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黒髪のグロンダイル  〜わたしたちは、ふたつでひとつのツバサなのだから〜  作者: 玉緒息吹
第二部 時間遡行編 第十八章 五年の約束と、ひとりの子ども
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耐えられてしまう

 昼の鐘が溶けてゆくころ、クレイグから評議の部屋へ来るよう伝達があった。


 机上には二つの紙束と一枚の紙が、互いに間を置いて並ぶ。ひとつ目は前日に命じた王統調査の担当者と所要日数の一覧で、昨日のうちに届けられていた。ふたつ目は今朝、侍女長が上げた起居報告。そして最後には、表題のない紙が一枚だけ置かれている。


 ヴィルはすでにわたしの右隣へ腰を下ろし、椅子の脇に立てかけた剣の柄へ手を置いたまま微動だにしない。


 侍女長は扉際に控え、気配を殺して視線を伏せている。


 クレイグは、わたしが席へ着くや、机上の書面を順に指で叩いた。


「昨日の評議を受け、王統調査の分担を整えております。現行法令の確認役、王家系譜の照合役、過去評議録の抜粋役――それぞれへ命じました。相互照合に要する日数は項目ごとに記してございます」


 最初の束には、担当者と初回報告の日取りが並び、互いに独立した記録を提出する手順まで明記されている。


「拝見いたしましょう。ただし、この報告で、すべてが決まるわけではありませんよね?」


「はい。最初にお出しするのは、確認済みと未確認を分けた一覧です。解釈の分かれる箇所は、そのままお示しいたします」


「わかりました。それで進めてください」


 クレイグが静かに頭を下げ、二つ目の紙束へ手を添えた。紙の縁が机をかすかに擦り、わたしの前で止まる。


「こちらは、侍女長から今朝上げられた御起居の報告でございます」


 紙束の端へ指をかけ、手元へ引き寄せる。


 食事量、就寝と起床のおおよその時刻、夜半の呼び出しの有無、発熱や痛みの訴えがないこと。王配が夜に寝所へ入り、朝まで留まっていること。その末尾には、同じ寝台に掛け布が二枚使われ、中央の間隔は三週間ほとんど変わっていない――とだけ記されていた。


 紙の上には、侍女たちが確かめた事実しかない。中央の空間がなぜ必要なのかも、毎晩ヴィルが低く尋ねる声も、二枚の掛け布のあいだに沈む冷えた夜気も、そこには記されていなかった。


「夫婦の営みを確かめよと命じたこともございません。寝所を預かる者が、御起居と御体調の変化を見て侍女長へ伝える。それは、わたくしが彼女らを置く以前からある務めにございます」


「命じたかどうかを聞いているんじゃあない」


 ヴィルは声を荒らげなかった。低く問い直すたび、頭を下げた侍女長の肩がこわばった。彼が怒っている姿など、目にしたこともないはずだ。


「届いたものを、何に使ったか。そいつを聞いてるんだ」


「御起居と御体調の報告として受け取りました。寝具の記載がございましたため、わたくしまで上げさせております。風聞とは分け、王統調査の正式な記録へは入れておりません」


