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王座を継ぐ道――陰謀に揺れる王宮

 翌日、わたしは執務室で、前日までに届いていた治安報告と貴族院関係の書類を確認していた。宰相府が約束した項目別の書面も、ダビドからの第一報も、まだ届いてはいない。暖炉では薪が低く鳴り、窓から差し込む冬の光が、机上の文字を白く照らしている。読むべき書類は減るどころか、朝から積み上がる一方だった。


 扉を叩く音がして、コルデオが入ってきた。いつもなら用件を告げる前に書類を差し出す彼が、今日は何も持っていない。


「陛下。ただいま、ヴァロワ侯のご次女であるソフィア様が、急ぎお目通りを願っておられます。お父上の名代として、陛下へ直接お伝えしたいことがあるとのことでございます」


「ヴァロワ侯の名代として?」


「はい。ただし、正式な意見書も紹介状もお持ちではありません。あまり長くとどまることも、望んでおられないご様子です」


 ヴァロワ侯は、領地の再建を優先し、宰相派とは一定の距離を保ってきた。復興や交易に関するわたしの提案にも理解を示しているが、女王派を名乗ったことはない。その侯が自ら登城せず、娘を寄越した。


 本人が公然とわたしへ近づけば、宰相派と袂を分かったと受け取られかねない。娘を使者に選んだのは、その距離を残すためかもしれないが、理由はそれだけとは限らない。ただ、使用人ではなく自分の娘へ言葉を託したことから、侯がこの知らせを軽く扱っていないことだけは分かった。


「分かりました。お通ししてください。ただし、この部屋へ入れるのはソフィア様お一人だけに。ヴォルフにも同席してもらいます」


「かしこまりました」


 コルデオが退出したあと、呼び出しを受けたヴォルフが先に執務室へ入った。ほどなくして、深緑のドレスをまとった令嬢が、コルデオに案内されて姿を現した。二十歳前後に見える。歩みは乱れていなかったが、手袋をはめた両手は身体の前で固く重ねられている。扉が閉まる前に廊下へ目を向けたのは、誰かにつけられていないか確かめるためだったのだろう。ソフィアはわたしの前まで進むと、深く膝を折った。


「女王陛下、突然の拝謁をお許しくださいませ。わたくし、ヴァロワ侯爵家の次女、ソフィアと申します。父の名代として、どうしても陛下へお伝えしなければならないことがあり、参上いたしました」


「お顔を上げてください。お父上から、どこまでお話しするよう託されているのでしょう?」


 ソフィアは立ち上がったものの、すぐには口を開かなかった。ヴォルフとコルデオへ順に目を向け、わたしが頷くのを見てから、ようやく声を落とした。


「父から、貴族院で耳にした話を陛下へお伝えするよう申しつかっております。宰相殿に近い方々のあいだで、レズンブール伯爵家を通じてモンヴェール男爵家を取り込み、リュシアン殿を王都へ迎えるべきだとの言葉が交わされていたそうです。さらに、リュシアン殿を王家のもとへ迎えることができれば、『女王陛下には、早晩ご退位いただくことになる』と申した者もいたと……」


 わたしは返事を急がず、ソフィアの言葉を初めからたどり直した。ヴァロワ侯が耳にしたというのは、宰相に近い貴族たちが、レズンブール伯爵家を通じたモンヴェール男爵家の取り込みと、リュシアン殿の招致、そしてわたしの退位を、ひと続きの流れとして語っていたという話だった。昨日、宰相が求めた内容とは重なる。けれど、重なったからといって、すべてが一つの命令から出たと決めることはできない。


「いまのお話は、ヴァロワ侯ご自身が耳になさったのですね?」


「はい。ただ、正式な評議での発言ではなく、議事録にも残されておりません。父も、伯爵家との取り決めを示す書面を見たわけではないと申しております」


「では、そうした発言が宰相殿ご自身の指示によるものなのか、レズンブール伯爵家とのあいだですでに話がまとまっているのかまでは、確かめられていないのですね?」


「はい。そこまでは、父にも分かりません」


 ソフィアは、父から託された範囲を越えて推測を足すまいとしているらしい。恐れを抱いていても、不確かなことを事実のようには語らなかった。その慎重さもまた、ヴァロワ侯の判断なのだろう。


「ほかにも、何かあるのですね?」


「ございます。父のもとへ、宰相派の方針に賛同するのであれば、領地再建に必要な資金の融通を図ることができる、との提案が持ち込まれました。父は、そのような条件で支援を受ければ、いずれ領地を治めるうえでの判断まで明け渡すことになると考え、お断りしております」


「それは、書面による申し出でしたか?」


「いいえ。口頭でございます。ですから、この申し出が宰相殿の指示によるものであったと示すものは、何一つございません」


 二つの話は、同じ重さではない。


 貴族院での会話について、この場で確認できたのは、ヴァロワ侯がその趣旨の発言を耳にしたと、ソフィアが報告したことまでだ。発言した者がどのような権限を持ち、それが宰相派の正式な方針なのか、レズンブール伯爵家が実際に加わっているのかは分からない。執事を襲った者とのつながりも、これでは確かめられなかった。


