秘めた刃を宿す女王
宰相府から項目別の書面が届いたのは、昼の鐘が鳴ってしばらくしてからだった。窓から射し込む冬の光は机の半ばを越え、焼き菓子の包みを置いていた場所だけ、木目が明るく残っている。コルデオが両手で差し出した綴じ書には宰相府の封があり、表紙の下から、見出しを分けるための細い紙片が五枚覗いていた。
「先日のお申し出を項目別に整理した書面でございます。宰相閣下は、陛下に拝謁をお許しいただけましたら、本日中にも内容をご説明申し上げたいとのことでございます」
「今度は、先に書面を届けてくださったのね」
封を解き、最初から読み進める。血縁の確認、王位継承順位、王太子への指名、王都への招致、王家による教育。見出しだけは、先日の面会で求めたとおりに分けられていた。けれど、血縁の根拠として挙げられているのは、すでに聞いた先王名義の書状と使者の記録で、新しい証明が添えられているわけではない。二つ目以降には、血縁が確認された場合という条件が置かれているものの、王都招致の項だけは、幼いリュシアン殿の安全を理由に、早急な方針決定を求める言葉が重ねられていた。
保護の体制については、男爵領周辺の事情に通じた近隣諸侯の協力を得る、とある。肝心の名は書かれていない。ロゼリーヌ様とリュシアン殿の同意書も、招致後の居所や後見、警護の責任者を示す文書もなかった。
ダビドからの第一報も、ステファンが男爵領で確かめるはずの事実も、まだこちらには届いていない。分からないところは朝から何ひとつ埋まっていなかったが、宰相府が何を根拠に、何を求めているのかは、ようやく同じ紙の上で分けて読めるようになった。
「ずいぶん行儀よく並べ直したものだな」
隣から覗き込んでいたヴィルが、五つの見出しを指先で順になぞった。
「ええ。けれど、中身はまだ、ひとつを認めたら次も認めたことになるように書かれているわ」
「会うのか?」
「書面を確認するまでは会わない、と伝えたのよ。もう確認したわ」
「返事をするとは言っていない、か……」
「もちろん。今日は説明を聞くだけにする。書かれていないものを、口頭で足して済ませようとするなら、その言葉も残していただくわ」
ヴィルは書面からわたしへ目を移し、何か言いかけたように口を開いたものの、結局は閉じた。
「なによ?」
「いや。宰相殿に少しばかり同情しただけだ」
「失礼ね。わたしは、分からないことを教えていただくだけよ」
「そういうことにしておこう」
コルデオへ向き直り、面会は夕刻前、議題は提出書面の記載内容に限ること、書記を同席させること、新たな裁可は行わないことを先に伝えるよう命じた。重臣の同席は認める。ただし、発言者の名と、どの項目について述べたのかを記録する。それを聞いたコルデオは、わずかに目を細めてから、いつもどおり深く一礼した。
◇◇◇
日が西へ傾き、窓枠の影が絨毯へ長く伸びたころ、重い扉が開いた。先に入室したのは、宰相クレイグ・アレムウェルだった。髪に白いものを交えた壮年の男は、背筋をまっすぐ伸ばし、衣服にも歩み方にも乱れがない。続いて、先日の面会にも同席していた重臣たちが入り、定められた位置へ並んだ。最後に書記が壁際の小机へつき、コルデオはわたしの斜め後ろへ、ヴォルフは王配として隣へ控えた。宰相は深く一礼し、顔を上げてから、こちらの目元を確かめるように見た。
「女王陛下。お疲れのところ、たびたびお時間を頂戴し、恐縮に存じます。お身体の具合はいかがでございましょうか。どうかご無理はなさらず、日々の国務は私どもへお任せくださいませ」
「お気遣い、痛み入ります。少し休みましたので、朝よりは楽になりました。項目別の書面も拝見しております」
着席を促すと、椅子の脚が順に石の床を擦った。宰相たちが席についたのを確かめ、机上の綴じ書へ手を置くと、宰相の視線もそこへ落ちた。
「本日は、この書面に記された五つの項目について、ご説明を伺います。先に申し上げたとおり、それぞれを別個の事項として扱い、この場で新たな承認はいたしません。一項ずつ、ご説明ください」
「無論でございます。陛下がご納得のうえでお決めくださるよう、必要なことを申し上げるために参りました」
昼前の面会を退けられたことへの苛立ちは、その整った声にも表情にも残っていなかった。宰相は両手を身体の前で重ね、穏やかな調子のまま言葉を継いだ。
