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黒髪のグロンダイル  〜わたしたちは、ふたつでひとつのツバサなのだから〜  作者: 玉緒息吹
第二部 時間遡行編 第二十章 雪路をゆく、ふたりの銀翼
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雪より白く、影より深く

 灰色の雲が朝の王都を覆い、王宮の石畳にも寒気が染みわたっていた。レオンは白い息を吐く衛兵たちの脇を通り、クリスとともに王宮の一角にある小さな会議室へ向かった。レズンブール伯爵が王都へ向かう途上で襲われ、行方不明になったという知らせから、既に二週間が過ぎている。今朝こそ何か分かるだろうかと扉を開けたが、目についたのは退屈そうに報告書を捲る役人たちだった。伯爵の捜索について話し合う場のはずなのに、席に着いても、レオンたち以外の誰からも緊張は感じられなかった。


「はい、それでは……ええ、王都周辺ならびに北方街道沿いからは、いまだめぼしい情報は得られず。悪天候の影響で捜索範囲を広げられない、というのが現状ですな」


 王国治安局の局長がそう口にすると、紙を繰る音ばかりが、やけに大きく響いた。羽根ペンの先が一度だけ止まり、高官の一人が棒読みのように相槌を打って、「ご苦労さまです」と告げる。レオンは次の言葉を待ったが、報告はそこで終わってしまった。局長が高官たちに「ほかに何か?」と尋ねても、面々は一様に視線を落とし、誰も口を開こうとしない。


 発足間もない銀翼騎士団へ実戦経験を買われて迎えられた二人だが、ここでは発言の機会すら与えられない。レオンは隣のクリスへ目を向けた。ダークブラウンの短い髪の下には、まだ少女らしいあどけなさが残っている。控えめでどこかのんびりした様子もいつもと変わらないが、その目は真剣に会議の成り行きを追っていた。クリスの秘めたる闘志を知るレオンには、このまま何もせず席を立つことに、彼女が満足できるとは思えなかった。


 やがて会議の終了が告げられ、王国治安局の局長や宰相側の役人たちは、わずかな書類を抱えてそそくさと席を立った。三十分にも満たない会議で聞けたのは、結局その報告だけだった。伯爵の手がかりは何ひとつ示されず、レオンには、形式だけのやり取りを聞かされたとしか思えない。席を離れていく人々を見送って深いため息をつくと、脇に立つクリスへ苦い顔を向けた。


「こんなの、まるで意味がないじゃないか。これで会議は終了ってか?」


 レオンが椅子を引くと、脚が床を擦り、埃のにおいがわずかに立った。クリスも静かに眉をひそめている。空いた席へ向けられた彼女の視線を追っても、鬱屈した気分が強まるばかりだった。


「何の進展もないままの、形だけの報告会って何の意味があるんだろう。……わたしたち、王宮に出向だなんて言われて、最初は『やったぜ陛下のお側に行ける』って浮かれたけど、結局、何の役にも立ててないよね?」


 レオンは白くなった指先を見下ろした。袖口の布が肌に冷たく触れ、椅子に座り続けていた寒さが抜けない。雪の中で馬を走らせていたときには、冷えを感じても、次の合図に合わせて動くことができた。今は、何に向けて力を使えばよいのかさえ分からなかった。


「……こうしてる間にも本隊は冬季演習を続行中。俺たちだけ置いてけぼりで、情けないったらありゃしない」


 声に滲んだ苛立ちを抑えきれないまま、レオンはクリスを見た。彼女が口をきゅっとつぐむと、レオンはそれ以上、言葉を続けられなかった。銀翼騎士団の一員として、今度は自分が国を守る力になれると思っていたのに、与えられた仕事は、この捜査報告会への出席だけだ。宰相側の高官は「早く成果を」と言うわりに、本気で捜している様子すら見せなかった。いったい陛下は何を考えて、自分たちを王宮に召喚したのだろう。答えの出ないまま、席を離れるしかなかった。


 廊下に出ると、冷たい石壁に冬の外気が染み込んでいた。窓の隙間から入る風が、襟の内側で細く鳴る。レオンが小さく舌打ちしながら、壁に軽く背を預ける。


「なあ、クリス。俺たち……このままずっと王都で待機なのか? 本当にただの顔見世要員ってことなのか? 陛下は、いったい何を考えてるんだか……」


「さあ……。でも女王陛下が、わたしたちをあえて呼んだのは、きっと何かお考えがあってのことだと思う。けど、それが何なのかは、ぜんぜん見えてこないんだよね」


 わずかに震えているクリスの声を気にして、レオンは彼女へ顔を向けた。騎士格の家に生まれながら、反対する家族を振り切って軍へ入り、騎士になる夢を追い続けてきたことを、彼は知っている。剣の腕にも恵まれ、銀翼で己の力を役立てたいと願ってきた彼女に、ただ待っていればよいとは言えなかった。自分にも、その先に何があるのか分からない。