「守るための目だったことは理解しよう。だが、それを陛下の寝所を量る目に変えたのはその紙だ。紙を分ければ、それで済むなどと思うな」


「済むとは考えておりません。ゆえに、陛下と殿下へお示しいたしました」


 クレイグはヴィルから視線を外さなかった。侍女長へ顔を向けることも、彼女の名を出すこともない。その沈黙のあいだも、報告書は二人の間に置かれたままだった。


 ヴィルの手が膝の上で握られ、今回はほどけなかった。


 二枚の掛け布のあいだに残した空間を、誰かが紙の上で「夫婦に足りないもの」へ読み替え、その先にわたしの身体を置いたこと――そこに怒りの矛先がある。あの空間は、同じ寝台へ入る夜ごとに、ここでよいかを問われ、そのたびにわたしが答えて残してきたものだ。嫌ならいつでも離れられるという約束も、あの空間とともに夜を越えてきた。子を持たないと答えた印ではない。子を持つと約した印でもない。まだ口にしていない答えを、誰かのものにされたくなかった。ヴィルは、あの空間が何を守っていたのかを知っていた。膝の上で握られた彼の手を見ながら、胸の奥に詰まっていた息を、少しずつ吐いた。侍女たちに見られていることは、知っていた。彼女たちが寝具を整えれば、わたしたちの眠り方は目に入る。それでも、眠るために残した空間が紙へ写され、王統をめぐる問いのそばへ置かれるところまでは、考えてもみなかった。見落としていたのか。それとも、毎夜を眠るために、その先だけは考えないようにしていたのか。


 伏せた侍女長の表情は見えない。


「三つ目は何ですか?」


 クレイグが、表題のない一枚を音も立てず差し出した。


 短い文が、呼吸の間隔を空けて並ぶ。


 『女王と王配は寝所を共にしているが、夫婦の実はない』

 『女王の御不調、または御不和が、その理由である可能性がある』

 『実子による王統維持を期待できないおそれがある』


 最後の一行の脇には、クレイグの字で『未確認。事実として王統調査へ入れず』と添えられていた。


「最初の文は、起居の報告にはありませんが?」


「ございません」


「誰が足したのですか?」


「一人が書き足したのではございません。建議が評議へ上がったと知った者が陛下の御体調を尋ね、王配殿下が夜ごと御寝所へお入りになると聞いた者が御不和ではないかと答え、別の者がそれを夫婦の実がないと言い換えました。そうして王統調査へ加えるべき情報として宰相府へ届いております」


 紙へ目を戻す。王配が夜ごと寝所へ入るという一行は、御不和の根拠にはならない。二枚の掛け布と中央の間隔を重ねても、そこから先は誰かが加えた意味だった。見たことと言い換えのあいだだけが、紙の上から抜けている。


「最初に言った者が、分からないのですか?」


「風聞の発端はまだ追えておりません。確認できた範囲は、今朝、この二つの経路が同じ机へ届いたところまでです」


 言い換えに関わった者たちの言葉は辿れても、そこから一人ずつ遡ろうとすると、つながりが切れる。クレイグが確かめたのは、起居の報告と風聞が今朝同じ机へ届いたことまでで、風聞の始まりではなかった。


 クレイグは、侍女長からの報告と表題のない紙のあいだに指を置いた。


「こちらは侍女長が見たこと。こちらは、宮廷の者が言っていること。そこへ王統調査の担当が実子による継承の見込みという意味を加えようとした。いま混ぜれば、元へ戻せなくなります」


