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帰るぞ、英雄ども。  作者: 金手 新
第一章 地下都市の帰り道

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08話 鎖の巨人

 柵が倒れてくる。

 俺は灯を抱えて机の陰へ飛び込んだ。頭の上を鉄の棒が通り、後ろの柱へ突き刺さる。しゃがむのがもう少し遅かったら、あそこに刺さっていたのは俺の方だ。

 顔を上げると、残った柵を引き剥がす白い手が見えた。その向こうに、さっきまで壁だと思っていたものが立っている。

 いや、壁に腕はない。まして、六本も。


 丸い頭には顔がなく、白い胴の左右から三本ずつ腕が伸びていた。上の二本は頭上の鎖を掴み、真ん中の二本には長い刃がある。俺たちの柵を潰した掌は、いちばん下の腕についていた。

 胸の赤い丸がこちらを向いている。まだ踊り場より低いが、足元の街路から立ち上がれば、頭が天井へ届きそうだ。

 上で倒した機械と同じなら、少し大きいだけで、やることは変わらないのではないか。そんな期待を込めてセラを探した俺の前で、巨人が落ちた柵を踏んだ。鉄の枠が、紙を丸めるように潰れる。

 少し、なんて言える大きさじゃなかった。


「戸へ戻れ! ゲン、トビを連れて先に行け!」


 リオンの声に立ち上がろうとしたところへ、巨人の掌が伸びてきた。オルトが前へ出て盾で受け、浮かんだ緑の輪ごと押し返す。あの大きな手まで横へそれたので、俺は思わず息を吐いた。

 ところが、それた先にあった柱が折れた。落ちてきた石をオルトがもう一度弾き、ゲンがトビを引きずって離れる。盾は二度とも持ったが、俺たちを隠していた柱が一本なくなってしまった。


「右、刃が来る!」


 セラが叫ぶ。言われた方を見るより先に机が吹き飛び、金属の図板まで頭上を飛んでいった。

 まだ写していないのに――いや、俺まで飛ばされるところだったんだぞ。机の下へ潜ろうとしていた足を引くと、さっきまで膝のあった床を、白い刃が削っていった。

 戸までは数歩だ。入った時にあの前をちゃんと踏んでいる。そこへ戻ればいいのに、俺は残った机の脚にしがみついたまま、セラの足を探していた。


「オルト、掌を上げさせてくれ。内側へ入る!」

「一度だけだぞ!」


 返事と同時にセラが走った。折れた柱を抜けたところで、こちらから見て左の掌が下りてくる。オルトが盾を差し込んで押し上げ、セラはそれた手首へ剣を振り抜いた。白い刃が伸び、一振り目で殻が、二振り目で中の黒い金属まで割れる。

 斬れる。あんなに大きくても、彼女の剣なら通るのだ。

 閉じた五本の指が動かなくなり、オルトが盾を引く。セラがその腕の内側へ入ったところへ、もう一本の刃が背後から回った。


 弩の音が響く。

 金色の矢が胸の赤い丸を貫いた途端、刃がセラの頭上へそれ、折れた柱を削った。その音に俺が肩をすくめる間にも、彼女はもう踏み込んでいる。さっき傷めた腕の肘を斬り、掌ごと街路へ落とした。

 大きな音が下から返ってきた。巨人を吊っている鎖まで揺れている。


「胸の丸だ。もう一つ、狙える!」


 リオンはすでに弩を向け直していた。吊った左腕を使えなくても、矢を用意する兵との手順は止まらない。

 俺は机の陰から身を乗り出した。腕が一本なくなった。オルトは攻撃を受けられるし、リオンの矢も通る。三人が揃っているのだから、案外、本当に倒せるんじゃないか。

 さっきまで来たことを後悔していたくせに、そう思ったら逃げるのが惜しくなった。こんな戦い、もう一度見られるとは限らない。

 巨人の残った掌が、床の縁を掴んだ。


 足元に割れ目が走る。


 つま先のすぐ先の石が落ちた。俺は灯を握り、入ってきた鉄扉の前を思い浮かべる。

 次の瞬間には、戸の前に立っていた。机の陰が崩れ、さっきまで俺を支えていた石が暗い穴へ吸い込まれていく。あれと一緒に落ちてからでは、間に合ったかどうか分からない。

 灯を上げると、六人はまだ向こうにいた。あの机へ戻るには、割れた床を渡るしかない。俺だけ助かったところで、どうしたら――


「ロイ、戸を開けろ! 外へ出る分だけだ!」


 そうだ。こっちから開ければいい。

 俺は灯を壁際へ置き、扉に引っかかった薄い板を蹴りのけた。両手で取っ手を引くと、重い戸が少しずつこちらへ動く。狭い通路が見えた頃には、ゲンとトビも残った床の端を伝って来ていた。


「開きました! ゲンさん、こっちへ!」


 二人の背後へ刃が突き刺さり、続く一撃が石と鉄をまとめて削った。戸の陰へ身を寄せても、飛んできた欠片までは避けられない。左の袖が裂け、肘の下へ焼けるような痛みが走った。

