第二十七章:ゆずとベルガモット
無音で映し出されるスタジオ。
不思議に思っていると、画面の右側から結弦くんが現れる。
椅子の前に立って、両手を身体の前で合わせ、ぺこりと頭を下げる。
「え……」
思わず息を飲む。
なぜなら、いつもは手元しか映していないのに、全身が映っているからだ。
白のフリルギャザーブラウスに、黒のフレアスカート。
頭を上げると、顔の横で赤いレイヤーが入ったツインテールが揺れる。
過去の動画も見ているけど、いままでこんなことはしてこなかった。
立ったままギターを弾くのかとも思ったけど、今の彼は何も持っていない。
画面の結弦くんが、にこやかに微笑んで、手を振る。
女の子らしいその仕草――
「こんにちは~」
そして、そのまま挨拶をする。
かわいらしい女の子の姿から発せられる、低い声。
それは柔和で、その姿には合っているけど、男だということを自ら証明していた。
「な……」
予想だにしないその行動に、驚愕して息が詰まる。
結弦くんは顔を隠して活動してきた。
彼自身の楽しいという想いと、見ている人を混乱させないための配慮。
それを両立させるため、あえてそうしているのだと思っていた。
プロフィール欄にも、自分自身のことは全く書かれていない。
それ故に、コメント欄では彼を女の子だと思っている人も多い。
「ゆずです。声を出すのは初めてですね」
だけど結弦くんは戸惑う様子も見せず、体の前で両手を合わせ、女の子の所作で話を続ける。
「見ての通り、ぼくは女装男子です」
「ええ!?」
目を細めて、明るい声を上げる姿を見て、思わず大きな声を上げる。
夜中だということを思い出し、慌てて口を閉じた。
「別に性自認の問題とかではなく、楽しいから女装してます。かわいいでしょ?」
ほっぺを両手の人差し指に当て、あざといポーズをする。
動画には音楽も効果音もついておらず、スタジオの中にその声だけが静かに響く。
でも、見ている人の衝撃は私以上に凄いと思う。
結弦くんのことを知っている私でも、驚いているのだから。
「女の子だと思ってた人、ごめんなさーい。残念、男でしたー」
とても謝罪とは思えないノリで、アイドルのように首を傾げてウインクする。
声さえなければ、それは美少女の愛嬌のある姿。
正直、かわいいと思った。
「ギターを演奏するだけのチャンネルなので、姿を現すことはあまりないですけど、ぼくのことを知って欲しくて、動画を撮りました」
再び胸元で両手を合わせ、背筋を伸ばしてそう続ける。
「よければ、これからもぼくの演奏を聴いてくれると嬉しいです」
そう言って、結弦くんはカメラに近づいてくる。
「またね」
そして、顔を近づけて手を振ると、撮影停止ボタンを押す様子が映し出される。
動画はそのままフェードアウトし、終わってしまう。
二分ほどの短い動画。
「お、おお……」
一時停止ボタンを押し、呻く。
どうして、突然こんな動画を上げたのだろう。
アップロードされた時間を見ると、一時間前となっている。
動画のタイトルには「はじめまして、ゆずです」と書かれていた。
既に再生数は二万を超えており、多くのコメントがついている。
一時間でこの数は、かなり早いペースで、大手配信者並みの数字だ。
「は、反応は……」
見ている人の反応が気になり、画面をフリックする。
結弦くん……活動者名で言えば、ゆずのことを女の子と思っていた人は多いはず。
「炎上していたらどうしよう」と思うと、指は震えた。
恐る恐る、コメント欄に並んだ文章を確認する。
「あ……」
目を見開く――
そこに書かれていたのは、概ね好評な言葉だった。
『驚いたけど、これからも応援してます』
『女装男子とは思えないかわいさ!! なないろも良かったです!!』
『ゆずさんのこと知れてよかったです。次の曲も楽しみにしてます!!』
並ぶ、彼を賞賛するコメント。
「そっか……」
高評価ボタンを押しながら、ほっと息を吐く。
みんな、結弦くんの演奏に惹かれてるんだから当然か。
容姿に対しても、あのかわいさだから、褒めてくれている。
中には否定的な意見もありはする。
だけど、そういうコメントにはほとんど評価がついていないし、みんなそう思っているわけではないようだ。
結弦くんが言った通り、あれだけ仕上がっていれば、むしろ強みになるらしい。
何気に、登録者数も増えている。
それにしても……
「凄い行動力だ」
声に出して、布団の上に倒れこむ。
マットレスが音を立てて、私の体を受け止めてくれる。
真意は分からないけど、この動画を上げた要因は、駅でのできごとだろう。
朱里さんが動画を上げることを危惧して、自ら正体を明かそうと思ったのだろうか。
「だとしたら、あの後家に帰って、もう一度スタジオに行ったことになるけど……」
画面の中の結弦くんを見つめる。
少し巻き戻して、カメラに向かってきて顔がアップになる瞬間で、動画を止めた。
画面いっぱいに顔が映し出されているのに、女の子としての造形に破綻は一切ない。
声を聞いていなければ、誰もが美少女と見紛う《みまがう》だろう。
「このメイク、自分でしてるんだよね」
まつ毛をしっかりカールさせ、目元に透明感を出すことで、瞳が潤んで見える。
あのダークブラウンの瞳に、吸い寄せられるのも納得だ。
綺麗に整っているから、あの後に撮影しているのだとしたら、改めてメイクしていることになる。
あらかじめ撮影していた動画を、アップした可能性もあるけど……。
朱里さんに対して、先手を打ったのは間違いなさそうだ。
「……」
無言で、天井を見つめる。
頭を掠めるのは、お母さんと結弦くんの言葉――
『今やりたい事や目指したいものって、ないわよね?』
『女装してギター弾くの、すっごく楽しいんだよね』
私のお母さんの質問にも、きっと結弦くんは笑顔でそう答えるのだろう。
自分の好きなものを護るためなら、すぐに行動ができる。
その圧倒的な差に、少しだけ胸が痛む。
でも――
できるのならば、私もあんな風に自分の『本音』から逃げたくはない。
「私のせいでもあるのかな……」
変に責任感を覚えて、落ち込んだ姿を見せてしまった。
彼は優しいから、自ら正体を明かすことで「気にしてない」と伝えたかったのだろうか。
それは、考えすぎだと思うけど……。
スマホを操作して、LINEを開く。
登録されている一覧の上部にあるのは、朱里さんのアカウント。
物凄い数の通知がついているけど、そちらは精神衛生上、見ないことにする。
その下にある、結弦くんの名前をタップ。
メッセージを打とうと、指を動かし……
「遅い時間だし、さすがに迷惑か」
あの後またスタジオに戻ったのなら、相当疲れているはずだ。
体を起こして、机の上に置かれた卓上カレンダーに目を向ける。
一瞬目に入る『塾・締め切り』の文字。
そして、明日は土曜日。
結弦くんがカラオケのアルバイトに出る日だ。
「……」
朱里さんのことは無視して、結弦くんのことには触れないようにする。
それも一つの手ではある。
夏休みを迎えれば、しばらくは顔を合わせなくて済む。
だけど……
このまま逃げ続けるわけにはいかない。
「よし……」
スマホをベッドの上に置いて、頷く。
明日、自分の足で確かめに行こう。




