第三十二章:それはアオハルのスタートライン
そして週が明け、終業式の日。
私は自分の席に座り、そわそわと教室の入り口を窺う。
文化祭のライブに向けて、両親の許可は得ることができた。
今朝も二人と顔を合わせているけど、お母さんはいつも通りだった。
お父さんだけが落ち込んでいたけど、あまり触れないことにする。
それより、問題はもう一つあった。
目の前の席を見つめるが、目的の人物はまだ登校していない。
そう、あの日から連絡を取っていない朱里さんだ。
私はスマホを取り出し、LINEを確認する。
ずっと返信していなかったメッセージには、一応返事をした。
内容は「学校で話そう」というシンプルなもの。
それに対して返信はないが、既読にはなっている。
あっちはずっと話したがっているので、学校には必ず来るはずだ。
今までのことを思うと緊張してくる。
私は朱里さんの一つ上に表示された、別のアカウントに目を向ける。
それは結弦くんのもの。
昨日、メッセージをやり取りしていた。
ライブに出る意思は既に伝えてある。
同時に、朱里さんのことも相談していた。
結弦くんは「ぼくが話そうか」と言ってくれたけど、それだと迷惑を掛けてしまう。
いろいろと話して、結弦くんはある提案をした。
「大丈夫かな……」
メッセージの履歴を見ながら、不安げに呟く。
何とも予想外な手。
正直、本当にうまくいくかは分からない。
そもそも、あの朱里さん相手にちゃんと話ができるだろうか。
「いや……」
スマホを鞄に戻して、首を振る。
結弦くんに相談した以上、やり遂げるしかない。
このままでは、私はずっと朱里さんに虐げられたまま学園生活を送ることになる。
黙っていても、相手はもう私を敵視している。
だったら、抗う方が建設的だ。
深呼吸をして、教室の前方にある時計を見る。
そろそろ、朱里さんが登校してくる時間だ。
そう思っていると、教室にいた生徒が一斉に挨拶をする声が聞こえる。
どうやら、来たらしい。
入ってきたのは、教室の後方の入口。
挨拶には答えず、アッシュブラウンの髪の毛を揺らしながら、こちらに近づいてくる。
その顔は、明らかに不機嫌だった。
その様子を見ていると、私の机の横で立ち止まる。
鋭く冷たい目が、こちらを見下ろし、息を飲む。
クラスメートは、ただごとではない様子に気付き、遠目にこちらを窺っていた。
朱里さんは肩に掛けた鞄を、自分の机に投げるように置く。
そして、私の机の上を叩いた。
打撃音が教室に響き、入り口の近くで自習していた男子生徒が、慌てて顔を上げる。
私も身をびくつかせた。
早くなる鼓動――
胸に手を当て、深く息を吐く。
そのまま、相手の目を見返した。
「おはよう」
緊張しながらも、挨拶を返す。
「は? 馬鹿にしてんの?」
朱里さんは机に右手をついたまま、こちらを見下ろす。
威圧するような声が、頭の中に響く。
動揺するが、目は逸らさない。
「人に嘘ついておきながら、よく無視できたな。まじふざけんなよ」
綺麗な顔が、怒りに歪んでいる。
それだけで恐怖を覚えるが、逃げ場はない。
とにかく、まず私がやるべきことは一つ。
「ごめん」
そう言って、頭を下げる。
結弦くんのためとはいえ、嘘をついたのは事実だ。
その点に関しては、しっかりと謝罪する。
「ごめん、ですむわけねーだろ」
頭の上から降ってくる、どすの利いた声。
まだ冷房がついていない、真夏の教室の温度が、下がったように感じる。
背筋に冷たさを覚えながら、顔を上げる。
朱里さんは怒りを引っ込めるどころか、眉間の皺を深くしていた。
「悪いと思ってるなら、あの子出せよ。お前に用はないんだよ!!」
言葉を強くしながら、再び机を叩く。
ふと目が合った教室の入り口にいる男子が、目を逸らす。
周りのクラスメートも、こちらを気にしながらも、触れないようにしてる。
当然だ。
クラスカースト一位の朱里さんに逆らったら、クラスの爪弾き者にされる。
私がみんなの立場なら、同じように見て見ぬふりをした。
朝から迷惑を掛けて、本当に申し訳ない……。
思わずぺこりと頭が下がる。
「聞いてんのかよ!!」
馬鹿にされていると思ったのか、朱里さんは顔を近づけ、怒りをあらわにする。
足が緊張によって震えた。
「落ち着け」と心の中で自分に言い聞かせる。
結弦くんとメッセージを交わしながら、この状況は何度もシミュレーションした。
考えた言葉を、口にするだけでいい。
朱里さんを見上げる。
「わ、悪いけど……あの子に会わせることはできない」
震える唇で、しっかりと拒否する。
「なんでだよ!! あんたは関係ないでしょ!! 私はあの子と話がしたいんだよ」
イライラした様子の朱里さんは、こちらの顔を覗き込むようにして顔を近づけ、捲し立てる。
きんとした声が耳に響き、顔をしかめる。
それでも私は言葉を続けていく。
「あの子の意思。動画を無断でアップロードするような人は、信用できないって」
「はぁ?」
それを聞いて、朱里さんは明らかに不満そうな顔を浮かべる。
「いいから話させろよ。私のおかげで有名になれたんじゃん。むしろ感謝して欲しいぐらいだわ」
吐き捨てるように言う言葉。
それが、私の中に恐怖以外の感情を生む。
何度言われても、それだけは許容できない。
