今夜のところは
寝所へ戻ると、朝に命じたとおり、掛け布は二組用意されていた。中央の空間も、昨日までと同じ幅で残されている。侍女たちは、いつもより音を立てなかった。左側の布を整える者も、右側の枕を確かめる者も、視線を必要な場所から外さない。それでも、皺を伸ばす手は慎重で、昨夜までの迷いのない動きとは違っていた。見ていることを、わたしが知った。そのことを、侍女たちも知っている。
「そのままでいいわ」
掛け布の端に触れていた指が止まった。細く持ち上がった布の下へ、暖炉の明かりが淡く入り込んでいる。
「昨日までと同じにしてください」
「はい、陛下」
侍女は布を下ろし、できかけていた皺を掌で最後まで伸ばした。中央へ寄りすぎないよう、外側へ引く。その幅は、いまでは測らなくても分かるらしい。
若緑の髪を外し、夜着へ着替えるあいだも、誰も朝の報告へ触れなかった。金具が一本ずつ抜かれるたび、押さえられていた黒髪が肩から背へ落ちてくる。金具の跡が残る生え際へ手をやりかけ、鏡の中の侍女長と目が合って、その手を膝の上へ戻した。
「おやすみなさい」
「陛下も、どうかお安らかに」
侍女長は深く頭を下げた。朝のことを詫びる言葉も、寝台について確かめる言葉もなかった。
三人が下がり、扉が閉じる。衣擦れと足音が遠ざかってからも、部屋には消えかけた蝋と、暖炉の灰の匂いが残っていた。
ヴィルは暖炉のそばに立っていた。侍女たちがいるあいだ、一度も寝台を見なかった。火掻き棒で薪の位置を直し、崩れた灰を火床の奥へ寄せている。必要のないところまで確かめているように見えた。
「あなた、怒ってる?」
「誰にだ」
「侍女たちに」
「あいつらは与えられた仕事をしたまでだ。軍人と同じさ。何も悪くはない」
「では、クレイグには? 何か含みや裏は感じ取れた?」
「さてな……ただ、あいつも宰相としての仕事をしただけだろう」
火掻き棒が金具へ収まる。小さく上がった火の粉は、赤い点を残して灰の上へ消えた。
「何もかも正しく見える。だから面倒なんだろうな」
「誰かが悪意で始めたことなら、その人を止めれば済むのにね」
「そうだな」
願った人と、建議を出した人と、見た人と、報告した人は、それぞれ別だった。誰も同じことを言ってはいない。それでも最後には、子を望むのかという一つの問いになって、寝所の扉を越えてきた。
ヴィルは椅子の背へ掛けていた上着を取り、寝台の右側へ置いた。わたしも左側へ腰を下ろす。敷布がわずかに沈み、中央の平らな白さが、そのままの形で残った。
「掛け布を一枚にしたら、侍女たちの報告も変わるかしら?」
「寒いからか?」
「違うわよ」
「なら、誰のためだ?」
「王宮の人たちに、不仲ではないと思わせるためよ」
自分の声だけが、ひどく手際よく聞こえた。左の掛け布を指で摘むと、力を入れたつもりもないのに、中央の皺のないところまでわずかに引かれた。
「くだらん。俺たちがどう眠るかを、あいつらに決めさせるのか」
「決めさせるわけじゃないわ。ただ、布を一枚にするだけなら、あとで戻せるでしょう。それか、シーツの真ん中にわざと皺を作るとか。できることはあるでしょう?」
言葉を重ねるあいだ、ヴィルはわたしではなく、掛け布を見ていた。右手が布の端を押さえたまま動かない。眉間に寄った皺より、その手のほうが、わたしの言葉を拒んでいるようだった。
「お前は、そうしたいのか?」
「だから、風聞を――」
「風聞のことなど聞いていないぞ」
右手が掛け布から離れ、膝の上へ戻る。
「お前が……俺と一枚の布の中で眠りたいのかと聞いた。お前の意思の問題だ」
答えようとした喉が、うまく開かなかった。
嫌なのかと聞かれたのではない。怖いのかとも、困るのかとも聞かれていない。どちらなら耐えられるかでもなかった。
――わたしが……そうしたいのか。
そこへ自分を置いた途端、朝から集めてきた理由が、どれも少し遠くなった。暖炉の熱は背中まで届いているのに、夜着の襟もとから入った空気が、鎖骨のあたりに冷たく残る。
