07話 赤い灯が近づく
「皆、壁から離れるな。まだ何も見えていない」
セラは下り階段を見たまま剣を抜いた。俺も管から顔を離しかけたが、エルナの返事が途中だったので、もう一度口を寄せる。
「エルナさん、聞こえますか。こちらにも赤い灯がつきました。そちらは何か見えています?」
「正面は暗いままです。右の灯が順についたように見えました。音が止まったので、部屋の端から確かめます」
「窓から手は出さないでください。今見えたことだけ、あとで教えてもらえますか」
「はい。こちらからも呼びます。……管から離れる時は、先に言ってくださいね」
「分かりました。黙ってはいなくなりません」
返事をする相手がいる方が安心するのは、向こうだけではなかった。
下の灯は三つ目まで赤くなって止まり、音も消えた。巻き取り車が揺れなくなっても、さっきまで下にあった何かが、いなくなったようには思えない。リオンも兵へ弩を持たせたまま、階段の入口を見ている。
「あの音、俺たちが乗ったせいですか」
「板を置く前から下で鳴ってる。重さだけじゃ説明できんな」
ゲンは台の端へ伏せ、下へ灯を向けた。車から出た索は途中で切れ、風のない穴に垂れている。音を立てて引かれたのは、あれではなかった。
彼は壁の管を二つ照らし、その脇の細い金属を指で弾いた。角を曲がって下へ続き、赤い灯もそこについている。
「灯はこっちでつながってる。水の管とは別だな」
「この線を抜いたら、灯を消せませんか。でも、下の部屋の空気まで止まったら困りますよね」
「どこにつながってるか、まだ分からん。図と実物を比べるまでは切るな。消えれば安心、という灯でもなさそうだ」
赤い線を目で追うと、角の向こうで見えなくなった。灯を消したいくらいで、見えない先の仕組みまで止めたくはない。
ただ、ここで比べている間にも、エルナの部屋は見えてこない。次の足場まで進めるなら、そこから窓を探したかった。俺はゲンが広げた図へ灯を寄せる。
「ゲンさん、この下にも広い床はありますか。まずそこまで見たいです。ここの線は、横へ出る道でしょうか」
指した先には小さな四角があり、そこから左へ曲がる矢印が描かれていた。ゲンは灯を近づけ、台から続く次の階段と比べる。
「階段の下に扉がある。向こうが崖なら、そこで止まるぞ」
「扉までは俺が歩きます。戻る場所を、ここの板の前に決めておきますから」
「戸の向こうは私が見る。一人で奥へ入るな」
「分かりました。開いたら、後ろから照らします」
セラへ答えると、リオンは通話管へ屈んで上の通話所を呼んだ。兵の返事が来て、下り階段が残ること、寝床の並ぶ部屋を見つけたこと、下で何かが動いているらしいことを伝える。
「ミラへ持ち帰れ。荷を下ろす班は、この先へ入れない。連絡が来るまで上の足場を空け、担架を二組運んでおいてくれ」
一組ではないのかと訊きそうになり、やめた。エルナの分と、俺たちの誰かが使う分なのだろう。まだ運ばれるほどの怪我をしていないうちに、頼んでおく物だったらしい。
トビは短い木の支柱を二本まとめて背負い、索の束を掛け直した。ゲンは図を布で包み、袋へ戻している。俺も管へ顔を寄せ、下の扉を見に行くと伝えた。エルナの返事を待ってから離れ、灯を左の手首にも掛ける。
右手を壁へ添えて階段を下りた。今度の段はまだ通っていない。足を奥まで置ける所を選び、後ろのゲンも同じ石を叩いて確かめる。
後ろの足音を聞きながら下りた。五つ目の曲がり角まで来ると、保守台の灯が岩に隠れる。返事が聞こえた所が見えなくなり、俺は台へ戻る場所を思い浮かべながら、次の段へ足を出した。
その先は岩を掘った通路だった。入口には錆びた蝶番だけが残り、人が横を向かずに歩ける幅がある。細い金属と赤い灯も、中へ続いていた。
「この床なら板を載せて運べる。上の曲がり角は、広げる手間が要るな」
「二人で担いだら、そこで回れなくなりそうですね」
「ああ。戻る前に、板を通す向きも見ておく」
ゲンの言う角を振り返った。下りる時には一人ずつで済んだが、エルナを寝かせた板の前後へ人が付けば、同じ速さでは進めない。
