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第二十一章:酸素と共に絞り出す想い

 帰り道、とぼとぼと道を歩く私は、自然とカラオケに向かっていた。

 テストが終わり、今日は補習がないので、いつもより帰るのが早い。

 家に帰れば、在宅ワークをしているお母さんがいる。

 今の状況で、顔を合わせるのは辛い。

 受付を済ませた私は、部屋に入りソファに腰を下ろす。

 重い鞄をソファの上に置くと、身体は少しだけ軽くなる。

 柔らかい背もたれに体を預けて、天井を見上げる。

 薄暗い照明が、ぼんやりと部屋の中を照らしていた。

 離れた部屋から聞こえる、誰かの歌声。

 スピーカーから流れる重低音が、床を揺らし壁を叩く。

 騒がしい場所ではあるけど、ここにいると落ち着く。

 大好きな音楽が溢れているからだ。

 歌うのはもちろん好きだけど、たまに聞こえてくる知らない人の歌声に、耳を澄ますのも嫌いじゃない。

 微かに聞こえる音に居心地の良さを覚えながら、ぼーっと頭で考える。

 胸の中でもやもやと蠢き続ける、嫌な気持ち。

 それは、厄介な魚の小骨のように、ちくちくと心に突き刺さっている。


「ああ……もう……」


 ぐるぐると回り続ける、暗澹《あんたん》とした気分。

 何度振り払おうとしても、まとわりつく。

 母に対する不満や、朱里さんに対する怒りだけなら、ここまでの気持ちにはならない。

 厄介なことに、私はそこから生じた想いを、自分に向けてしまっている。

 将来のことではなく、目先の余暇だけを考えていた愚かさ。

 相手の身勝手な言葉に、意見できない不甲斐なさ。

 それらが合わさって、自分が愚かでちっぽけな存在に見えてくる。

 ずっと考えていると、関係ない過去の失敗を思い出し、今回の事と関連付けてしまう。

 そのまま、ネガティブな思考の沼にはまっていく。


「私なんて……」


 と、陰キャらしい自虐の言葉に、自嘲さえ浮かんでくる。

 この自己評価の低さこそが、私という人間を作り上げている。

 どんなに理不尽な目にあっても、まずは自分に原因があるのではないかと疑う。

 今回のことは、私に大きな落ち度は、ないのかもしれない。

 そう考えても、自分自身がそれを否定してしまう。

 憧れの人を独占したいという欲深さと、自分の身を守ることを最優先にした意地汚さ。

 心の中にある沼の底から、泥にまみれた私が「お前はそういう人間なんだ」と囁く。


「やっぱり私って、こんなもんだよね……」


 舞い上がっていた自分を思い出し、急に恥ずかしくなる。

 自分のことしか考えていなかった姿は、本当に滑稽だ。


「……」


 ため息すら吐く余力もなく、私は机の上に置かれたデンモクに目を向ける。

 この憂鬱な気持ちを払ってくれるのは、やっぱり歌しかない。

 それを手に取り、太腿の上に乗せる。

 指先で画面に触れると、灯りがともり、カラフルな色が顔を照らす。

 どんなに落ち込んでいても、この画面だけは色付いて見える。

 だからこそ私は、落ち込むとここにやってくるのだ。

 閉鎖された薄暗い部屋で、何も気にせず歌う。

 自分の気持ちすら口に出来ない私には、おあつらえ向きの娯楽。

 こういう気持ちになった時に、歌いたくなる曲がいくつかある。

 画面をタッチし、目的の曲を探し出す。

 今の気分にぴったりの曲、思い浮かんだのは『ノンブレス・オブリージュ』

 人の声ではなく、音声合成ソフトによって作られた、いわゆるボカロ曲。

 ボタンを押して、曲を本体に送信する。

 マイクを手に取るのと同時に、画面には曲のタイトルが表示された。

 私はそれを見据える。

 中央のモニターにMVが表示され、単調で静かなピアノが流れる。

 静かな始まり。

 だけど曲が歪んだ瞬間、指を弾くような小気味のよい音と共に、物凄い早さで歌詞が流れていく。

 人の声では再現が難しい、早口な言葉の応酬。

 人間ではなく機械が歌うことを想定されたその曲に、息継ぎをする場所はほとんどない。

 現代社会の生きづらさを綴った歌詞。

 正確にリズムを取りながら、言葉を発し続けないと、あっという間に置いて行かれる。

 一言でも間違えば破綻する歌詞を、必死に口にしていく。

 大変だけど、今の私にはそれが心地よかった。

 サビに入り、一時的に言葉の応酬はなりを潜める。

 今までとは違い、物事に立ち向かうような力強い歌詞が、胸に響く。

 だけど、この曲の本当の盛り上がりは、ここじゃない。


「――!!」


 ある言葉をきっかけに、曲が跳ねる。

 それと共に、一つのフレーズが連続で繰り返されていく。

 息を吸うタイミングはなく、それは容赦なく肺の中の酸素を奪う。

 息苦しさを覚えながらも、憂鬱さと共に言葉を吐き出す。

 一旦落ち着いたと思いきや、またすぐに続く、生きづらさを綴った歌詞――


「――!!」


 ほとんど息継ぎなしで歌唱して、その後にまた言葉の繰り返し。

