06話 人を待っていた部屋
「下へ持ち込んだ物を、上へ出したくなかったのかもしれないな」
リオンは、頭より高い所にある砲の口を見ていた。岩へ埋まった胴から、太い筒だけが縦穴へ出ている。その先の暗がりには、壁を擦った鎖の跡が何本も続いていた。
大きな石を下ろすためなら分かるが、ただの荷物運びに、俺の身体より幅の広い跡が要るだろうか。セラが筒の前を避けて岩壁側へ寄り、俺も灯をそちらへ移す。
何百年も眠っていた砲が今さら動くとは思いたくない。鉄の犬についても、口が開くまでは似たようなことを考えていた。
ゲンは階段の縁を靴で叩き、岩へ腹を寄せて継ぎ目へ金具を差した。何度か押し直してから、下の台を指す。
「壁に沿って、一人ずつ下りる。下へ着いたら、後ろが来る場所を空けてくれ」
「俺が先に見ます。途中で戻れるかも確かめたいです」
「自分は戻れても、あとから行く連中は歩きだぞ。段が欠けていたら止まれ」
「はい。踏む所まで灯で見せます」
左手に灯を持ち、右手を壁へ添えて下りた。外側の手すりは途中でなくなっているが、壁沿いなら両足を置ける。底は見えなくても、次の何段かは照らせた。
十段ほど進み、一度、上の曲がり角へ帰り足で戻る。俺が息を吐いたすぐ横に、オルトの顔があった。
「いきなり戻ると、追い越された方がびっくりするな」
「すみません。今の所までは戻れます。もう少し下を見てきますね」
「おう。びっくりして転んだら、お前に運んでもらうからな」
あのオルトを驚かせられたのは、少し嬉しかった。もう一度やってみたくなるが、十段目へ戻るには、今度も下り直すしかない。さっき避けた濡れた石を見つけ、同じ方へ足を置いて進んだ。
灯の先に四角い床が現れた頃には、背中に汗をかいていた。壁から張り出した台は、荷車を二台並べられるほど広い。頭上に横向きの鉄棒が二本渡り、端には大きな巻き取り車が置いてある。
昔はここでも、縦穴を上げ下げする荷を止めたのだろうか。車の下には埃が積もり、最近の靴跡はなかった。
階段の近くを歩いて床が沈まないのを確かめ、上へ灯を振った。ゲンが下り、トビが索の束を渡してくる。オルトまで着いて七人が揃うと、広いと思った台が急に小さくなる。
弩を背負った兵は壁際へ膝をつき、リオンが吊った左腕を押さえた。ゲンは床へ二本の板を並べ、重い道具を載せるように言った。皆が荷を下ろす間にも、端の車へ近づく人はいなかった。
「壁の戸は、何だと思います?」
「その車を調べるための物かもしれん。開けてみよう。ロイ、そっちの管は上で使ったものと同じじゃねえか?」
戸は人の肩ほどの幅で、取っ手が車とは反対側についていた。その横で古い金属の管がふくらみ、丸い口をこちらへ向けている。
トビが索を置いて覆いを外すと、水の落ちる音がした。俺はそこへ顔を寄せる。
「エルナさん。聞こえますか。ロイです」
上では返事が来たのだから、ここでも聞こえるはずだ。そう思うのに、管の音が続くばかりだと、口を離せなかった。
「……聞こえます。さっきより大きいですね。どこまで来たんですか」
「階段の途中の広い足場です。壁に小さい戸と、荷を上げる大きな車があります。教わって描いた図も持ってきました」
「よかった。その車の近くに、管を途中で開く所があるようでした。私の部屋からも、管が壁を上がっています」
「水と風は、そのままですか。さっきはパンを食べたと言っていましたけど」
「水は飲めました。飲む分は別の箱にあります。音は床の下の水みたいで、同じ間隔で落ちています。風も来ています」
「足はどうでしょう」
「動かさなければ痛みません。窓へ立つ時は机に手をついています。それより、そちらには、どなたが来たんですか」
俺は三人とゲン、トビの名前を伝え、弩を手伝う兵も一人いると続けた。ゲンは図を開き、描かれた丸と、目の前の車を見比べている。上で聞いた線へここの戸と階段も足せば、あとで説明する時に迷わずに済みそうだった。
管から短く息を吸う音がして、エルナがもう一度、セラの名を呼ぶ。
「セラさんも、ここまで?」
セラが横へ膝をついたので、俺は管の口を空けた。