「表題のない紙は、誰が読みましたか?」


「わたくしと、取りまとめを命じた官、それに補佐の一名のみです。王統調査の正式な記録へは綴じておりません」


「それは困りますね。破棄しないでください」


 クレイグの眉が、わずかに動いた。


「風聞がなかったことにはしません。ただし、どこまで確認でき、どこからが言い換えかを、このまま残してください。起居の報告とは、別にです。よろしいか?」


 表題のない紙そのものには手を加えず、確認できた経路と言い換えの境を別紙に添える。


「……承知いたしました」


「起居の報告を読む者も、必要な役目と理由を記録してください。寝具の配置を、御体調と関係なく確かめる必要があるなら、誰が何のために求めたのかを先に示してください」


 読む者の名と役目、その者が閲覧を必要とした理由を、報告とともに残す。御体調とは別に寝具の配置まで求めるなら、誰が何のために求めるのかを、報告より先に記させる。


 侍女長が深く頭を下げた。


「寝所の側仕えたちを責めることはいたしません。見たことを見なかったことにするよう命じることもいたしません」


「ありがたきお取り計らいにございます」


 声が少し掠れていた。


 ヴィルが、表題のない紙を指先で押さえた。


「王統調査で確かめるのは、これか?」


「どの箇所をお尋ねでしょう?」


「はっきり言わせてもらおう。陛下と俺が、子を作るつもりかどうか。お前は、それが知りたいんだろう?」


 侍女長の顔が上がった。


 クレイグは、すぐには答えなかった。


「それにつきましては、記録庫を調べて得られる事実ではございません」


「なら、調査の項目に入れるな」


「入れてはおりません」


「詭弁を弄するんじゃない。この紙の最後は、同じことを聞いているぞ」


「はい」


 クレイグは、紙の末尾へ目を落とした。


「建議を出した者たちが知りたいのは、法令と系譜だけではございません。陛下と殿下が、実子による継承を望まれるか。それを、〝いずれ〟問うてまいります。王統の空白を放置できない以上、問いそのものを避けることはできません」


「待て」


 ヴィルの指が、紙の上で止まった。


「陛下が即位してから、まだ日も浅い。王統の安定を考えるのも分かる。だが、俺たちが子を作るかどうかまで聞くには、いささか性急すぎやしないか」


「性急であることは承知しております」


 紙の端が、ヴィルの指の下でわずかに撓んでいた。


「ですが、この三週間で変わったものもございます」


「なにがだ。言ってみろ」


「陛下が裁可を始められ、止まっていた復興が動きました。港では荷が動き、市場では賃金が生まれ、民はようやく、この国に明日があるものとして語り始めております」


「それと、子がどう繋がる」


「陛下と殿下は、ただ女王と王配という御立場にあるだけではございません」


 クレイグの目が、わたしからヴィルへ移った。


「魔族大戦で荒廃したこの国へ、救世の英雄たる精霊の巫女と、その守護騎士が帰還された。お二人が女王と王配として並ばれたこと自体が、王家がなお続き、この国も立ち直るのだと示す印になったのでございます」


 仮設市場で聞いた、年老いた女性の声が耳の奥へ戻った。


 『お二人にも、可愛らしい御子が授かりますように』


 ――あれは、誰かに言わされた言葉じゃない。心からの願いだ。


 胸の奥を読まれたようで、顔を上げた。


「それこそが、民の望みにございます。日に日に気運は高まっております。陛下の御代に、お二人が並び続けること。その先にも、リーディス王家が永久に続かんことを」


「だからって、いますぐ子を作れと言うのか」


「いいえ」


 クレイグの返事は早かった。


「だから、問いが生まれたと申し上げております。王統の早期安定だけが理由ではございません。国の再建そのものと、お二人の御姿が、すでに民の中で結びつき始めている。そこから御子を望む声だけを切り離すことは、わたくしにもできません」


「その問いを、寝台の幅で測るなど馬鹿げている。数字で分かるものか」


「そのように扱わせないため、分けております」


「もう作られている。だから、その紙があるんだろうが。女王陛下に対して、あまりに不敬だぞ」


「問いそのものを退けるつもりはありません」


 ヴィルの指が、表題のない紙から離れた。クレイグも、こちらを見る。


「兄であるギルク殿下亡きあと、王統をどう継ぐのか。それを調べ、要らぬ諍いが起きる前に備えることは必要でしょう。けれど、問いが正しいからといって、答えまで先に決めないでください」


「承知しております」


「宰相殿に問います。いずれ、とはいつのことですか?」


「調査の最初の報告が出れば、その場で問われる可能性がございます」


 表題のない紙から、王統調査の予定表へ目を移した。そこには、担当者と日付が幾つも並んでいた。けれど、最初の報告が出るまでに、わたしとヴィルのあいだで何が決まるのかは、どこにも書かれていない。


「その問いへ、法による回答の期限はあるのですか?」


「いまのところ、確認できておりません」


「今日答えないことで、何かの権利を失いますか?」


「そのような定めも、現時点では確認されておりません」


「では、答えません」


 クレイグは一礼した。


「……そのように記録いたします」


「王統の調査は続けてください。問いがないことにはしません。ただし、答えがない、ではなく、判断に必要な資料がなく、女王と王配が、この件について二人の意思を確かめていないため、現時点では答えない、と記してください」


