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帰るぞ、英雄ども。  作者: 金手 新
第一章 地下都市の帰り道

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13話 窓の向こうにいる

「街まで、というのは……外へ出る通路ではなくて、窓から見える所ですか」

「そこを探しているところです。俺たちは大きな水路の西側にいます。今、窓の灯を隠せますか。こちらから見えるか確かめたいんです」

「全部は届きません。左半分なら、図を立てて隠せます」

「それでお願いします。一度隠して、俺が言ったら戻してください」


 ゲンが紙を広げ、俺の隣で窓の向きを指した。図で分かった部屋の位置は、下りてきた場所より、さらに横へずれている。水のある建物を目印にすれば、この通りの先へ回れるはずだ。

 俺たちは水場に交代の工兵二人と護衛を一人残した。上との連絡と管の声を、そこでつないでもらう。俺とセラ、ゲン、トビ、もう一人の護衛の五人で、低い屋根の下を進んだ。

 通りの終わりは、水路へ流れ込む細い溝になっていた。幅は十歩ほどで、下に黒い水が見える。向かいの壁には大きな鉄の箱が半分埋まり、四隅の車輪が太い鉄の筋へ引っかかっていた。

 あれが、部屋なのか。

 俺が想像していた家の一室より、ずっと分厚い。箱の下は地面から浮いていて、その右隅だけが石の台へ近づいている。傾いた床を下から支えている物は、こちらからは見えなかった。

 箱の上の方に、棒の入った細長い窓がある。淡い光の半分が、四角い物で隠されていた。


「あれだと思います。トビさん、灯を二度、隠してくれますか」


 トビが俺たちの携帯灯を上げ、上着で覆った。光が戻ったあと、水場の方から短い声が届く。しばらくして、向かいの窓の影も外れた。

 声が来るのを待って、もう一度。窓の左が暗くなり、また明るくなる。

 間違いないと思った時、棒の向こうで小さな手が動いた。


「エルナさん!」


 思わず声を出していた。セラが周りを見回したので、俺もすぐに口を押さえる。あんな巨人がいる場所で、大声を出している場合じゃなかった。だが、窓の手が止まったのを見ると、今さら黙る方が難しい。

 黒い髪が窓の下からのぞいた。片方の肩を壁へ寄せ、身体を少しだけ持ち上げた人が、こちらを見ている。

 上着に短い青の鉛筆が挟まっていた。顔より先にそれが分かって、俺は荷車の、まだ誰も座っていない場所を思い出した。


「そこを動かないでください。見えています。俺たちが見えますか」


 エルナが頷いた。口が動いたが、水の音に消され、言葉までは届かない。

 俺は右手を高く上げた。彼女も片手を上げかけ、壁へ掴まり直す。窓の縁へ顔を寄せるだけでも、傷めた足に無理があるのだろう。


「座っていてください! 声は、また管で話しますから」


 手が窓の下へ戻り、黒い髪も隠れた。そこまで見届けて、俺はやっと、自分の足が止まっていたことに気づいた。ゲンが袖を引いていなければ、溝の縁まで出ていたかもしれない。


「顔、見えたか」

「はい。食堂で会った人です」

「なら、場所は決まったな。上へ知らせる」


 ゲンは護衛を水場へ戻した。残る四人で溝沿いを回り、部屋の裏側へ通じる橋を探す。道は遠回りだったが、箱を囲む建物の壁に沿って行けば、向こうの通りへ渡れた。

 戻ってきた護衛と合流する頃には、戸の位置が分かっていた。

 箱の裏から、細い石の廊下が建物へつながっている。その手前に管の口があり、エルナの声が前よりはっきり聞こえた。俺は覆いへ指を掛ける前に、右の手のひらを上着で拭いた。

 何度も話してきたのだから、いつもと同じでいい。そう思うのに、声を出す時は、初めて名前を呼ぶような気分だった。


「見えました。青い鉛筆も、そのままでしたね」

「ロイさんの靴、新しくなっていました」

「そこまで見えてたんですか」

「足元へ灯が当たっていたので。食堂で会った時は、爪先の糸が出ていましたよね」

「……あれは、言ってもらわなくても知ってます」


 笑う声が、管の奥から返った。

 ずっとこんな声だった。道具の名前や食べ物の数を伝える時より、ほんの少し息が増える。顔が見えたあとで聞くと、今どんなふうに口元を押さえているかまで、俺には思い浮かんだ。


「セラさんも、そこにいるんですね。白い肩の留め具が見えたので」

「いる。こちらへ顔を見せようとして、立たなくていい。昨日の管で話した時から、右の足首をかばっているだろう」

「覚えていてくれたんですか」

「窓へ届く時は机に手をつくと、昨日の管でも聞いた。今話したことまで忘れたわけじゃない」

「では、次に会った時も、今の話はできますね」

「できる。靴の話を続けたいなら、ロイにも聞いてもらおう」


 俺は靴の方を見ないことにした。三枚払った物に、前の靴の穴の話をいつまでも付けられては困る。

 セラが管を空けるのを待ち、上着の内側へ手を当てた。油紙の端が、胸の下でかさりと鳴る。


「もう一つ。王都へ出した人が戻りました。お父さんから、あなた宛ての手紙を預かっています」


 返事が途切れた。水場の時よりずっと近い管なのに、その沈黙だけは、遠く感じた。


「父が、書いてくれたんですか」

「封筒に、あなたの名前があります。まだ開けていません」

「私にも、見せてもらえますか」

「渡しに持ってきたんです。読める所へ帰ったら、自分で開けてください」

「……はい。あの、父は、何か言っていましたか」


 軍の紙に書いてあったことが、頭へ戻ってきた。娘の部屋。残った道具。思い出せない食卓。

 あれを今、ここで読んで聞かせるのか。俺には、父が封筒の中へ何を書いたか分からない。帰ってきてほしいのか、何を訊きたいのか、その言葉より先に俺が説明してしまうのは、違う気がした。


