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二振りの聖剣と黒鶴の嘆き②

「違う。前にも言ったはずだ。お前はそんなものじゃない……」


 低く戸惑う声が落ちる。わたしは小さく首を振る。彼がそう扱わないのは分かる。だからこそ、なお怖い。


「まあ……そのせいかどうかは分からないけれど、わたしは言霊が聞けないっていう『いびつさ』を抱えていたわけだけど」


 言ってから、舌の奥で渋みがほどけた。袖口の糸が指先にかすった。


「そうなのか?」


 ヴィルの低い問いが、静かな室内へ落ちた。伏せたままのわたしへ、彼の視線が注がれる。


「ええ、ミツルだった頃のわたしには、一度たりとも届かなかった。ありがたいお告げでもあれば、あんなふうに彷徨うこともなかったんでしょうけどね。ま、あなたと出会えたのは、ほんとうに運がよかったんだって思ってる」


 苦笑の形だけ作る。温度の抜けた息が、蝋の匂いに紛れて消えた。


「そいつは、俺にしても同じかもしれん。黒髪のグロンダイルの噂が流れてこなけりゃ、な……」


 末尾の「な」が、蝋の匂いの底に残った。


「だけど、いまわたしがいるこの身体はメービスのものでしょう? だったら、言霊が届いてもおかしくないはず。なのに、いまだに何も聞こえてこないのがどうにも理解できないのよ……これって、わたしとメービスの魂の差異が影響しているのかもしれないけれど、肉体的な性質まで上書きされるなんてことは、考えにくいし……不自然だとは思わない?」


 ヴィルはしばらく宙へ視線を置き、考え込んだ。


「よくわからんが……要するに、今のお前の身体は『巫女』なのに、巫女特有の性質が現れていない、というわけだな?」


 少し考えてから頷く。考えを進めても、確かな答えに届く手掛かりはなかった。


「そういうことよ。理由についてはよくわからないけれど、憑依した際に何かの不都合が起きたのかもしれないわね」


 指先で羊皮紙の縁をなぞる。ざらつきが爪の先に触れた。


「まぁ、俺の方は意識と身体の連動に違和感があったくらいだが」


 ヴィルは肩をすくめ、喉の奥で微かに笑った。張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。


「あなたの場合は、完全な別人な上、中年の騎士から青年の騎士だもんね。若返った気分はどう?」


「悪くない気分だ。だが、しょせん俺は俺のままだ」


 言葉の端に、歳月の重みが残る。彼の声は変わらず太く、それがわたしの胸に小さな安心を落としていく。


「そうね。どんなに姿形は変わっても、あなたはあなたのままだって、よくわかる」


 目尻に寄った皺を見て、わたしもほんの少し笑った。机の上で指を組み、過去の記録に残る断片を頭の中で並べ直す。


「今のところ判明しているのは、巫女が〈場裏〉を展開し、二本の聖剣を仲立ちにして騎士を精霊魔術でサポートしていたということ。それが伝説に伝わる『巫女と騎士』の仕組みの一部なのかもしれないということ。そこまでね。でも、昔のメービスとヴォルフがどこまでの力を引き出していたのかは疑問よ。例えるなら、わたしみたいに『災害級』と言えるほどの力を扱えていたのかどうかも、分からない」


「災害級とかいうのは、お前のクロツルがか? まさかとは思うが、グレイハワード先王陛下が開発していた、新型の大型魔導兵装に匹敵すると?」


「黒鶴を条件として、精霊魔術を全力で行使した場合のこと? あれと同じ程度で済むとは思わないで」


「なんだと……」


「もちろん実際に試したわけではなく、茉凜と試算した最悪の条件での被害想定だけどね。それでもさまざまな条件が重なれば、王都の大半を一瞬で焼き尽くす可能性まで考えなければならなかった……」


 その言葉に、部屋の空気が張り詰めた。ヴィルの眉が上がり、眼差しが鋭くなる。


「おい……」


「もちろん、実測値ではないわ。身体がその出力に耐え、必要な精霊子を集め続けられ、なおかつわたしが制御を維持できるという極端な条件を重ねたとき、〈場裏〉の規模は試算上、数百メートル級に達し得る。そこで〈場裏・赤〉を使えば、領域内は溶岩と同程度まで熱を持ち、さらに上げれば物体が白熱化する。これがどういうことか、想像できる?」


「……いや、俺にはよく分からんが、それって相当危険なんじゃないのか……」


「ええ。可燃物は瞬時に発火し、大気は膨張する。石は割れ、鉄は溶け、局所では蒸発しかねない。そこで〈場裏〉を解除しても、内側に蓄えた熱と圧力まで消えるわけじゃない。それが壁を突き破り、外へ広がる」