 腕を引いた時には、もう手首まで血が流れていた。顔へ当たっていたらどうなったのか、考えかけて気分が悪くなる。俺は左腕を胸へ寄せ、右手で袖を押さえたが、すぐ指の間まで濡れてしまった。


 セラはまだ柱のそばで戦っていた。残った柱を蹴って下からの刃をかわし、着地しながら次の一撃を剣で横へ流す。刃の縁が腿をかすめたものの、先端は耳が痛くなるほどの音を立てて壁に刺さり、彼女はその隙に下がってきた。

 右腿に血がにじんでいる。足を引く時に少しよろけたので、俺は声を上げた。


「セラさん、その脚――」

「見えている。歩けるうちに退く」


 彼女が剣を構え直すのを見て、俺も巨人へ目を戻した。割れた赤い丸の下に、まだ光っているものがある。顔の代わりにあれで見ているなら、もう一つ壊せば止まるかもしれない。

 リオンもそちらを狙っていたが、弩を支える石の台が傾き始めた。


「支えを外せ。ここで撃つのは終わりだ」


 兵が金具を抜き始めたところへ、巨人の刃が回ってくる。俺が声を掛ける前にオルトがかばったが、受けた盾ごと後ろへ押し込まれ、その背後にいたリオンまで壁にぶつかった。

 右肩から当たって吊った左腕をかばったのに、リオンの顔からはっきり血の気が引く。手を止めた兵が彼を見た。


「俺を見るな! 先に外せ!」


 兵は慌てて金具を袋へ入れ、弩を抱え直した。リオンが差し出した右手を取ろうとすると、今度は弩の下を指される。二人で運ぶつもりらしい。

 その前でオルトが盾を構え直し、動かなくなった。

 巨人の掌が、盾を上から押さえつけていた。白い指が縁に掛かり、緑の輪は浮かんでもすぐ消える。盾を傾けようとしても、下端が床の金具に引っかかっていた。さっきみたいに弾き返してくれと思っている間に、彼の左肩が盾と一緒に沈む。


「ゲン! 後ろの金具を抜いてくれ!」


 あのオルトの声がかすれていた。ぶつかった瞬間に返すのと、ずっと押されるのでは違うのか。盾が壊れなくても、このままでは下の人間が潰されてしまう。

 ゲンがトビを戸の方へ押しやり、短い鉄棒を持って戻った。盾の下へ差し込んで押すが、金具は外れない。俺も手を出しかけ、左腕の痛みに息を詰まらせた。右手一本で加わったところで、あれだけの力に足りるかどうか。

 もっと長いものがあれば、二人で引ける。トビが抱えている索が目に入った。


「トビ、あの棒に縄を掛けてください! 二人で引きます!」


 トビが索をほどいて棒へ輪を掛け、灯を床に置いた。俺も右手を添えて、一緒に後ろへ下がる。

 棒が動き、引っかかっていた金具が外れた。オルトが盾を横へ倒した途端、白い掌が空いた床を叩く。石がそこまで沈むのを見て、俺は索を握ったままさらに下がった。

 セラがオルトの背の帯を掴み、ゲンも棒から輪を外して跳び退く。俺とトビは壁際へ逃げ込み、誰も掌の下に残っていないのを見て、ようやく足を止めた。


「もう一度、あの受け方をしたら、肩が持たん」


 オルトは左腕を上げようとして顔をしかめ、胸へ戻した。鎧が押し込まれ、盾の縁に裂かれた左肩から血が出ている。右手で盾を引き寄せるのにも、やけに時間がかかった。

 俺は巨人を見上げた。斬られた腕から黒い棒が曲がって出ているのに、残りの五本を動かし、鎖を引いてさらに近づいてくる。

 セラの剣もリオンの矢も、ちゃんと効いた。効いたあとで、これなのか。


「腕は斬れる。次も、継ぎ目へ入れる」


 セラが息を整え、剣を握り直す。それならもう一本、と言いかけた俺の靴の前へ、彼女の血が流れてきた。

 残った掌を斬れば、もう押さえつけられない。リオンが胸の光を壊せば、刃も止まるかもしれない。三人が倒すまで、俺たちはここで待っていればいい。

 ずいぶん簡単な話だ。俺だけが待っているなら。


「だが、倒すまで戦えば、誰も帰れない。リオン、弩を持って先へ。ゲン、オルトに肩を貸してくれ。私が最後に入る」


 セラは巨人から目を離さず、戸へ下がった。退くと言っても、剣を下げるわけではないらしい。

 トビが索をまとめ、床の灯を拾う。俺の灯も戸の脇にある。あれを持って奥を照らせば、せめて誰かが足を引っかけずに済む。

 俺はまだ走れるし、帰り足も使える。けれどオルトは盾を引きずり、歩くたびに膝を止めていた。俺が先に消えても、あの歩幅は速くならない。

 戸の向こうは、二人で並ぶのも難しい通路だ。

 七人が入りきる前に、巨人の次の腕が、鎖を鳴らして上がった。


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