 肺の中の酸素はほとんどなく、だましだまし息を吸っていく。

 しかしそれは十分ではなく、声は次第に裏返り、細くなっていった。

 その極限で、やっと一拍だけ呼吸ができる。

 肺を締め付ける苦しさと共に、歌詞の意味が心に入り込んでくる。

 自分の愚かさや矮小さに押しつぶされそうになりながら、そんな人間もいるんだという主張。

 それは、まさに私の心の代弁――


「はぁ……!!」


 曲の終盤になると、連続で繰り返される歌詞が、さらに倍になる。

 苦しいと思っても、曲は終わらない。

 肺から息を絞り出し、苦しさに喘ぐ。

 一度だけ大きく息を吸って、そのままの勢いに任せて、続きの言葉を捲し立てる。


「はぁ……はぁ……」


 歌い終わる頃には、すっかり息は上がっていた。

 マイクを持ったまま俯き、ゆっくりと息を吸う。

 酸素と共に心にあったもやもやが、一時的に吐き出され、頭がからっぽになる。

 どんな感情も、歌っている間は忘れられる。

 この感覚は、本当に気持ちいい。

 心に浮かび上がってくる、高揚感。

 下を向いたまま、口元をゆっくりと吊り上げる。


「おー、すごいすごい」


 すると、そんな声と共に拍手が響いた。

 顔を上げると、入り口にエプロンを付けた結弦くんが立っている。


「ひあ!? いつの間に!?」


 酸素を使い切ったはずなのに、驚くほど大きな声が出る。

 どうやら、私にはまだポテンシャルが秘められているらしい。

 のけ反ったまま、恐る恐る結弦くんに顔を向ける。

 ウルフカットの髪にはエクステがついておらず、男の子の姿。

 メイクもしていないけど、微笑む顔はやっぱり中性的だ。


「ボカロ曲、難しいのによく歌えるね。しかも、ノンブレス・オブリージュ」

「ど、どうも……」


 ぺこりと頭を下げる。

 気をつけようと思っていたはずなのに、やっぱり歌っていると、周りが見えなくなってしまう。

 それほど集中できるからこそ、ストレス発散になるのだけど……。


「あ、すみません。優子ちゃんを見掛けたから、つい入ってきちゃいました」


 身体の前で手を合わせて、結弦くんは頭を下げる。

 仕事中は敬語で話していた彼だけど、最近は女装している時とあまり変わらない。

 距離が縮まった気がして、正直それは嬉しかった。


「優子ちゃんの曲って、しっかり感情が声に乗ってるよね。聞いてると、凄く胸に来る」

「え、あ……ど、どうも……」


 嬉しいはずなのに、不器用な言葉しか出てこない。

 気持ちが落ちているからというわけではなく、陰キャ故に、褒められたらどういう反応を取っていいか分からないだけ。

 端的に言えば、照れている。


「ぼくの勘違いならいいけど、何かあった?」


 俯いてもごもごしていると、結弦くんは笑顔を浮かべたまま、少しだけ眉をひそめてそう聞いてくる。


「あ……えっと……」


 的を射た発言に、言葉が詰まる。

 朱里さんに誘われて来るとき以外は、ストレス発散であることが多い。

 歌詞に想いを載せるのは、表現の一つでもあるけど、自分の気持ちをそのまま重ねている部分もある。

 結弦くんには、私の心の変化がお見通しだったりするのだろうか。


「その……ずっと補習続きだったから、疲れてて……」


 でも私は、下を向いたままそう言ってごまかす。

 今本音を口にしてしまえば、折角押しやった気持ちが、湧き上がってきそうだから。


「そっか、ずっと頑張ってたもんね」


 嘘をついた私に対して、結弦くんはそうやって労ってくれる。

 少し罪悪感。


「おっと、仕事に戻らなきゃ」

「あ、うん……」


 もう少し話していたいけど、仕事の邪魔をするわけにはいかない。

 寂しさに、ちょっとだけ戻ってくるもやもや。

 自分の気持ちさえ口に出来ないのに、一方的に気落ちする自分は、やっぱり情けない。


「それじゃ、またね」

「う、うん。また」


 名残惜しいけど、顔を上げて手を振る。


「あ……」


 ふと、扉を開けたところで、結弦くんが声を上げて足を止めた。

 ドアノブに手を掛けたまま、こちらに顔を向ける。


「明日、スタジオに行くけど、一緒に行く?」


 ダークブラウンの瞳が細められて線になり、笑顔が作り出される。

 その顔を見て、胸が温かくなるのを感じる。


「あ、い……行きたい!!」


 私はマイクを持ったまま、勢いよく立ち上がる。

 その瞬間、スピーカーに向けられたマイクがハウリングし、甲高い音を立てた。


「わぁ!?」


 その音に驚き、声を上げる。


「あはは、OKわかった。仕事終わったら連絡するね」


 そんな私がおかしかったのか、口元に手を当てて笑い、そう言って去っていく。

 静かに閉められる扉。

 私は立ったまま、目をぱちくりと動かす。

 その瞬間、胸に抱えていたもやもやは、完全に消え失せていた。

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