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第二十二章:熱い期待と冷たい現実

 次の日の放課後、電車に乗ってスタジオがある駅にやってくる。

 前回と同じように受付を済ませ、ビルの中に入っていく。

 改めて見ると、建物は新しい。

 床にはほとんど傷がなく、壁は木目が入った高級感のあるディープブラウン。

 扉は部屋の用途によって色分けされている。

 前回と同じように女装し、ギターケースを背負った結弦くんが前を歩く。

 このビルのオーナーは、結弦くんのお母さんらしい。

 音楽スタジオが入ったビルを経営しているということは、音楽に縁がある人なのだろうか。

 興味深く辺りを見回していると、前回と同じ二階の部屋の前にたどり着く。


「どうぞ」


 結弦くんが扉を開けてくれたので、頭を下げて中に入る。

 視界の先に広がるのは、ドラムや機材が置かれた、音楽のための空間。

 二度目だけど、興味は尽きない。

 壁に掛けられたホワイトボードには、微かに文字の跡が残っている。

 音楽教室が行われていたのか、それとも音楽活動をしている方が、何らかの打ち合わせをしたのか……。

 マイクの位置は前回と変わっており、音の息吹が感じられる。

 綺麗に見えるドラムにも、よく見ると大小さまざまな傷がある。


「ドラム、叩いてみる?」


 前回と同じようにセッティングをしている結弦くんが、笑顔でそう聞いてくる。


「いやいやいや!!」


 ドラムを食い入るように見ていた私は、慌てて首を横に振った。

 興味がないわけではないけど、何の知識もない私が触るのは、失礼な気がする。

 ドラムスティックを持って、椅子に座ったところで、どう叩けばいいかも分からない。


「叩いてみると気持ちいいよ」

「え? ドラムも叩けるの?」

「ちょっとだけなら」


 ギターをエフェクターに繋いで、当然のように頷く姿に、感心してしまう。

 確かにあれだけのリズム感があれば、ドラムやベースも得意そうではある。

 アンプのセッティングも終えて、結弦くんが愛用のギターをスタンドに立てかける。

 ボディがアクアマリンの色をした、ストラトキャスター。

 ペグと弦が、天井の照明を浴びて、キラキラと輝く。


「ギター、弾いてみなよ」


 それをじっと見つめていると、ギターの隣に立った結弦くんがとんでもない提案をしてくる。


「いやいや、大切なギターに触るなんて……恐れ多いです!!」


 驚いて一歩下がると、波のようにうねるボディの輪郭に、艶が走る。

 大きなアンプの前に立つそれは、とても格好良く、神々しくさえ見えた。

 なにせ、私はこのギターを弾いているアニメのキャラに憧れて、興味を持ったのだ。

 途中で投げ出してしまった私には、不相応すぎる。


「いいからいいから」


 遠慮する私を気にせず、結弦くんはギターを持ち上げて、こちらに差し出してくる。

 その眩しさに、目がくらみそうになった。

 戸惑いながらも、ギターを見つめる。

 片側六連のヘッドに、弦が張られた丸みのあるネック。

 体が当たる部分が曲線状に加工されているので、滑らかな形状。


「ほら」


 一歩前に近づかれ、半ば強引に手を触れさせられる。

 恐る恐るそれを手に取った。

 右手でボディの下部分を持って、左手でネックを持つ。

 ギターを固定するためのストラップを、結弦くんが掛けてくれる。

 ふわりと香る、ベルガモットの香り。


「お、おお……」


 いつも結弦くんが持っているギターを、私が構えている。

 それだけで感動してしまう。

 重さは、使っていたギターとほぼ変わらない。

 少し大きいけど、角は丸くなっており、右腕が当たる部分が内側に折れていて、持ちやすい。


「弾いてみてもいいよ」

「え……?」


 弦を弾くためのピックを渡され、戸惑いながらも受け取る。