「承知いたしました」


 ヴィルが、わたしを見た。言葉にしなくてもわかる。彼もまた、二人の意思を、ひとつの答えとは受け取っていない。


 建議の表紙には、最初からメービスとヴォルフの名が置かれていた。けれど、そこで求められているのは、同じ形の意思ではない。女王として子を産むこと。王配として子をなすこと。そのあと、誰がその子を自分の子として抱き、育てるのか。わたしたちは、その子のいる時代に残るのか。それは書かれていなかった。


「王配殿下の御意思も、陛下の御意思と別に確認すべきものとして記します」


 クレイグが言った。


 ヴィルは視線だけを向けた。


「俺の答えを、お前が整えるな」


「いたしません」


「陛下が答えないこともだ。勝手な答えに変えるな」


「承知いたしました」


「俺も、問われても今は答えん」


「その旨も記録いたします」


 クレイグの返事を聞いても、紙から離れたヴィルの手は、机の縁を押さえたままだった。


 彼が守ろうとした二人の中には、自分もいた。


「風聞は、これで止まりますでしょうか?」


 わたしが尋ねると、クレイグは起居の報告を閉じた。


「報告の扱いは正せます。誰が何を読み、何を事実として記すかも限ることができます。しかし、宮廷にいる者が考えることまで止められるとは申しません」


「では、公の場で仲睦まじく振る舞うというのはどうでしょうか? わたくしとしては、節度に欠けると存じますが、必要であればそのようにいたしましょう」


 朝、侍女長に言われたことを、そのまま置き、隣のヴィルを見た。二人ですることを、わたし一人では決められなかった。


「少なくとも、御不和という風聞は弱まるでしょう」


「それなら――」


「ただし、同時に御子を望む声は、より強まるかと存じます」


 先を言う前に、クレイグが続けた。


 侍女長が、扉のそばで目を伏せる。


「わかりました。では公での振る舞いは現状のままということで」


 口にしたのは、それだけだった。


 クレイグは、起居の報告と風聞の紙を別々に整えた。王統調査の予定だけが、その横で日付を持っていた。


 評議の部屋を出ると、廊下の窓から差す光は、もう朝より低くなっていた。ヴィルは隣を歩いていた。いつもなら半歩ほど前へ出るところでも、その日は横へ並んだままだった。角を曲がる手前で、向こうから来た侍従たちが壁際へ寄り、頭を下げる。わたしたちが通り過ぎたあと、すぐに歩き出す靴音が聞こえた。振り返らなかった。何を見たのか。何を話すのか。確かめたところで、口から口へ移った言葉をすべて拾い直すことはできない。


「近くを歩く?」


 自分から言ってから、足が止まりそうになった。


 ヴィルは歩調を変えず、こちらを見た。


「誰に見せるというんだ」


「いま、後ろにいた人たちに」


「それで、何を分からせる」


「不仲ではないってこと」


「俺たちは不仲なのか?」


「なにを言ってるの……そんなわけ、ないでしょう」


「なら、あいつらのために歩き方を変える必要はない」


 評議の部屋であれほど怒っていたのに、ヴィルはわたしの腕を取らなかった。近づけとも、離れろとも言わない。彼が何に怒っていたのか、もう分からないふりはできなかった。先ほどと同じ位置のまま、歩き続けた。半歩前でも、腕が触れるほど近くでもない。わたしも歩いた。


 廊下の端まで来ると、窓硝子の向こうに、葉を落とした庭が見えた。薄い雲の下で、池の縁だけが白く凍っている。雪はまだない。


 執務室へ戻り、港から届いた報告を開いた。風除けに使う布は、必要な幅が揃った。柱を補う場所も決まり、翌朝から作業へ入れるとある。一昨日、仮設市場で聞いた声が、二日遅れて紙の上へ届いていた。了承の印を入れる。次の紙には、冬のあいだに荷揚げ場で使える板の在庫が足りないと書かれていた。別の倉庫から回せる量と、回した場合にそちらで不足する量を、追加で出すよう余白へ記した。ひとつずつなら、問いの形にできる。誰が調べるのか。いつまでに答えるのか。何を先に決めれば、次の仕事へ進めるのか。けれど、机の端へ置いた王統調査の予定には、担当者を置けない問いが残っていた。