「……いまは、そんな理由でしたくない」
「俺もだ」
ヴィルの返事は早かった。右側の掛け布をめくりかけ、けれどまだ寝台へは上がらない。
「お前だから嫌だと言っているんじゃない。見せかけのために、お前との距離を変えるのが嫌だってだけだ」
胸の内側に留まっていた息が、細く外へ出た。
安堵したのだと認めるには、その理由を考えなければならない。わたしは膝の上へ落ちた黒髪を指でまとめ、答える代わりに肩の後ろへ払った。
「それなら、仲がよいと見せることもできないわね……」
「見せかけのためにする必要はない」
「でも、何もしなければ、夫婦としての実がないって言われるでしょう……」
「言わせておけ、で済まんのは分かっている。だがな、そういう小賢しい真似は、すぐにばれるもんだ」
ヴィルは寝台の端へ座り直した。床へ下ろした両足は、まだ靴を履いたままだった。
「かえって、王統問題がよりはっきりしてしまうだけということ?」
「それもある」
「ほかにも?」
「お前だけじゃなく、俺にも向けられた言葉だからだ」
市場から戻る馬車でも、ヴィルはそう言った。けれど、そのときのわたしは、同じ紙に二人の名があるという意味でしか受け取っていなかったのかもしれない。
ヴィルの両手は、膝の上で開かれている。節立った指と、掌に刻まれた皺が、火の色を受けていた。こちらへ伸びることも、固く閉じることもなく、彼自身の手としてそこにある。
「何を決め、何を負うのか、まだ誰からも答えがない。だがな、どんな理由にせよ、子の親になることまで国に決めさせるつもりはない」
「……そうよね」
「お前を守るためだけに言っているんじゃないぞ。俺だって嫌だ。いくらなんでも、義務のために子を作れだと? ありえんだろ……」
開かれていた手の指が、わずかに曲がった。
「……とにかくだ。お前が、必要だからと無理をするのも、それに俺が〝応える〟のも御免だ」
「応える」だけが、遅れて耳へ戻った。みぞおちのあたりが冷え、わたしはヴィルの顔から目を外した。
「嫌だ」と言われたのは、国に決められることであって、わたしではない。そう分かっているのに、その冷たさはすぐに消えなかった。そこへ自分を置けば、わたしが彼へ何を望むのかを問われる。代わりに、朝から何度も並べ直してきた理由を探した。メービスの人生のことなら、まだ正しい順序で考えられるのだと。
「……わたしだって、嫌よ」
声が思っていたより小さくなった。
「王統のために、という理由ではね。だけど、それだけじゃないの。わたしはまだ、これを自分事だとは、とても思えない」
「何がだ?」
「一時的とはいっても、いまのわたしは、メービスの身体で彼女の人生を生きてるわけでしょう? それだけでも奪っているみたいなのに、そのうえ、子どもまで手に入れていいのか、分からない……」
ヴィルの指が、膝の上でゆっくり曲がった。
「お前だけの話にするな。俺だって、ヴォルフの身体でここにいる」
「そういう意味じゃないわ」
「分かってる。だが、お前一人が、あいつらから奪ったみたいに言うな」
慰める声ではなかった。大丈夫だとも、二人なら赦してくれるとも言わない。
謝ろうとして、唇がわずかに動いただけだった。「巻き込んでごめんなさい」と言えば、いまの言葉を聞かなかったことになる。ヴィルの選択まで、わたしの罪の中へしまい込むことになる。
「共有した夢で、メービスとヴォルフが互いを求めていたことは分かったわ。二人は、王冠を被る前から愛し合っていた。一緒に生きたかった」
「ああ」
「だから、二人が触れ合うこと自体を、望まなかったとは思わない」
「そうだな」
「でも、王家で子どもを設けることを望んだかどうかは分からないのよ」
旅を続けたかったのかもしれない。王宮へ戻ったのも、父への恩を返し、この国を救うためだったのかもしれない。先王も、メービスの即位を暫定だと言っていた。
