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二振りの聖剣と黒鶴の嘆き①

 執務室には、宰相たちが立ち去ったあとも、面会の緊張が澱のように残っていた。革張りの背凭れへ身を預けると、その硬さが肩甲骨を押し返した。指先に触れる羊皮紙は乾いてざらつき、蝋燭の甘い匂いがうすく漂っている。


 貴族院が何を望み、宰相がなぜ公の席で伯爵の名を持ち出し、伯爵本人がどこまで承知して何を望んでいるのか。まだ何ひとつ確かめられてはいない。「黒髪の巫女」という立場がこの政治劇へどう作用するのかを考えるほど、腹の奥へ冷たいものが溜まっていく。それでも、避けて通れない現実なのだと、自分の内側へ言い聞かせた。


 傍らに立つヴィルも、わたしと同じように苦々しい顔をしていた。扉へ向けられた横顔には、まだ苛立ちが残っている。それでも、彼がすぐそばにいると確かめるだけで、浅くなっていた息がわずかに深くなった。


「……なんだか、宰相とその取り巻きの視線がやけに刺々しかったな。あの目は、おまえがどう出るかを値踏みしているって感じだった」


 閉じた扉の向こうで、コルデオの靴音が廊下を遠ざかっていった。ヴィルの視線が扉と窓を一巡するのを追いながら、わたしは握り込んでいた手をゆっくり開く。


「本当、息苦しくなるくらいだったわ。あの人たちにとって『黒髪の巫女』が女王然としているというのは、相当面白くないんでしょうね」


「そりゃ、当然だろうな。それに、メービスとヴォルフ――巫女と騎士が持つとされる力ってのも、あいつらにとっては警戒する要因のひとつなんじゃないか?」


 ヴィルの問いに、書類の傍らへ置いた手が止まり、すぐには頷けなかった。


「どうかしらね。むしろ、あの人たちも実態が分かっていないからこそ、警戒しているのかもしれないわよ」


「俺たち自身にも分からないものを、か」


「ええ。以前、手合わせで聖剣同士を打ち合わせたことがあったでしょう。あの共振で、わたしたちは二振りの聖剣に残された過去の記憶らしきものを、ほんのわずかだけ覗き見た」


「ああ。まさか、あの時に見た二人へ俺たちが乗り移るとはな。本当に不思議なことが起きたもんだ」


 その言葉を聞くと、執務室の輪郭がゆっくり遠のき、耳の奥へ泉のかすかな震えが戻ってきた。あの時に見えたものが聖剣の記憶だったのか、それとも意識だけが別の場所へ触れたのかは、今も分からない。ただ、あの断片だけが、水の感触まで伴って鮮やかに残っていた。


◇◇◇


 薄い霞を抜けた先には、光の溜まる盆地が広がっていた。空は冷えていたのに、そこを満たす空気だけが肌へ吸い付くように柔らかかった。乳白の泉へ近づくにつれて鼓膜に細い震えが生まれ、水面の脈に合わせて、弦を弾いたあとのような余韻が足元へ落ちてきた。


 指先を浸しても、冷たさも温かさもなかった。淡い明かりだけが皮膚の内側へ滲み、やがて粒の光が二つの影を結んだ。若緑の髪を持つ白の姫巫女と、白銀の鎧を纏った騎士。二人の手へ、それぞれ同一の形状の白い剣が渡された。


 視界が一度白く閉ざされ、次の瞬間には、メービスの胸もとに芽吹いた赤い光がヴォルフの剣へ移り、その刃を灼くように染めていた。伝説の名が胸の内で囁かれ、体のどこかが静かに応じた。けれど、像はそこで途切れた。二人が戦場で何を見て、どのように力を組み合わせ、魔獣や魔族と戦い抜いたのか、その全体までは示されなかった。


 泉で見た若緑の髪と顔立ちは、その後に知った〈対精霊族殲滅兵器デルワーズ〉の容貌と重なる。そして王家の血は、遠い末裔であるミツルとしてのわたしへも続いている。けれど、この二つをひとつの血筋の謎として結びつけているのは、いまのわたし自身にすぎないのかもしれない。泉の像が、血筋や聖剣の機能まで答えとして示したわけではなかった。


