第二十四章:二人でいれば
建物の影から現れたその人を、驚愕の表情で見つめる。
「なんで……」
息が詰まりそうになりながら、言葉を絞り出す。
そんな私に向かって、朱里さんは冷たい目を向けてくる。
「舐めるなって言ったでしょ。あんたが嘘ついてるなんてお見通しなのよ」
目を細めて冷淡な声を上げる。
「知り合いに声掛けて、優子の行動を見張っててもらったら、案の定この子と一緒に歩いていた。それで、連絡もらってここに来たってわけ」
「な……」
朱里さんの行動力の高さは、理解していたつもりだったけど、侮っていた。
この人はどんな人にも躊躇いなく声を掛けるから、知り合いは多い。
人の手を借りれば、この狭い町から誰かを見つけるのは、確かに難しくなさそうだ。
「……」
結弦くんは、突然現れた朱里さんを訝しげに見ている。
動画のことは伝えているし、アカウントも教えているので、存在は知っている。
「あ……」
私は朱里さんが手にしたスマホを見て、一歩前に出る。
この人なら、この状況を録画していてもおかしくない。
レンズと結弦くんの間に立つ。
普段の私なら硬直していただろうが、身体は自然と動いた。
「あ、朱里さんごめん!! でも、撮影するのはちょっと……」
慌てて前に出たものの、何を言えばいいか分からず、声はしぼんでいく。
「は? あんたには関係ないでしょ。邪魔だからどいてくれない?」
スマホのレンズは、やはり結弦くんに向けられている。
睨まれて、心が締め付けられた。
敵意を向けられるのは、とても恐ろしい。
手は震えているが、ここで引いたら迷惑を掛けてしまう。
目を伏せながらも、その場にとどまる。
「いやだ……」
震える声で、絞り出した拒絶の声。
それは、大通りを通る車の音に掻き消されそうなほど、弱々しかった。
「ふざけんなよ。ただでさえ嘘つかれて、こっちは苛立ってるんだからさ」
その言葉に、胸が苦しくなる。
結弦くんを護るためとはいえ、嘘をついていたのは確かだ。
「優越感で思い上がって、私のこと笑ってたんだろ?」
「そ、そんなこと……」
朱里さんを馬鹿にするような意図はなかった。
だけど、会わせたくないと思っていたのは事実。
「友達でいてやったのに、裏切りやがって。何の取り柄もないくせにさ!!」
一歩前に出て、声を荒らげる。
私は身をびくつかせて、目を閉じた。
相手はクラスカースト一位の女の子。
気分屋で、とにかく怒らせないように気を遣ってきた。
機嫌が悪い時は、無視されたり、きつく当たられたこともある。
その度に、私の自尊心は萎んでいった。
「どけって!!」
また一歩前に近づかれて、怒鳴られる。
辛い思いをしてきた時のことが蘇り、恐怖を覚える。
怖い……。
だけど、ここをどくことはできない。
結弦くんが女装男子ということを知られたら、朱里さんはきっと動画で拡散する。
そうなったら、この姿で活動できなくなるかもしれない。
結弦くんが気にしなくても、奇異の目を向けられる可能性はある。
そうなるのだけは、嫌だ――
相手の目を見ることもできず、ただ顔を伏せて、その場に立ちつくす。
この隙に逃げて欲しいけど、恐怖で声が出ない。
やっぱり私じゃ、何もしてあげられない。
「……」
そう思っていると、隣に気配を感じる。
私は、慌ててそちらに視線を向けた。
「結弦くん……」
掠れた声でその名を呼ぶ。
彼は逃げるどころか、前に出てしまっていた。
その途端、朱里さんの声色が変わる。
「うっわ。やっぱり美少女じゃん!!」
こちらへの怒りも忘れ、顔を明るくしてスマホを構える。
「ねぇねぇ、キミ!! 私のおかげで、すっかり有名人なんだよ」
浮かれながら、朱里さんは一方的に捲し立てる。
恐怖におびえていた私だが、その言葉を聞いて、腹立たしい気持ちになる。
結弦くんは、望んで有名になったわけじゃない。
そもそも、朱里さんが動画を上げる前から、自分のチャンネルで十分な成果を上げている。
それは彼の努力のおかげだ。
それを、そんな軽口で嘲っていいはずがない。
奥歯を噛みしめていると、結弦くんは私の肩にぽんと手を当てる。
そして、また一歩前に出た。
「すみません、どいてくれますか?」
あくまで穏やかな表情を浮かべ、淡々と口にする。
「あ……」
私はその行動に戸惑った。
柔らかい物腰。その仕草は女の子そのもの。
だけど、声が柔和であったとしても、それは男の子らしい低音。
それでは、女装していることがバレてしまう。
