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第三十三章:私のための歌

 終業式が終わり、夏休みがやってくる。

 と言っても、純粋な休みというわけではない。

 平日は夏期補習のため、登校しなければならない。

 任意だが、クラスメートのほとんどが顔を出していた。

 朱里さんは宣言通り来ていない。

 塾の夏期講習に行く人は、もっと大変だ。

 行く生徒に話を聞いたら、休みはお盆と日曜日だけらしい。

 げんなりとした表情を浮かべているのを見て、同情する。

 補習は昼過ぎには終わるが、それとは別に課題があるので、家に帰っても勉強。

 夏休みらしさは、普段に比べて学校が静かなことくらい。

 それでも、普段に比べればましだ。

 学校を出て、家に続く道を歩く足取りは軽い。

 気温が最も高くなる昼下がり、遠くを見ると陽炎が立ち上っている。

 少し外に出るだけで、額から汗が流れた。

 いたるところからセミの鳴き声が聞こえ、小さな子供たちが楽しそうに道を駆けていく。


「夏休みだなぁ……」


 重い鞄を肩に掛けて、当たり前のことを呟く。

 ただ、去年までの夏とは少し違って見える。

 受験があったので、勉強漬けなのは変わらない。

 苦手なことに追われるのは、楽しいことではない。

 だけど、今の私はわくわくしている。

 踊るように軽い心。


「んー」


 気付くとハミングしている。

 こんな気持ちになったのは、初めてかもしれない。

 全てがうまくいくような予感――

 一つだけ引っ掛かるのは、朱里さんとのこと。

 だけどそれも、今は些細なことに思えてくる。

 空は雲一つない快晴。

 暑さで肌を焼く光さえも、爽やかに思えた。




 夏休みが始まって、三日目の午後。

 私と結弦くんは例のスタジオにやってきていた。

 文化祭のライブの打ち合わせをするためだ。

 受付をした時、初めて結弦くんのお母さんを見た。

 パンツスタイルのスーツを着て眼鏡を掛けた、いかにも仕事ができそうな女の人。

 顔には結弦くんの面影があって、かっこいい雰囲気で見惚れてしまった。


「結弦くんのお母さん、美人だね!!」


 部屋に入るなり、私は高揚する声を上げる。


「ほんと? 聞いたらきっと喜ぶと思う。あとで伝えておくね」


 ギターケースを机に置く結弦くんは、男の子の姿だ。

 白いTシャツの上に羽織った紺色のシャツに、細身の黒いズボン。

 ギターケースを背負う姿は、まさにバンドマンという雰囲気だった。

 私服姿の男の子と歩くのは久々で、ここに来るまでに変に意識してしまった。


「よいしょ。じゃあ着替えよっと」


 大きなバッグを肩から下ろし、結弦くんは声を上げる。

 机の上に置かれた黒いバッグのジッパーを開けると、そこにはいつもの女の子の服が収められている。

 朱里さんを警戒して、外では男の子の姿でいることにしたらしい。


「あれ?」


 でも、ここで着替えるということは……。

 着ている上着を脱いだのを見て、私は慌てて後ろを向く。

 この部屋はそれなりに広いけど、パーティションのような遮るものはない。

 私は部屋の隅に移動して、持ってきたタオルで汗を拭うことにする。

 結弦くんの鼻歌と共に聞こえる、衣擦れの音。

 本当にここに居ていいのだろうか。

 いや、本人が着替え始めたのだから、良いとは思うのだけど……。

 私だって女の子だし、そこは気にしない?

