あなたの十年を、わたしの答えにしない
「そんなあなたが……魔族大戦を終結させた救世の巫女と讃えられたというのは、なぜなのですか?」
メービスが何を思っていたのかを、わたしは知らない。いま胸にあるのは、彼女の立場を預かるわたしが、その歩みに重ねた思いにすぎない。
けれど、前の生から役割と責務のために生き、名に縛られてきたわたしには、彼女の歩みを遠い他人事として切り離すこともできなかった。
分かってほしいとは思う。メービスもまた、怖かったのではないかと。それでも、巫女としての役目を引き受けなければ、民を救う道へは進めなかったのではないかと。かつて深淵の血族を呪いから解放するため、自分を供物のように扱って生きたわたしには、その生き方を遠いものとは思えない。だからこそ、彼女の歩みを誰かに知ってほしいという気持ちに偽りはない。
けれど、そのために黒髪を見せたのではない。ロゼリーヌ様が驚き、嫌悪し、これ以上は聞きたくないと言うなら、そこで終える。その権利まで含めて尋ねたはずだった。
暖炉の薪が、内側で小さくはぜた。椅子の肘木へ置いた手をいったん離し、膝の上で重ね直した。
問いは、黒髪を見た驚きだけで終わらず、塔を出たあとに何があったのかまで求めていた。
わたしはロゼリーヌ様の顔を見た。視線は逸れず、続きを待っている。それでも、答えるのは、必要な範囲だけに留めなければならなかった。
「魔族大戦が勃発し、戦火が広がる中、精霊の言霊が『聖剣の眠る泉を探せ』と囁きました。わたくしは父上へ直談判して、塔を出る許しを得たのです」
作り話をしているつもりはない。祖父であるグレイハワード総長が記した、メービス伝説の研究資料と、メービスの父上から聞いた証言を根拠に答えるしかない。
「わたくしは父上から賜ったウィッグで髪を偽装し、ヴォルフという最強の騎士を伴って探索の旅に出ました」
息を継ぐあいだ、肩へ落ちた黒髪の先で、暖炉の明かりがかすかに揺れた。
「旅の果てで聖剣を手にしたわたくしとヴォルフは、魔族を打倒できる力を得てしまった。それからは、中央大陸各地の戦線を飛び回りました。そして、いつしかわたくしたちは、精霊の巫女と騎士と呼ばれるようになりました」
膝へ置いたウィッグの端を指先でそろえ、まだ覆い直さずに手を離した。
「民衆から見れば、それは奇跡のように映ったことでしょう。でも、わたくしの正体は隠されたまま、戦乱は続きました。その後、兄ギルクが戦死し、父までも病に倒れてしまった……」
呼吸をひとつ、浅く整える。
「大戦が終わっても王位を継げる者は、わたくしのほかにおらず、傷んだ国土も人心も、立ち直る象徴を必要としていました。ですから、わたくしが緑髪の女王を演じるしかなかった。ほんとうは、王家なんて大嫌いなのに……」
口から出た言葉が、自分の胸へ刺さった。玉座の間で、ロイドフェリク王から浴びせかけられた罵りが蘇る。
「この王位は、わたくしが望んで選んだものではありません――」
事実だった。けれど、目の前の女性に向けて語れば、その言葉は別の響きを持つ。
ロゼリーヌ様は、王家の都合によってギルク兄との関係を公にできず、その人を戦で失った。息子の出生を公にできず、王宮の庇護も祝福もない場所で育ててきた。その前で、自分だけが「仕方なかった」と語れば、守られている者の嘆きに聞こえて当然だった。
――だからなんだっていうの。これじゃ、ただの言い訳だ。
わたしには王宮がある。国庫がある。侍医も侍女もいる。もし子を産めば、正統な世継ぎとして望まれ、誕生は祝われる。ロゼリーヌ様の子とは、初めから置かれる場所が違う。
「仕方なく……とおっしゃいますが、王家の立場にあることで、今のあなたは守られているのではないですか? ならば息子を守ろうとする私の立場も、少しはお分かりになるはずです」
声は静かだった。だが、ロゼリーヌ様の視線が黒髪からわたしの顔へ戻ったとき、そこには先ほどとは異なる硬さがあった。
返す言葉を探しかけて、やめた。
