惹かれ合うのは、必然だった。
アジィルが動く音が消えると、魔導陣が静かに起動した。
揺らめきながら立ち上った紫の不気味な光が、床を濡らす多量の血を啜るように這い始めると、触れた側から血が消えていく。
やがて光は転がった死体の上まで這い回り、少ししてから兵士の体もアジィルの体も、溶けるように消えた。
シドの頬にまで這い上がって血を舐めとった光の触手も、満足したように消え失せていく。
「久々の生贄は美味しかったみたいだねぇ。どれくらいぶりなんだろうね〜?」
呑気そうな様子で呟く彼に、ゾゥラは首を横に振る。
「少なくとも、わたくしの代にはないです。……大地に眠る魔王の力に、何かを与えたことは」
それもゾゥラ自身、シドに教えて貰って知ったことだけれど。
アマゾニアの女性が影響を受けているのは、決して女神の恩恵などではなかった。
この門も、外からの侵入を防ぐものではない。
中にあるモノを封じているのだ。
「あは。ゾゥラは、この中のモノをもっと欲しいと思う? 君が欲しいなら、あげるよ〜?」
優しく頬を撫でながら、シドはそう口にした。
まるで、この扉を開く方法を知っているかのように。
けれど、ゾゥラは小さく首を横に振った。
「望みません。……わたくしは、貴方と共に静かに暮らすこと以外の、何も望んでいません」
そのまま彼の胸元に体を寄せて、胸元に額を押し付ける。
「わたくしを、殺さなかったのですね」
「何で?」
ゾゥラが問いかけると、剣を鞘に納めたシドが体を抱き締めてくれた。
耳に聞こえる声音は、心の底から不思議そうだった。
「僕は、君が欲しい、って言ったよねぇ? そんなこと、する訳ないじゃない〜?」
「シドは、嘘つきですから」
「あはは。僕はゾゥラに対して、嘘なんてつかないよ〜」
ーーーわたくしは、貪欲です。
彼からの愛の言葉が欲しくて、こうやって甘えて、わざと問いかけてしまう。
「貴方になら、殺されてもいいと思っています」
「僕は殺したくないな〜。だって愛してるからねぇ」
ゾゥラは彼に見えないから、微かに笑みを浮かべた。
本当ならいい。
でも、嘘でもいい。
利用されているだけなのだとしても、それでいい。
本当に愛してくれているなら、それが一番いい。
そんな風に思いながら、ゾゥラは包み込まれている幸福に身を委ねる。
「……わたくしも、愛しています。シド」
出会ったあの日から、ずっと。
※※※
ーーーシドと出会ったのは、嵐の日だった。
山にある、アマゾニア王都の天気は変わりやすく、ギシギシと窓が軋む程の風が吹き荒れていた。
「寝つけないのかな〜?」
夜遅くにいきなりそう声を掛けられて、水差しを手にしようとしたゾゥラはバッと振り向く。
「あは、綺麗だな〜。思った以上だねぇ」
そこに立っていたのが、外套からポタポタと雨水を垂らし、手に白い刀身の剣を……抜き身の剣を握った青年だった。
どこから侵入したのか。
一体、寝室に侵入したこの男は誰なのか。
全く分からなかったけれど、ゾゥラは驚き過ぎて、声を上げることも出来なかった。
「叫んでもいいよ。皆起きないようにしてあるから、無駄だけどねぇ」
糸のように細い目と、張り付いたような笑顔。
驚きで早鐘を打っていた心臓が落ち着いてくると、ゾゥラは掠れた声で問いかける。
「……殺したのですか?」
「そうして欲しいなら、そうするけどねぇ。今のところはまだ、そんなつもりはないかな〜?」
ーーーそんなつもりはない?
胸元でぎゅっと両手を握り締めて、ゾゥラは青年に問いかける。
「何者なのです、貴方は」
暗殺者だとしたら、声を掛けてくる必要などない筈だ。
そう考えて、ゾゥラは心を落ち着ける。
「シドルフス・ドラグロ。うちの国がここを攻めようとしてるって聞いてねぇ。強いらしいから、どのくらい強いのか興味があってさ〜」
あは、と笑った彼の名乗りに、ゾゥラは眉根を寄せる。
「ドラグロ王国が……?」
「そ。まぁでも、確かにうちの連中じゃ勝てなさそうかな〜。僕がいなければ、だけどねぇ」
ぐしゅ、とブーツの水気を含んだ足音と共にカーペットを踏んで近づいてくるシドを、ゾゥラは冷めた目で見つめた。
「殺すのであれば、どうぞ」
そう口にすると、彼が足を止める。
「怖がらないねぇ。若き女王は豪胆なのかな〜?」
「誰にも気づかれることなく、この場所まで来れるような方が相手です。既に降されたようなものでしょう」
本心は、どうでも良かったのだ。
女王の立場は、与えられただけのもので。
自分のやるべきことは、『皆を守るように』と言い聞かせられただけのもので。
その地位で、ゾゥラ自身がやりたいことなど、何もなかったから。
ゾゥラは、シドに対して恐怖らしきものは感じていた。
けれど、どこか暴漢や大きな男性に感じるものとは違った。
それは、同じ人間に対するものというよりは、相容れないと一目で分かるものに対する反発。
神を目の前にしたなら、もしかしたらこういう気持ちになるのではないか、というような。
「女王として、無様を晒してはならない。そう教えられて生きて来ましたので」
「……想像と少し違うな〜。やっぱり会ってみないと分からないもんだねぇ」
シドは軽く頭を振って髪から目元に落ちてきた水滴を払い、剣を肩に担ぎ上げる。