 完全に流されてしまっているけど、本当に良いのだろうか。

 大切にしてきたギター。

 肩に掛かったストラップからは、微かに結弦くんの匂いが漂ってくる。

 悪い匂いじゃなくて、むしろ良い匂い。

 不埒な気持ちを追いやって、落とさないように丁寧に持ち直す。

 ギターを持つのは数年ぶりだ。


「えーと……」


 とりあえず、左手でCコードを押さえてみる。

 五弦の三フレットを薬指で押さえてから、四弦二フレットを中指で、そして二弦一フレットを人差し指で押さえる。

 ド・ミ・ソの三つの音で構成される、代表的なコード。

 六弦を親指で軽く触れて、音が出ないようにミュートすれば大丈夫なはず。

 この状態で、右手のピックを弦に向かって振り下ろせば音が鳴る。

 下に向ければダウンストローク、上にあげればアップストロークだ。

 試しに、下に向けて弦を弾く。

 すると、スピーカーから拡張された音が鳴る。


「すごい……」


 思い通りの音が鳴ったことに、感動する。

 確か、私が良く弾いていた『マリーゴールド』は、ダウンストロークを三回繰り返した後、ダウンアップのストロークで始まっていたはずだ。

 後半はダウンアップダウン、ダウン、ダウンアップ。

 要するに手を上下させる動きなのだが、意外と覚えている。

 ゆっくりとだが、そのまま手を動かす。

 弦が弾かれ、ゆがみのない澄んだ音が鳴る。

 エフェクターを使っていない、アコギに近い音。

 弦が奏でる生々しい音とは違っているが、これはこれでかっこいい。


「えーと……」


 右手の基本ストロークはこのまま、左のコードを変えていく。

 Cコードの次はG/B《ジー・オン・ビー》、そしてAm《エー・マイナー》、最後にEm7《イーマイナー・セブンス》。

 ここからが少し忙しくて、さっきの半分のストロークでコードを切り替えないといけない。

 ギターを始めた時、この左手のコードチェンジにとにかく苦労した。


「おお、うまいうまい。ちゃんと弾けるじゃん」

「いやー……」


 ぱちぱちと拍手してくれる結弦くんに、眉をひそめて微妙な表情を返す。


「久々にやってみると、やっぱり難しいね」


 言いながら、なんとか手を動かしてみる。

 マリーゴールドは使用するコードが少なく、右手のストロークも簡単なので、慣れてしまえば手癖のように弾ける。

 これが難しくなると、複数の弦を指で押さえる繊細なコードを切り替えながら、右手で複雑なストロークを繰り返さなければならない。

 右と左で考えることが違うので、こんがらがってくる。


「うーん……」


 なんとかやってみるけど、結弦くんと比べると明らかにたどたどしい。


「確か、こう……」

「そうそう」


 手元を確認しながら、コードの場所を思い出す。

 繰り返し弾いていると、忘れていた感覚はちょっとずつ戻ってくる。

 難しい曲ならともかく、さっきの基本的なコードの繰り返しだ。


「――」


 そのまま、歌詞を口にしてみることにする。

 弾き語りというやつだ。

 左のコードをなんとか思い出したので、ストロークも早くしてみる。


「お……」


 こちらを見ていた結弦くんが、驚いた表情を見せる。

 体に刻まれた手の動きを無意識的に行い、歌詞を紡いでいく。

 私がマリーゴールドを何度も弾いていたのは、弾き語りがしやすいからというのもある。

 簡単なコードは体に馴染ませてしまえば、弦を確認する必要がなくなる。

 リズムは右手のストロークで取れるので、慣れれば歌いながらでもなんとかなった。

 不思議なもので、拙かった手の動きも、こうなればそこそこ様になってくる。

 そのまま、一番の歌詞を歌いきった。


「わー、すごいすごい!!」


 ストロークを振り切って手を止めると、結弦くんが感激の声を上げて拍手してくれる。


「弾き語りできるなんてすごいじゃん!! リズム感もばっちりだよ!!」

