第三十五章:ラムネのように爽やかな
お盆が近づいた頃、スタジオに向かうために二人で電車に乗る。
夏休みになり、普段とは違う人たちが電車を利用するようになっている。
学生だけではなく、大きい鞄を持った家族連れもよく見るようになった。
しかし、今日は特に利用客が多い。
少し騒がしい車内。なんだか心躍るような雰囲気を感じ取る。
電車を降りると、ホームはいつもより多くの人でごった返していた。
不思議に思いながら周りを見て、気付く。
浴衣姿の人が明らかに多い。
狭いホームから多くの人が乗り込んでいくのを、端に寄って眺める。
「そっか、今日ってお祭りなんだ」
隣に立つ、ギターケースを背負った結弦くんが、掲示板に貼られたポスターを見て呟く。
市内で二日間にわたって行われる、大規模なお祭り。
駅前からメイン通りを交通規制し、多くのイベントが行われるようだ。
ポスターには、テレビでよく見る芸能人やアイドルの姿も映っている。
そう言えば、お父さんが「今日の帰りは遠回りしないと」と言っていた。
県内に住んでいればよく耳にする、有名なお祭りだけど、一度も行ったことはない。
花火大会は家族で行くことがあったけど、こういうイベントは、クラスのリア充が参加するイメージだった。
ジッとポスターを見ながら、ふと思う。
そう言えば、今年はまだ夏らしいことをしてない気がする。
お盆になればお母さんの実家に帰省するけど、仕事が忙しいようで、旅行にも行けてない。
それが不満なわけではない。
勉強とライブに向けての練習を繰り返す毎日は、とても充実していて、夏らしさなんて考えてもみなかった。
「帰りの電車は混んでるかもな~」と思いながら、通り過ぎようとする。
そんな時、結弦くんがこちらを向いて笑顔を浮かべた。
「ねぇ、優子ちゃん。練習終わったら、一緒に行ってみない?」
「うぇ……?」
思ってもみない言葉に、間の抜けた声が漏れる。
私はもう一度ポスターへと目を向ける。
メインストリートに並ぶ多くの出店に、メインステージで行われるイベント。
ちょっと、楽しそうではある。
何より、これって二人きりで行くということだろうか。
目を丸くして、結弦くんを見る。
バンドマンスタイルの今の彼は、完全に男の子で、背の高さを改めて感じる。
急にドキドキと鳴り始める鼓動。
「う、うん。行きたい!!」
気付くと、首を縦に振っていた。
練習を終えて、二時間後。
私たちは電車で、隣の駅の市街地までやってくる。
時間は十八時。
人の移動はピークを迎えていた。
いつもはそこまで人が多くないのに、ホームまで混み合っている。
恐らく、遠方からも人が押し寄せているのだろう。
凄い勢いで人が改札に向かって流れ込んでいく。
私たちは一旦、ホームの端に避難する。
「東京の通勤ラッシュって、こんな感じなのかな」
珍しく、困ったような顔を浮かべる結弦くん。
電車に押し込まれる多くの人を、テレビで見たことがある。
田舎の駅が普段どれだけ平和なのか、実感した。
改札を出て駅前の広場に出るが、やはり人であふれている。
警察やスタッフの方が誘導を行っており、その通りに街を進んでいく。
遠くから聞こえてくる、スピーカー越しの声。
大通りが近づいてくるにつれ屋台が増え、おいしそうな匂いがする。
楽しげな雰囲気ではあるけど、私は人の多さに圧倒されていた。
隣を歩く結弦くんを、ちらりと見る。
紺色のシャツに細身の黒いズボンという、男の子の姿。
髪を切ったばかりのようで、短めのウルフカットは、爽やかな雰囲気だった。
改めて横顔を見ると、とても整っていて、中性的な顔つきはアイドルのようだ。
隣を歩く中学生くらいの女の子が、結弦くんを見て驚いた表情を浮かべる。
そのまま友達と思われる子の肩を叩いて、二人で憧れの眼差しを向けていた。
その横で、私は必死に人の波に飲まれないよう、進んでいく。
周りを見ると、浴衣姿の人は多い。
ワンピース姿の自分が、ちょっとだけ場違いに感じる。
会場が近づくにつれ人は増え、流れに飲み込まれそうになった。
身長は高くないので、人に埋もれてしまう。
会場は公道を開放して、歩行者天国になっているようだが、たどり着くまでにはぐれてしまいそうだ。
人の波が突然止まり、隣にいた結弦くんが遠ざかる。
「あ……」
一瞬、その姿を完全に見失い、声を上げる。
その次の瞬間、手に温かい感触を覚えた。
前に引っ張られる。
「大丈夫、ここにいるよ」
声が聞こえた方を見ると、隣に結弦くんが立っていた。