通路は十数歩で一度曲がり、そこに鉄の戸があった。内側の棒を持ち上げると、セラが開ける。湿った石の匂いに、埃を払う時の乾いた臭いが混じってきた。
戸の向こうは、横へ長い踊り場だった。背中側は岩壁、正面は背の高い鉄柵で、その間に柱が何本も並ぶ。オルトが盾を横へ向けても、人が脇を通れるくらいの幅があった。
俺は敷居を越えた所で足を止め、戻る床を確かめてから、戸に近い柱の後ろへ入った。トビの灯が足元を照らす。
柵の向こうのずっと下には、幅の広い石の道が見えた。両脇へ四角い戸口が並び、奥は天井から下りた大きな板に隠れている。道は左へ続き、その暗がりで幾つもの光が別々の高さに点いていた。
背の違う灯は階段なのか、家の窓なのか。もう少し近づけば分かりそうで、俺は柵へ進みかけた。
「待て。柱の根元から、割れ目が走っている」
セラに袖を引かれ、灯を下げた。埃を払うと、柱から柵へ続く筋が、俺の靴の先まで来ていた。あと二歩で踏むところだ。近づけても割れ目の底は見えない。
戻ればいいと思っていたが、落ちる途中に頭を打てば、考える暇もないだろう。俺はセラと同じ柱の内側へ寄った。
壁側には腰の高さの机があった。床へ埋めた石の台に、薄い金属の図板が斜めに載っている。四角い区画を結ぶ線が刻まれ、そのうち一本だけが黄色く光っていた。
俺はトビへ自分の灯を渡し、ゲンに図を並べてもらう。上の部屋を描いた四角から、真っすぐ下へ一本。その先では線が横へ曲がり、紙にはない遠い端まで続いている。
「エルナさんの部屋、下りたあとに横へ動いたんですか」
「この黄色い所が今の位置ならな。古い印が残っただけかもしれん。本人の見たものと比べよう」
机の横にも管の口があった。ゲンが覆いを外すと、前より大きく水音が聞こえる。俺はエルナを呼び、返事をもらってから板の線を説明した。
「そちらの壁にも同じような図がありませんか。こっちは黄色い線の先で、四角が二つ重なっています」
「あります。下りたあとに黄色くなった所も、そこです。こちらの壁では、左の端にあります」
「こちらも左です。横に短い線が三本で、上の線の先に丸い印が」
「同じです。では、私はその四角の中なんですね。そこから戻る線はありますか」
図の端を押さえたゲンと目を合わせ、俺は上へ続く線を追った。途中は黒く、光の消えた所に太い横棒が二本浮いている。
上へ戻る道はあります、と言ってしまいたかった。けれど、さっきは索を下ろしても窓へ届かなかった。同じ図を見つけたことと、その線を歩けることは別だ。
「上へ続く線はあります。途中で黒くなっている所があるので、実際に通れるか見ます。確かめた所から、また伝えます」
「はい。私も窓の下を描いておきます。見える範囲は狭いんですが、床に白い……」
続きを聞こうとしたら、鉄の擦れる音が管へ入ってきた。俺はトビから灯を返してもらい、空いた右手を口へ添えて呼びかける。向こうの声が戻るより先に、今度はこちら側で同じ音が鳴った。
正面の柵の向こうで、鎖が張った。街路を横切る太い鎖が持ち上がり、積もった埃を落とす。頭上から暗がりへ延びた鎖も引かれ、壁の振動で石の机が揺れた。
「戸の側へ寄れ。ゲン、紙を持って戻れるようにしてくれ」
ゲンが机の紙を布へ包み、リオンは兵へ弩を据える場所を指した。兵が石の台の空いた端に支えを置き、金具で留める。リオンは左腕を吊ったまま、右手を弩の後ろへ掛けた。
柵の外に、人の形をした機械が二体見えた。上でセラが倒したものと似た長い腕がある。あれが来るなら三人が前へ出るだろうと、俺は戸までの床を見直した。
しかし二体は近づかなかった。別々の方へ歩き、こちらを見たまま、柵の前を空ける。
道を譲ったのだ。
黄色い図の横で、赤い灯が点いた。柵に近い壁で一つ、机の上で一つ。最後には、入ってきた戸の脇でも光った。
逃げる場所まで見られている気がした。
「何が来るんですか」
自分の声が思ったより小さい。誰もすぐには答えず、セラが剣を構え、オルトは戸へ続く床の中央へ盾を立てた。リオンの狙いが少し上へ動く。
街路の灯が、白い物を照らした。動く壁だと思ったものの先で指が曲がり、柵の向こうから、大きな掌が鉄の棒を握る。
俺の背より長い指の間で、鉄が潰れた。