「わたしたちが知っている歴史では、二人の治世は長くなくて、成人した次の王へ譲位したことになっていた」
「だが、その名がこの時代の誰につながるのかは、まだ確かめられていない」
「でも、成人していたという記録が正しいなら、二人の子ではありえないでしょう?」
「そこまで正しければな」
「だったら、二人は、次の王へ渡すまで国を支えるつもりだったのかもしれない。王家を自分たちの子へ継がせるつもりはなかったのかも……」
「ミツル」
名を呼ばれ、言葉が止まった。
「先走るな。悪い癖だぞ」
ヴィルの声は強くなかった。膝の上へ戻した手だけが、先ほどより固く閉じている。
「茉凜みたいなこと言わないで。べつに走ってなんかないわよ。いまある材料で、考えられることを――」
「どれもまだ確かなことは言えない。先王が何を暫定と言ったのか。次の王が誰で、何歳で即位したのか。メービスとヴォルフが、どこまで決めていたのか。調べても分からんことが混じっているぞ」
「そうよ。ただの憶測よ。それのなにが悪いの? わたしには考えることしかできないし」
返した声が、思っていたより高くなった。
「国を支えることだけなら、元の二人がしたかもしれないことを、わたしたちも続けていると言える。でも、その先まで、わたしたちのものにしていいわけない。本物じゃないわたしたちに、そんな無責任が許されると思う? あのクレイグだって、宰相としての責務から、国の将来を思って言っているのは確かなのよ」
ヴィルはすぐには答えなかった。暖炉の薪が内側から崩れ、赤い火が奥で明るくなる。炎が揺れるたび、彼の横顔を縁取る色が薄くなったり、戻ったりした。
「あなた……平気なの?」
「平気なわけがあるか」
「いまの、ミツルじゃないわたしを見て……つらくならないの?」
ヴィルの視線が、わたしの顔から寝台の中央へ移った。
返事を待つあいだ、髪の先が夜着の袖を擦る音まで聞こえた。聞かなければよかったと思い始めたころ、彼は低く息を吐いた。
「そんなもの、分からん。だが、何もせずに国も民も見捨てる気はないが……」
「そうじゃない。あなた自身は、どうしたいの?」
「先に、上がってきた調査結果を見る」
「違う。手順を聞いてるんじゃないわ」
「……分かってる」
ヴィルは足もとの靴へ手をかけた。留め具を外し、片方ずつ揃えて置く。爪先の向きまで直してから、右手を膝へ戻した。
「国と民を見捨てないために働くことと、国のために子を作ることは、俺には同じにできん。無理だ」
「どうして?」
「うまく言えん。だが、同じにはできん」
わたしは掛け布へ手を置いた。侍女が伸ばしたばかりの布は滑らかで、指を動かすと、そこだけ細い皺が寄った。
「わたしの考えだけど、もしここで子どもを作ったら、メービスは王家から離れられなくなるかもしれないわ」
「どうしてだ?」
「どう考えても無理でしょう? 子を連れて出るなら、王統を持ち去ったと言われるかもしれないじゃない」
「ああ、そうか」
「それに、王位を譲った後、自分の子を残して旅へ戻れるとは思えない。もし、その途中で二人の記憶が目覚めたら――」
さっき寄せた皺を押し戻そうとして、指へ余計な力が入った。
「自分の身体に何が起きているのかも分からないまま、メービスは母親にされているかもしれない。ヴォルフは、自分の血を引く子なのに、自分が望んだのかどうかも知らない。産んだのはわたしなのかメービスなのか、父親はヴィルなのかヴォルフなのか、誰が育てるのか、誰の子として王宮へ残されるのか――」
息が続かなくなり、声が途切れた。指の下で、さっき作った皺が深くなっている。掌を開こうとしても、布を掴んだ指だけがすぐには動かなかった。誰の子なのか。誰の身体なのか。誰が残り、誰が戻るのか。そのどこにも、わたしがどうしたいのかだけは入っていなかった。息を吸おうとすると、喉の奥が狭くなった。ヴィルは、布を掴む手ではなく、わたしの顔を見ていた。解こうとも、宥めようともせず、呼吸が戻るのを待っている。
