第二十八章:ずっと隠してきた本当の気持ち
次の日、午前中に勉強を終わらせてから、結弦くんが働くカラオケに向かう。
受付にいる四十代くらいの男性に確認してみたら、清掃中らしい。
「お呼びしましょうか」と言ってくれたが、仕事を邪魔するのは申し訳ない。
時間は十五時。
確か、土曜日は十六時まで働いていると言っていた。
折角なので、部屋を取って仕事が終わるのを待つことにする。
休日だからか、普段より人は多いようだ。
平日は空いている扉も多いが、そのほとんどが閉められている。
いろいろな所から聞こえる人の歌声。
やっぱり、この空間は心地いい。
受付で指定された部屋に入る。
いつもの部屋より奥側だけど、その内装はほとんど変わらなかった。
部屋の手前側にソファと机が設置され、奥側にカラオケの機械が置かれている。
受付で預かったデンモクを充電スタンドに置き、ソファに腰を下ろす。
鞄から手鏡を取り出し、髪が乱れてないかチェックする。
「うん、ばっちり」
夏用に買った、肩の部分がフリルになっているワンピース。
肩を出すのは恥ずかしいから半袖で、子供っぽく見えないようネイビー色を選んだ。
小さめの鞄で少しだけかわいさを出しているのは、女装した結弦くんを意識している。
「って、違う……」
話をしに来ただけなのに、何を浮かれているのだろう。
思わずおしゃれしてしまったことに、頭を抱える。
派手な格好ではないし、夏らしくはあるのでおかしくはないと思う。
私がここに来たのは、昨日の動画を見たから。
「なんであんな動画を出したのか、聞かないと」
スマホを手にして、例の動画を表示する。
再生数は、既に二十万を超えていた。
ニュースサイトでも取り上げられているようで、コメント欄にはYouTube以外のサイトから来た人の報告コメントも増えている。
話題になっているのはいいことだけど、本人が想定していたのかは分からない。
「朱里さんの方は……」
相変わらずLINEは開いていないけど、通知は凄いことになっている。
通知にメッセージの一部が表示されているが、最後の通知には「覚えておけよ」と表示されていた。
怒っていることは確かなようだ。
結弦くんの動画がこれだけ盛り上がっているので、このチャンネルにも気付いたかもしれない。
休み明けのことを考えると、気は重い。
何を言っても刺激するだけだと思うので、今は無視しておくのが正解だと思う。
ソファに背中をつけて、ぼーっと辺りに聞こえる音に耳を澄ます。
「あ、誰かマリーゴールド歌ってる」
隣の部屋から聞こえてくる、女の人の歌声。
伴奏に合わせてタンバリンを振る音も聞こえる。
数人で盛り上がってるグループみたいだ。
世間で流行っている曲と、カラオケの人気曲は少し違う。
人気の曲はすぐにカラオケに入るけど、そうじゃない曲も多い。
ランキングを見ると、昔から歌われている名曲が上位にいたりする。
「小さな恋のうただ」
少し遠くの部屋から聞こえてくる、男性の声。
私が生まれてくる前の曲だけど、カラオケでよく聞くので覚えた。
iTunesで曲を買って、聞いてもいる。
知らない曲に出会えるのも、カラオケのいい所。
歌うのも好きだけど、聞いているのもやっぱり好きだ。
歌は、私の体を奮い立たせてくれる。
どんなに悲しくても、曲を聴いていると不思議と気はまぎれる。
ふと頭を掠めるのは、結弦くんと二人で行ったスタジオ。
「ライブのことも、話さないと……」
このまま、うやむやにするわけにはいかない。
しばらく、落ち着くために聞こえてくる曲に耳を澄ます。
すると、扉がこんこんと二回ノックされた。
「は、はい!!」
すっかり辺りの音に聞き入っていた私は、慌てて返事をする。
扉の金属部分が甲高い音を立てて開く。
中に入ってくるのは、エプロン姿の結弦くん。
「あれ、歌ってないんだ?」
私の顔を見るなり、きょとんとした表情を浮かべる。
女装姿ではない、仕事中の真面目な姿。
その様子は、いつもと変わらないように見える。
「う、うん。ちょっと考えごと……」
周りに聞く耳を立てていたと言ったら、おかしく思われそうで誤魔化す。
「それより、お仕事は?」
スマホで時間を確認するが、仕事が終わる時間まで四十分ほどある。
「いやそれが『仕事はもういいから、行って来い』って……なぜか脇を小突かれながら店長に言われて……」
「え……」
店長さんと言うのは、さっきカウンターにいたあの男性だろうか。
完全に勘違いされている気がするけど、気を遣ってくれたみたいだ。
「よく分からないけど、忙しかったから助かっちゃった」
「そ、そう……」
どうやら、結弦くんは店長さんの言いたいことを理解していないらしい。
少し残念な気もするけど、変に意識せずに済むからありがたい。
「座ってもいい?」
「あ、うんどうぞ」
「これ、よかったら飲んで」
前の席を示すと、結弦くんが持っていたトレイをテーブルの上に置く。
そこには、くし切りされたカットレモンが乗った、アイスティーが二つ置かれている。
「ありがとう」
ちょうど飲み物を頼もうと思っていたので、助かる。
それをお互いのテーブルに置いて、ちらりと結弦くんを見る。
男の子の姿でも、その顔にはしっかりと女装した時の面影が感じられた。
