幕間 凍てつく白翼――指導官バロックの目に映る未来
打ち上げられた信号弾が割れた。雪霞の空で光が弾け、短く乾いた破裂音が丘の氷面に反響する。発見を知らせる赤色に、応答の青色が続く。クロスボウの弦がキンと鳴り、冷えた空気が薄く震えた。
私――バロックは、この冬の王都に赴任して以来、雪降る季節の厳しさと美しさをあらためて思い知らされている。いま演習を行っているのは、王都の城壁を望む丘だ。北へ進む前に、隊舎近くの演習地で本隊の動きを確かめている。
高く聳える城壁の内外は一面の白に覆われ、なお雪が降り積もっていた。吐いた息は薄く散り、息を吸えば喉の奥まで冷えた。
そんな白の中を、六十名の若い騎士が走る。無謀にも見えるが、壮観だ。彼らは創設されたばかりの銀翼騎士団の本隊だ。いずれも、魔族大戦の激戦地を生き延びてきた者たちだ。絶望的な戦況下、突如として舞い降りた救世の巫女と騎士――女王メービス陛下と王配ヴォルフ殿下に忠誠を誓い、新しい時代を自分たちの手で作ろうとしている。
私は彼らの指導と管理のため、実務官兼騎兵指導者として派遣された。大戦では最前線で一隊を預かり、敵を足止めしながら、持ち堪える時と退く時を見極めてきた。任務を果たし、預かった兵を一人でも多く連れ戻すための判断を、ここでも教えられる。だが、家柄や縁故が幅を利かせる王都で、出世の本流から外れた一介の軍人に女王陛下直属の騎士団を任せるという話には、さすがに逡巡もした。それでも、あの地獄を知り尽くした方が、私の経験を必要とされていると思えば、胸が熱くなった。断る理由などない。
着任して驚かされたのは、顔ぶれの多様さである。殿下の補佐役を務めるステファン・ギヨームは、平民の家に生まれた王国有数の騎士だ。本隊にも、貴族の系譜にこだわらぬ者が多い。それぞれの戦場で身につけたやり方を合わせ、一隊として連携できるかが気にかかった。
だが基礎訓練に入ると、杞憂は薄れた。合図が噛み合わずに列が乱れても、先へ出すぎた者は隣の動きに気づいて馬を抑え、遅れた者が追いつくのを待つ。私が指示を出す前に、列は整い始めていた。殿下の眼は若さの伸びしろを正確に掴んでいる。既成概念に囚われない者を選ぶ――そういう騎士団だと理解するのに、長くはかからなかった。
◇◇◇
今回の冬季訓練は、創設二か月にしては大掛かりだ。六名ずつの分隊を雪道に散開させ、敵を発見すれば赤の信号弾を上げ、受けた分隊が青で応答する。右から陽動をかけ、左で牽制しながら、伝令を三手に走らせる。最後は各分隊が合流し、包囲から撤退までの動きを確かめる。住民を逃がす時間を「稼ぐ」ために、敵を「揺さぶる」動きを反復する。
風が刃のように頬を切る。騎士たちは馬具を鳴らし、列を崩さぬよう歯を食いしばる。蹄が雪を掬い上げて白玉を散らし、その向こうで後続の合図旗が翻る。雪中で馬の歩調を揃えるのはまだぎこちなく、馬上から放つ簡易クロスボウの射も甘い。だが「未来をこの地で掴む」と意気込む騎士たちは、慣れぬ訓練にも身を入れている。
丘の端で馬を止め、単眼鏡を目に当てる。その縁に霜が付いていた。
極寒の下で散開と合流を同時に教えるのは骨が折れるが、士気は高い。陽動班の先頭でレオンが雪庇を避けて大きく回り、牽制線の後尾でクリスが合図旗を二振りした。旗を見た騎士が馬を抑え、開きかけていた列へ遅れた者を迎え入れる。住民を逃がし終えるまで、隊形を保てるかが肝心だ。
「バロック卿、陽動班が大きく右へ回り込んでいます。住民役の退避を確保する時間を稼ぐため、敵をあえて遠回りに誘導しているようですね」
副官の白い息が風に流され、頬のそばを過ぎる。私は頷いた。鞍の革が低く軋み、馬の鼻孔から噴き出す息が白くちぎれていく。弦の音に、馬具の留め金が触れ合う音が混じった。簡易クロスボウの威力には限りがあるうえ、馬の調教も十分ではない。坂で転びかける馬が出ると、速度のばらつきから隊列が波打つ。だが――最低限の隊形は保てている。
――もし、ここに殿下が提唱されているタンデム戦法が加わるなら。
騎士が手綱を握り、同乗した魔導兵が携行型魔導兵装で即座に魔術を放つ。騎兵の機動力に魔術を組み合わせられれば、奇襲力は格段に向上する。だが、魔族大戦で魔導兵は激しく損耗し、銀翼へ迎える者の人選にも、まだ至っていない。
課題は山ほどある。二人乗りの負担に加え、揺れの中での詠唱や、魔術現象に対する馬の反応も確かめる必要がある。それでも殿下は「少数精鋭で成果を出して黙らせればよい」と言い切った。その構想を試せる日へ向けて、いまは騎士と馬の連携を固めておく。
視界の端で赤が再び上がり、青が応じる。右の陽動班が雪庇を避けて回り込み、左の牽制班が足を止める。三手に分かれた伝令が、合流点へ向かって走る。金属音が遠くで重なった。訓練用の敵を包囲するため、各分隊が合流していく。冬の静謐を、弦の鳴りと掛け声が切り裂く。