◇◇◇


 窓の外で風が薄く鳴った。わたしは机上から手を引き、執務室の明るさへ意識を戻した。


「あの時、わたしは『謎はすべて解けたわ……』なんて言ったわよね」


「『巫女が力を集めて、騎士が斬る』――二振りの剣があるのは、そのためだと」


「ええ。その考えは今も変わっていないわ。刃を持たないマウザーグレイルを手にした巫女が精霊子を集め、〈場裏〉を支える。銘無しの聖剣を手にした騎士は、その作用を剣に纏わせて斬る。実際、わたしたちは〈場裏・赤〉の作用が騎士の剣へ移るのを見た。だから、二振りがどう役目を分けているのか、そこまではあの時に分かったと言っていいと思う」


「そこまでなら単純明快だ。だが、それで終わりなのかは分からん、ということか」


「そういうことよ。あの時は、どこか他人事みたいに、巫女と騎士の仕組みをすべて理解したつもりでいた。でも、いまはその二人の身体と剣を借りている。だからこそ、説明のつかないことばかりが目につくの」


 蝋燭の芯がぱち、と小さく爆ぜた。炎が傾き、机上の紙へ細い影が揺れた。


「前にやった試験でも、確かめられたのは最低限のことだけだったでしょう? わたしが先に、腕の届く範囲だけに〈場裏・白〉を開いた。そのあとで二振りの聖剣が応じ、口にしていないはずのあなたの思いみたいなものが、わたしへ届いた。あの時に確認できたのは、〈場裏〉を自分の意思で解除できたこと。黒い翼が現れなかったこと。それから、痛みも痺れもなく、自分が自分でなくなるような感覚もなかったこと……それだけよ」


「『俺は、ここにいる』――あれが、そのままお前に届いたんだったな」


「ええ。でも、二振りの聖剣によって〈場裏〉が成立したとは言えないわ。起きた順番だけを見れば、先にわたしが〈場裏〉を開き、そのあとで二振りが応じた。それだけよ。開かれた領域に二振りが反応したのか、それとも別の条件が揃ったのか。あなたの思いが届いたことと、こちらへ転送されたときに聞こえたあの平板な声とが、同じ仕組みから生じたものなのかどうか。それさえ、まだ切り分けられていないのよ」


「お前にも分からん機能があるらしい。それだけは分かった。皮肉な話だな」


「本当にね」


 ヴィルの返事を待たず、わたしは机上の書類へ目を戻した。そこに並ぶ文字を追ううち、二振りの剣へ向けていた思考が、いま借りている身体へ戻っていく。


「それに、今のわたしには、本来のメービスの記憶がない。彼女が攻撃に特化した精霊魔術をどこまで知り、どう扱っていたのかも分からない。少なくとも、ミツルとして身につけた知識や経験を、そのままメービスのものとして考えるわけにはいかないのよ」


 視線が書類の余白に落ちる。爪の先に引っかかる羊皮紙のざらつきだけが、妙に鮮明だった。


「どうして、そこまで別のものとして考える?」


 その問いには、すぐ答えられなかった。胸の奥が冷え、肩が知らず強張っていく。


 ――前世で会得したものだなんて、口にできるはずもない。


「説明するのは難しいけれど、あれはね……それこそ深淵の闇の底へ呑み込まれるような感覚の先にあるの。覚悟をもって手を伸ばさなければ、決して掴み取れない境地なの。……うまく説明できなくて、ごめんなさいね」


 言い終えた息が、喉の浅いところで途切れた。震えを飲み込み、ようやくヴィルへ視線を戻す。


「いや、なんとなくわかる。剣でも同じだが、真の極意とは常人を超えた修練の果てにしか得られない。それを思えば……まったく、おまえは大したものだよ」


 彼の視線がやわらぐ。声の底に、火の余熱のような温度が宿る。


「そうでもないわよ。生き延びるために、そうするしかなかった。それだけなんだから……」


 指先が無意識に袖口をつまむ。布の目が皮膚へ細かく触れ、呼吸がいったん沈む。


「たしか、お前が力に目覚めたのは、ユベルが亡くなった時だったか……」


 その言葉が耳に触れた途端、袖口をつまんでいた指が動かなくなった。蝋燭の灯も、机の木目も、目の前にいるヴィルの輪郭も遠のき、引き裂かれた父の身体から噴き上がる赤だけが視界を塞ぐ。皮膚へまとわりつく、生ぬるい血の感触。息を吸うほど、鉄の臭いが喉の奥へ入り込んでくる。もう、いま起きていることではないと分かっているのに、身体だけがあの日へ引き戻され、息の継ぎ方さえ思い出せなかった。


