↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帰るぞ、英雄ども。  作者: 金手 新
第一章 地下都市の帰り道

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/20

18話 忘れた人からの手紙

 目が覚めた時、俺は食事の台の下へ足を入れて寝ていた。

 起き上がろうとして、左腕の痛みより先に、台の裏へ額をぶつける。机の上には地図を広げたい方だが、下で寝ることまで好きになった覚えはない。

 隣の搬送兵が、起きなくていいと手を振った。


「まだ、交代まで少しあります。水なら、こっちです」

「……どれくらい寝ました」

「途中で起こした分を除けば、六時間ほど。さっき手当の者が、もう一度布を替えていましたよ」


 腕を見ると、新しい布が巻かれている。上着を脱いだ記憶は、途中から怪しかった。

 昨夜、配給室へ戻ってから、リオンは十五人を二つに分けた。起きて見張りと付き添いをする班と、眠る班だ。全員が一緒に横になることだけは避け、夜半を越えて交代した。今は、俺が起きている方へ入る番らしい。

 水袋を受け取って飲むと、一口目だけでは喉が足りなかった。残りを確かめ、もう一口に留める。水場へ行けなくなったことは、寝ても変わっていない。


 台の向こうでは、セラが腿の布を巻き直してもらっていた。

 俺の視線に気づくと、彼女は白い布の下へ指を入れる手を止めさせず、空いた方を見せる。


「腕の痛みはどうだ」

「昨日より、少し。大きな仕事はしたくないくらいです」

「私もだ。剣を持つ仕事なら、もう少し待ってもらう」

「じゃあ、地図を見てください。持つのは俺がやります」

「それは休みの仕事なのか?」


 言われてみれば、俺の方は喜んでいた。

 今まで買ったどの古図より、広げる場所に困る紙が増えた。ここから帰りたい気持ちと、線を一つも失くしたくない気持ちは、どうも、同じ胸の中へ入っているらしい。

 セラは俺が紙を出す前に、右手へ椀を渡した。乾いた食べ物を湯で戻しただけの物だったが、温かい汁があると、頬まで動かせる気がした。


   *


 エルナは、隣の小部屋にいた。

 昔ここで寝ていた家族の物には触れず、入口寄りへ持参の毛布を敷いている。固定した右足を伸ばし、膝の上へ袋を置いていた。俺が入ると、その袋を横へ寄せる。


「手紙を、もらってもいいですか」

「はい。持ってきました」


 上着の内側から油紙を出す。

 渡してしまえば、俺が持つ用事は終わる。それだけなのに、封筒の角を彼女の手へ置くまで、妙に気を使った。こんな時に限って、折り目をつけて怒られるような紙ではないと分かっている。

 エルナは宛名をなぞり、裏を返した。

 紐で縫った上着の袖へ封を引っかけそうになり、指の位置を変える。いつも図を扱っている人なのに、開くまでに少し時間が掛かった。


「父の字です。急ぐと、ここがつながるんですけど。ちゃんと、いつも通りで」


 俺は隣へ腰を下ろした。

 彼女は紙を開き、最初は黙って読んだ。先へ進んだ目が戻り、口が少し動く。もう一度、同じ所を読んでから、俺の方を見た。


「声に出してもいいですか。一人で読んでいると、大事な所を読み飛ばしそうなので」

「聞いています。ゆっくりで、大丈夫です」


 彼女が紙を持ち直した。


「『エルナ・クローネ様。役所の方から、あなたが地下に残されていると聞きました。私の娘だということも、家に残る書類で確かめました』」


 そこで、指が止まった。

 宛名を読んだ時の声とは違っていた。俺は返事をせず、彼女が次の行へ指を動かすのを待つ。


「『家には、あなたの部屋があります。測る道具も、書きかけの図もあります。棚の高さを直した私の書きつけも出てきました。けれど、それを頼まれた時の顔が思い浮かびません。あなたの声を、今は思い出せずにいます』」


 小部屋の外で、誰かが椀を重ねた。

 エルナはその音の方を向いたが、そちらへ行こうとはしなかった。紙を両手で押さえ、膝の上へ一度置く。


「父、普段は、こんな書き方をしない人なんです。仕事で出す手紙も、最初に用事を全部書いて。あとは帰りに油を買ってこいとか、そういう」

「その続きには、何て」

「……帰ってきてください、と」


 彼女は紙を持ち上げた。


「『それでも、帰れるなら、家へ帰ってきてください。あなたの部屋はそのままにしてあります。食べられない物や、手伝ってほしいことがあれば教えてください。帰ってきたら、あなたから話を聞かせてもらえればと思います。アラン・クローネ』」


 読み終えてから、彼女は紙の裏を見た。

 裏には、何もなかった。

 俺も、軍の報告を読んだ時には、お父さんなら、と思った。あの期待を、今ここで返すことはできない。手紙のどこかに思い出した一言があってほしいと、俺まで探しかけているのだから、何を言っても、少しずれそうだった。


