冬支度の偽装夫婦――王宮裏手から始まる極秘の旅②
王都の中心を離れるにつれ、往来はまばらになり、衛兵の巡回も張り詰めたものではなくなる。馬車に荷を積んだレオンとクリスは、城壁沿いの大通りを静かに進んでいった。粉雪が二人の帽子の縁へ淡く積もる。
「結構見られてる気がしないか、俺たち。変に浮いてやしないか?」
手綱を握るレオンの指は、冷えに強張っているように見える。クリスも、すれ違う人の目がこちらへ向くたび、それを意識せずにはいられなかった。レオンは前を見据えたまま、声を落として続けた。
「なぁ、俺たち本当に夫婦に見えてるのかな?」
襟を整えたクリスは、任務のときと同じように背筋を伸ばしていることに気づいた。
「うーん、夫婦に見えるかどうか以前に、わたしたちがぎこちないせいじゃないかな。もう少し自然に振る舞おうよ」
「そう言われてもな。夫婦なんてどう演じればいいんだよ、って話だ」
「設定を考えすぎじゃないの? いつものわたしたちらしく。まずは、それでいいと思うけどね」
クリスの声は柔らかかったが、それでも呼吸が、言葉の隙間で揺れていた。
「俺たちらしくか……そうかもしれないな」
「そうそう」
「……しかし、この馬車、思ったより重いな。動かすのに慣れてないから、ちょっと不安になってきたぞ」
レオンのぼやきに、クリスは肩をすくめて笑う。
「わたしも手伝うから大丈夫だよ。お互いに支え合うのが自然だったでしょ? 夫婦とか以前の問題。わたしたちは相棒なんだから」
「おう、それならわかった。クリスの言う通りだ。その感じでいこう。……じゃあ、頼むぞ」
王都の城壁を抜けると、雲の裂け目から朝の淡い光が差した。雪の粒が頬へ触れ、細く溶けた跡がひやりと残る。
「雪がまた降ってきそうだね。大通りとはいえ、道が凍ってたら馬車が滑らないか心配」
「馬には滑り止めの蹄鉄をつけてあるし、ゆっくり行けば大丈夫だろ。……でも、空気が硬くなってきたな。クリス、ローブ一枚で平気か?」
「うん、大丈夫。表地は地味だけど、裏地が思ったより厚めだから。……レオンこそ、そのコート一枚で平気なの? 手、かじかんでない?」
「俺なら問題ないさ」
レオンが手綱を握り直すと、革のきしみがクリスの耳へ届く。坂の手前でレオンは手綱を短く持ち直し、馬の歩度を落とす。
「ふう……本当に出発したんだな、って感じがするね」
クリスの呟きに、レオンは視線を道の先へ送り、声を落とした。
「今日のうちに隣街まで行って、そこで宿を取るとしよう。そこからさらに北の宿場町に向かえば、噂だって拾えるだろう。伯爵の行方に関する情報、あとは怪しい人物がうろついてないか……何かしら手がかりはあるはずだ」
「そうだね。行き交う旅人から話も聞けるだろうし。夫婦って設定を存分に利用して、どこまで入り込めるか。とにかく、試すしかないかな」
「騎士だってバレると、あっという間に相手の警戒を買う。クリスが話を広げてくれたら助かるよ」
「わたしが?」
「商売人っていえば、愛想だろ? 人当たりの良さでいえば、俺よかクリスの方が適任だと思うがな」
レオンは薄く笑い、手綱を持つ手の力を少し緩めた。蹄が雪混じりの路面をたしかに踏む。
「そういうの、ほんとはあんまり得意じゃないんだけどな。わかったわ。……レオンは力仕事担当ね?」
「おう。荷物運びとか、用心棒っぽい役割なら任せとけって」
レオンは拳を軽く上げた。クリスは頬を刺す冷気を感じながらも、胸の内側が温まるのを覚えた。
「行商人なら、実際に物を売り買いするのも慣れていかないとね。できるかどうか不安だけど、頑張ってみる。……やるしかないんだもん」
「頼む。俺は剣で脅すくらいしか能がないから。あ、まあ冗談だけど」
「そういうの絶対にやめてよね。騒ぎになったら、即アウトだよ」
「わかってるって。行商人らしく、温和にいこう」
微笑みを交わしながら、粉雪の舞う道を進む。馬車が雪粒を巻き上げるたび、車輪の軋みが、まばらになった往来のなかでよく聞こえた。クリスはレオンの手元へ目をやる。革手袋ごしに手綱を握る指は、まだ少し強張っているように見えた。
「あー……だけど、夫婦っていうことは、一応それらしい言葉遣いに変えたほうがいいのかな? さすがに俺たちのいつも通りの調子のまま、ってわけにはいかないだろ」
レオンは帽子の庇を押し、横目でクリスをうかがった。
「……でも、無理に変えても不自然かもしれないよ」
クリスは胸元のローブを合わせ直し、白い息を細く吐く。
「そうだな。とりあえず、要所要所で『奥さん』とか『旦那さん』とか混ぜてみるか?」
「あ……うん、そうしよう。変にかしこまったら、かえってわたしたちらしくないし」