「私もいる。教わった位置を図にして、下りている」
「……戸の前では、あなたの剣が見えていたんです。通っていいと言われた時も。だから、あそこへ戻れば、また会えると思っていて」
「すまない。今朝のことは、まだ思い出せない。だが、上の管で聞いた話は覚えている。君が足を傷めたことも、部屋の窓が反対側にあることも」
「今話したことは、忘れていないんですね」
「ああ。帰ったら、戸の前で何をしたかも聞かせてほしい。今日はそのための道を探す」
「……はい。私から話します」
セラは最後まで管を離れなかった。言葉を足さなくても、向こうの返事が切れずに届いたので、俺まで息を吐く。
ゲンが小さい戸へ手を掛け、奥を照らした。棚を覗くくらいのつもりで近づいた俺の前に、長い廊下が現れる。下り階段とは別に、岩の奥へ続く横道だ。台の周りの冷たい岩は、そこでは四角い石へ変わっていた。
両側に戸が並び、最初の一つだけが半分開いている。トビの灯が中へ入ると、壁に重ねて取り付けた寝床が四つ見えた。枕を置く所の木が白くなり、手前には丸い器を伏せて並べる台がある。
その隣の壁には、背の違う三本の線が刻まれていた。低いものは、俺の腰にも届かない。
「ここで誰かが暮らしていたんですか」
「台の詰め所にしちゃ、寝床が多いな。隣も同じか見てみよう」
オルトは盾を戸の外へ立て、ゲンと入っていった。俺も敷居の床を確かめ、寝床の前へ回る。
隣にも四つあった。さらに奥には水を溜める大きな槽と、腰を掛ける板が並ぶ。寝る人がいて、水を飲む人もいた。壁の低い線は、背を測った跡なのだろうか。ここで大きくなった誰かが、次にはもう少し上へ付けてもらったのかもしれない。
俺が灯を下げると、寝床の下に小さな木の靴が見えた。先が丸く、かかとに細い革が残っている。片方だけで、中には埃が詰まっていた。
「この靴、子どものですよね」
「ずいぶん小さいな」
オルトが見下ろした横で、俺はもう片方を探した。こんな靴で、あの階段を下りてきたのだろうか。奥へ灯を寄せても何もなく、伸ばしかけた手を止める。持ち主がどこへ行ったのかも、俺には分からない。
靴を動かす前に、この位置を描いておきたかった。
「部屋の数も、図へ足していいですか。あとで戻った時に、どの戸だったか分かるように」
「まず入口と、この割れ目だ。そのあとで寝床を入れてくれ。戸を開けた先で転んだら、靴を見るどころじゃねえぞ」
「はい。靴はそのままにしておきます」
ゲンに図の余白をもらい、トビへ灯を預けた。彼が紙を板に挟んでくれたので、俺は左手で支え、右手の鉛筆で入口と床の割れ目を描く。
その先へ寝床を四つ加えると、さっきまで知らなかった部屋を、帰りにも見つけられる形にできた。奥の廊下はまだ続いている。戸には内側にも取っ手があり、普通に開くようだった。
人が出ていける部屋なのに、靴は残っている。どこまで下りられるのかより、この人たちはどうしていなくなったのか、続きを見たくなっていた。
台の方からエルナの声がした。俺は紙をトビへ渡し、灯を返してもらう。彼は図を元のものへ重ね、ゲンへ返した。
足場へ戻ると、リオンが通話管の上を見ていた。埃で気づかなかったが、そこに親指ほどの黄色い灯がある。
「いま、外の水の音が大きくなりました。窓の下でも、灯が一つ赤くなっています」
「中へ水が入ってきていますか」
「まだ来ていません。でも、遠くで鳴っていた重い音が、少し近づいた気がします」
俺は顔を管へ向けたまま、リオンを見た。彼にも聞こえていたらしく、兵に弩を下ろさせる。
壁の黄色い灯が消えた。何かに触ったのかと手を引く間に、同じ場所が赤くなる。トビが灯を近づけても、その色は薄くならなかった。
「エルナさん、こちらも赤くなりました。そっちの灯は、いまも点いていますか」
「はい。ひとつ消えて、次が――」
声が金属の音に消された。
縦穴の下で何かが張っている。たるんだ索を引く時に似ていたが、音はずっと太く、端の巻き取り車まで震えた。セラが戸口へ立ち、下り階段の暗がりを見る。
そこに並ぶ灯が、下から順に赤くなった。
俺たちの台へ向かって、一つずつ。