 一方、ヴァロワ侯のもとへ、政治上の賛同を条件とする資金融通の提案が持ち込まれ、侯がそれを断ったという話は、侯自身に起きたこととして伝えられている。とはいえ、提案を持ち込んだ者の立場も、資金の出所も、どのような方法で融通するつもりだったのかも、まだ分からない。公の復興資金なのか、誰かの私財なのか、それとも貸し手を紹介するという意味なのかさえ確かめられていなかった。


 それでも、領地再建のための資金へ通じる道を、特定の政治方針への賛同と結びつける申し出があったと、侯側が知らせてきたことは軽く扱えない。


 戦後の領地はどこも疲弊し、再建に必要な資金を求めている。もし同じような申し出が、ほかの諸侯へも持ち込まれているのなら、困窮するほど選べる道は狭められていくだろう。けれど、そこまで広がっているかどうかも、いまはまだ分からなかった。


「父は、先王陛下が築かれた公正な治世のもとで、長く恩を受けてまいりました。その御志を損なうようなことには、与することができないと申しております」


「そうですか……。お父上のお考えは、確かに承りました」


 先王への恩義も、偽りではないのだろう。けれど、ヴァロワ侯が守ろうとしているものは、それだけではない。


 もし宰相派に近い者たちが、次代をめぐる主導権ばかりか、領地再建のための資金へ通じる道まで、自派への賛同と結びつけようとしているのなら、ヴァロワ侯の領地も、穏健派として保ってきた立場も危うくなる。


 わたしが進めてきた食糧輸送や交易路の復旧は、宰相派に従わなくても領地を立て直せる可能性を、わずかながら示し始めている。ヴァロワ侯は、わたしへ忠誠を誓ったわけではない。いまは、宰相派へすべてを委ねないために、女王が退かずにいることを必要としているのかもしれなかった。


 そして、おそらくソフィアが持ち帰るのは、わたしの返事だけではない。


 王家が彼女をどう迎え、父親の名をどう扱い、確証のない話を聞いてどのように動くのか。それもまた、ヴァロワ侯が今後の立場を決める材料になる。


「知らせてくださって、ありがとうございます。お父上が危ういお立場を承知で、この知らせを託されたことも、あなたがここまで足を運んでくださったことも、決して軽く扱うことはいたしません」


「もったいないお言葉にございます」


「ただ、このお話だけで、宰相殿やレズンブール伯爵家が何かを企てたと決めることはできません。お父上にも、そのようにお伝えください。だからといって、何もしないという意味ではありませんよ。確かめられることを一つずつ分け、必要な備えは止めずに進めるつもりでいます。父が病に伏しているいま、この国を守ることが、女王であるわたくしの務めですから」


 ソフィアの強張っていた目元が、ほんの少しだけやわらいだ。その表情を見届けてから、わたしは言葉を継いだ。


「それから、領地の再建に必要な支援が、特定の方針への賛同と引き換えにされてよいとは、わたくしは考えておりません。復興は、国を立て直すために行うものです。そのことも、お父上へお伝えください」


「はい。必ず申し伝えます」


「この面会の内容は、確認が取れるまで、必要な者のあいだだけで扱います。あなたも、帰路には十分お気をつけください」


「お心遣い、感謝申し上げます。父も、陛下にこうした動きが伝わらぬまま、判断だけを迫られることは避けなければならないと申しておりました」


 ソフィアはもう一度深く礼をした。コルデオが扉を開き、彼女を人目の少ない廊下へ案内していく。深緑の裾が扉の向こうへ消えると、執務室には暖炉で薪のはぜる音だけが残った。


「それで、お前はどう見る?」


 ヴィルが窓際から離れ、先ほどまでソフィアが立っていた場所へ視線を落とした。問いを受け、わたしは彼女が運んできた二つの話を、確かめられた範囲へ引き戻した。


「ヴァロワ侯へ、復興資金と引き換えに宰相派への協力を求めた者がいる。侯ご自身が受けた話として、そこまでは重く見ていいと思うわ。でも、伯爵家を通じて男爵家を取り込むという言葉も、わたしを退位させるという話も、正式な決定ではない。誰がどこまで承知しているのかも分からないし、執事の襲撃と結びつける証拠にもならない」


「だが、昨日の宰相の要求と同じ方向を向いている」


「ええ。だから、聞き流すつもりはないわ。ただ、同じ方向を向いているからといって、同じ者が動かしていると決めたら、見えるはずのものまで見落とすかもしれないでしょう」


 ヴィルは腕を組み、わずかに眉を寄せた。考えるべきなのは報告の中身だけではない。娘を使者として寄越したヴァロワ侯自身をどう見るのかも、いま確かめておく必要があった。


