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第二十章:空は再び曇る

 次の日の朝、私は机に突っ伏していた。

 昨日の両親との話し合いの後、急に疲れが襲いかかってきて、すぐに寝てしまった。

 おかげで身体は軽いが、気持ちは沈んだまま。

 テストは本当に頑張ったと思う。

 登校してきた時、仲の良い女子生徒が褒めてくれた。

 それは単純に嬉しい。

 でも私が頑張ってきたのは、結弦くんと過ごす時間を作るため。

 昨日のお母さんの話を聞いて、自分の浅はかさに、落ち込んでいる。

 何のために成績を上げるのかと言えば、将来のためだ。

 短絡的に、目の前の報酬を得るためだけに頑張ってきた自分が、小さく思える。

 もちろんそれは、文化祭のライブに出たいという、目標が出来たから。

 それも結局、気になる男の子と過ごせるという、不純な気持ちの上に成り立っている。


「はぁ……」


 全身に蔓延する憂鬱さ。


『あなた、今やりたい事や目指したいものって、ないわよね?』


 あの時のお母さんの問いかけが、頭に何度もリフレインする。

 自分のやりたいことに自信が持てれば、私は躊躇うことなく夢を語れたはずだ。

 なのに、好きなことに対する想いにすら、疑問を抱いてしまった。

 頭を腕に置いたまま、顔を横に向ける。

 九十度に傾いた世界の中に、自習をしている生徒の姿が映る。

 入口近くに座っている男子生徒は、法学部を目指すと言っていたと思う。

 そして、その二つ後ろに座っている女子生徒は、教員免許を取りたいと言っていた。

 みんな夢があって、この特進科にきている。

 親に言われて仕方なく通っているのは、私くらいじゃないだろうか。

 結弦くんも、明確な将来の夢を持っている。

 その上で、女装してギターを弾くことを躊躇わず、全力でやりたいことをやっている。

 私とは、正反対の存在――

 そんな彼に憧れて、少しでも近づきたいと思った。

 結弦くんが友達と楽しそうに話しているのを見て、嫌な気持ちになったのを思い出す。

 私は結局、眩しい存在である彼を、独占したかっただけ。

 だからこそ、ライブに出たいと言えなかった。

 それは、まやかしの夢に過ぎないのだから。


「くそ……」


 と小さく毒づいたのは、母に対してではない。

 愚かしく醜い自分に向けたもの。

 努力は確かに数値に現れた。

 でもその先の希望が叶わなかったのは、それが不純な動機だからだろうか。

 傾いた教室が、ぼやける。

 目じりに浮かぶ涙。

 私は一体、何に対して悲しみを覚えているのだろう。

 自業自得な結果でしか、ないというのに。

 顔を腕に埋めて、目を瞑る。

 意識は、憂鬱さに飲まれていく。


「優子」


 その時、頭上から声が聞こえる。

 威圧感のある冷たい声。

 私は倦怠感に負けそうになりながらも、ゆっくりと顔を上げる。

 視界に入るのは、立ったままこちらの机に手を置いて、見下ろしている朱里さんの姿。

 その目が、すっと細められる。


「お、おはよう……」


 いつもとは違う雰囲気に、気圧されながら挨拶する。

 朱里さんは何も言わず、鞄からスマホを取り出すと、それをこちらに示した。


「あんた、本当はこの子と知り合いなんじゃない?」


 画面に表示されているのは、女装をしてギターを弾く結弦くんの姿。


「え……」


 鋭い指摘に、口ごもる。

 何の前置きもないその言葉に、完全に思考を奪われてしまう。

 「私とこの子が知り合いなわけがない」と言っていたのに、どうして……。


「あの子が、優子と一緒に居るのを見たって人がいたんだけど?」


 朱里さんがスマホを机の上に置き、椅子を引いて座り込む。

 向けられる厳しい視線。

 混乱しながらも、私は表情を取り繕う。


「知り合いなんでしょ?」

「えっと……」


 どう答えればいいか分からず、言い淀む。

 朱里さん自身が見たわけではないのなら、誤魔化すことはできる。

 ただ、朱里さんは行動力があり、鼻も利く。

 この通り、自ら目撃者を見つけているくらいだ。

 下手な嘘は、見破られてしまうのではないだろうか……。


「知り合いというほどでも……」

「は? 自分だけ知り合いで、優越感って感じ?」


 顔を近づけて、威圧感を感じさせる声を上げる。

 相手の機嫌が悪くなったのが分かり、背筋が凍る。


「そ、そうじゃなくて……」


 震える唇。

 動画を無断アップロードするような朱里さんを、彼に会わせるわけにはいかない。

