第十七章:憧れの先へ
声を出したおかげで、落ち着いた私は、真正面を見る。
綺麗に切りそろえられた高い植木は、この空間を外界から隔てている。
遠くから声は聞こえるが、通路に人は通らない。
教室の半分もない広さのこの中庭は、二人きりの空間。
日は遮られ、時折風も吹いているので、居心地はいい。
でも、心はそわそわとする。
ちらりと隣に座る結弦くんに視線を向ける。
声を上げた私に対して「本当にごめんね」と頭を下げて、落ち着くのを待っていてくれている。
取り乱してしまった自分を情けなく思い、目を閉じた。
微かに感じる鼓動。
それは普段に比べると少しだけ早い。
気のせいだろうか、二人の間に流れる空気が、今までとは少し違って感じる。
私が一方的に翻弄されているのは、相変わらずだけど……。
彼もまた、いつもとは様子が違う。
さっき言われたことを思い出す。
『いつもより可愛いから』
それは、どういう意図で言ったのだろう。
頭の上に感じた柔らかな感触を思い出し、胸がほんわりと温かくなる。
髪を梳く指先は、今でもはっきりと思い出せる。
顔に戻ってくる熱。
そう言えば、結弦くんに声を掛けた時、驚いた顔をしていたのを思い出す。
普段より、ほんの少しだけ気合いを入れた服装。
それが印象に残ったのなら嬉しい。
でも、「いつもより」ということは「普段はそんなに」というニュアンスを含んではいないだろうか。
『綺麗な顔』
そんな時に頭を過ぎる、顎クイされた時の記憶。
あの時は学校帰りで、最低限のメイクしかしていなかった。
それでも、褒めてくれたのなら……。
「いやいや……」と、心の中で否定して、首を振る。
いくらなんでも、自分の都合の良いように取りすぎだ。
人気の高い朱里さんならともかく、私に褒められるところなんてない。
やっぱり、自意識過剰だろうか。
そもそも、スタジオに行った日から、私たちはほとんど顔を合わせていない。
そんな状態で、進展なんてあるはずがない。
狭いベンチに寄り添い、触れ合う肩。
ふとした時に相手の熱を感じ、心臓がドキリと跳ねる。
テスト期間で会えない中、私の彼に対する気持ちは少しずつ膨らんでいた。
純粋な「会いたい」という気持ち。
セッションしたあの日が、最高に楽しくて、またあの感覚を味わいたいと思った。
もしそれが、彼も同じなのだとしたら……。
もう一度、結弦くんに視線を向ける。
「あ……」
と、声を上げたのは二人同時だった。
相手に向けたそれぞれの視線が、重なり合う。
向けられるダークブラウンの瞳は、相変わらずとても澄んでいて、綺麗だ。
灰色のフィルターがかかった世界でも、それはきっと色付いているだろう。
彼が、優しげに口元を緩める。
何も言わず、やはり言葉を促しはしない。
どうして、彼は私を呼び出したのだろう。
いや、理由は分かっているはずだ。
結弦くんが望むのは、私と一緒に文化祭のライブに出ること。
舞台に立つ決心はまだついていないけど、求められるのは嬉しい。
思いながら、口を開く。
「あの、結弦くん。今日って、なんで会いに来てくれたの?」
すんなりと、出る質問。
望んでいる答えを期待して、相手の答えを待つ。
結弦くんは、きょとんした表情を浮かべる。
「え? 優子ちゃんに、会いたかったからだけど」
そのまま、間を開けることもなく、当たり前のようにそう口にする。
「え?」
あまりにも真っすぐな返事に、言葉を失う。
それは、何の打算もない純粋な反応。
私にはとても口にできない、真っすぐな言葉。
「ぅ……」
なんて答えていいか分からず、蛙のように呻く。
歯が浮くようなそんな台詞を、どうして口にできるのだろう。
向けられた思いに、のぼせそうになる。
私を勧誘するために呼んだというのなら、納得できる。
それが、彼に唯一提供できる私の価値だ。
だから私は、頑張ってそれを死守しようとした。
今は会えなくても、良い成績を取れれば、夏休みに時間が取れる。
そしたら、またあの時みたいに、二人だけで楽しく過ごせる。
それが、私の打算。
彼はそんな私とは違い、純粋に「会いたかった」と口にしてくれた。
もちろん、私も同じ思いではある。
だけどそれは、一方的な気持ちだったはず。
「えーと、その……」
嬉しい想いが、溢れてくる。
結弦くんも朱里さんも、はっきりと自分の考えを口にできる。
だけど私は、周りの目を気にして、気持ちを抑えてばかりだった。
自分の進路にすら口を出せず、苦労している。
右手の拳をぎゅっと握る。
胸に溢れる純粋な気持ち。
できればそれを、ちゃんと伝えたい。
それだけなのに、握った手は震える。
aikoの『カブトムシ』
Aimerの『カタオモイ』
tuki.の『純恋愛のインゴット』
曲であれば、どんな気持ちだって口にできるのに……
たった一言が重い――
「うん」
結弦くんは言葉を促すことなく、ただ静かに頷く。
この想いはきっと、恋ですらない。
劣等感から生まれた、一方的な憧れ。
それを一歩前に進めるとすれば、今ここで気持ちを口にするしかない。
身体を少しだけ斜めに向ける。
膝の先が、相手の太ももに触れた。
目の前に一本のマイクが立っているのを想像する。
サビに向けて、お腹の底へ一気に空気を吸い込む、あの感覚。
心臓が、ドクンと跳ねた。
「私も……会いたかった」
そして、素直な気持ちを口にする。
途端に、恥ずかしさが溢れてきて……
「なんて、えへへ……」
と、俯いて口元に手を当てる。
堂々と言えればよかったけれど、やっぱり無理だった。
それでも、言いたかったことは言えた。
相手の顔を見る勇気はない。
でも、心の中に浮かぶのは、照れと清々しさが混ざったような、悪くない感情。
二人だけの空間に、静けさが訪れる。
触れる肩と脚から伝わってくる熱が、少しだけ高い気がする。
しばらく、その静寂が続いて……
「そっか」
と、呟くような声。
「うん、嬉しい!!」
そして、聞こえるいつもの明るい声。
顔を上げると、結弦くんが目を細めてニコリと微笑んでいる。
女装にふさわしい、かわいらしい表情。
でも、少しだけ頬に赤みがさして見えた。