ここで「分かります」と言えば、私信で自らに課した戒めを、自分の苦しさから逃げるために破ることになる。
「……いいえ。分かるなどと、とても申し上げられません」
喉が狭くなる。
「いまのわたくしが、王宮で守られ、支えられていることは事実です。あなたとリュシアン殿が、その外で負ってこられたものを、わたくしは記録から推し量ることしかできません」
ロゼリーヌ様の目は、なおもわたしを見ていた。
「ただ、いまの王家があなた方に危険をもたらす側であることは、否定できないのです。だからこそ、その危険を増やさないために、ひとつの可能性をお伝えしておかなければなりません」
「可能性、と申しますと?」
「リュシアン殿を担ぎ上げようとする者が現れる可能性です。ただ、現時点では、そのような動きが確認されているわけではありません」
危険を大きく語り、恐怖によって庇護を受け入れさせることはしたくない。起きていないことを、起きると断言してはならない。
「ですが、わたくしの正体が黒髪の巫女であることが明るみに出れば、それを王家の権威を損なう口実にする者や、民の不安を煽る材料にする者が現れる可能性があります」
ロゼリーヌ様の顎が、わずかに傾いた。
「リュシアン殿が兄上の子であることは、まだ確認できておりません。ですが、事実が確かめられる前であっても、王子の子だという噂だけで担ぎ上げられることはあり得ます。かつて王位継承順位第一位にあったギルク王子の子と見なされるリュシアン殿の存在が広まれば、リュシアン殿ご自身の望みも、あなたの望みも関係なく、王位継承を巡る争いの旗印として利用しようとする者が現れないとは言い切れません」
「女王であるあなたの判断を待たずに、動き出す者がいるというのですか?」
「はい。わたくしに子がなく、王位の先が定まっていない現状も、利用する者にとっては都合のよい材料になり得ます」
断定ではない。脅威の実在を確認した報告でもない。
けれど、王家の血は、本人の意思より先に、周囲から意味を与えられる。わたし自身が、そのことを知っている。黒髪の巫女として隠され、救世の巫女として掲げられ、ほかに王位を継ぐ者がいないから女王に据えられた。
血と象徴は、人を人のままにしておかない。
「だからといって、あなたからリュシアン殿を取り上げ、王都へお連れしてよい理由にはなりません。そんなこと、許されていいはずがないです……」
膝の布をつまみかけた指を開く。
「そうならないように守りたいのです。わたくしが女王の座にある今のうちに、リュシアン殿を王位の道具にしないこと、あなたの同意を得ずに王家の側から接触しないことを、わたくし個人の意思だけにとどめず、王宮が従わねばならない定めにしたいのです」
「王宮が従わねばならない形……」
「そのための具体的な方法は、まだ……決めておりません。そもそも、あなたの知らないところで決めるべきことでもないと思っています。まず可能性をお伝えし、どのような守り方なら受け入れられるのか、あるいは王家の関与を一切望まないのか……そのお考えを伺いたくて、こうしてあなたに会いに参りました」
今日、同意を持ち帰る必要はない。結論を得られなければ失敗なのではない。ロゼリーヌ様が警戒したままでも、こちらの言葉を疑ったままでも、それ以上を求めずに帰ることもできる。
「選択する権利は、あなた方親子にあるべきです。わたくしは、そう考えています」
彼女の喉が小さく動く。膝の上で重なった指に力がこもり、爪の色が薄く変わった。それでも、彼女は手を隠さなかった。
「……王家に守られる、なんて発想はありませんでした。むしろ危険をもたらす側だとしか。ギルクが戦地へ赴かざるを得なかったのも、王家の都合だと――そう感じておりますから」
ギルクの名に、書類挟みの留め紐へ指がかかった。索引のどこを見ればよいかは分かっている。けれど、いま先に聞くべきなのは、ロゼリーヌ様の言葉だった。
紐を解かず、手を膝の上へ戻した。
「……ええ。兄上は民を思う志の強い方でしたけれど、結局は王宮側の論理に縛られていたのでしょう」