やがて複数の騎士が信号弾を打ち上げ、最後の合流を促した。隣接分隊がすぐ応じ、中央に敵を追い込みながら陣を整え、最終突撃へ移っていく。歪みはあるが、意図は通っている。その外側で住民役の最後尾が退避を終えたのは、敵を囲んだ列が整ってからだった。誘導を担った騎士が遅れて合流する姿まで、私は単眼鏡で追った。
「バロック卿、お疲れさまでした……。今回の演習、どうにか形にはなりましたが、まだまだ甘い点が多いです。住民役への誘導が遅れた班もあって……」
若い分隊長が息を切らして駆け寄る。悔しさを滲ませながらも、私の言葉を逃すまいとするように、まっすぐこちらを見ている。私は馬を下り、雪を踏みしめてその肩に手を置いた。
「まずはよくやった。穴だらけなのは当然だが、住民役を想定した時間稼ぎが上手くいった分隊もあったようだし、無駄な被害を出さぬよう動けた点は評価していい。もっとも、本当に魔獣や侵略軍が相手なら、今のままでは不十分だ。そこを埋めるのがこれからの仕事になる」
彼は真剣に頷き、雪上のあちこちで同意の声が小さく連なる。
――ここまで連携を語れるようになるとは、人の伸びしろは驚異だ。
分隊長たちが損耗をまとめ、馬具の点検が始まる。何頭かは呼吸が荒いが、転倒も致命傷もない。信号弾の筒を数え、弦の緩みや合図旗の破れも確かめている。互いに「次は遅れず青で返せ」「住民役の列の間隔を維持」と短く確認し合う。革の匂いに松脂の甘さが混じり、指先に冷えが沁みた。
全隊が集まるのを待って再び馬に跨がると、鞍がきしんだ。私は列の端まで見渡してから声を張った。
「全隊、ご苦労だった。今回の訓練は散開と合流を繰り返す形だったが、想定以上に苦戦した部分もあるだろう。信号弾のタイミング、住民役への誘導、馬上射撃の精度……いずれも課題は山積みだ。だがしかし、今回の演習を始めたときの自分たちを振り返ってみろ。散開行動ひとつでも手間取っていたのに、ここまで形にできたのは十分褒められる成果だ」
整列した若者たちの視線が交わり、その顔に安堵と誇りが浮かぶ。揃って吐いた息が白く広がり、雪の匂いのする冷気の中にも、演習を終えた若者たちの熱気が残っていた。
「最終的には敵を中央に追い込んで討ち取る絵図はできたが、実戦では敵にも頭がある。今のままでは手薄な部分を突かれる可能性が高い。それに対応できる訓練だって必要だ。それに、いずれ魔導兵を背に乗せて戦うことになる者も出てくるだろう。それに向けて、基礎固めを完璧にしておくのが重要だ。いいか、訓練に終わりはないぞ」
列がざわめき、すぐに静まった。タンデムの噂はもう耳へ届いているのだろう。白い息の向こうに見える顔には、興味と半信半疑が入り混じっていた。
「本日の演習は以上! 分隊長は怪我の確認と装備点検、報告書の提出を夜までに済ませろ。課題を次に活かしていくのが騎士団の本懐だ。解散!」
一斉に「はっ!」が重なり、若者たちは雑務へ散っていく。緊張が解けても演習の熱は身体に残り、彼らの足跡が雪へ深く刻まれていった。
副官が近づき、小声で訊いた。
「ヴォルフ殿下への報告、どうまとめましょう?」
私は演習の様子を思い返してから答えた。
「射撃精度と信号弾の運用を課題の中心にまとめ、住民役の避難が遅れたケースも詳しく報告しよう。それ以外は、概ね合格とな。いや、まて……あまり評価が高すぎると、殿下が早くタンデム戦法を始めようと急かすかもしれん」
思わず笑みが漏れる。灰雲が低く垂れ、寒気が肌を刺していたが、胸の底には微かな温かみがあった。厳しさを増すこの寒空の下で、銀翼は確実に育っている。冗談に思えた馬上魔術も、基礎が固まるにつれ、実現の見込みが立ってきた。
丘を下り、後片付けに没頭する騎士たちの背を眺める。革の匂いに、弦に塗った松脂の香りが混じり、馬が温い息を吐いている。――そこで、尾根の雪面に、演習の蹄跡とは向きの違う跡が一筋、松林へ続いているのに気づいた。
――湿ったはずの松林の向こうに、かすかな煙の名残。覗き見している連中がいる。
私は見張りを二手に残し、蹄跡の続く松林を監視させた。きちんと訓練に励んでいる姿を見せておけば、今はそれで十分だ。
いざ事が動けば、女王陛下のご下命ひとつで、この銀翼は男爵領へ向かう。現有戦力で「対象」を守り、連れ帰るための備えを進められる以上、魔導兵がいない程度の問題は些事だ。演習に専心するように見えても、一度牙を剥けば誰にも止められない。それが銀翼の本性だ。
もし欺く者がいるなら、こちらは逆に欺いてみせる。頬を刺す寒さの中、私は鞍上で背を伸ばした。
雪に行く手を阻まれても、若者たちは力をつけている。雪解けを待つより早く、彼らは新時代を打ち立てる。その確信を、胸の奥で静かに噛み締めた。
丘の裾から上ってきた王宮の伝令が、私宛ての通達を差し出した。受け取って開くと、レオンとクリスを王都に残し、宰相府との定期的な情報交換に当たらせるよう記されている。文面を読み終えて顔を上げると、クリスは合図旗を畳み、レオンはその隣で馬具の点検を手伝っていた。私は二人に目を留めたまま、通達を折り直した。