浮かび上がってくる苛立ち――
でも、感情に任せて叫ぶのは、この人と変わらない。
落ち着くためにゆっくりと息を吐く。
「あの子が有名になったのは、朱里さんのおかげじゃない」
「あ?」
「あの子が自分で努力したおかげだよ」
カラコンによって、明るいグレーになった相手の瞳を見据える。
淡々と話をするつもりだったけど、それだけはどうしても言いたかった。
結弦くんが努力して手に入れた成果を、自分のもののように言うのは許せない。
私の手に重ねられた指にできた、弦だこの感触。
それは、今でもはっきりと覚えている。
「ごちゃごちゃうるさいな!! いいから、会わせろって」
しかし、朱里さんはそんなことなど気にもしていないようで、同じ言葉を繰り返す。
その態度に呆れるが、別に謝罪してほしいわけではない。
自分の意思を口に出来たことで、気持ちは落ち着いた。
足の震えは止まり、朱里さんの顔を冷静に見られた。
相手が不機嫌になる度に、私は恐怖を覚えていたけど、これは子供が駄々をこねるのと一緒だ。
とにかく、相手の主張はただ一つ。
自分のチャンネルの売りになるであろう、結弦くんに会いたいというもの。
だったら……
「分かった」
私は、相手の言葉に頷く。
「はぁ?」
朱里さんが疑問の声を上げる。
あまりにもあっさり同意したので、混乱したのかもしれない。
もちろん、ただ相手の要求を呑むために頷いたわけではない。
ここからが、結弦くんが提案した案だ。
「あの子から、伝言がある」
そう言って、ついさっきまで見ていたLINEのメッセージを思い出す。
それを見た時は驚いたけど、結弦くんの望みでもある。
少し不安はあるけど、私は椅子を引いて立ち上がる。
それに合わせて、朱里さんは顔を上げた。
「朱里さん、私……文化祭のライブに出ようと思う」
相手の目を見て、そう宣言する。
「なにそれ。何も関係ないじゃん」
呆れたように吐き捨てる。
朱里さんも文化祭のライブに出るけど、私が出ようが気にもしないだろう。
なぜなら、私のことを見くびっているからだ。
「聞いて。ライブって、対バン形式で投票があるよね」
「だから、それが何だっていうの?」
イライラした様子で答える朱里さん。
文化祭のライブイベントは、複数の参加者が交代で出演する。
時間の関係上、歌ったり演奏できるのは一曲。
学校行事だけど、公序良俗に反しなければ、どんな曲で挑んでもいい。
生徒と先生の投票によって、順位が決められる。
それを利用する――
「投票で私より上の順位を取れたら、ど、どんなことでもしてあげる、って……」
私は、それを躊躇いがちに口にした。
結弦くんが提示した条件というのがこれだ。
「……」
朱里さんが、ジッとこちらを見つめてくる。
言ってしまったけど、本当にこれでいいのだろうか。
二つほど、懸念点がある。
一つは、朱里さんと対決をするという形になること。
ただ出場するのではなく、上位を狙わないといけなくなる。
朱里さんはずいぶん前からライブにエントリーしている。
一緒にカラオケに行っていたから分かる。
朱里さんはそれなりに歌がうまい。
それがなんとかなったとして……
「あはっ!! 本当になんでもするの!?」
怒りに染まっていた朱里さんの顔が、突然笑顔になる。
二つ目の懸念点はこれだ。
結弦くんは、もし私たちが負けたら『なんでもする』と言っていいとメッセージに書いていた。
でも、それは本当になんでもするということで……。
遠慮のない朱里さんにそれを言ったら、本当に何をされるか……。
「うぅ……」
頷かないといけないが、躊躇する。
ライブイベントがあるのは、夏休み明けの一週間後。
大体五十日後だ。
これくらいの条件を出さないと、朱里さんは納得しない。
女装する前の姿を知らないから、結弦くんにたどり着くのは難しいだろうけど、朱里さんの顔の広さならいつかは見つかる可能性はある。
それまで大人しくしてもらうには、これくらいの条件は必要だろう。
「も、もちろん……でも、それまでは手出しなしで……」
本当は嫌だけど、頷いてしまった。
「おっけー、なんでもしてくれるなら、文句ないわ。本当に何でもいいんだよな?」
「う、うん……」
邪悪な笑みを浮かべる朱里さんに、もう一度頷く。
「今の聞いてたよな。みんな」
朱里さんが周りに同意を求めると、クラスメートは躊躇いがちに頷く。
こちらの事情は分かっていないだろうけど、そう言われたら頷くしかない。
「全員が証人だからな。あんたなんか、けちょんけちょんにしてやるよ」
にっと口元を吊り上げて、冷たく笑う。
背筋に冷たいものを感じていると、朱里さんは満足したのか、自分の席に着いた。
頭を抱える。
周りにいる人たちはどこか同情的な目を向けてきていた。
ライブには出られるようになったけど、予期しない対決となってしまった。
それでも、宣言したのは私自身だ。
朱里さんの背中を見つめる。
よほど自信があるのか、すでに機嫌は直ったように見える。
私は、崩れ落ちるように椅子に座った。
ため息を吐き、考える。
頭に浮かぶのは、女装した結弦くんの、服が乱れた姿。
浮かんできた妄想を、首を振って打ち消す。
朱里さんに、結弦くんを渡すわけにはいかない。
「が、頑張ろう」
私はそう口にして両手の拳を握った。




