第三十七章:文化祭の開戦
そして、夏休みが終わる。
始業式は八月三十一日。残暑はまだ厳しく、日中は三十度を超える日々が続いている。
授業は普段通り再開された。
夏休み中も、お盆と土日以外はほぼ補習だったので、やることは変わらない。
学校で久々に顔を合わせた朱里さんは、なぜかご機嫌だった。
ただ一言「約束、忘れんなよな」と言われ、静かに頷く。
結局、夏休み中に行われた二度目のリハーサルにも、朱里さんは来なかった。
もしかしたら、諦めたのかもしれないと思ったけど、その言葉通りなら違うようだ。
朱里さんは自信家だし、私のことを見下してはいる。
それでも、あの様子を見るに何かしら策があるのだと思う。
不気味に思いながら、学園生活を過ごす。
朱里さんには話しかけられなくなり、教室で静かに過ごすことが増える。
明らかに接する態度が変わった人もいる。
それだけ、朱里さんの影響力は強い。
だけど、その分集中して勉強ができ、休み時間も有意義に過ごせた。
今まで通り態度を変えずに、話しかけてくれる子もいる。
そういう人たちと、仲が深まっていった。
この状態が続けば、どうなるかは分からないけど、今のところ問題はない。
そのままあっという間に一週間は過ぎ、ついに文化祭の日がやってくる。
登校すると、外にはテントが並び、飾りつけがされている。
二日間にわたって行われる文化祭は、毎年行われており、この地域では有名なようだ。
調理科が模擬店を出し、各科はクラス毎に展示やステージ発表を行う。
特進科の生徒はクラスで何かを行うことはないが、部活の発表に出たり、私のようにイベントに参加する人もいた。
一日目に校内公開が行われ、主に舞台発表がメインの日となる。
この日は生徒と保護者のみの参加だ。
二日目は一般公開され、他校生や地域住民も入場可能になる。
調理科による模擬店と、クラスでの展示がメインの日。
私はステージ参加のため、早速体育館に行って準備をしている。
この体育館は数年前に改装され、冷暖房が完備されていた。
授業が始まる前だが、既に稼働していて涼しい。
保護者用の椅子を並べながら、ステージを見つめる。
今日あの場所に立つのだと思うと、急に緊張してくる。
千二百人を超える生徒と、二百人以上の保護者。
千四百人規模ともなれば、小さなライブハウスでは収まらず、中規模ホールのイベントだ。
リハーサルの時も思ったけど、体育館は意外と広い。
「この席から、お父さんとお母さんが……」
後方に設置された保護者席から、ステージは遠い。
それでもスピーカーから流れる音は、校舎にいても聞こえるくらい大きい。
今はライブに参加する数十人しかいないけど、一時間後には人で埋め尽くされる。
期待と緊張を込めた眼差しで、辺りを見回す。
胸がドキドキと鳴り始めた。
「や!!」
ふと、そんな声と共に肩を叩かれる。
「ひやぁ!?」
驚いて、情けない声を上げて飛び上がる。
慌てて振り返ると、そこには一人の女子生徒が立っていた。
背が高く、黒髪のツインテールに、短めのスカート。
ダークブラウンの瞳……。
「って、結弦くん!?」
女の子の制服を着たその子は、結弦くんだった。
「どう? 似合う?」
いつも使っているストラトキャスターを構え、自分の姿を示す。
普段は赤いレイヤーが入っているツインテールは黒々としており、夏服のシャツの上にオフホワイトのベストを着ている。
よく見ると、黒いニーソックスまで履いていた。
違和感がなさ過ぎて、知らない女子生徒が話しかけてきたかと思った……。
「あ……ぅ……」
あまりにも驚いて、口をぱくぱくとさせる。
「そ、その格好は?」
「こっちの方が目立つと思って」
悪びれもなく笑顔を浮かべる結弦くん。
確かに、格好に関しては特にルールがあるわけではない。
もちろん校則はあるけど、リハーサルではコスプレしている人も何人かいた。
「そ、その制服はどこから?」
「お母さんのを借りたんだ。卒業生だからね」
「く、クラスの子たち……驚いてなかった?」
「今そこで着替えたから、初見せだよ」
そう言って、結弦くんは頬に人差し指を当て、首を傾げるあざといポーズをする。
声は男の子だけど、かわいい……。
「だ、大丈夫なの?」
「うん。あの動画がバズってから、クラスの友達は知ってるし」
ただでさえメンタルが強い彼は、あの動画で無敵の人になってしまったらしい。
