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第三十六章:空を彩る花火

 出店を巡って、いろいろな食べ物を買っていく。

 いつの間にか手は離れていたけど、楽しい気持ちは変わらない。

 会場に設置された、たくさんのテーブルは既に多くの人で埋まっている。

 仕方ないので、歩道に設置されたベンチに腰を下ろす。

 ちょうど建物の影になっているので、涼しい。

 会場から少し離れた場所なので、こっち側に座っている人はあまりいない。


「いろいろ買ってきちゃった」


 結弦くんが、ベンチの上に食べ物を並べていく。

 お好み焼きにかき氷。ラムネにフランクフルト。

 男の子らしいラインナップを、ちょっとかわいいと思う。

 私が買ってきたのは焼きとうもろこしとイカ焼き。

 どちらもテイクアウト用の白いトレーの上に乗っている。


「食べよっか」

「うん。いただきます」


 手を合わせて、膝の上にトレーを置く。

 こうやって外でご飯を食べるのは、久しぶりだ。

 隣に座った結弦くんに目を向けると、背を伸ばして、買ってきたお好み焼きに綺麗に箸を入れている。

 焼きたてなのか、ソースとマヨネーズが掛かった表面からは、うっすらと湯気が立ち上っていた。

 それを小さく切って、口に運ぶ。

 私も、棒に刺さったイカ焼きを持って、頭の部分にかぶりつく。

 噛むと弾力があるけど意外と柔らかく、簡単に噛み切れる。

 口の中に広がる、焼けた甘ダレの味。


「おいしい」


 二人同時に声を上げて、顔を見合わせる。

 それがなんだかおかしくて、口を手で隠したまま、二人で笑い合う。

 ご飯を食べているだけなのに、とても楽しい。

 中央にあるステージでは、ローカルテレビに出ているアナウンサーがイベントの司会進行をしているようで、多くの人が集まっていた。

 こっちは屋台の裏側なので、人はどんどん少なくなっている。

 私たちのように、ベンチに座って食事をしてる人たちは、何組か見受けられる。

 そのほとんどが男女で、恐らく恋人同士なのだろう。

 若い女の人が、男の人の口元にスプーンを近づけ、それを嬉しそうに口に含む。

 そんなやりとりを見て、慌てて目を逸らす。

 見上げると、ビルの隙間から見える空が、少しずつオレンジ色に変化していく。

 時間は十九時。

 それでも人の波は収まらず、駅の方からは人がやってきている。

 人混みは苦手だけど、こうやって端っこで、祭りの空気を感じるのは悪くない。

 イカ焼きをトレーの上に置いて、右手を見つめる。

 さっきまで握り合っていた手。

 それは、まるで恋人同士のようでもあった。

 もちろん、人の流れに飲まれないためではあったのだけど……。

 あの瞬間、結弦くんは何を思っていたのだろう。

 目を向けると、彼は手にしたかき氷を嬉しそうに食べている。

 「氷」と書かれた白い容器に盛られた、青い蜜がかかったかき氷。

 会場を照らす照明の光を浴びて、氷はきらきらと輝いている。

 ふと、結弦くんがこちらを向く。


「優子ちゃんも食べる?」


 そう言って、手に持った容器を掲げる。

 スカイブルーに染まった氷は、とても冷たそうで、暑さの中では魅力的に見えた。


「いいの? じゃあ、一口だけ」


 私はそう言って、容器を受け取ろうとする。

 だけど、結弦くんは手に持った木製のスプーンで氷をすくい、それをこちらに向けてくる。


「はい、あーん」


 私の口元に近づけられる、氷が乗ったスプーン。

 つい先ほど見た、恋人同士のやり取りを思い出し、顔が一瞬で熱くなる。


「ひぅ!?」


 思わず変な声が漏れて、肩が揺れた。

 あわあわするが、結弦くんは気にせずスプーンを差し出している。

 向けられるダークブラウンの瞳。

 恥ずかしいけど、おずおずと口を近づける。

 ドキドキと音を立てる心臓。

 私はゆっくりと口を開き、スプーンの上の氷を口に含む。

 熱くなる顔とは対照的に、口内が冷やされていく。

 同時に、ラムネのような爽やかな甘さが広がった。

 でも、そこで気付く。

 これって、結弦くんが使っていたスプーンだから……。

 間接キスであることを意識した途端、熱は耳の先まで昇りつめた。


「おいしい?」


 囁くように言われ、私は激しく首を縦に振る。

 そのまま、目を逸らす。

 心臓が、激しく胸を叩いている。

 結弦くんといると、ドキドキすることが多い。

 「あーん」されたことなんて、子供以来だ。

 私をからかっているのだろうか。

 顔の熱を冷ましながら、ちらりと結弦くんに目を向ける。

 何の躊躇いもなく、間接キスしたばかりのスプーンで、かき氷を食べている。

 たぶん、彼はとてもモテると思う。

 知らない女の子が顔を見て、あんなにはしゃいでいたくらいだ。

 だけど、誰にでも頭を撫でたり、手を繋いだりするような人ではないはず。

 悪戯っぽい所はあるし、距離感も近いけど、普段の彼は真面目だ。

 あの弦だこは、努力の証明。