「私の部屋、残っているそうです」

「はい」

「父も、そこにいるんですね」

「手紙を書いて、待っていると思います」

「帰って、知らない人を見る顔をされたら……私、何から話せばいいんでしょう」


 彼女の指が、紙の角を強く押した。

 初めまして、と言うのだろうか。俺には、そんな言葉を教えられなかった。俺の方には、もう二度と言えない帰宅の挨拶がある。それと、帰る家のある彼女の怖さを、一緒にするのも違う。

 俺は膝の脇に置かれた袋を見た。


「その図の続きを、見せたらどうですか」

「地下の、ですか」

「棚を高くした人なら、机から図がはみ出す話はできると思います。俺の部屋なら、もう床にしか広げられません」


 彼女は俺の顔を見て、紙へ目を落とした。

 すぐに笑うような話ではなかったらしい。俺も、もう少し別の言い方ができなかったかと考えた。だが、彼女は袋を引き寄せ、口の紐をほどいた。


「帰る前に、描いておきたい所があります」

「どこですか」

「私を載せた車が、どこを通れたか。水場までの線は、もう使えませんから」


 上着の青い鉛筆を取り、紙を広げる。

 俺は座る位置をずらした。足を伸ばしたままなら、図を置く側にも広さが要る。彼女はそれを確かめ、最初に自分のいる部屋へ丸を描いた。

 封筒は、渡した油紙へ自分で包み直した。俺の上着の内側からなくなった物が、彼女の袋の、いちばん奥へ入る。


   *


 配給室には、台の下へ納まる低い車が二つあった。

 一つは車輪が外れ、もう一つも、最初はまともに動かなかった。ゲンと工兵が軸の泥を落とし、使える車輪を移すと、四つが揃って回るようになる。

 そこへ回収した足場板と持参の金具を載せ、オルトが腰を下ろした。

 軸が鳴り、俺たちは揃って車輪を見た。


「もっと軽い人から、試してもよかったのでは」

「途中で俺まで乗せる羽目になったら、困るだろう」

「そうならないようにしてほしいんですが」

「俺も、そのつもりだ。船の代金を、車の修理へ回したくはない」


 左右へ少しずつ傾けても、板はずれなかった。

 手当の兵が、負傷した工兵には今の担架を使い続け、エルナをこちらへ載せると決める。古い物をそのまま信用せず、角を曲がる時も、人の手を車の両側へ置くことになった。

 俺は図へ車の幅を書いた。柱の車より短い。それだけで、候補にできる道が増えるのは、少し嬉しかった。


 午後、トビと交代工兵、護衛が、奥の排水路を見に行った。

 ゲンが持っていた二枚の図板には、水を街の外へ出す口が描かれている。水場へ戻る道とは違う。今も流れている細い水を追えば、外の斜面へ届くかもしれない。

 その間に、俺とリオンは、弩の兵を連れて交換庫の見える窓まで戻った。道はまだつながっている。巨人が配給室へ来ていないことだけは、帰る前に確かめておきたかった。


 白い胴は、また鉄の枠へ背をつけていた。

 昨日、セラが落とした刃の腕の残りを、鉤が持ち上げている。俺は窓から一歩離れ、覗ける高さへ灯を置かないようにした。

 空だった台の隣から、最後の腕が上がった。

 長い刃のついた腕だった。胴の左へ差し込まれ、根元の輪が回ると、切られた所が見えなくなる。胸の黒い穴は、そのまま、こちらへ向いていた。


「これで、台は二つとも空ですね」

「ああ。新しい腕は、もう置いてない」

「まだ、どこかにあったら」

「見ていない所は分からない。だが、ここで使った二本は数えられる。見えた分を、上へ返そう」


 リオンは弩を構えさせなかった。

 あれを壊せば、もう一本もらうことになるのだろうか。そんな勘定を、巨人の方はしていない。俺たちは壊れた物を結び直し、同じ布を乾かして使っているのに、向こうは黙って腕を取り替える。

 それでも、空になった台は戻らなかった。

 俺は図の六を、今度は、空の台二つと一緒に書いた。


 配給室へ戻った頃、トビたちも帰ってきた。

 ズボンの膝が濡れていたが、顔には、出ていった時にはなかった明るさがある。


「外の光が、見えました。最後の柵は外から留めてあります。でも、笛を吹いたら返事が来たんです。軍の、同じ合図で」


 彼は図の先へ、短い線を足した。

 水が出ていく低い穴の脇に、人の立てる足場がある。上で曲がった先から外へ開いているが、柵の留め具は内側から届かない。向こうの兵もこちらの声を聞き、外から作業を始めると言ったらしい。

 エルナが車の上から身を起こした。


「曲がる所は、どれくらいですか。床から天井と、足を回せる幅を知りたいです」

「戻る時に測った分なら、ここに。最後は立ったままでは上がれなくて、一度、膝を抱えるようにします」


 彼女は図へ寸法を書き、固定した右足を見た。

 すぐに帰れるとは、誰も言わなかった。

 それでも、外から返事が来た。

 俺は戸の隣へ新しい図を貼った。道の先を空白のままにして、明日、現物を確かめる場所へ丸をつける。

 紙の外で、ようやく、俺たちを待つ人が動いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。