたしたち……まだ半人前だけど、焦らず、でも諦めず、一歩ずつ行こう……」


 クリスの声にはわずかな不安が滲んでいた。その不安がどこから来るのかは、レオンにも分かる。宰相の力を思えば、レオンも気が遠くなるほどだった。


「大丈夫さ。夫婦としても、騎士としても、俺たちなら支え合える」


 レオンの声は静かだった。背筋を伸ばして手綱を握る横顔を、クリスが見つめている。その横顔には騎士団に入った頃の血気盛んな少年の面影が残っていたが、クリスへ語りかける声には以前とは違う落ち着きがあった。


「信じてるわ。わたしの旦那さん?」


「おいおい、今は演技しなくていいから。からかうなよ、まったくもう」


「ふふふ」


 二人はかすかな笑い声を交わした。馬車はぎしぎしと軋みながら雪の道を進んでいく。遠い山並みに灰色の雲がかかり、吹雪になりそうだった。


◇◇◇


 見渡す限りの雪の中に、小さな農村の屋根が点々と見えていた。山あいの風は頬を刺し、二人は呼吸を整えながら進んでいく。


 石畳のない道では、馬車の車輪が雪に沈み、低い音を立てながら進んだ。レオンは折にふれて荷台を確かめ、「大丈夫か?」と短く声をかけた。


「寒いし、途中で温かい飲み物でも用意しようか。荷の奥にハーブの残りがあったはず」


 クリスの提案に、レオンは口元を緩めた。


「いいな、それ」


 人影の少ない雪道で、夫婦を装って小さな休息を分け合う。そう考えると、レオンは少し気が楽になった。


「じゃあ、少し落ち着けそうな場所があれば、夫婦でティータイムと洒落込もうか……なんか、自分で言ってて照れるんだが」


「ふふ……でも、楽しいかも」


 雪は降り続いていた。風が弱まった折に薄日が差し、樹氷の縁が光った。


 クリスと視線が合うと、彼女が少し目をそらした。レオンは照れ隠しに帽子を押さえ直した。任務が終わった先にも、もしかしたら自分たちの新しい関係が続いているのかもしれない。そんな考えがふと浮かび、レオンは自分でも戸惑った。


 風がときおり襟元から入り込み、レオンは肩をすくめた。


「風の音が増してきたな。雪片せっぺんが当たって痛くないか?」


「レオンも気をつけて。滑らせないようにね」


「わかってる。馬はちゃんとコントロールするから安心しろ」


 二人は小さく笑い合った。


「待っててくださいね、陛下。わたしたち、必ずあなたのご期待に応えてみせます」


 クリスが言うと、レオンも頷いた。


「そうさ、俺たち頑張らないとな」


 馬車は雪の上に轍を残しながら進み、馬の鼻先から白い息が立ちのぼった。雪原の向こうでは、雲間から差したわずかな光が馬車の幌に落ちていた。


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