道を行く人影は、さらに少なくなっていた。
「ねえレオン、もし途中の村とかでわたしたちの関係を聞かれたらどう答えればいい? 新婚の夫婦ってだけで通じるのかな? 何かストーリーが必要かな?」
クリスは地図の雪を払い、膝に広げた。レオンも手綱を握ったまま地図へ目を落とし、北を顎で示した。
「うーん、そうだな。設定としてはだな、『王都で結婚式を挙げたばかりで、奥さんの実家が北方にあるので、挨拶も兼ねて行商の旅に出ました』――みたいな感じかな」
クリスは「実家」という言葉に小さく瞬いた。
「それなら自然かも。……ちゃんと情報を拾うには、こっちも好印象を与えなきゃね。あんまり仏頂面してると怪しまれちゃう」
「俺はひたすら笑顔で頑張るから、おまえも声のトーン上げて、優しく話すんだぞ?」
「わかった。やってみるよ。でも、愛嬌って……どうもね。わたしに一番欠けてるものな気もするけど?」
クリスは頬を指でつつき、目をそらした。
「そうか? 俺、クリスって愛嬌あると思うぞ?」
「どこらへんが? 言ってみて」
軽く弾む声に、レオンは肩をすくめ、馬の背へ目をそらした。
「いや、その……なんていうか、いろいろ」
「なによ、根拠なんてないじゃないの」
レオンはすぐには答えず、雪を踏む蹄鉄の音が続いた。
「いや、あるってば。今だってその、すごく……自然だし。いいな、って思うし」
「な、な……なにいってるの。説明になってない」
クリスは顔をそむけた。耳まで熱くなり、襟にかけた指にほんのわずかに力が入る。目を向けた先では、冬空の雲の切れ間から遠くの山並みへ淡い光が差していた。
◇◇◇
半刻ほど進むと、小さな商家の看板が見えてきた。二人は道端に馬車を寄せ、荷台の商材を確かめながら、声をひそめて話した。
「さて、この染物とか革小物、値段はどうする? 安すぎると不審がられるし、高すぎても売れないし」
「そうだね……とりあえず見せてみて、向こうが欲しがったら交渉に応じる感じかな。そこまで利益重視じゃないし」
「俺たちの目的は情報収集だからな。適度に安く売って親切にしといたほうが、向こうも話してくれるだろ」
レオンが馬を進ませると、車輪が再び回りだした。
「よし。次の町に着いたら、とりあえず売り歩いてみよう」
「おう。そんときは手伝うから。……一応、話し相手になって、話を引き出すのも忘れんな」
「わかってるって、旦那さま」
呼ばれたレオンの耳が赤くなった。
「お、おう……はい、奥さん」
上ずった声に、クリスは思わず笑った。
山道へ続く小径に入ると、人の気配はさらに少なくなった。遠くで川の音がしていた。レオンは道端で馬車を止め、膝に地図を広げた。クリスは隣から身を寄せ、肩越しに覗く。
「たぶん夕方前には隣街に着くと思うけど……どうする? 寄り道するような村があったっけ?」
「地図だと、途中に小さな集落があるみたいだけど、宿があるかどうかは分かんないな」
「じゃあ、予定どおり隣街を目指そう。宿が確実にあるほうが安心だし」
「そうするか。……あんまり遅くなると雪道で苦労しそうだしな」
「うん。まだ馬車に慣れてないし、早めに落ち着きたいかも」
「わたし、実はちょっと楽しみにしてるんだ。夫婦で旅するって、いったいどんな感じになるのかって、いろんな想像しちゃって」
クリスは遠くを見やった。
「そりゃあ楽しみ半分、心配半分ってとこだろうな。それにしても……あんな妙な物まで持たされてるし、仲の良い夫婦だなんて言われたら、余計に恥ずかしくなりそうだ」
レオンは鼻先をかき、ちらとクリスを見た。
「それにしても、陛下のあの心遣いにはびっくりしたよ。申し訳ないけど、笑えてきちゃう」
「ほんとだよな。とんでもない心配性というか、考えすぎな方なんだと思う。なにもそこまでって思うけど」
二人は笑い合った。
「でもね、陛下はあのお歳で女王を務めているんだよ。息が詰まるような王宮で、宰相とか大臣とかを相手に必死に渡り合って、寝る暇だってないはずなんだよ。それでもわたしたちのことを心配して、こんなにも気を使って手を尽くしてくださった。それを思うと……わたし、頑張らなきゃって思うの」
クリスは胸もとをぎゅっと握った。レオンは小さく頷く。
「そうだな。陛下のお気持ちを大切に、俺たちは俺たちなりにやれることをやるしかない。……そうだろ、俺の奥さん」
「うん。やるだけやってみるよ、わたしの旦那さま」
クリスは帽子の庇を下ろして照れを隠した。レオンが手綱を取り直すと、車輪がごとごとと回りだした。厚い雲から雪は絶えず落ち、馬車は凍れた道を北へ進んでいった。