「ただ、侍医司より伺うところでは、先王陛下のご容体は、今朝もなお予断を許さぬとのこと。陛下のご心痛、いかばかりかと拝察いたします。ゆえにこそ、王統の先行きを明らかにし、国の揺らぎを鎮める備えを急がねばなりません」
父上のことを口にされ、綴じ書の端へ置いた指が止まった。けれど、添付書類を初めから確認しても、侍医司の報告はどこにもなかった。
「いまのお話は、宰相殿が侍医司よりお聞きになった内容、ということで相違ございませんね?」
「さようでございます」
「今朝のご容体について、侍医司が作成した正式な報告書は、この書面には添えられておりません。王位継承を急ぐ根拠の一つとされるのでしたら、侍医司からわたくしへも、同じ内容を書面で提出するようお取り計らいください」
宰相のまぶたがわずかに下がった。すぐに元の表情へ戻り、静かに頭を垂れる。
「承知いたしました。されど、先王陛下のご快癒を願うことと、万一へ備えることは、両立するものと存じます」
「ええ。備えを拒んでいるのではございません。では、届けていただいた書面に沿って、具体の確認へ進みましょう」
最初の見出しを開き、血縁確認の根拠が記された行を宰相へ向けた。
「こちらには、先王陛下の名でモンヴェール男爵家へ送られた書状と、使者を遣わした記録から、リュシアン殿がギルク兄上のご遺児である可能性は高い、と記されております。しかし、血縁を確定する照合は、まだ終わっておりません。この理解に相違はございませんね?」
「相違ございません。しかしながら、ギルク殿下のご遺児である可能性がきわめて高い以上、王家として保護の意思を示すことまで遅らせるべきではありますまい」
「保護の必要を検討することには、わたくしも異存はございません」
同席した重臣の一人が、身体の前で組んでいた指をほどいた。宰相の口もとにも、ごく薄い微笑が浮かぶ。
「ご賢察、ありがたく存じます。リュシアン殿を早急に王都へお迎えし、王家の庇護のもとでお暮らしいただければ、御身の安全を確保できます。血縁の確認が整い次第、継承順位を明らかにし、王太子としてふさわしい教育を――」
「お待ちください」
声を荒らげたわけではない。宰相は口を閉じ、書記のペン先も紙の上で止まった。
「わたくしが異存はないと申し上げたのは、保護の必要を検討することです。男爵領から王都へ移っていただくことでも、継承順位を定めることでも、王太子に指名することでもございません。王家の庇護という言葉で、いま分けた項目を再び一つへ戻すことは、お控えください」
「それぞれの手続が別であることは、書面にも記しております。ですが、幼い御身を王家の保護から遠ざけたまま、地位だけを論じることはできませぬ。王都へお迎えすることが、最も確かな保護となりましょう」
「最も確かな保護であると判断された根拠は、どこに記されておりますか?」
次の頁を開く。王都へ至る経路も、到着後の居所も、警護の指揮を執る者も書かれていない。王配として安全を確認したとの記載もなかった。宰相の目が、ヴォルフへ向いた。
「王配殿下。王家の警護のもとへお迎えするほうが、男爵領にとどまっていただくより安全であることは、疑いようがないのではございませんか?」
「この書面には、移動経路も滞在先も、護衛の指揮系統もない。先日の面会から、その三つが新たに決まったのなら聞こう。何も決まっていないのなら、俺から安全だとは言えん」
ヴォルフはそれ以上を付け加えず、再び口を閉ざした。宰相も一度だけ言葉を切り、今度はわたしへ向き直る。
「詳細は、陛下より方針を賜ったのち、王配殿下や近衛とも協議して整える所存でございます。王統の行く末を定めぬままでは、貴族院にも民にも不安が広がります。陛下は先王陛下のご意向を受け、国家再建のために王冠をお預かりになった御方。だからこそ、次代へ安んじてお渡しになれる道筋を、いまお示しいただきたいのでございます」
「王統を次代へつなぐ責任は承知しております。ですが、わたくしどもへ世継ぎを求める声を鎮めるために、十歳のリュシアン殿の行く先を先に決めることはできません。それでは、王家の不安を幼い方へ背負わせるだけです」
重臣の一人が、椅子の上でわずかに身を乗り出した。
「陛下。何も定められぬこともまた、リュシアン殿を危うい立場へ置くのではございませんか。王家が保護を明言すれば、軽々しく近づこうとする者への牽制にもなりましょう」