 わたしと茉凜は、その先に起こり得る被害を何度もシミュレーションした。想定のなかの王都では、閉じ込められた大気が灼け、建物の表面が白熱し、熱と圧力に晒された窓が低く唸る。石は縁から軟らかくなり、鉄は赤く形を崩し、鼻を刺すような金属臭まで想像のなかに立ち上がった。蓄えられた熱と圧力が外へ放たれた瞬間、炎と破片が通りを埋める。その像を思い返すだけで、背中を冷たい汗が伝った。


「空気が押し出されて風が爆ぜ、条件によっては衝撃波になる。兵士が何万いようと立ってはいられない。十数秒もすれば火の渦が街を呑み込む。嵐のような爆炎が吹き荒れる。熱が留まれば、石畳まで融けて、冷えたあとにはガラスのような層が残る」


「……そんなもの……もはや戦なんて程度では済まされんぞ」


「そう。だから、全力解放なんてできないの。ほんの少しでも感情が乱れれば、領域の制御が崩れる。その瞬間、蓄えた現象がどこへ流れ出すか分からない。だからわたしは、『小さな球』程度に、あの力を封じていた。あくまで魔術として制御できる領域に抑えないと、大変なことになるでしょう?」


「お得意の隕石轟メテオストライクが、抑えに抑えた威力だったわけか……なんてこった」


「そういうことよ。黒鶴は……わたしには、周囲の精霊子と環境を際限なく巻き込んで、世界そのものを『燃料』にする炉心のように見えた。もちろん比喩ではあるけど。けれど、わたしが間違えば国ひとつでは済まないかもしれないと、最悪の場合には考えていたの」


 ヴィルは、かすれた声で問うた。


「……お前は、そんな危険な力を……たったひとりで背負ってきたというのか」


「茉凜がいてくれたから、なんとかなったんだけどね。こんなもの、誰にも渡せないし、誰にも使わせられない。……誰だって怖いわよ。わたし自身が一番恐ろしいもの」


 自嘲の笑みが口元をかすめ、胸の内側が軋んだ。ヴィルの息が止まったことだけが、鎧布の擦れる音の途切れ方で分かった。本当はこんなことまで知られたくなかった。それでも、あの黒い翼を隣で見てきたこの人に、何もなかったように隠し続けることもできなかった。


「だから力を抑えるのに必死だったし、簡単に見せびらかすものでもなかった。暴走すれば、あなただって巻き込むかもしれなかったから……」


 息を継ぐたび、胸の奥で微かな熱が疼いた。


「そうやって、抑えに抑えていたつもりだったけれど、どうしたって目立ってしまった。ロイドフェリク王は、喉から手が出るほど欲しかったんでしょうね。……『黒髪のグロンダイル』という魔術師を」


 その名を口にした瞬間、蝋の炎が短く伏せ、壁の影が伸びた。喉の奥が乾き、先ほどまで肩に残っていたヴィルの手の温度が遠のく。彼は、もはや言葉を失っていた。


「でも安心して。少なくとも、今のメービスの身体で確認できている出力は、ミツルだったころより低いし、同じ黒鶴を再現できる手応えもない。上限までは測れないから、絶対に不可能だとは言えないけれど、可能とする根拠もないわ」


「そうか……」


 ヴィルは安堵しかけて、それだけでは済まないと気づいたような息を吐いた。黒鶴を再現できる手応えがないことは、危険が遠のくという意味では救いになる。けれど、それで本来の巫女の力へ近づいたことにはならない。


「気になるのは、今確認できる範囲の力だけで、はたして魔獣の大群や、わたしたちがまだ目にしていない上位存在とされる『魔族』とやらに、どうやって対抗するのかということよ。巫女と騎士の組み合わせ――かつてのふたりは、いったいどうやって戦っていたんだろうって……疑問が湧くの」


 机上の書類に視線を移す。羊皮紙の端がささくれ、指腹へざらりと触れる。過去のふたりはどう動き、何を捨て、どこを救ったのか。どこを探っても、その頁だけが綴じ紐から抜け落ちている。


「だが、影の骸の首魁なら、俺は実際に斬っている」


「ああ、あれ?」


「ラウールは、クロセスバーナが作り出した、魔族を模倣した『融合兵』の完成個体だと言っていたな。あれくらいなら、今の俺と銘無しの聖剣でなんとでもなる」


「ええ。あなたがあの融合兵を斬ったことは、今のわたしたちの戦力を考える材料にはなるわ。でもラウールは同時に、『伝承に記されている魔族ではない』とも言っていた。人の器を基盤に、形をなぞっただけの劣化復元。何をどこまで模倣できていたのかも、本物との差がどれほどあるのかも、わたしたちは知らない。あの一体を斬れたからといって、真正の魔族まで同じだとは言えないのよ」


「……なるほど。あれは、魔族そのものを測る物差しにはならんか」


「さすがに無理ね。そもそも魔族は、魔獣の上位存在だと伝えられているだけで、実体も能力も個体差も、まともな記録が残っていないんだもの」


「実際、歴史にはメービスとヴォルフが世界を救ったと刻まれているし、伝説としても語り継がれてもいる……なのに、敵だった魔族の姿も、どう戦ったのかという詳細も、まるで分からないってのは不思議なもんだな」