仕事で疲れているのか、座ると両手を上げて、思いっきり伸びをする。
「やっぱり土曜日は人が多いねー」
「あはは……お仕事お疲れ様」
ため息を吐く彼の姿が珍しくて、ちょっとだけ和む。
結弦くんはアイスティーが入ったグラスを手に取ると、口をつける。
氷が揺れる涼しげな音が、室内に響く。
私も同じようにグラスを持つ。
それを近づけると、レモンの酸味のある香りが仄かに鼻孔をくすぐる。
グラスを傾けると、口の中に冷たい紅茶が流れ込む。
意外と味の強い、アールグレイの味。
レモンの匂いに混じって、ベルガモットの華やかな香りがする。
「おいしいね」
グラスをテーブルの上に置いて、結弦くんは微笑みながらそう口にする。
やっぱり、いつもの様子と変わらない。
そんな態度に戸惑いながらも、私は口を開く。
「結弦くん、昨日の動画だけど……」
「ああ、あれ? どう、かわいかった?」
おずおずと聞いてみるが、彼は躊躇うどころか、身体の前で両手を合わせて嬉しそうに話す。
「う、うん。かわいかったけど、大丈夫だったの?」
あれだけの反響があったのだから、本人の所にも通知は来ているはずだ。
概ね好評だけど、再生数が増えるにつれて、変なコメントも増えてきている。
中には、彼を批判するものもあった。
「もちろん!! いつかはバレるんだから、自分が好きなようにやった方がいいでしょ?」
こちらの心配をよそに、結弦くんはそう言ってけらけらと笑う。
そこには恐れも不安も感じられない。
アイスティーを飲む彼を見ながら思う。
やっぱり結弦くんは強い。
「人に注目されるの、怖くないの?」
「うん、楽しいし」
再びテーブルにグラスを置いた彼は、当然のように頷く。
女装して人前を歩くのも勇気がいることだと思うけど、決して動じない。
それは、やっぱり彼が特別だからなのだろうか。
「優子ちゃんも、そうじゃない?」
「え……?」
質問を返され、虚を突かれる。
それは、あまりにも予想外な質問だった。
「だって、歌ってる時の君は、周りが見えてないくらい没頭してるよ」
確かに私は、店員さんが部屋に入ってきても気付かないくらい、歌に集中していることはある。
だけど、それは夢中になっているだけに過ぎない。
楽しいという意味では同じかもしれないけど……
「私は、誰かに注目されるのが怖い」
膝に手をついて、拳をぎゅっと握る。
「失敗することばかり考えちゃうし、変に目立って誰かを敵に回しちゃいそうで……」
頭に浮かぶのは、朱里さんの顔。
自分の要望が通らないことよりも、我慢して生きる方が楽だと思う。
誰かと争うのは辛いし、自分が否定されるのは惨めだ。
だから、強いものにはずっと屈してきた。
胸の中に蠢くもやもや。
それは、ずっと消えることはない。
一時的に引っ込んでも、何かの拍子で浮かび上がってくる。
今の状況を続ける限り、その悩みは尽きることはないのだろう。
そう分かっていても、自分にとって楽な方を選んでしまう。
「うん」
目を伏せると、結弦くんが頷く声が部屋に響く。
隣の部屋からは楽しそうな歌声が聞こえるけど、この空間は不思議と静かに感じた。
アイスティーの中の氷が、からんと音を立てる。
いつも私は、人との差を感じる度に、勝手に落ち込んでしまう。
それが悪癖だと分かっていても、その沼から抜け出すことはできなかった。
人にはあっても、自分には何もないと、無駄にあがき続ける。
ただ……
一つだけ、そんな自分に生まれた欲求がある。
「結弦くん、私のこと……ライブに誘ってくれたよね」
俯いたまま、ポツリと口にする。
「すごく、嬉しかった」
その瞬間、心の中に爽やかな感情が広がっていく。
憧れの人に、一緒に何かをしたいと言われたこと。
驚いたけど、それが私にとってどれだけの希望になっただろう。
「だから私、勉強。凄く頑張ったんだ」
初めて、自分の意思で成績を上げたいと思った。
両親のためでもなく、自分が惨めにならないためでもない。
その先にある希望を掴み取るために、本気で頑張った。
「成績が上がれば、夏期講習にも行かなくてもいいから、ライブに出るための練習時間も取れると思った」
「うん」
感情に任せてあふれ出る言葉に、結弦くんはただ静かに頷く。
頑張った先にあった、明るい未来。
ライブに出ることを戸惑いながらも、結弦くんと一緒に練習できることが楽しみで、浮かれていた。
なのに……
「お母さんには、夏期講習に出て欲しいって言われちゃった……」
喉の奥に息が詰まる――
明るい感情は、浮かんでくる暗い感情に飲まれていく。
それでも、必死に言葉を絞り出す。
「本当は出たいのに、相手の意見を覆すほどの、理由がない……」
言いながら、目尻に浮かんでくる涙。
声が枯れ、言葉尻が萎んでいく。
「私には……」
惨めに、裏返る声。
それでも、それが私の言いたい言葉――
「なにもない……」
ずっとうやむやにしてきた気持ち。
どれだけ決断を先延ばしにしても、自分の中で抱えているだけでは解決しない。
タイムリミットは明後日の月曜日。
そこを過ぎれば、私はまたこの気持ちを口にもせず、押し殺して生きていくのだろう。
それだけは、嫌だと思った。