「――宰相派に、最初からやる気がないのは分かってる。王国治安局って組織も、形だけなのかもしれない。陛下のことだ。それを承知のうえでいまは黙ってるとしか思えないんだよな」


 レオンはそう言いながら窓の外を見やる。彼は赤い髪をくしゃりと掻きながら、苛立ちを押し込めようとするが、やりきれない思いは募るばかり。灰色の空がどんよりと王都を包み込んでいた。


「……このままだと、わたしたち、一生後悔する気がする。もし本隊が男爵家を救出して成果をあげたなら、わたしたちだけ何もしなかったことになる。そんなの――悔しいよ」


「クリス……」


 クリスが唇をきつく噛んでうつむいているので、レオンはそっと手を伸ばし、彼女の肩を軽く叩いた。けれど、彼女を励まそうとすると、これから何ができるのか、確かなことは何ひとつ言えない。


「俺だって、なあなあで終わるつもりはないさ。何かできることがあるはずだ」


「うん」


「陛下は、何か別の狙いがあって俺たちを残したのかも、とは思うんだけどな」


「そうかしら?」


「……そう、信じたいよ。じゃなかったら、やりきれないだろ」


 レオンの言葉に、クリスは小さくうなずく。顔を上げた彼女を見ても、これで落ち着いたとは思えなかった。


「女王陛下に直接お会いできればいいんだけど。そう簡単には叶わないか」


「そうだな。あのいけすかない宰相がくっついてる場面も多いだろうし、邪魔されるのがオチだ。あー、もう、どうすりゃいいってんだ」


 ふたりで顔を見合わせ、溜め息を重ねた。廊下を往来する侍従たちは、何やら気まずそうにふたりを避けて歩く。


「そもそも、わたしたちみたいなのが王宮の会議に出るって、どう考えたって場違いだし変だよね。宰相からしたら、笑いを堪えるのに必死なのかもしれないよ」


「まったく、想像するだけで腹が立つ。あいつら、どうせ俺たちを駆け出しの小僧と小娘くらいにしか思ってないんだろ」


「会議も形だけ、捜索を急がせるのも口先だけ。……何か、企んでるとしか思えないわよね」


 回廊の奥で金具が触れ、鈍い音が一つ転がった。そう呟いていると、廊下の奥から侍従長コルデオが姿を見せる。彼はふたりを見かけると足を止めた。


「レオン殿、クリス殿ではないですか。今朝の会議、お疲れさまでした。おや?」


 コルデオは、申し訳なさそうな顔で口を開いた。


「……お気持ちはお察ししますが、どうか今はご辛抱を。あなた方が呼ばれたのは、女王陛下のご意向によるものに相違ありますまい」


 レオンはクリスと同時に顔を上げた。女王の意向と聞けば、何のために残されたのか、訊かずにはいられなかった。


「陛下のご意向、ですか? 実際のところ、俺たちは囮役ってことですよね?」


「本隊の動きから目をそらさせるため……とかですか?」


 コルデオは困ったように眉を寄せて首を振る。自分たちの見当が違うのか、それとも答えられないことなのか、レオンにはその仕草だけでは分からなかった。


「それについては、私も詳しくは……。ただ、陛下はお二人のことを、とても信頼しておられます。そして、王宮付きとして留め置くことには、確かな理由があります。現段階で私から申し上げられるのは、ここまでです」


 クリスが切なそうに目を伏せる。レオンも、ここまでと言われてなお、コルデオから続きを聞き出せないかと、その顔を見つめていた。


「そうだといいんですけど……。このままじゃ、俺たち不安で仕方ありません」


「お気持ちは分かります。ですが、陛下も苦慮されています。宰相や王国治安局に露骨な圧力をかければ、かえってこちらの動きが封じられかねない。だからこそ、今は耐えてください。いずれ、その時は参ります」


 含みのある言い方だったが、コルデオはそれ以上を語らなかった。レオンは、なおも問いを重ねたい気持ちを抑えた。


「……分かりました。俺たち、その時が来るのを待ってますから!」


「わたしたちにできることがあるなら、何でも協力します。もし陛下が、わたしたちを頼ってくださるなら……いつでも動けるようにしておきます」


 そう言ってふたりはコルデオと別れ、再び薄暗い廊下に静けさが戻った。


◇◇◇


 昼下がりになっても、会議室には新たな動きがなかった。レオンは何をすればよいのか分からず、廊下を行き交う人々を眺めていた。クリスと目が合うたび、苦笑いを交わす。待っていると答えた以上、呼ばれたときには動けるようにしておきたいが、時間の長さばかりが身に沁みた。