「あ、いや……すまん」


 謝罪の意味が分かるまで、少し時間がかかった。ヴィルへ返事をしなければと思うのに、喉は狭く閉じたまま動かない。指先へ食い込む袖口の布目を確かめ、蝋の甘い匂いを探すように細く息を吸うと、紙の白さと灯の色が少しずつ戻ってきた。


「いいのよ。……事実だから」


 どうにか押し出した声は、自分でも驚くほど平らだった。父の死を境に力が目覚めたことは、確かに事実だ。けれど、慟哭に沈むミツルの記憶と魂に引きずり出されるように目を覚まし、その身体を立たせたのは、柚羽美鶴としての前世のわたしだった。


「……俺には魔術の理屈などさっぱり分からない。それでもお前と出会ってから、ずっとそばで見てきた。あれほどの力を精密に制御できるおまえを、俺は心から尊敬している」


 大きな手が、肩にそっと触れる。掌の重みは軽いのに、そこへ触れられて初めて、自分の肩が固くすくんでいたことに気づいた。布越しの温度を辿るように息を吐く。視界に残っていた赤がようやく薄れ、机上の書類と蝋燭の明かりが、ひとつずつ現在の形を取り戻していく。


「そう言ってもらえると、素直に嬉しいわ。ありがとう」


 微笑の形だけ作って、まぶたを一度伏せる。睫毛の裏にはまだ赤い残像が滲んでいたが、ヴィルの手が肩から離れても、布越しの温度だけは残った。


「ま、まぁ、それは置いといてだな。――そんな精霊魔術を、メービスはどう手懐けていたんだろうな。魔獣どころか、その上の、得体の知れない魔族なんてものまで相手にしてたんだろう?」


 冗談めかした調子に、肩へ残っていた強張りが少しだけほどけた。


 けれど、その問いへ答えるには、分からないことがあまりにも多い。わたしは瞼を落とし、呼吸を整える。


「茉凜の考えでは――巫女が精霊子をある程度集めたうえで聖剣同士が共鳴を開始すると、マウザーグレイル内部の何らかの機能が起動して、精霊魔術の術式イメージを補助、あるいは肩代わりしていたんじゃないかってことなの」


 集積した精霊子が一時的に疑似精霊体の輪郭を取り、わたしの想念を〈場裏〉の内側で起こせる事象へ翻訳していく。けれど、一度思い描いただけでは、まだ術式にはならない。試しては失敗し、組み直すうちに、ようやく同じ現象を再現できる形へ整っていく。呪文のような定型があるわけではなく、渡す像と理論が曖昧なら現象も粗くなり、制御から外れやすい――その危うさを、本来のメービスも知っていたのだろうかと考えながら、紙の縁のざらつきを指先で確かめた。


「なるほど。だが、お前は言っていたよな。少なくとも俺たちが確認した範囲では、マウザーグレイルには暴走を防ぐための安全装置としての働きがあるって。それと、あの――背中に黒い翼が出てくる……なんだったっけ?」


 彼の視線が背へと回る錯覚。胸郭が細く締まり、息が浅い層で止まった。胸骨の内側で熱がいったん沈む。指の腹で紙縁を押し、痛みで思考をつなぐ。


「忘れたの? 黒鶴よ」


「クロ、ツルか……たしかに、よく叫んでいたのは覚えている。『こい、クロツル』って具合に。呪文みたいで、なかなかいい響きだった」


 記憶の音が耳の奥に反響し、うっすらと血の味が口内に立つ。


「あれは呪文じゃないわ。戦うために意識を切り替える、気合い入れみたいなものよ。恥ずかしいから、あまり突っ込まないでほしいんだけど……」


 言ってから、視線を逸らす。耳朶が熱を帯び、腰のあたりで指が一度だけ丸まる。


「いや、すまん。つまり素振りの時の掛け声みたいなものか。だが、あの黒い翼の正体はなんなんだ? 触れようとすると素通りする、あれは?」


 彼の手が、宙で一度ためらう。触れられなかった手の行き場のなさが、微かな気流になって頬を撫でた。


「あれは、わたしという器に過剰な精霊子が集った結果らしいのだけど、根拠はよくわかってないのよ。オーバーフロー……というわけでもないみたいだし。ただ、茉凜はこう言ってくれた。あれは、わたしの『無意識の中に潜む願望が、形をとったものじゃないか』って……」