――必要だと分かれば、わたしは耐えられる。耐えられてしまう。


 その答えだけなら、すぐに出せた。妊娠しているあいだに何が起こるか分からない不安も、陣痛も、出産の痛みも、自分だけが引き受けるものだと思えば、王統を守るための判断から外してしまえる。


――生きながら壊されていく、あの痛みを知っているわたしなら……。


 鎮痛剤も効かず、麻酔すら弾かれ、意識を手放すことさえできなかった。あの時間を痛みの基準にしてしまえば、そのどれも、怖くないとは言えなくても、耐えられないものには思えなかった。まして、それが王家の責務だと言われれば、望むかどうかを確かめるより、耐えるほうが簡単だった。


 柚羽美鶴としてのわたしなら、それができてしまう。深淵の巫女として生き、解呪の果てに身体を失ったわたしなら、義務のために身を差し出すことなど――。


――だめだ。馬鹿な考えは捨てろ。


 評議では、ヴィルの意思もわたしとは別に確かめるべきだと記録させたばかりだった。それなのに、ひとりで紙へ向かうと、わたしはまた、自分が耐えれば済む形へ戻ろうとしている。痛みを引き受けるのはわたしなのだからと、この身体がメービスのものであることさえ、脇へ置こうとしていた。


 けれど、子は産めば終わるのではない。


 評議の席では、書面から落ちている問いとして数えた。けれど、それは項目ではなかった。生まれた子は、わたしの痛みが終わっても、その先を生きていく。誰を親として、どの時代を生きるのか。その時間を、わたしの耐えられる量へ置き換えることはできない。生まれる命に対して責任が持てるのだろうか。


 ――わからない。


 子を産み育てるなど、自分では想像したこともない。その前に、わたしは恋をするのか。誰かを愛することを、自分の未来として望むのか。それすらもわかっていない。


――メービスとヴォルフは、王家に在って、子を持つことを望んでいたのだろうか。わたしたちが後世の記録から知っているのは、彼女の在位期間が極めて短かったことだけ。


 二人が国のためではなく、自分たちのために互いを望んだことは知っている。だからといって、その先に子を望んだとまでは言えなかった。メービス自身が、自分を次代へ国を渡すまでの暫定の女王と考えていたこと。先王がメービスへ、生き、笑い、自由でいてほしいと願っていたこと。それだけは確かだった。少なくとも、あの言葉は、子を持てとも、持つなとも告げてはいない。


 クレイグの言うことは正しい。王統の安定も民の願いも無視するわけにはいかない。だから、問いそのものは退けなかった。けれど、正しい問いだからこそ、はいそうですかと従うわけにはいかない。


――でも、このままでは逃げ道が見えない。


 今日答えないことはできた。法の期限もなく、今日答えないことで失う権利もない。それでも、調査が進めば、同じ問いはまた戻ってくる。必要だと示されたとき、わたしはきっと、もう一度、自分は耐えられると考える。


 メービスとヴォルフの尊厳を守りたいのか、それともわたし自身を守りたいのか。それすらも曖昧になる。どちらも守ってよいはずなのに、二人を理由にすれば、自分を守りたい気持ちを隠せてしまう。自分を理由にすれば、二人への責任から逃げたように思えた。


 誰に調べさせても、記録庫から答えが出てくる問いではなかった。王統調査の予定を机の端へ残したまま、答えの出る紙だけを一枚ずつ開き、日が落ちるころまで政務を続けた。


 最後の報告を閉じると、指先に紙の冷たさが移っていた。灯りは机の上だけを照らし、窓は黒い鏡のようになっている。映った若緑の髪の後ろに、ヴィルが立っていた。


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