右手をぎゅっと握られている。
力強く引っ張られたけど、今は気遣うように優しく力が込められていた。
手に感じる弦だこの感触。
汗をかいていたような気がして、戸惑う。
だけど、このままだと結弦くんと離れ離れになってしまいそうだ。
「うぅ……」
手の平に伝わってくる熱に浮かされるように呻く。
恥ずかしいけど、その手を離したいとも思わなかった。
ドキドキと高鳴る胸に手を当て、息を吐く。
私は意を決して、その手を握り返す。
意図せずして、それは相手の指を絡めるような形になってしまった。
再び動き出した人の波に押され、体が結弦くんに近づく。
肩が腕に当たり、お互いに顔を見合わせる。
十五センチ以上の身長差。
これだけ人がいる中で、見上げた結弦くんの顔だけが、視界に広がる。
騒がしかった周りから人の声が消え、スピーカーから聞こえる祭囃子だけが、耳に飛び込んでくる。
大きく見開かれる、結弦くんの目。
急に恥ずかしさが押し寄せ、視線を下に向ける。
でも私の体は結弦くんの腕に押し当てられ、身体を寄せるような形になっていた。
早鐘を打つ鼓動が、相手に伝わってないか、不安になる。
私は下を向いたまま、赤い顔をして……
「離さないでね……」
と、言い訳のように呟く。
はぐれないように、仕方なく手を繋いでいる。
そう思わないと、熱に溶けてしまいそうだった。
女の子のように細い腕が、逞しく感じる。
信号待ちをしているようで、人の群れはなかなか動かない。
恋人のように身を寄せていると、結弦くんをはっきりと感じられる。
ベルガモットのような爽やかな柑橘系の中に混じる、僅かな男の子の匂い。
なぜだか、すごく落ち着く。
「うん、離さない」
頭上から微かに聞こえる声。
周りにはたくさんの声が溢れていたから、もしかしたら、聞き間違いかもしれない。
でも、手が強く握り返される。
はっとすると、再び人々は動き始めた。
自然と離れる体。
がっかりするけど、手は握られたまま。
そのまま、会場まで進んでいく。
横断歩道を渡ると、普段は車が走っている道が封鎖されており、広い会場になっていた。
道の端には多くの屋台が並び、中央にはイベント用のステージや、多くのテーブルと椅子が設置されている。
スピーカーからは祭囃子と、イベントを進行する司会の人の声が響いていた。
イベント感が一気に強くなり、気分が高まってくる。
道が開けたことで周りにスペースができ、人が前方にはけていく。
やっと、自分たちのペースで歩けるようになった。
でも、手は離れない。
私が指を絡ませてしまっているせいか、結弦くんも手を解こうとしなかった。
「適当に見て回ろうか」
手を繋いだまま、結弦くんがこちらを見下ろし、そう提案する。
「うん!!」
気恥ずかしさはあるけど、お祭りの熱に当てられたせいか、普通に頷ける。
身を寄せた時の心地よさを思い出すが、さすがにそうする勇気はない。
口元が緩んでしまいそうで、ぎゅっと口を閉じる。
普段車が走っている道の端に並ぶ屋台を、ゆっくり歩きながら見ていく。
地鶏の炭火焼きにやきそば、たこやきにフランクフルト。
店頭から漂ってくる匂いも相まって、とても魅力的に見える。
「これはお腹空くね」
「そうだね……」
結弦くんの言葉に同意する。
歌の練習をした後で、普段なら家に帰ってもうすぐご飯を食べる頃だ。
周りの音のおかげでごまかせているけど、実はお腹が鳴っている。
「せっかくだし、何か食べてく? って言うか、食べたい!!」
「うん、いいね!!」
お母さんには祭りで遅くなると言ってある。
あっさり了承してくれたのは、補習中に行われる小テストで結果を出しているから。
お母さんの声に混じってお父さんが何かを言っていた気がするけど、きっと気のせいだ。
「ぼくはお好み焼きが食べたいな~、優子ちゃんは何が好き?」
「私は焼きとうもろこし買いたい!!」
先ほど見掛けて、思わず立ち止まりそうになってしまった。
一通りお店を巡って何を売っているかを確認していく。
普段あまり食べないけど、祭りらしいりんご飴やチョコバナナを見ていると、不思議と買いたくなる。
祭りの楽しい雰囲気は、夏の暑さを忘れさせてくれる。
手を握っている事実すら忘れそうになっていたけど、前から来る人を避けようとして、肩が結弦くんの腕に当たる度に思い出す。
ずっと続くどきどき――
でもそれは、祭りで売っているラムネのような、はじける爽快さがある。
月並みな言葉だけど、これがアオハルというものなのだろうか。