「ヴァロワ侯は、こちらにつくつもりなのか?」


「それは早計というものよ。侯が守りたいのは、先王への恩義だけではないでしょう。自分の領地も、穏健派としての立場も守らなければならない。宰相派が次代を押さえ、復興資金まで自分たちに従う者へ配るようになれば、侯にとっても逃げ場がなくなるもの」


「つまり、いまは利害が重なっただけというわけだな」


「それだけとも言い切れないけれど、少なくとも、味方だと安心できる段階ではないわね。むしろ、わたしがどう答えるのかを確かめるために、ソフィア様を寄越した可能性もあると思う。わたしが怯えて宰相を責め立てるのか、ヴァロワ侯へ見返りを約束するのか、それとも、何も聞かなかったことにするのか。どれを選ぶかで、侯も次の立場を決めるのでしょう」


 口にしながら、晩秋の即位から続けてきた政務が、ようやく別の形を持ち始めたことに気づいた。食糧を運ぶ道を整え、港を立て直し、交易を再開させる。それらは民の暮らしを守るために進めてきたことであり、味方を増やすための餌ではなかった。


 けれど、政策が動けば、その恩恵を受ける者だけでなく、これまで握っていたものを失うことを恐れる者も現れる。そうした者たちがどちらの側に立つかによって、政治の均衡まで変わっていく。


 宰相が次代を急ぎ、ヴァロワ侯が娘を寄越した。理由も、守ろうとしているものも違うはずだ。それでも二つの動きは、もはや女王を無視しては物事を進められなくなったことを、別々の側から示しているのかもしれない。


――わたしの働きが、それなりに認められたということか……。


 だが、その考えに酔うわけにはいかなかった。誰かに必要とされることと、信頼されることは違う。まして、利用する価値があると思われたことを、理解者が増えたと読み違えてはならない。


 コルデオが一人で戻ってくると、わたしは、先ほど聞いた話を情報の出所ごとに分け、どう扱うかを改めて言葉にした。資金融通を持ちかけられたというヴァロワ侯自身の経験と、侯が貴族院で耳にしたという会話。どちらもソフィアを通じて聞いた話であり、わたしが侯本人や別の記録から確かめたものではない。ただ、侯自身が受けた申し出と、貴族院で耳にした会話とでは、情報の確かさは同じではなかった。


「この面会の内容は、まだ公の記録には結びつけないでください。ヴァロワ侯のお名前も、必要以上に出さないように。ただ、貴族院で王位継承と復興支援がどのように語られているのかは、通常の文書管理と日程確認の範囲で見ておいてください」


「かしこまりました」


「ダビドからの報告も、ステファンが現地で確かめる事実も、まだ届いていません。ソフィア様のお話を、その代わりにしてはなりません。けれど、別々の場所から得られたものが、同じところへ集まり始めるなら、そのときは見落とさないようにしましょう」


「御意にございます」


 コルデオが静かに頭を下げた。ソフィアが運んできたのは、陰謀を暴く証拠ではない。王家がいま確かに言えるのは、ヴァロワ侯の名代として、二つの話が伝えられたことまでだ。政治的な賛同と引き換えに、領地再建に必要な資金の融通を取り計らうという申し出があったとの報告は、軽く扱えない。けれど、資金の出所も、提案した者の権限も、宰相殿の指示があったかどうかも分からない。侯が貴族院で耳にした言葉についても、発言した者が誰の意向を受け、どこまで具体的な話を知っていたのかは確かめられていなかった。それでも、少なくともヴァロワ侯に対しては、領地再建への支援と政治上の選択を結びつける働きかけがあったと報告された。答えではなく、次に何を確かめるべきかを示す警告として、留めておく価値はあった。


 机の上には、食糧の輸送と港湾の復旧に関する書類が残っている。食糧を運ぶ道を整え、港を立て直し、交易を再び動かす。どれも、誰かを味方へ引き入れるためではなく、国と領地を立て直すために進めてきた政務だ。もし復興のための資金を政治的な賛同と引き換えにしようとする者がいるのなら、なおさら、わたしは通常の政務を止めるわけにはいかなかった。復興への道筋を派閥への忠誠で閉ざさせず、国の行く先を一つの勢力の都合だけに委ねないためにも、進めてきた仕事を確かな形にしていく必要がある。


 わたしは新しい書類を手元へ引き寄せた。ソフィアの報告を答えとはしない。けれど、聞かなかったことにもせず、コルデオが通常の職務の範囲で確かめる記録、ダビドが探る王都の動き、ステファンがこれから自分の目で確かめる男爵領の現実と、出所を崩さずに照らし合わせていく。


 別々の場所から届いた話でも、もとをたどれば同じ噂から分かれただけかもしれない。重なったというだけで裏づけとみなさず、どこで一致し、どこで食い違うのかを見る。そのあいだにも政務を進め、人を動かし、状況が変わったときに選べる手を減らさない。


 紙面へペン先を置くと、乾いた音が静かな執務室へ落ちた。王宮のいつもどおりの一日は、すでに動き始めていた。


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