言葉の影が自分の影と重なる。
「……彼があなたを愛したことは、公にされませんでした。王宮が許すはずもなかった。正妃は去り、兄は針の筵に置かれ――」
吐息が短く切れ、舌の裏に鉄の味が薄く差す。
「悪化する戦局の中、王位継承者が自ら戦場に立ち兵を鼓舞する道を選んだ。それが自分の責任の取り方だと言わんばかりに。……わたくしは、兄を救えなかった後悔でいっぱいです」
言い終えた瞬間、舌の裏に残っていた鉄の味が濃くなった。メービスの身体で生きる偽物でしかないわたしが、借り物の後悔を差し出し、ロゼリーヌ様を拒みにくくさせたうえで同意を引き出そうとすること。お二人を守りたいという願いを理由にしても、あまりにも卑怯だった。ロゼリーヌ様が兄をどう思っているのか、わたしは知らない。兄の死を、どのように悼んできたのかも知らない。わたしのものではない後悔を語ったからといって、彼女が兄と過ごした記憶へ踏み込む権利が生まれるわけではなかった。
「……このことも、わたくしの身勝手な思いに過ぎません。ロゼリーヌ様が同じように受け止めておられると、決めつけるつもりもありません」
ロゼリーヌ様は表情を動かさず、最後まで遮らなかった。睫毛の影も揺れない。その沈黙を、同意とも赦しとも決めつけないまま待った。何を思ったのかは、まだ彼女の言葉を待つほかなかった。
「では、陛下……こちらから問わせていただきます」
「はい」
「あなたは、ご自分に子がなく、王位の先が定まっていないことも危険の材料になると仰いましたね?」
「はい」
「ならば、世継ぎをお産みになればよいのではありませんか?」
声には硬さがあったが、責められたとは思わなかった。むしろ、ここまで語れば、そう問われて当然だった。
「あなたは王家に生まれ、今は女王の地位にあらせられます。王配もおられる。お子がお生まれになれば、正統な世継ぎとして望まれ、王宮の者たちは総出でお守りするでしょう」
暖炉の火が、薪の内側を舐めるように揺れた。
「医師も、乳母も、侍女も、護衛もいるでしょう。母になることも、子を育てることも、国中から喜ばれ、支えられるお立場です。それなのに、なぜ、私の息子に危険が及ぶかもしれないというお話と、あなたがお子を持たないことが、同じ場所で語られるのです?」
ロゼリーヌ様の声は荒くない。だからこそ、一つ一つの言葉が逃げ場なく届いた。少なくとも、リュシアン殿は、王子の子として公に認められ、祝福されて生まれたわけではない。ギルク兄の名を父の名として公に掲げることもできず、母が王宮へ差し出さないと拒み続けなければならなかった子だ。メービスの子は、まだ存在すらしていない。それでも、もし生まれれば、王宮は揺り籠を整え、名を選び、将来を守ろうとするだろう。そこに黒髪への恐怖があったとしても、少なくとも人手も金も権力も、わたしの側にある。資料を読みながら、その違いは理解していたつもりだった。――なんて、思い上がりだろう。胸の内に浮かんだ言葉に、息が詰まった。けれど、自分を責めて終わるだけなら、また同じ逃げ方をすることになる。
柚羽美鶴として生きた前の生でも、ミツルとしての生でも、重すぎるものを背負ってきた。それは否定しない。望まぬ責任に命を削られ、自分より大きなもののために選ばされてきた。けれど、これは違う。命を賭けて大きな危機へ立ち向かうことを知っているからといって、夜ごと子どもの泣き声で目を覚まし、その子が明日も奪われないよう暮らしを積み重ねることを知っていることにはならない。自分の身を差し出す覚悟と、子の生を預かり続ける覚悟は、同じではない。わたしは、危機の中で決断することを覚えた。けれど、ロゼリーヌ様は、危機が過ぎ去らない日常の中で、十年を生きた。その違いを、紙の上では分けたつもりでいた。だが、王位の先が定まっていないことをこの場で口にしたとき、心のどこかで、彼女なら分かってくれるのではないかと期待していた。母である彼女から、母になるための答えを受け取ろうとしていた。敬意があったとしても、彼女の歳月を自分のために使おうとする甘えであることに変わりはなかった。そう認めた以上、もう言い逃れることはできなかった。