 胸の奥が狭まり、息が浅くなる。真実に手を伸ばすほど、紙の白さが遠のき、指先にはなかなか温度が戻ってこない。


「……要するに、わたしたちは、巫女と騎士、さらに二本の聖剣が持つ本来の機能について、断片しか理解していないってことよ。単純な精霊魔術と銘無しの聖剣の組み合わせだけで成立していたのか、その先に別の機能が隠されているのかも分からない。今は安全に試せる場所も機会もないし、王宮で未知の現象を起こすわけにもいかない。もし検証中に強大な力が顕現してしまえば、実際の危険だけでなく、宰相たちに危険視される材料まで自ら与えることになるでしょう?」


「それだけじゃない。もし俺たちが戦線へ立つことになれば、本来のメービスとヴォルフの戦いを見たことのある将兵と、肩を並べることになるんだ」


 その指摘に、胸の奥が冷えた。少なくとも、銀翼騎士団の候補者たちは、本来のふたりの戦いぶりを目にしているはずだ。彼らが目にした戦いぶりと、わたしたちが現状で再現できるものに食い違いがあれば、「違い」を見破られる可能性がある。どこがどう違うのかさえ分からない今は、その不安に答えを出しようがない。


「宰相たちも『巫女と騎士』の実態は分かっちゃいない。だから怖い。だから、さっさと外へ放り出したい――そういうことかもしれんな」


 冷静な言い回しの奥で、抑えた怒りが燻る。ヴィルが頷くと、肩に掛けた布がこすれ、乾いた音だけが室内に残った。


「もっとも、記憶の欠落を言い訳にしていれば、疑われることはないとは思うけどね。そのほうが宰相たちも安心する――いいえ、油断してくれるかもしれないし。ましてや憑依なんて、それこそ説明がつかないし、信じてもらえないでしょうから」


 魔族大戦はすでに終結し、国内各所にある魔獣の巣窟も、活性度が低下している。かつてほどの魔獣の出現も報告されていない。巫女と騎士への出動要請がないからこそ、わたしはいま、女王としてこの王宮にいられる。対人戦や小規模な戦闘なら、今の力でも不殺のまま制圧できると判断していたし、ヴィルも銘無しの聖剣で十分に対応できる。分からないものは、分からないまま置くしかない。そのうえで、いま確かめられている範囲で、できるだけの備えを重ねていけばいい。


 それよりも今は、この王宮で文書と言葉を使い、伯爵や宰相たちの動きを見極める方が先だった。もし北へ向かい、戦線に立つことになったなら、そのときまでに得られた情報をもとに、改めて考えればいい。


「なんだか、メービスもヴォルフも大変なところに戻ってきてしまったのね……」


「まったくだ。俺たちは分かっている範囲で、どうにか対応していくしかない。……だが、実際のふたりにとっては、相当つらい判断の連続だったのだろう」


「……そうね。知らないものは、怖がるしかないものね」


 わたしたちは本来の二人ではない――その事実に触れるだけで、胸の奥に細い痛みが走る。呼吸が浅くなる。


「わたしたちの選択と行動が、史実に沿っているかはわからない。けれど、本来のメービスなら、この状況を黙って見過ごすなんてこと、できるはずもない。そう思わない?」


「同感だ。目の前で苦しむ者がいるなら、手をこまねいてはいられん。彼らなら、きっとそうしたはずだ」


「そうね。そうでも思わなきゃ、やっていけないわ」


 熱を帯びかけた心を鎮めるように、息を整える。ほどなく扉の向こうで控えめなノックが響き、張り詰めていた空気を揺らした。


 視線を交わし、小さく頷いてから「どうぞ」と促す。コルデオが静かに現れ、盆を卓に置いた。湯気がほどけ、柑皮と穀物が混じる丸い香りが広がる。緊張の糸がわずかに緩む。


「陛下ならびに殿下。少しお休みくださいませ」


 礼を返し、湯気の柔らかさに指先を温める。ひと口含めば、舌の奥に渋みが触れ、喉を通る熱で肩のこわばりがほどけていく。杯の縁が唇に触れるたび、乱れていた呼吸がようやく揃った。


 ヴィルも茶を含み、「悪くない」と低く呟く。王宮の駆け引きの只中で、ささやかな呼吸を分け合う。贅沢という言葉が、ようやく体温を持った。


 とはいえ、現実は厳しい。先ほどまで宰相たちと交わしていた言葉が、逆光を受けた文字のように脳裏へ浮かび上がる。レズンブール伯爵を王宮へ召喚する方針は決めたものの、伯爵がどう応じるのかも、その名を公の席へ持ち出した宰相の真意も分からない。気を抜く隙はなかった。


 互いに目を合わせ、小さく頷く。わたしはコルデオの勧めに従い、少しだけ身体を休めることにした。


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