「考えるのはいいが、それで答えは出たのか?」
「出るわけないでしょう……」
「だろうな。俺も出ん」
部屋の外を、夜番の靴音が通り過ぎた。一定の間隔で近づき、扉の前を横切って、また遠ざかっていく。
指を一本ずつ布から離す。掌には、織り目の跡が薄く残った。
「子どもを作らないと決めたって、結局同じなのよ」
「何がだ?」
「メービスとヴォルフは望んでいなかったって、わたしたちが代わりに決めてしまうことになる。二人が本当は望んでいたなら、その可能性を、わたしたちがなくすことになる」
「今しないことと、永遠にしないと決めることは違うぞ」
ヴィルは脱いだ靴を寝台の下へ寄せた。それから右側の掛け布へ手を置いたが、まだ中へは入らなかった。
今という言葉のところで、その手は止まっている。ここから先へ行かない。それだけなら、明日のわたしたちが選ぶことまで、今夜のうちに決めずに済む。
「でも、最初の報告が出たらきっと聞かれるわ」
「最初の報告までに答えが出なければ、出ないと言えばいい」
「国が待てないと言ったら?」
「何が待てないのかを聞く。根拠が必要だ、とな」
「法ではなく、政治上の判断だと言われたら?」
「誰の判断で、何が起きるのかを聞く。徹底的にだ」
評議の席で、わたしが一つずつ返した問いだった。あのときは、問いを返すたび、自分の前へ置かれたものを少し遠ざけることができた。けれど今は、ヴィルの声で戻ってくるたび、遠ざけたはずのものが寝台の中央へ置き直される。そこだけが、どちらの掛け布にも覆われず、火の色を薄く返していた。
「それって、ようするに時間稼ぎじゃない。最後には、どうするのか聞かれるわよ」
「そのとき分からなければ、分からんと言うしかあるまい」
「女王と王配なのに?」
「女王と王配なら、分からんことまで分かったふりをしなければならんのか? 向こうは、頼むから象徴として立ってくれ、と頼み込んできたわけだろう? 即位したばかりで、復興政策どころか、食料問題で大わらわな時に、それどころじゃない。そう言って突っぱねればいい」
膝を揃えると、夜着の布が腹の前へやわらかく重なった。その下には、いまは何もない。ただ自分の体温があるだけだった。息を吸えば腹がわずかに持ち上がり、吐けば元へ戻る。その動きを、自分のものだと確かめるように、重ねた掌へ力を入れた。紙の上ではまだ「可能性」と呼ばれているものが、この身体に起きれば、同じ言葉では済まなくなる。昼の紙には、女王と王配の名が並んでいた。けれど、子を宿すよう求められた先で、翌朝、熱や痛みや食事の量を尋ねられるのは、この身体だった。ヴィルの手を見てから、また夜着へ目を落とす。口にすれば、彼の「俺も嫌だ」を軽くしてしまう気がした。黙っていれば、わたし一人が耐えればよいことへ戻ってしまう。重ねた手を膝から動かせなかった。
ヴィルは右側の掛け布へ置いていた手を離した。寝台へ上がらず、その縁へ腰を下ろしたまま、わたしを見ている。
「それが通れば、苦労はしないのだけど。……本当、どうすればいいんだろうね。どこにも逃げ場がないみたいで、怖い」
こぼれた声は乾いていた。
膝の上で重ねた手へ、また力が入る。何を選んでも、いつか戻るかもしれない二人の人生へ跡を残す。何も選ばないままでも、この身体で過ごす時間は過ぎていく。昼のあいだは紙の上へ分けて置けたものが、夜着の下にある身体へ戻ると、どの欄にも収まらなかった。
ヴィルは目を逸らし、しばらく天井を見ていた。梁に揺れていた火の色が、少しずつ弱くなる。
「どうすりゃいいかなんて、俺にも分からん」
「本当に?」
「俺に分かると思うか?」
「思わないけど?」
「なら聞くな」
「少しくらい考えてから答えてよ……」
「考えたさ。だが、こればかりはいくら考えても分からんものは分からん。それじゃ、気休めにもならんだろ。王宮は戦場じゃない。状況すら掴めないまま、どう戦術を立てりゃいいってんだ。まったく頭が痛い……」