 言葉に触れるたび、背中の皮膚感覚が遠のく。羽の気配だけが、肩甲骨の奥でうたかたのように揺れた。


「翼が、願いか……」


 ヴィルは低く繰り返し、視線を落とす。金具の擦れる音が、短く床へ落ちた。


 あれは、家名と血筋と宿命に囚われながら、何者にも束縛されず、自由に空を飛びたいと願い続けていたわたしの、その願いが形を取ったものなのだろうか。


「でもね、翼が出てくるような時っていうのは、膨大な精霊子が集まっているわけで、その分負荷も大きくて、実は暴走スレスレの綱渡りみたいなものなのよ。マウザーグレイルと茉凜がなかったら、いつ気が狂って暴走するかわからない……」


 爪の半月が白くなるほど指を握り込むと、舌の縁へ鈍い渋みが広がり、視界の端がわずかに狭くなった。肩先へ入った力を抜けずにいると、ヴィルが机の縁へ片手を置き、何も言わずそこに留まった。その大きな手を確かめるうち、詰めていた息が少しずつ外へ流れていく。


 黒鶴を発動したときの痛みは、いまも身体が覚えている。わたしという器に精霊子を受け入れる余地が残っていても、膨大な流れを一度に受け止めれば、大脳辺縁系側の受容経路が先に軋み始める。痛みだけではない。負の感情や破壊衝動まで膨れ上がり、自分の意思との境が見えなくなっていく。そこを越えれば、自分で術を収めるという判断さえ失う。思い返しただけで膝の内側が震え、机の縁に置かれたヴィルの手だけが、いまいる場所を教えてくれた。


 マウザーグレイルは受容状態と出力を見張り、茉凜は術式の手順と配分を補ってくれる。それでも、〈場裏〉をどこで解放し、いつ解除するかを決めるのは、最後にはわたし自身だ。制御を失えば、内部具現化から解放、解除までのどこかで手順を外し、内側に生み出した熱も圧も衝撃も、安全には収められない。


 しばらくして、握り込んでいた指からようやく力が抜けたころ、ヴィルも静かに手を引いた。


「で、今はどうなんだ? そのクロツルっていうのは使えるのか? 危険なことはないのか?」


 まっすぐ向けられた眼差しから逃げることはできず、根拠のない安心を口にするわけにもいかなかった。


「そこなんだけど、今のところ、このメービスでは再現できそうもないし、安全に試すこともできていないの」


「なぜだ?」


 すぐには答えず、唇を結ぶ。


「少なくとも今確かめられている範囲では、ミツルだったころと、いまのメービスの身体とでは、精霊子を受け入れたときの反応も、そこから引き出せる出力の手応えも違いすぎるのよ。いうなれば、ミツルは巫女の血筋であっても、巫女という枠には収まらない、規格外の化け物だから」


 「化け物」と自分で言い切った途端、足裏の感覚が薄くなった。自分をひとつの言葉へ閉じ込めようとするたび、身体だけがわずかに遠のいていく。


「化け物って……前にもそんなことを言っていたが、さすがに冗談だろう」


 視線を落とし、机の脚を走る木目を追った。冗談だと頷ければよかったが、その言葉は喉の奥で止まった。


「さっき説明したように、代々の巫女たちは、少なくとも残された記録では、精霊魔術を扱う者として伝えられていない。彼女たちの役目とは、精霊子を通して『精霊とされる存在』の言霊を聞き届けることだとされている。メービスだけは騎士と共に戦ったと伝えられているけれど、彼女自身が攻撃に特化した精霊魔術を構築していたのか、二振りの聖剣を通して騎士を支えていたのか、その記録は残っていない。でも、少なくともわたしには、言霊を聞き届けることこそが、本来の巫女の在り方に思えるの」


「そりゃ、そう思うが」


「だけどミツルはぜんぜん違う。代々の巫女たちと瓜二つの見た目でありながら、伝えられている巫女の在り方から逸脱した危険な代物なのよ。前にも言ったでしょ? 兵器そのものなのかもしれないって……」


 「兵器」という語が喉を擦り、身体の芯へ冷たい線を引いた。規格外の精霊子への感受性と容量を持つ身体へ、前世から持ち越した知識と経験が重なり、それらが混ざり合って、ミツルだったわたしを作っていた。


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