「ど、どうも……」

「やっぱり優子ちゃんはすごいなー」


 褒められ慣れていないので、恥ずかしい気持ちになる。

 でも、悪い気はしない。

 多分、今は頬がゆるゆるの、むちゃくちゃだらしない顔をしてる……。

 改めて、手元のギターに視線を向ける。

 すごく綺麗に手入れされてるけど、よく見ると傷は多い。

 色が剥げている部分は少ないので、大事には使っているのだろう。

 だけど、ピックや弦でついたと思われる傷は、練習量を物語っている。

 こんな大切な物を弾かせてもらったなんて、感無量だ。


「ありがとうございます!!」


 私はストラップを外して、慎重にギターを渡す。


「ギターでもセッションできるといいね」

「う、うん」


 結弦くんのテクニックについていくのは難しそうだけど、面白そうではある。

 少しギターに触れたことで、また弾いてみたくなった。

 たぶん、家の中のクローゼットに眠っていると思う。

 弦、錆びてなければいいけど……。


「よいしょっと」


 結弦くんがストラップを掛けて、ギターを構える。

 それだけなのに、不思議とスタイリッシュに見えた。

 女である私が羨ましいと思えるくらいにかわいいのに、ギターを構えると途端にかっこよくなる。

 女装をしているからこそ、映えているのだろうか。

 私が好きだったアニメに出てくる女の子も、演奏をしているシーンではとても輝いて見えた。


「そうだ。来週から夏休みだけど、ライブのエントリーどうしよっか?」


 ふと、ギターを構えたままそう聞いてくる。


「あ……」


 そう言えば、結局その話はずっと曖昧になっていた。

 あの図書館の中庭で話した日「成績が上がれば参加できるかも」と、言ったくらいだ。

 舞台に立つという心理的な壁は突破できていないが、気持ちは参加したいという方に向いている。

 ただ……


「えーと……」


 今、それとは別の壁が立ちはだかっている。

 成績は上がったけど、お母さんは夏期講習に通ってほしいと言っている。

 そうなれば、練習する時間なんて取れないし、とても参加は出来ない。

 確か、エントリーは夏休みが始まる前までと言っていた。

 明日は土日で、週が明けたら二日後に夏休み。

 もう時間がない。


「どうしよう……」


 お母さんの言葉を受け入れるなら、諦めなければならない。

 自分の将来を考えるなら、それが正しい選択だ。

 でも、諦めきれない自分がいるのも確かではある。


「まだ、迷ってる?」


 少し躊躇いがちに確認される。

 私は唇を噛んだ。

 正直な気持ちを言えば、結弦くんと一緒にライブに出てみたい。

 夏休みに練習ができるのなら、もっと彼と一緒に居られる。

 だけど……今の自分に、そんな権利はあるのだろうか。

 自分の気持ちをはっきりと言えず、友人のために怒ることすら出来ない。

 こんな自分が近くにいたら、迷惑じゃないかと思ってしまう。


「週明けまで……待ってもらってもいい?」


 少し考えて、口から出てくるのは曖昧な返事。

 そこまで待っても、事態が変わるとは思えない。

 お母さんが厳しいのはあくまで勉強だけだから、普通には接してくれている。

 だけど、早めに決断して欲しいと、念は押されていた。


「うん、もちろん。無理はしなくていいからね」


 こちらの気持ちを察してか、そうフォローしてくれる。


「でも、ぼくは優子ちゃんと一緒にライブに出たいな。さっきの弾き語りも、本当に凄かった!!」


 だけど、笑顔を浮かべてそう言い切る。

 求められていることは、とても嬉しい。

 その一言だけで、胸が熱くなる。

 今の状況とそんな気持ちが交差し、胸の中にもやもやが浮かび上がってくる。

 私はどうするべきなのだろう……。

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