「……おっしゃるとおりです」
声が掠れた。水を求めるように舌先が動いたが、そのまま続けた。
「同じ場所に並べて語ったこと自体が、間違いでした」
ロゼリーヌ様の眉が、わずかに寄る。
「わたくしとあなたの立場は同じではありません。わたくしは王宮の内側にいて、夫がいて、子を望まれています。生まれた子を支える者も、守るための財も権限もございます」
言葉にするほど、自分がどれほど多くを持っているかが露わになる。
「あなたが王家の外で、リュシアン殿を守ってこられたことと、並べてよいものではありませんでした。申し訳ございません」
「……では、陛下――」
ロゼリーヌ様の眼差しは緩まない。
「あなたは、子を成すことについて、まだ答えを出せずにおられるのですか?」
「はい」
「その答えを、リュシアンの母である私に求めていらしたのですか?」
問いを返され、膝の上で重ねていた指がほどけた。二十三通りの答えを考えたとき、この問いも想定していた。想像の中のわたしは、もっと淀みなく答えていた。母としての覚悟を知りたい。あなたの生き方から学びたい。自分の恐れの正体を確かめたい。どれも、いま口にすれば、自分を少しだけ立派に見せるためのものになる。ヴォルフが言ったとおりだった。ロゼリーヌ様の問いを先回りしても、彼女がここでどんな重さを込めるかまでは分からない。用意した返答は、目の前の彼女ではなく、自分の想像へ答える言葉にすぎなかった。
「……そうではないと、言い切ることはできません」
胸の奥が痛んだ。
「王家を拒みながら、リュシアン殿との日々を守ってこられたあなたにお会いすれば、わたくしにも答えが見つかるのではないか。そう期待していたところが、確かにありました」
組み直しかけた指を止め、両手を膝へ伏せた。
「けれど、先ほどのご指摘で分かりました。あなたのお答えを、そのままわたくしの答えにしてよいはずはありません。あなたが十年かけて守ってこられたものを、わたくしの迷いを解くための材料にするなど、あまりに身勝手です」
「それでも、あなたはお聞きになりたいのですか?」
問われて、すぐには返せなかった。
――聞きたい。
ロゼリーヌ様が何を怖れ、何を捨て、何を選んだのか。兄とどう向き合い、その子をどう守ってきたのか。知りたいという気持ちは、謝ったからといって消えない。けれど、その気持ちと、話してもらう権利とは別のものだった。
「……もし、お話しいただけるのでしたら、お伺いしたいです」
自分の欲を隠さずに認める。
「ですが、今日でなくて構いません。すべてでなくて構いません。お話しになりたくないことは、お話しにならないでください。聞きたいというわたくしの願いを……ロゼリーヌ様がお話しになるべき理由にはいたしません」
ロゼリーヌ様は答えず、暖炉へ視線を移した。薪が小さくはぜ、崩れた火の粉が灰の上へ落ちる。長い沈黙のあいだ、わたしは言葉を足さなかった。何か補えば、沈黙を自分に都合のよい方へ動かそうとしてしまう。答えをいただけない時間から逃げずに待つことも、今日ここでわたしがすべきことの一つなのだと思った。
「……支えてくれる者が、誰もいなかったわけではありません。父と母は、わたしとリュシアンを守ってくれました。ただ、王家は違います。王家は支えではなく、息子を奪うかもしれない相手でした」
やがて、ロゼリーヌ様が暖炉を見たまま言った。
「どんなに怖くても、愛する人との子どもだから……。ギルクを失っても、母であるわたしがこの子を守ると、決め続けるほかなかった。それで踏みとどまってきただけです」
「だけ」という響きの向こうに、わたしの知らない夜が幾つも重なっているように思えた。
いま語られたのは、十年のすべてではない。ロゼリーヌ様が、こちらへ渡してもよいと判断した最も外側の一片にすぎない。それを聞いただけで、彼女を理解したと思ってはならない。