「俺が直接会ったわけではないので、言い方までは。でも、あなたの部屋と、家にある道具は確かめてもらえました。返事も、こうして届いています」

「そうですか。……では、私が読みます。濡らさないでいてもらえれば、それで」

「そのつもりです。今、あなたの部屋の戸を外から見られる所まで来ました。ゲンさんへ代わりますね」


 俺は管の場所を譲り、壁へ貼りついた古い案内板を見た。上層の戸からここまで、何本もの通路が重なっている。声は先に届いていたのに、人の足では、ようやくこの距離だ。

 ゲンが戸の前の物を尋ね、エルナが部屋の中から答えた。床は窓の方へ少し低い。戸の内側には板が斜めに挟まり、動かそうとすると、足元で金属の擦れる音がするという。

 俺たちは細い廊下へ入った。戸までは近いが、右側の床が途中で落ち、下から水音が上がってくる。ゲンは俺たちを手前に残し、腰の縄を護衛へ預けてから、一人で近づいた。


「この戸なら、留め金を斬れる。片側だけ外して、こちらへ引けないか」


 セラが剣を少し抜くと、刃に白い光が浮かんだ。戸の板は、あの犬の格子より、八体の鉄の胴より、薄い物に見える。

 俺も一瞬、それで終わると思った。

 ゲンは剣を見ず、戸の下を灯で照らしていた。


「まだ斬るな。箱ごと傾いてる。戸の板が枠へ噛んで、それ以上下がらないでいるんだ」

「下へ落ちるということか」

「右の支えが外れてる。戸をほどけば、箱がそっちへ回る。中に人がいて、床ごと傾けられるか」


 ゲンに呼ばれ、俺は縄の届く所まで寄った。戸の下に指ほどの隙間があり、その向こうの鉄の床が斜めに見える。低くなった側では、箱から張り出した金具が、台の端をわずかに外れていた。

 いつからこうなっていたのだろう。中で机を動かしていたエルナには、床の裏までは見えない。こちらが戸を開ければ、助けてもらえると思って、そこへ近づいてくるかもしれなかった。


「エルナさん、戸から離れてください。今は開けません。部屋の下へ支えを入れるので、机のある方で座っていてほしいです」

「……外からでも、開かないんですか」

「開ける前に、しておくことがあるんです。戸が外れた時に、床まで動かないようにします」

「分かりました。どこにいれば、邪魔になりませんか」


 ゲンが窓と水の位置を図で確かめ、本人が体重を預けている側を聞いた。部屋の中へ道具を入れたいのに、最初に動いてもらうのは、いつも彼女だ。俺はその間、戸の隙間に灯を当て続けた。

 ゲンが縄を引き、廊下の手前へ戻ってくる。


「下から柱を二本入れる。右と左を別に受ければ、戸を外せるかもしれん。こんな細い廊下からじゃ、柱を入れる向きが足りねえ」

「さっきの溝へ下りるんですか」

「あっちの通りに、荷を下ろした跡があった。裏へ回れば、下の台まで届く道があるはずだ。太さを測って上へ返す。使う物を間違えたら、運び直す間に人がへばる」


 俺は図板を受け取り、右手で戸と箱の位置を描き足した。見えている床だけでも、紙の上なら真っすぐに描けてしまう。ゲンに示された傾きは、そのまま斜めに残した。

 荷を下ろす道は、建物の南へ回った所にあった。上の倉庫から続く大通りの端で、下の水路へ斜面が下りている。幅もある。ここなら柱を車へ載せて、部屋の下まで運べそうだった。

 俺が鉛筆を上げたところで、背後の壁が赤く光った。


「灯の下から離れろ!」


 セラに言われ、俺はひさしの内側へ寄った。遠くの角で赤い光が点き、次の角へ移る。こちらの大通りを、何かが近づいている。

 最初に見えたのは、家の屋根より高い白い肩だった。上の腕で鎖を手繰り、脚が水路を越えてくる。足を載せた橋から大きな石が落ち、その音が、溝の下で重なった。

 巨人が、こちらの岸へ来ていた。

 セラは剣を抜いたが、向かっていかなかった。水路を越えたら引くと、上とも決めている。彼女が見ているのは巨人の胸ではなく、俺たちの後ろの細い道だ。


「水場へ戻る。ここで受けたら、部屋の下まで壊される」


 俺たちは来た道を引き返した。戸のそばの管を通る時、ゲンが短く、下へ道具を運んでくると伝えた。エルナの返事を待っている間にも、外の石が砕けている。

 俺は最後に口を寄せた。


「顔が見えました。場所も分かりました。今度は、そこへ手が届く道を用意して戻ります」

「待っています。ロイさんたちも、ちゃんと、戻れる方へ行ってください」


 管の覆いを置き、セラのあとを追った。

 水場まで戻った時には、みんなが荷をまとめていた。伝令が測った寸法を持って先に上がり、残る俺たちも、入口の倉庫へ向かう。夕方の食事も、替えの布も、今夜はそこで受け取ることになった。

 廊下の角から一度だけ振り返ると、大通りの向こうに白い胴があった。窓の下を通り過ぎ、広場の真ん中で止まる。部屋へ近づく道も、支柱を運ぶ斜面も、その足元へ続いていた。

 俺は図の道を消さず、交差する所へ、大きく丸をつけた。

 あそこを通るには、まず、あいつを動かさなくてはならなかった。


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