「おっしゃるとおりです。だからこそ、保護という言葉の中身を確かめております。誰が、どの権限で、どこにいるリュシアン殿を、何から守るのか。そこを決めずに王都へお迎えするとだけ宣言しても、安全を約束したことにはなりません」
書面の終わり近くにある一文へ指を滑らせた。「男爵領周辺の事情に通じた近隣諸侯の協力を得て、移動及び保護に万全を期す」。どの諸侯を指すのかは、どこにも記されていない。
「宰相殿。こちらにある『近隣諸侯』とは、どなたのことでしょう?」
「モンヴェール男爵領に近いレズンブール伯爵でございます。伯は王家への忠節も厚く、北方の事情にも通じております。リュシアン殿の保護についても、力添えを惜しまぬと申しております」
室内では、書記のペンが紙を擦る乾いた音だけが続いた。わたしは宰相の言葉を急いで受け取らず、目の前の一文をもう一度たどった。
「それは、伯爵ご本人から宰相殿へ、直接お申し出があったという意味でしょうか?」
「伯爵とは、北方の情勢について折に触れて言葉を交わしております。そのなかで、王家のお役に立てることがあれば力を尽くすとの意向を、確かに承っております」
「リュシアン殿の保護についても、伯爵ご本人がご承知なのですね?」
宰相はすぐには答えなかった。重ねた指の位置だけが、わずかに変わる。
「リュシアン殿がギルク殿下のご遺児である可能性と、保護の必要については、お伝えしております。伯爵も、その重要性は十分に理解しておられます」
「そうでございましたか」
伯爵がリュシアン殿についてどこまで知らされているのか、その言葉だけでは分からない。宰相が何を伝え、伯爵が何と答えたのかを示す書面も、ここにはない。けれど、宰相がレズンブール伯爵へリュシアン殿のことを伝え、伯爵の協力を見込んでいると、公の場で述べたことだけは、いま記録へ残せる。
「書記。先ほどの宰相殿のお言葉を、発言者とともに残してください。宰相殿は、レズンブール伯爵へリュシアン殿がギルク兄上の遺児である可能性と保護の必要を伝えた。また、伯爵からは、王家の役に立てることがあれば力を尽くすとの意向を聞いており、移動及び保護への協力を見込む方として伯爵を挙げた――ここまでで相違ございませんね?」
「相違ございません。ただし、伯の忠節を疑う余地はないことも、併せてお残しください」
「伯爵を疑っているのではございません。この書面を、どなたの言葉として受け取ればよいのかを確かめているのです」
宰相の口もとの微笑は崩れなかった。けれど、書記が記録を読み返すあいだ、その視線は一度もこちらから外れなかった。
「では、もう一つ。リュシアン殿を王都へ招くことについて、モンヴェール男爵家からの同意書は届いておりますか?」
「正式な同意書は、まだございません。王家が方針をお示しになってから、男爵家と協議すべきものと考えております」
「レズンブール伯爵が、男爵家から保護や移動についての権限を委ねられたという書面は?」
「それも、現段階ではございません」
「でしたら、確認できたのは、宰相殿が伯爵へリュシアン殿のことを伝え、伯爵から王家への力添えの意向を聞き、移動と保護への協力を見込んでいることまででございます。男爵家の同意も、伯爵が引き受ける役割と責任の範囲も、まだ定まっておりません」
「ゆえに、陛下より招致の方針をお示しいただき、関係する者へ具体の協議を命じていただきたいのでございます」
差し出された言葉を、すぐには返さなかった。窓の外で風が枝を揺らし、細い影が書面の上を横切る。宰相も重臣たちも、黙ったままわたしへ顔を向けていた。その様子は、疲れて決められない女王が、誰かに答えを委ねるのを待っているようにも見えた。
「いいえ。順序が違います」
背もたれから身体を起こし、宰相をまっすぐ見た。窓枠の影は、わたしの手元から書面の向こう側へ移っていた。
「リュシアン殿の保護を担える方として、宰相殿はレズンブール伯爵の名を正式に挙げられました。でしたら、まず伯爵ご本人から、そのお考えを伺うのが何より確かでしょう。男爵家と話をされたのかどうか、何を知り、どこまで責任を負うおつもりなのか、わたくしが直接お尋ねいたします」
「伯爵は現在、王都を離れております。登城には、いささか日数を要するかと存じますが」
「一刻も早く備えるべきお話だと、いま伺ったばかりです。伯爵も同じご懸念をお持ちで、王家への力添えを望んでおられるのなら、きっと応じてくださるでしょう」