「ですが、あなたは黒髪の巫女であり、いまは女王として国を治めておられます。それでも、子を持つことが怖いのですか?」
問いには、先ほどよりわずかに温度があった。共感ではない。許しでもない。わたしが何を怖れているのかを、今度は彼女が確かめようとしているのだと思った。
肩へ落ちた黒髪の先で、暖炉の明かりが揺れる。わたしはそれを見下ろし、息を吐いてから顔を上げた。
「ええ。わたくしが女王であることと、生まれてくる子どもが、その子自身として守られることは、決して同じではありません」
ロゼリーヌ様の目を見たまま、言葉を継ぐ。
「もし、その子がわたくしと同じ黒髪で、同じ瞳の色で、歴代の巫女と同じ顔立ちをしていたなら、王宮の者たちは、守るためだと言って隠すかもしれません。あるいは、王統の正しさを示すために、その力や姿を利用しようとするかもしれません」
守るという言葉は、ときに、本人の意思を奪うことと同じ形をしている。
「その子が自分の生き方を選べるようになるより先に、王家の都合で行く末を定められてしまうのです」
膝の上で指を開くと、つまんでいたドレスの布に細い皺が残っていた。
「わたくしを閉じ込めてきた恐れの中へ、その子を置くことになるのではないか。わたくし自身が女王でありながら、それを止め切れないのではないか。そう考えると怖くて、怖くて……とてもいまは子を持つと決めることができないのです」
そこまで言ってから、首を横へ振った。
「ですが、わたくしの恐れと、ロゼリーヌ様がリュシアン殿を育ててこられた十年を、同じものとして語るつもりはありません」
黒髪へ手を添える。
「わたくしが今日、これをお見せしたのも、あなたの苦しみを理解できる者だと認めていただくためではありません。リュシアン殿に及ぶかもしれない危険をお伝えする以上、その危険がどこから生じるのかを、わたくしだけが隠したままではいられないと思ったからです」
ロゼリーヌ様はすぐには言葉を返さなかった。
わたしの黒髪へ向けていた目を、ゆっくりと顔へ戻す。
「……事情は分かりました」
事情を知ったことと、こちらの選択を認めたことは違う。まして、彼女がわたしを信じたことにはならない。
「ですが、陛下。ご自分が怖いからといって、私に母になる答えを求めないでください」
「はい」
視線を逸らさずに受け取った。
「仰る通りです」
「私は、誰かに教えるためにリュシアンを育ててきたのではありません」
「はい」
胸の奥が痛んだ。けれど、その痛みを反省の証として抱きしめることも違う。ただ、言われたことを、言われたまま覚えておこうと思った。
ロゼリーヌ様は、二人のあいだの、何も置かれていない卓へ視線を落とした。
「……分かりました。まずはお茶をご用意いたしましょう」
「お話をしてくださるのですか?」
思わず聞き返し、すぐに、期待を押しつけるような声音になっていなかったかと息を詰めた。
「はい、お話だけであれば構いません」
「ありがとうございます」
「私がこれまで、どうやってリュシアンを育ててきたのか。ギルクとどう向き合ってきたのか――そのすべてを今日お話しするとは、お約束できませんが」
「もちろんです」
「けれど、あなたがリュシアンを守りたいと仰る、その根拠は何なのか。それは、もう少し詳しく伺いたいと思います」
「はい。確認できたことと、分からないことを混ぜずにお話しいたします」
「それから、リュシアンには、まだ会わせません」
「承知しております。お許しがないかぎり、こちらから接触はいたしません」
暖炉の火が小さくはぜた。
ロゼリーヌ様が呼び鈴へ手を伸ばす。澄んだ音が室内に響き、細い指が鈴から離れた。ほどなく扉の金具が微かに鳴り、茶の支度を命じられた侍女の足音が、廊下の奥へ柔らかく遠のいていった。
何も置かれていない卓を挟み、向かいに座る彼女はまだ笑わない。わたしも、笑顔で距離を縮めようとはしなかった。わずかに顔を上げると、肩へ落ちた黒髪が衣擦れに紛れて、かすかに鳴った。