「ねえ、レオン……」


「ん?」


「わたし、正直気が気じゃないよ。宰相の動きも怪しいし、影の手って得体の知れない組織だっているんでしょ……」


「俺だって落ち着かないさ。……でも、今ここを飛び出すわけにもいかない。どうしようもない……」


 言いながらレオンはうなだれた。クリスは無理に笑おうとして、そのまま不安げに目を伏せる。彼女を見ていると、自分まで苛立ちをぶつけ続けるわけにはいかないと思うのに、気持ちを持て余していた。遠くで城内の時計が鐘を鳴らす。定刻を告げる響きが廊下へ届き、レオンはそれが消えていくまで聞いていた。女王を信じて待つと決めても、胸には焦燥が残った。


 日が沈む気配を感じつつ、レオンはこれ以上廊下にいても仕方がないと判断し、クリスとともに控室へ戻る。そこは王宮に常駐する者に与えられた質素な部屋だ。


 椅子に腰を下ろし、窓の外を見やると、石畳の上を冬の風に吹かれた雪が音もなく流れていた。吐息が白くなるほどの冷えがじわじわと身体に沁みてきた。


「……寒いな。暖炉に薪を足してくる」


 レオンがそう言って立ち上がると、クリスは小さく微笑んだ。


「ありがとう。……ごめんね、さっきはわたし、取り乱してばかりで」


「いいって。俺だって同じ気持ちなんだ。……何か手がかりでも見つかれば、少しはましなんだが」


 レオンは暖炉へ薪を足し、火の回りをしばらく見ていた。何も解決していないのに、クリスと言葉を交わしているあいだは、胸のつかえが少しだけ緩む。同じところで腹を立て、同じように持て余している相手がそばにいる。ひとりで待たされていたら、もっと堪らなかっただろうと思った。くべた薪の燃えは鈍く、室内にはほとんど熱が広がらない。窓の隙間から入り込む風がひゅうと鳴り、レオンは暖炉からクリスのいる方へ顔を向けた。


「レオン……もしこのまま、明日の会議も同じだったら、どうしようか?」


「何も変わらないなら、女王陛下に直訴するしかないか……。いや、会えるもんなら、とっくに会いに行ってるんだけど……」


「そうだよね。わたしたちみたいな半人前が女王に直訴って……下手をすれば処罰対象かも。……でも、じっと黙っているよりは……ましだよね」


「ああ、さすがにもう耐えられない」


 ふたりは見つめ合う。ちょうどその瞬間、外の廊下から足音が近づき、侍従長コルデオの声が「レオン殿、クリス殿。いらっしゃいますか?」と響いた。彼ほどの人物が、わざわざ平騎士の控室を訪れるのは珍しい。


「……はい。今、開けます」


 レオンが扉を開けると、コルデオが少しだけ上気した顔で息を整えている。


「少しお時間を。『お二人をお呼びしたい』と女王陛下がおっしゃっております。今なら、お目通りが叶うやもしれません」


「え……女王陛下が、わたしたちを?」


 クリスが驚いてコルデオを見つめる。その隣でレオンの胸も高鳴った。ようやく会えるなら、この停滞を打破できるかもしれない。二人が抱えてきた思いを直接伝え、何か役目を引き受けたかった。


「どうか、急ぎお越しください」


 レオンは足を踏み出しかけた。急ぐようにと促されたことまでが、待ちわびていた仕事に思え、クリスが隣にいるのを確かめた。


「でも、いったいどんなご用事でしょうか?」


 クリスが問い返すと、レオンもコルデオの返事を待った。どんな用件かも聞かずに進もうとしていたが、今は女王に直接会えるというだけで、じっとしていられなかった。


「詳しい話は、陛下のもとで。ご案内いたします」


 コルデオの短い言葉に促され、レオンはクリスと顔を見合わせて頷き、廊下へ飛び出した。形ばかりに見える捜査報告を聞いて待つことには、もううんざりだった。女王が二人を呼んだのなら、何か策があるに違いないし、そこに自分たちの出番があるはずだ。そう思うと足が速まった。隣をゆくクリスの足音も重なり、大理石の廊下に響いている。レオンには、冷え切った廊下でも、その音が希望を孕んだ響きに聞こえた。

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