 でも、結弦くんは女装するわけで、それは女の子になるということだから……問題ないのだろうか。

 そわそわしながら、ある程度時間が経ったところで、振り返る。


「あ……」


 すると、結弦くんと目が合った。

 エクステは既に付けられており、いつものツインテールの髪型が完成している。

 スカートは履かれているけど、ちょうどブラウスに手を通したところで、お腹と肩が露出していた。

 女の子のように細い肩。そして、くびれのある綺麗なお腹。

 でも鍛えているのか、インナーマッスルのラインが見えた。

 思わずじっと見つめていると、結弦くんは口元を吊り上げて、蠱惑的な表情を浮かべる。


「えっち」


 悪戯っぽくそう言われ、顔が熱くなる。


「す、すいません!!」


 どきどきしながら、振り返る。

 頭の中に刻まれてしまった、綺麗なお腹。

 肌の白さは女の子らしいのに、筋肉の付き方が男の子らしかった。

 折角汗を拭いたのに、全身が熱くなる。


「とゆーか、着替えるなら別の部屋でやって!!」

「あ、ごめん……」


 叫ぶ私に対し、結弦くんの申し訳なさそうな声が響く。

 これって、普通なら逆の立場になるんじゃないだろうか……。

 いや、私は男の子の前で着替えるなんてできないけど。

 なぜだかそわそわとする時間を過ごし、私たちは話し合いを始める。

 部屋の中心に机を置いて、隅にある折りたたみ式の椅子を広げ、そこに座る。

 議題は、もちろん文化祭のライブについてだ。


「絶対に負けられない……」


 普段使っているメモ帳を机の上に広げて呟く。


「気合入ってるね」

「結弦くんが朱里さんに、無茶な条件出すからだよ!!」


 着替えてすっかり女の子になった結弦くんは、他人事のように言ってくる。

 何でもするなんて、考えただけで恐ろしい。

 頭の中に浮かぶいろいろな妄想を、咳払いして追いやる。


「勉強忙しそうだけど、どれくらい時間取れそう?」


 一人で悶々としていると、結弦くんが心配そうに聞いてくる。


「平日は午後なら時間取れると思う。土日は割と自由だよ」

「そっか、だったら用がない日はなるべくここに来たいね。お母さんに言ったら、ライブの練習なら好きに使ってくれていいって言われてるから。お金も大丈夫だって」

「そうなの? 後でお礼言っておかないと」


 お小遣いでやりくりしている身としては助かる。

 ちょっとしたお礼くらいは、用意しておいた方がよさそうだ。

 お父さんとお母さんにも報告しておこう。


「それで、ライブでやる曲はどうする?」


 そして、最初に決めなきゃいけないのはそれだ。

 レギュレーションは特に決められておらず、出演者の形態も様々。

 軽音部は何組かに分かれてバンドを組むが、朱里さんのように一人で歌う人も多い。

 ピアノを弾く人もいれば、ギターソロで参加する人もいるらしい。

 自由だからこそ曲を選ぶのは難しい。


「圧倒的に生徒の数が多いから、人気の曲を選ぶのはありだとは思うけど……」

「たぶん、みんなそうするよね」


 結弦くんの言葉に頷く。

 朱里さんも恐らくそういう曲を選ぶはずだ。


「でもさ、どうせなら好きな曲をやりたくない?」


 考えていると、結弦くんは机の上に置いたスマホに視線を下ろす。

 そこには、プレイリストが表示されている。

 確かに、一曲分しか時間が与えられていないのなら、それも手だ。

 舞台に立つのだから、悔いが無いようにしたい。

 とはいえ、宣戦布告してしまった以上、勝ちも逃したくない。


「そういえば、優子ちゃんが歌ってた、あの曲って何?」

「あの曲?」


 聞かれるが、思い当たるものがなく、疑問の声を返す。

 ここ最近結弦くんの前で歌った曲は、全部知っているはずだ。

 疑問に思っていると、結弦くんは立ち上がる。

 そのまま、後ろに置いていたギタースタンドの、ストラトキャスターを手にする。

 ストラップを肩に掛け、左手でネックを持ってギターを構えた。

 それだけで、空気が変わる。

 結弦くんが右手を動かし、ピックで弦をストロークすると、スピーカーから音が流れた。

 曲の始まりは静か――

 優しく同じコードを繰り返すだけのバッキング。

 だけど、それはすぐに激しいストロークに変わる。

 結弦くんが足元のペダルを踏むと、音に歪みが加わり、エレキギターらしいディストーションがかかった鋭く重厚な音が鳴る。

 一気に楽曲のスピード感が上がった。

 同じ音程で、1オクターブ上の音を同時に鳴らすオクターブ奏法。

 私は、よく耳を澄まして音を拾う。

 メロディラインはないので、雰囲気で掴むしかない。


「こんな曲」


 サビに入る前に、ストロークを切って曲を止める。

 知らないのに曲を弾けているということは、完全な耳コピ。

 それでも、その演奏は的確で、すぐに思い当たった。


「それ、如月有海(きさらぎうみ)の『TSUBASA』だ」


 私はスマホを操作し、音楽アプリから購入した曲一覧を表示する。

 よく聞く曲なので、リストからすぐに見つかった。

 曲を再生すると、結弦くんがさきほど弾いたギターリフと、まったく同じ伴奏が始まる。


「そうそう、これ!!」


 結弦くんは嬉しそうにスマホに目を向ける。


「でも、知らないアーティストさんだ」

「如月有海は地下アイドルだからね」


 その名の通り、地下アイドルは地下にあるような小規模な、ライブハウスを拠点に活動するアイドルだ。

 メディア露出も少ないため、アーティストで言えばインディーズバンドと変わらない。

 でも、如月有海は実力派でとても歌がうまく、少しずつ注目され始めている。

 本人がアップした『TSUBASA』の動画は、二十万再生されていた。

 それを聞いて一目惚れした私は、すぐに公式サイトからCDを購入した。

 明るいアイドルソングのイメージからかけ離れた、がちがちのロック。

 聞いていると、後ろ向きな歌詞が自分に重なって、胸が苦しくなるような感覚を覚える。

 だけど、周りに笑われながらもその現状に立ち向かう泥臭さもあり、サビを歌っていると鳥肌が立つ。


「いいじゃん、これにしようよ!!」

「え?」


 結弦くんは迷うことなく、そう口にする。

 確かにお気に入りの曲だけど、知名度はそこまで高いとは言えない。

 知らない曲を弾いて、場が白けたりはしないだろうか。


「どうせなら、好きな曲をやった方が楽しいじゃん!!」


 ギターを構えたまま、結弦くんは笑顔を浮かべる。

 確かに、その方が彼のポテンシャルを引き出せるのだろうか。

 YouTubeでギターを弾いてる時も、顔は見えないのに楽しさが伝わってくる。

 それに、私も結弦くんのギターで好きな曲が歌えるなら、嬉しい。

 多分本番はすごく緊張するだろうし、聞き慣れた曲の方が歌詞が飛ぶ心配もない。


「ほ、本当に良いの?」

「もちろん!!」


 確認すると、結弦くんはすぐに頷いた。


「よーし、頑張ろう優子ちゃん」

「う、うん!!」


 私も異存はないので、頷く。

 好きな曲をライブで歌えることを想像すると、それだけで気分は上がってくる。

 さっきの耳コピのギターでも十分に迫力があったから、演奏をマスターしたらもっと良い仕上がりになるだろう。

 おぼろげだったイメージが、しっかりと形になろうとしていた。

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