第四十章:TUBASA
スピーカーの音に耳を向ける。
ミュートから切り替わる音と、僅かに聞こえるノイズ。
音源が再生され始めたことを察知し、口を開く。
始まりは静かに、高すぎる壁に絶望するような悲しさを込める。
その気持ちをなぞるように、優しく弾かれるギターの弦。
――ぼくの前に立ちはだかる闇、ただ目を逸らすだけの日々
だけど、自分に対する怒りを掻き立てるように、ギターのストロークは速くなる。
私はそれに合わせて、息を吐き切るまで母音を伸ばす。
ふつふつと湧き上がってくる、情けなさに対する腹立たしさ。
それを口の中にため込んで、次の瞬間のガテラルのため、マイクを口元に近づける。
聞かせてやろう。
私という醜い人間にぴったりな、最高に汚い叫びを。
恥も何もかも吐き捨てて、自分の中にある負の感情をぶつけるように。
私は舌を歯の裏に当て、喉の奥を極限まで狭める。
そして水の中でもがき苦しみ、助けを求めるように、腰を折って声を上げる。
「プレェエ"エ"エ"エ"エ"イ!!(Play)」
まるで詰まった排水溝のような、湿り気を伴った独特の声が会場に響き渡る。
みな、それがステージ上の小柄な女の子から上がった声だとは思わなかったのだろう。
顔を上げた時に見えた前列の人たちは、目を丸くしていた。
それを合図にしたように、スピーカーから流れる音が歪む。
疾走感あるディストーションサウンドが、曲を加速させていく。
息を短く吸って、歌を続ける。
本来ならバックコーラスで入るコール部分。
――オーオッオー!! オオーオーオー!!
歌詞に出てくる主人公を応援するような掛け声。
乗ってくる人はいない。
それでも歌う。
背後で鳴る激しいギターリフが、私の背中を押してくれた。
――進むだけの力もなく、前を向く勇気すらない
――群衆に飲み込まれ、落ちていく
ギターのバッキングが静かなものへと変わり、それに合わせて声を落ち着かせる。
現状を伝えるような語り。
――前に続く道は何も見えず
――その先に行くことはできぬと、みな首を振る
私の声を邪魔しないように奏でられる、ブリッジミュートを効かせたリズミカルな刻み。
Bメロに入ると、スライドとレガートを駆使して、サビへの期待感を煽ってくれる。
ボーカルの気持ちを汲み取るような演奏が、心地よい。
――だけど光があることを願ってしまった
――例えそれが愚かな行為だとしても
現状に絶望し、ずっと逃げてきた主人公。
周りにこの先には何もないと言われても、前に進むことを決意する。
この歌詞に、どれだけ力を貰ってきただろう。
どんなに落ち込んでも、自分を惨めだと貶めても、この曲が私の気持ちを肯定してくれる。
人と比べて、コンプレックスを抱き続ける日々。
だけど本当は、そこから抜け出したいと思っていた。
その気持ちを、歌に込めて口にする。
――魂は叫んでいた
そう、私はいつも叫んでいた。
『助けて』
『ここから這い上がりたいと』
だけどそれは、自分の中にある醜いもやもや。
決して人の前にさらけ出すことはできなかった。
なのに……
そんな私の叫びが、人の心を動かすことができるのだと知った。
それを教えてくれた人がいるから、私はここに立てている。
望まれないステージに立つ私の気持ちを、サビに乗せて伝えよう。
後ろでギターを弾く結弦くんが、一歩前に近づいた気がする。
感情と共に、寄り添うように演奏されていたギターが、解放される。
当てられるスポットライトの光が、暑く眩しい。
私は息を吸う。
――この道が多くの苦痛にまみれているとしても、誰もぼくのことを止められない!!
ミュートを解除し、低音と高音を響かせるパワーコードが、フルストロークで展開される。
ピッキング・ハーモニクスが、鋭い金属的な叫びを作り出す。
それに合わせて、私は感情を高めていく。
――I'm leaving. 飛び立つ翼
ギターがこの曲のエモーショナルなエネルギーを爆発させる。
とてもアイドルが歌っているとは思えない、ヘヴィでラウドな要素を持ったロック。
先ほどまでのキラキラとした雰囲気を否定するような泥臭さ。
それを肯定するため、吐き捨てるように叫ぶ。
「ビィヨンザァア"ア"ア"ア"ア"ッツ!!(Beyond that)」
自分の中の思いを振り絞るようなガテラルが、最高に気持ちいい。
会場は静まり返っている。
だけどそれは、白けている空気ではないというのが分かった。
私の攻撃的な叫びと、結弦くんの力強いギターリフが、会場を圧倒している。
唾を吐き、汗が飛び散るような、暑苦しさ。
かわいさなど欠片もない。
だけどそれでいい。
なぜなら、私が歌っているのは、ラウドロックだから。
――「愚かなやつだ」と嘲笑われても、もうこの気持ちは変えられない!!
自分の気持ちを演説するように、手を振りかざす。
――don't look back!! Keep flying!!