いつもの調子に近い声だった。笑えるほどではなかったが、喉につかえていた息が、わずかに抜けた。
「分からないなら、何もしないままでいいの?」
「差し当たって、今夜のところはな」
「じゃあ、明日はどうする?」
「明日のことは、明日聞けばいい」
ヴィルの視線が、膝の上の手から顔へ上がった。そこで止まり、眉間の皺が深くなる。
「……とにかく、寝よう。考えたところで答えは出ないし、明日も早いからな。俺はそっちの椅子で寝てもいい」
顎で示された壁際の椅子へ目を向けた。寝台から離れた暗がりに、背もたれの細い影だけが浮いている。
「でも……」
「今は余計なことは考えず、休むことだ。それと……俺はな、お前がそんな顔してるのを見るのが一番辛いんだ」
最後の言葉が、ヴィルの喉へ引っかかった。椅子へ向けかけていた爪先は動かない。
「お前の痛みが俺の痛みになっちまうんだよ」
頬へ力が入った。次からは、こんな顔を見せなければいい。そう考えた途端、膝の上で爪が掌へ食い込んだ。隠したまま一人で決めないために、ここまで言葉を重ねてきたはずだった。
「そういうこと言われると、こっちが困るんだけど。なら、笑えばいい?」
ヴィルは口を開きかけ、閉じた。眉間へ残った皺を、どうすることもできないようだった。
「……やめとけ。作り物の笑顔など見せられても、余計に辛い。あと、こいつは俺の勝手だ」
「勝手って……」
「俺はお前の考えも、決めたことも否定しないと決めた。だが、そこまでお前が背負う必要はない。そういうのは、見たくないだけだ」
短く言って、ヴィルは寝台の縁から腰を上げた。椅子へ行くつもりなのだと分かると、広い寝台の中央に残された白さが、さっきよりも目についた。
「同じ寝室を使ってるのだから、あなたが椅子で寝たら、侍女たちがまた余計なことを詮索しかねないわよ。だから……ね?」
「侍女の目を気にして、俺をここへ置くのか」
返事が出なかった。
侍女たちの目が気になるのは嘘ではない。けれど、それだけなら、今夜ひと晩くらい椅子でもかまわないはずだった。ヴィルがそこへ移ったあとの暗がりを思うと、重ねた手をほどくことができない。
「……違うわ」
「何がだ」
「ここにいて。わたしが、そうしてほしいと思うから」
ヴィルの目が、わずかに見開かれた。消えかけた灯りの下で、返事の代わりに唇が一度動いた。
「あなたがいると、心強いから。一緒にいてくれるだけで。ただ、それだけでいいの……」
「ミツル……」
名を呼ばれると、その先が喉の奥へ戻った。代わりに、膝へ置いていた手を片方ずつ離し、左側の掛け布へ置く。
「わたし、こんなことで負けたくない。だから、あなたが必要なの」
「ああ。お前がいるから、俺もがんばれる気がする」
ヴィルは息を吐き、右側の掛け布へ手を戻した。
「周りに勝手に決められてたまるかってんだ」
低い声が途切れると、灯芯のかすかな音が戻った。掌へ残った爪の跡を、もう一方の指でそっと撫でた。
ヴィルは掛け布を引く前に、もう一度わたしを見た。
「では、今夜もここでいいか?」
右側の掛け布を持ったまま、ヴィルは待っていた。
「ええ。ここにいて。……ごめんなさいね」
「謝ることじゃない」
ヴィルは右側へ上がり、掛け布を腰まで引いた。枕へ背を預けても、中央の空間へ身体を寄せることはなかった。
わたしも外側へ引かれた左の掛け布へ入り、布の端を胸もとまで引き上げた。横になると、黒髪が枕の上へ広がる。
ヴィルはそれ以上を聞かず、灯りへ手を伸ばした。
炎が消えると、灯芯の焦げた匂いと、窓掛けの隙間から入る夜の色だけが残った。少し離れた場所で、もう一枚の掛け布が擦れる。向こう側の呼吸を聞きながら、次の息が来るまでを数えていた。いつから数えなくなったのか、もう分からなかった。中央の白さは見えなくなっても、そこにある幅だけは分かった。