「ここにいたら、歩行者の邪魔になるので」
続けて口にした言葉に、朱里さんが目を丸くする。
「うそ、キミ……男の子なの?」
口をあんぐりと開けて、驚いたのか、目をぱちくりさせる。
だけど、その口元はすぐに吊り上がった。
「いいじゃん!! こんなにかわいいのに、実は女装男子でしたって、めっちゃアガる!!」
高らかに声を上げて、高揚した様子を見せながら、しっかりとスマホを構え直す。
それを見て、結弦くんはため息を吐いた。
「撮影、やめていただけませんか?」
「いいじゃん。キミの動画、本当に伸びてるんだ。私と一緒にやろうよ」
冷静に言う結弦くんに対し、朱里さんは笑顔で迫ってくる。
息がかかりそうなくらい顔を近づけて、楽しそうな声を上げる。
遠慮はなく、初対面の人に対する距離感ではない。
朱里さんは確かに美人だ。
その明るさだけを見れば、気立てが良いともいえる。
普通の男の子だったら、近づかれて悪い気はしないのかもしれない。
二人のやりとりを、ハラハラしながら見守る。
笑顔を浮かべる朱里さんを、じっと見つめる結弦くん。
「はぁ……」
やがて、ため息を吐くと、また私の肩に手を当てる。
「優子ちゃん行こう。ここにいたら、通行人の邪魔になっちゃうし」
その顔は、困ったように眉をひそめて、苦笑していた。
「う、うん」
怒っていないことにホッとしながら、頷く。
「じゃあ……」
すると、そんな声と共に、右手に柔らかな感触を覚えた。
「ふえ……?」
思わず、間抜けな声が漏れる。
視線を向けると、結弦くんがこちらの手をぎゅっと握ったのが分かった。
驚き、一瞬で熱くなる体。
ギターで鍛えられた弦だこの感触が、手のひらにダイレクトに伝わってくる。
「行こうか」
その声と共に、前に引っ張られる。
「え?」
呆けた声を上げると、突然視界が動いた。
早足ではないので、慌てて足を動かして、すぐに追いつく。
「ちょっとー、無視しないでよ。折角私が話してあげてるんだからさー」
後ろから、朱里さんが小走りでついてくる。
私のことなど視界に入っていないようで、結弦くんの隣に並んだ。
「撮影をやめて頂けませんか? 許可は出してないです」
私の手を取って前を歩く結弦くんが、毅然とした態度で答える。
「なんで? 私、フォロワーもうすぐ一万いきそうなんだよ? 前の動画だって五十万再生超えてるし、有名になれるのに」
「ありがとうございます。でも、自分のチャンネルがあるので大丈夫です」
声を荒らげることは決してせず、普段のような柔らかい態度を貫いている。
カメラが回っているから、あえてそういう態度を取っているのだろうか。
「自分のチャンネルがあるなら、尚更じゃん。コラボしようよ。うちら絶対人気出るって!!」
朱里さんも一切動じない。
むしろ目を輝かせて、迫ってくる。
どうして、ここまで強気な態度が取れるのだろう。
それだけ、自分に自信があるからだろうか。
二人の顔を交互に見ながら、私はそのやりとりを見守る。
ただ、握られた手だけが熱い。
いろいろな意味で、ドキドキとさせられるこの状況。
少しずつ、目が回ってくる。
「よし」
と、結弦くんが立ち止まり、こちらを向いてにこりと微笑む。
慌てて立ち止まると、握られた手に力がこめられる。
「逃げよ」
「え?」
そして、彼はそのまま駆け出す。
私は引っ張られるようにして、足を前に出す。
こんなに華奢な体なのに、腕を引く力はとても強い。
「わ……わっ!!」
前につんのめりそうになると、結弦くんはペースを落として、横に並んでくれる。
「ごめん、大丈夫?」
「う、うん」
首を縦に何度も振って頷く。
「ちょ!! なんで逃げるの~!!」
朱里さんが追いかけてくるが、その足は遅く、距離はどんどん離れていく。
手は繋がれたまま、夕日が沈もうとしている町を、二人で駆ける。
途中すれ違ったスーツを着た男の人が、何事かと視線を向けてくる。
私たちと、追いかけてくる朱里さんを交互に見てから、何やら納得したように頷く。
その様子が気になって振り返ると、優しげな表情を浮かべていた。
きっと、若い子たちが楽しそうにやっていると思われたのだろう。
状況は、決してよくはない。
結弦くんが女装男子であることがばれ、それはしっかりとスマホに録画されている。
だけど……
「ふふ……」
こちらに振り返る結弦くんが、笑顔を浮かべる。
なぜだか楽しそうな笑顔に、胸がドキリと音を立てた。