緊張でそわそわしている私としては、心強い。
「大丈夫? 緊張してる?」
「ちょ、ちょっとだけ」
どうやら、こっちの雰囲気を察してくれたらしい。
「優子ちゃんなら大丈夫。リハーサルの時も、最高だった」
隣に並ぶ彼は、そう言ってぽんと肩を叩く。
それは優しいものだったけど力強さがあり、相手からの信頼が感じられた。
「あ、ありがとう」
こんなに心強い相棒がいるのだから、うじうじしているわけにはいかない。
二人でステージを見つめる。
ずっと練習してきて、リハーサルも二回行った。
後は本番で力を発揮するだけだ。
「みーつけた」
そう思っていると、背後で声が聞こえる。
聞き覚えのある声に、嫌な予感を覚えながら振り返ると、朱里さんが立っている。
その視線は、私ではなく結弦くんに向けられていた。
学校が始まったからか、アッシュブラウンの髪は明るさが抑えられている。
でもメイクはしっかりとされていて、目にはグレーのカラコンが入っていた。
着ている制服は私たちと同じだが、シャツのボタンは二つ目まで外されている。
「やっぱりこの学校の生徒だったね、結弦」
「な!?」
顔を近づけ、呼び捨てにするのを見て、私は声を上げる。
「動画見たよ、君って本当に最高」
更に一歩近づいて、朱里さんは結弦くんの腕に優しく触れる。
綺麗な子に、猫なで声のような声でボディタッチされたら、悪い気はしないと思う。
私は「ぐぬぬ」と奥歯を噛んで、身体を震わせていた。
一方、結弦くんは冷静だ。
朱里さんを見下ろしたまま、表情も変えず口を開く。
「ありがとうございます」
静かにそう言って、ぺこりと頭を下げる。
「結弦は真面目だね~」
朱里さんはそう言って笑い、右手の拳でちょんと結弦くんの胸元をつつく。
私は威嚇する猫のように「しゃー!!」と唸るが、見向きもされなかった。
「君を、絶対私のものにするから」
朱里さんは顔がくっつきそうなくらい近づけて、そう言う。
「お手柔らかに」
結弦くんはそう言いながら、私の方に一歩近づいた。
そこで初めて、朱里さんの視線がこちらに向けられる。
口元に笑みを浮かべた余裕のある表情。
背筋がぞくりと冷たくなる。
「じゃ、また後でね」
朱里さんはくるりと背を向けると、手をひらひらとさせ去っていく。
その背中は、とても大きく見える。
リハーサルにも姿を現さなかったけど、やっぱり気は抜けない。
「頑張ろうね。優子ちゃん」
「うん!!」
結弦くんの言葉に力強く頷く。
彼を朱里さんに渡すわけにはいかない。
決意を新たにしていると、参加者集合のアナウンスが流れた。
そろそろ生徒が体育館に集まってくるので、体育館横の準備室に集まるらしい。
「行こうか」
結弦くんの言葉に頷いて、二人並んで歩く。
「セトリは見た?」
「うん」
セットリストは、演奏する曲の一覧を順番に記した表だ。
参加するグループは全部で十四組。
それぞれの持ち時間がだいたい五分で、途中二回の休憩がある。
ライブ以外にもいくつかステージイベントがあり、午前中で終了する予定だ。
私たちの出番は……
「大トリかぁ……」
呟き、項垂れる。
ライブならクライマックスとして、一番盛り上げなければいけないステージ。
自分のくじ運のなさが悔やまれる。
「いいじゃない。最高の出番だよ」
一方、結弦くんはそれをポジティブにとらえていた。
確かに最後だからこそ注目はされやすい。
その分、絶対にミスはできない。
「あの子は、ぼくたちの一つ前みたいだね」
言われてポケットから一枚のプリントを取り出し、広げる。
私たちの一つ上に書かれた朱里さんの名前。
そして、それはソロではなくグループとして登録されている。
「なるほど、助っ人を呼んだわけだ。一筋縄ではいかないね」
少し先を歩く朱里さんを見て、結弦くんは真面目な表情を浮かべる。
朱里さんは結弦くんのことを知っていた。
自分の力でたどり着いたのだろう。
とすれば、私と一緒に組むことはリハーサルに来なくても分かっていたはず。
その対抗手段が、グループというわけだ。
準備室が近づくにつれて、緊張が戻ってくる。
私は隣を歩く結弦くんに目を向ける。
こちらに気付いた彼は、ただ静かに笑顔を浮かべて頷いた。
それだけで、勇気を貰える。
勉強と同じだ。
しっかりと練習はしてきた。
絶対に、朱里さんに勝ってみせる。