その剣自体にも、ゾゥラはシド自身から感じる奇妙な気配を感じていた。
「魔王の加護を受けた女王、なんて、もっと傲慢なのかと思ってたんだけどねぇ」
「魔王……? 女神の加護ではなく?」
「気づいてるでしょ? 僕も、君に感じてるよ〜。聖剣の遣い手に本能的に牙を剥いてる『力』の存在を」
ーーー聖剣……。
言われて、その剣やシドから感じる気配が、畏怖や敵意といったものではないことに気づいた。
それらを含んではいるけれど……やっぱり『反発』と呼ぶのがしっくり来る、その気配。
「女神の加護を得ているのは、君たちじゃなくて僕の方だよ〜。勇者だからねぇ」
片目を閉じたシドは、手にした剣を軽く振る。
すると水滴が飛び散り、カーペットに半円の弧を描いた。
そうして剣を鞘に納めた彼は、目の前に歩み寄ってくる。
「君って不自由だよねぇ。自由になりたいって、そう思う?」
「……?」
ゾゥラには、唐突に掛けられたその質問の意味が分からなかった。
「どういう意味でしょう」
「君は、空っぽなんじゃないか? 僕も一応王太子でねぇ。女王として生きることを窮屈に感じているし、それはゾゥラ・アマゾニア自身のやりたいことでもないんじゃないかな、って思ったんだけど」
「……!」
自分の内心を正確に見抜かれて、思わず息が詰まる。
「選ぶ自由が、欲しくない? 僕も欲しいんだよねぇ。……この退屈な世界で、他の人間の期待も欲望も、女神のご意志とやらまでも無視して生きる自由が」
まるで悪魔のようなシドのその囁きは、抗い難い魅力を秘めていた。
「自由……」
「そう、どうかな? ゾゥラは、完全な自由が欲しい? それとも、選択肢くらいでも満足出来るかな〜?」
それは、ゾゥラにとって初めての言葉だった。
物心ついた頃から、女王として生きなければならない、と定められた人生に、突如現れた誘惑だった。
ーーー自由……。
突然、自分の心の奥底から湧き上がったどうしようもない渇望を、自覚した。
『欲しい』と望んでいることを、突きつけられた。
それは自分の身を押さえつけていた地位と責任の、全てを吹き飛ばしそうな程に、身の内に吹き荒れる情動だった。
固まったまま真っ直ぐにシドの顔を見つめると、初めて、彼の張り付いたような笑いが種類を変える。
目が軽く開かれると、鮮やかな紫色の瞳がはっきりと見えた。
その目を見た瞬間、彼が同じ渇望を抱えていることに、ゾゥラは気づく。
「僕はゾゥラが欲しくなった。今、僕の言葉を聞いて飢えた君の目は、とっても魅力的だ。殺し合うのではなく、愛し合わないか?」
「愛……」
「そう。僕たちで全部壊して、都合のいい世界を作ろう。僕たちが世界を選び取るんだ。……ただ、それをする為には、一つだけ君の自由にならない条件がある」
「どのような条件でしょう?」
ゾゥラは、惹き込まれるようにそう口にしていた。
あまりにも魅惑的な言葉運びに、今まで決して自分の周りには存在しなかった言葉に、抗うことが出来なかった。
「ゾゥラ・アマゾニアがシドルフス・ドラグロを伴侶に選ぶこと、だよ〜」
シドは、柔らかい笑みを浮かべながら手を差し出してくる。
「君が僕を選ぶなら、君自身のことは好きなように選んでいいよ〜?」
自分で生き方を選んでいいと……彼は、そう口にしたのだ。
だからゾゥラは、望みを口にする。
姫としてでも、女王としてでも、巫女としてでもなく。
「貴方は、わたくし自身を、心の底から愛して下さいますか?」
皆は、何もないゾゥラを愛してはくれなかった。
求められるのは、女王に相応しい立ち振る舞いと結果だけだった。
母にとってすらも、ゾゥラはただ女王の地位を継ぐ為だけに存在する道具だった。
だから、何かを押し付けるのではなく……ただ、ゾゥラという自分だけを見つめて、愛してくれるのなら。
「勿論。これは、一目惚れと呼んでもいいのかな〜?」
あっさりと返事をして、シドの冷えた手がゾゥラの頬に触れる。
「愛だけでなく、僕のあげられる全てを、君にあげるよ〜。国も、人も、この世界すらも。ゾゥラが、僕を愛してくれるのなら」
ーーーもしかしたら。
シドも愛に飢えていたのかもしれない、と、ゾゥラは後になって思った。
諸外国や臣下からすら侮られていたのは、彼が爪を隠していたからなのだろうけれど……もしかしたら、その力がなくとも愛してくれる相手を、ずっと探していたのではないかと。
だからきっと、この時に口にしたゾゥラの返事は、彼にとって満点の回答だったのだと、そう思う。
そうしてドラグロ王国に戻ったシドは、本当に全てをゾゥラに捧げた。
ゾゥラはほとんど、何もしなかった。
言われた通りに動き、手紙の内容を皆に伝えて……気づけば、アマゾニア王国を狙っていた諸外国すら平定され。
ゾゥラは、魔王の加護を受けた女帝となった。
傍らには、一番欲しかったものをくれる勇者の王配が寄り添っている。
あの時、ゾゥラはシドに対して、こう口にしたのだ。
「愛します、シドルフス・ドラグロ様。ーーー愛して下さるのなら、他に何もいりません」
一区切りですー!
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