 優越感や嫉妬ではなく、良いことにならないのは目に見えている。


「本当に、たまたま声を掛けられただけで……」

「だったら、連絡してくれればいいじゃん」

「それは、そう言われる前だったから……」


 一緒にいられるのを見た人がいるとしたら、恐らくあの図書館の中庭で話した日か、それより前だと思う。

 これなら辻褄は合うはず。


「あんた、私のことなめてない?」

「そ、そんなことないよ……」


 冷たい声が教室に響く。

 辺りが静まり返ったのが分かった。

 何人か視線を向けてくるけど、声を掛けてくる人はいない。

 朱里さんの機嫌が悪い日は、いつもこんな感じだからだ。

 憂鬱な心の中に、恐怖が浸透し、体が震える。


「本当は面識あるんでしょ? 繋いでくれたっていいじゃん」


 いくら否定しても、朱里さんは引こうとしない。

 それこそが、この人の強さなんだと思う。

 自分が確信を得られなければ、絶対に信じない。

 相手に会えなければ、諦めるのではなく、周りに聞き込みをしてでもたどり着こうとする。

 やっぱり朱里さんも、私とは違う。

 だからこそ厄介だ。


「本当に、名前も知らなくて……」


 嘘で押し通そうとするが、しどろもどろだ。

 気分が落ちていることもあって、思考がまとまらない。

 話せば、楽にはなるのかもしれない。

 だけど一度そうしていまえば、この人はあっという間にたどり着く。

 結弦くんが女装男子と知ったら、間違いなく動画のネタにするはず。

 そうなったら、彼は……。

 怖じ気づきながらも、相手の目を見返す。

 とにかく、知らないと言い続けるしかない。


「本当だろうな?」

「う、うん……」


 大げさに、首を縦に振る。


「くっそ、使えないなー」


 朱里さんが苛立たしげにそう言って、顔を引いた。

 とりあえずしのいだことに、ほっと息を吐きながら、目元に浮かんだ涙を拭う。


「情報がなさすぎて、SNSも見つからないんだよなー。あんたが手掛かりになると思ってたんだけど」

「ご、ごめん……」


 スマホの画面に目を向ける朱里さんに、頭を下げる。

 これ以上機嫌を損ねたら、何を言われるか分からない。


「私のおかげで有名になれたんだから、感謝されてもいいくらいなんだけどなー。ま、地元にいるのは分かってるから、そのうち会えるか」

「え……?」


 何気なく言った言葉が、神経を逆なでする。

 明らかな盗撮なのに、まるで恩人にでもなったつもりでいるのが、信じられない。

 結弦くんの動画が伸びているのは、自分自身で磨き上げてきた、テクニックのおかげだ。

 朱里さんのチャンネルで動画が伸びているのは『God knows...』というアニソンの知名度と、彼の見た目による一過性のもの。

 彼の指を、ずっと見てきたから分かる。

 あれは一朝一夕で出来るものじゃない。

 地道な積み重ねによって生み出されたテクニックだ。

 彼に撫でられた時の感触。

 あの時、指にタコが出来ているのが分かった。

 細い弦を指で強く抑え続けた結果、皮膚が硬くなってできる弦だこ。

 数ヶ月でギターを投げ出した私の指には、それがない。


「く……」


 言い返そうとするけど、言葉が出てこない。

 それは違うと思うよ――

 そんな一言すら、私は口にすることができないのだ。

 昨日の母親の時と一緒。

 力あるものに睨まれたら、何も言えなくなってしまう。

 情けなさに指が震えた。


「とにかく、今度見掛けたら確実に教えて。あと、私のこと伝えておいて」


 一方的に向けられる要求。

 それは友達に対するものではなく、都合の良い小間使いに向けた言葉。


「う、うん。分かった……」


 ひきつった顔で、頷く。


「お願いね。助かるわー」


 朱里さんがあげた明るい言葉に、私は安堵を覚えている。

 同時に、言い返せないことを、情けなく思った。

 結弦くんのためなら、朱里さんの言葉に反論し、頼みを断ることもできたはずだ。

 でも浅ましい私は、身を守ることを優先した。

 黒い気持ちが、心の奥底から溢れてくる。

 朱里さんに対してじゃない。

 やはりそれは、自分に対する気持ち。

 小賢しい自分が、本当に下劣に見える。

 大切な人すら守ることができないのに、何を浮かれていたのだろう……。

 ぎりっと奥歯を噛む。

 今の私に、何かを訴える権利は……ない。

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