宰相が口を開きかけたところで、わたしは続けた。
「レズンブール伯爵には、わたくしの名で召喚状を送ります。リュシアン殿の保護に関して伯爵が承知している事実、モンヴェール男爵家と交わした書面の有無、引き受ける意思のある役割と責任について、関係する文書を携えて説明するよう求めます。宰相殿にも、異存はございませんね?」
先に国の揺らぎとリュシアン殿の危険を説いた以上、伯爵本人の説明を待つことだけを、悠長だとは退けられない。宰相はしばらく黙っていたが、やがて、入室したときと変わらない角度で頭を下げた。
「陛下みずからお確かめになるとのご判断に、異を唱える理由はございません。伯爵も、王家への忠節をお示しになることでございましょう」
「ありがとうございます。では、本日の確認事項を読み上げてください」
書記が立ち上がると、その声が、先ほどまでの応酬を一つずつ宰相の前へ戻していった。提出された五つの項目について新たな承認はなく、血縁確認は継続中であること。今朝の先王の容体は、宰相が侍医司から聞いたと述べた情報にとどまり、正式な報告書を別に求めること。宰相はレズンブール伯爵へリュシアン殿のことを伝え、伯爵の力添えを見込んでいると述べたが、男爵家の同意書も、伯爵の役割と責任を示す書面もないこと。そして、女王が伯爵本人を召喚し、直接説明を求めること。
読み上げが終わると、宰相は記録中の「伯爵を協力者として挙げた」という箇所を、「協力を見込む方として挙げた」と改めるよう求めた。書記が該当する一行を直して読み返すと、宰相はそれ以上、記録された事実へ異を唱えなかった。
「本日のところは、以上といたします。血縁確認と侍医司の正式な報告については、整い次第、書面でお届けください。リュシアン殿の招致については、伯爵ご本人と男爵家の意思、安全を担う体制を確かめるまで、承認いたしません」
「承知いたしました。女王陛下におかれましては、どうかご無理はなさらず、国の鎮まりのため、なるべく早くお心をお定めくださいますよう」
「ええ。確認を怠るつもりはございません」
面会の終わりを告げると、宰相と重臣たちは順に礼をし、入ってきたときと同じ静かな足取りで退出した。椅子の脚が石を擦り、衣擦れの音が遠ざかり、重い扉が閉じる。宰相は最後まで口調も表情も崩さなかった。それでも、机の上には、入室前にはなかった一人の名が、発言者とともに記録されていた。
コルデオが書記へ、隣の小部屋で清書と照合を進めるよう命じた。書記だけが退出したあと、わたしは背もたれへ身体を預けたまま、しばらく閉じた扉を見ていた。やがてヴィルが、机上の書面へ目を落としたまま低く尋ねた。
「呼ぶのか?」
「ええ。宰相殿は、伯爵へリュシアン殿のことを伝え、その力添えを見込んでいると、公の場で言ったのよ。だったら、伯爵ご本人にも、何を承知し、何を引き受けるおつもりなのか、わたしの前で話していただくわ」
「来なければ?」
「来なければ、応じなかった事実が記録に残る。来れば、少なくとも伯爵本人は王都にいる。どちらでも、何も見えないままよりはいいでしょう?」
ヴィルは答えず、わずかに口の端を上げた。わたしもそれ以上は言わず、新しい羊皮紙を手元へ引き寄せる。
召喚状に、疑いを示す言葉は置かなかった。根拠として記したのは、宰相府から提出された書面と、本日の面会で宰相がレズンブール伯爵を、移動と保護への協力を見込む方として挙げた事実だった。そのうえで、伯爵が承知している事実、男爵家とのやり取りの有無と内容、引き受ける意思のある役割を関係書面とともに説明するよう求め、末尾へ、受領後すみやかに王都へ参内すること、と書き添えた。
書き終えた文面をコルデオが読み、日付と宛名を確かめた。わたしは署名を入れ、朱の蝋を落とす。溶けた樹脂の甘い匂いが、先ほどまで部屋に残っていた冷えへ重なった。ヴィルの気配が半歩だけ近づく。視線を上げると、彼は何も言わず、ただわたしの手元を見ていた。
印章を蝋へ押し当てる。王都へ招くかどうかも、その行く先も、リュシアン殿についてはまだ何ひとつ決めていない。いま動かすのは、保護への協力を見込む方として名を挙げられた大人のほうだ。印章を持ち上げると、朱の蝋に王家の紋が残った。その艶が冷えていくのを、わたしは見届けた。