――どこまでも
胸の内にあるもやもやを吐き出した私の心は、少しずつ軽くなっていく。
それに合わせて、口元を吊り上げた。
――ただがむしゃらに掴め
そうだ。
私はこの解放されるような瞬間のために歌っている。
今の私は最高に気持ちよくて……
――その先にある光を
最高に輝いている。
「ヴォオ"オ"オ"オ"オ"イス!!」
肺から酸素が絞り出されるほどの苦しみが……
全身を震わせるギターの音が、心地よい。
一番のサビが終わり、間奏へと入る。
再び繰り返される、主人公を応援するコール。
――オーオッオー!! オオーオーオー!!
それを口にしながら、私は振り返る。
ギターを弾く結弦くんは、今まで見たことがないくらい、生き生きとギターをかき鳴らしていた。
揺れるツインテールとスカート。
額に流れる汗すらも、輝いて見える。
スポットライトに照らされるその姿は、かわいくもあり、格好良くもあった。
再び前を向き、両手に持ったマイクにしっかりと力を込める。
私は観客を煽るように、コールする。
――オーオッオー!! オオーオーオー!!
その時、観客席から声が上がる。
見ると、一番後ろの席に座ったお父さんが立ち上がり、コールしている。
その姿に一瞬ぎょっとするが、必死な姿に口元が緩んだ。
――オーオッオー!! オオーオーオー!!
笑顔を浮かべたまま、コールを繰り返す。
すると、前方の観客席からぽつぽつと声が上がった。
先ほどまで完全に白け、途中から圧倒されていた生徒たちが、何人か立ち上がる。
そのまま、一人は手を振りながら、もう一人は口に両手を当てて応えてくれる。
嬉しい。
だけど、まだ全然足りない。
再び振り返って、結弦くんの方を向く。
視線が重なって、私たちは頷き合った。
――前に踏み出す意思もなく、戻ることすら決められない
――怠惰に惰眠を貪り、落ちていく
Cメロに入り、曲調は落ち着くが疾走感は変わらない。
前に進もうとするが、思うようにいかない煩わしさを表現する。
あえて息をたくさん混ぜた、ウィスパーボイスの裏声。
地声から一気に切り替えることで、喘ぐような絶望感を演出した。
これから再び来るラストサビへの溜め。
葛藤に感情移入させて、次のコールに確実に引き込む。
――だけど光があることを知ってしまった
――例えそれが愚かな行為だとしても
一番のBメロと同じ歌詞。
だけど、次はもっとエモーショナルに、儚さと力強さのコントラストを作り上げる。
こちらに向けられる生徒たちの目が、期待が込められたものへと変わる。
一番の時とは明らかに違う変化。
――魂は叫んでいた
結弦くんが、エフェクターのペダルを踏む音が聞こえる。
再び繰り出される、パワーコードとピッキング・ハーモニクス。
その音が、私も含めて聞いている人たちの心を震わせていく。
――この道が多くの苦痛にまみれているとしても、誰もぼくのことを止められない!!
サビに入った途端、生徒たちが歓声を上げる。
ほとんどの人が初めて聞いたであろう曲も、一番を聞けばもう知っている曲だ。
メロディは体に刻まれたはず。
引き込める。
そう思い、歌唱に力を込める。
――I'm leaping. 飛び立つ翼
――higher up!!
その歌詞の通り、より高い所へ。
私の歌声だけじゃ届かなくても、支えてくれるギターの音が、更なる高みへ押し上げる。
音源ではあるけど、スピーカーから流れる結弦くんのお母さんのドラムも、力強い。
――「理解できない」と嘲笑われても、もうこの気持ちは変えられない!!
――don't look back!! Keep flying!! どこまでも!!
曲はもうすぐ終わる、だからこそ……
――ただがむしゃらに掴め、その先にある光を
「ヴォオ"オ"オ"オ"オ"イス!!」
全力で叫んだ。
その声が体育館を劈き、激しいギターのストロークが、みんなの心を完全に掴む。
これが、最後のコール。
――オーオッオー!! オオーオーオー!!
結果は見えていた。
その声に合わせて、多くの生徒がコールを返してくれる。
好きなアーティストのライブ映像で見たような、地面が割れんばかりの歓声。
それが今、目の前で起こっている。
――オーオッオー!! オオーオーオー!!
何も持っていない私の歌声が、多くの人を動かした。
結弦くんという最高のバディの力を借りて。
バッキングに徹していた結弦くんは、いつの間にかメロディラインをなぞり、その存在を主張している。
――オーオッオー!! オオーオーオー!!
最後のコール。
曲はそれまでの激しさとは対照的に、静かなギターのクリーン・トーンで終わりを告げる。
ドキドキと高鳴る胸の奥に残る余韻。
あっという間の四分。
でも、全てを出し切った。
私は、そのまま曲の終了を告げるように頭を深く下げる。
一瞬の静寂。
だけど、すぐに会場からは大きな歓声と拍手が巻き起こった。