「はむ……」


 恥ずかしさをごまかすように、焼きとうもろこしにかぶりつく。

 香ばしさと共に口に広がるのは、コクのあるバター醤油の味。

 おいしいけど、先ほど食べたかき氷の味が、頭から離れない。

 喉を駆け抜けるような爽やかさは、結弦くんの味……。

 胸がきゅんと鳴り、かじった焼きとうもろこしをトレーの上に置く。

 屋台で買ったペットボトルの緑茶の蓋を外して、ごくごくと飲む。

 「落ち着け~落ち着け~」と胸の中で二回唱えて、動揺を誤魔化す。


「大丈夫?」


 と結弦くんに聞かれ、首を縦に振る。


「う、うん。ちょっと喉に……」


 などと答えつつ、心の中では「大丈夫じゃないです!!」と叫んでいた。

 息を吐いて、また結弦くんに視線を向ける。

 ケチャップとマスタードが掛かったフランクフルトを、口にしている。

 「うまっ」と口にして目を細める姿は、普通の男の子だ。

 趣味で女装はしているけど、自認が女の子でないということは、あの動画でも口にしていた。

 いろいろな記事で取り上げられて以来、女装をカミングアウトする動画は、百万再生を超えている。

 理由は、男の子には見えないくらい、結弦くんがかわいいからだ。

 写真では奇跡の一枚を作り出せても、動画ではそうはいかない。

 本当に、輝かしい存在。

 そんな彼は、私の歌声で心を動かされたのだという。

 あの言葉を思い出すたびに、心は熱くなる。

 先ほどまで感じていた、むず痒い温かさとはまた違う。

 何もないと思っていた私が、誰かの心を動かせるとすれば、それは何というか……凄いことだ。

 実感が湧かなすぎて、語彙力が無くなっちゃうけど……。

 胸の奥底から湧き上がってくるわくわくは、確かなもの。


「優子ちゃん、焼きとうもろこし、おいしい?」

「うん。おいしいよ」


 向けられる無邪気な表情。


「いいなー」

「良かったら食べる?」

「え? いいの? ありがとう」


 トレーを差し出すと、焼きとうもろこしが刺さった棒を持って、口を近づける。

 そのまま豪快にかぶりつく、何気ない姿に胸がときめいた。

 ずっと誤魔化してきたけど、この気持ちはやっぱりそういうことなんだろうな……。


「おいしいね。バターが良い感じ」

「だよね」


 結弦くんが差し出した焼きとうもろこしを、トレーの上に戻す。

 しっかりと歯型がついたそれを見て、また間接キスになってしまうと考える。

 お祭りの喧騒から少しだけ離れた場所で、静かにご飯を食べる。

 それだけで、十分に幸せだ。

 でも……

 結弦くんが誰かの物になることを考えた途端、胸は締め付けられる。

 一日たりとも忘れたことがない、朱里さんとの約束。


「結弦くん」


 何気なく空を見上げて、彼の名前を口にする。


「どうしたの?」


 疑問の声を上げる結弦くん。

 スピーカーから流れる祭囃子を聞きながら、ゆっくりと口を開く。


「文化祭のライブ、頑張ろうね」


 結弦くんに顔を向けると、ビル風が駆け抜けていく。

 彼はすぐに口を開かず、ジッとこちらを見つめてくる。

 私がその言葉を口にした意図が、分からなかったのかもしれない。

 ただ、自分なりに気持ちの整理をしただけで、深い意味はなかった。

 というか、完全に混乱していた……。

 胸に浮かび上がってくる温かい気持ちを、確かめるように手を置く。

 たぶん彼を見つめる私の顔は、赤い。


「うん、そうだね」


 少しの間を置いて、結弦くんは頷く。


「最高の舞台にしよう」


 そう言って笑う彼の表情はとても輝いていて、また心臓が強く胸を叩いた。

 その時、スピーカーからカウントダウンが聞こえる。

 それに合わせ、ステージに集まった人たちが同じように声を上げた。


「3……2……」


 私も小さく呟く。


「1……」


 そして最後のカウントは、二人の口から出したものが重なった。

 次の瞬間、観衆から声が上がる。

 音を立てて、深いオレンジ色に変わった空に、一本の線が走った。

 そこにいる誰もが空を見上げ、口を噤む。

 一瞬だけ静まり返る会場。

 そして、空に花開く大きな花火。

 同時に、会場を劈《つんざ》く破裂音が鳴り響く。


「すごい、優子ちゃん花火だよ!!」

「うん、綺麗」


 まるで私たちの言葉を祝福するかのように、打ち上げる花火。

 会場に音が響くたび、周りから歓声が上がる。

 まだ空は完全には暗くなっていないけど、赤い空に浮かぶ花火は、しっかりと確認できる。

 色とりどりに輝く空を見上げる中、私はこっそり結弦くんの横顔を見ていた。

 光に照らされるその顔は、いつも以上に魅力的に見える。

 ふと視線が重なる――

 すると、彼は目を細めて笑った。

 その表情は、空に浮かぶどの花火よりも明るい。

 こうして、私たちの夏は過ぎていく。

 ふわふわとする気持ちと、一つの決意を胸にしながら。

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