第4話:我が子に触れた代償は、教会の崩壊でお支払いください
シルヴェスター殿下が急な公務で屋敷を離れている、翌日の午後のことだった。
「ママ、きょうはどのおはな?」
「今日はこの薬草を植え替えようかしら」
「やるー!」
小さな手で土を掘るコロンを眺めながら、私は穏やかな時間を楽しんでいた。
――少なくとも、その時までは。
「ここにいたのね」
慌ただしい足音とともに、庭へ数人の男たちが入ってきた。
その中央にいたのは、あの女だった。
「……マリア様」
神聖ルーヴェンス帝国の聖女、マリア。
その後ろには、数人の神官たちが控えている。
「あら、相変わらず泥をいじっているのね。どこまでいっても草むしり女は草むしり女。おいたわしいことですわ」
あなたのことはすべて調べさせていただきましたの、とでも言いたげな顔だ。
「マリア様……。シルヴェスター殿下からは、私とコロンに近づくなと言われていたはずですが」
「ふん、殿下はあなたのような田舎娘の妖しい術に惑わされているだけですわ!」
マリアはコロンへ視線を向けた。
「殿下がいない今、その不気味な羽虫は教会が没収します。神聖な力を持つ生き物は、真の聖女であるこの私が管理してこそ、国のためになりますのよ!」
「管理……?」
「ええ」
マリアは笑みを深くした。
「あなたのような、ただの草むしり女に任せておくわけにはいきませんの」
私はコロンを抱き寄せた。
「コロンは私の子です」
「何を馬鹿なことを!」
神官の一人が声を荒らげる。
「聖なる存在を、おまえごときが独占するなど――」
「独占?」
私は首を傾げた。
「この子は、誰かの所有物ではありません」
「黙りなさい!」
神官が片手に持っていた杖を掲げた。
次の瞬間。
黒い光を帯びた札が、空中へ放たれた。
なぜ神官たちが闇の魔術を使うのかと考える暇もなかった。
「……っ!」
両腕に刺すような痛みが走り、私の腕からコロンの身体が引き剥がされる。
「いやぁっ!」
「コロン!」
小さな身体が、黒い魔力に包まれた檻の中へ閉じ込められた。
「ママぁぁぁっ!」
「コロン!」
私は咄嗟に近くに置いていたスコップを掴み、神官に向かって振り下ろした。
「返して!」
けれど神官が腕を振るうと、スコップは弾き飛ばされた。
「邪魔だ!」
「……!」
私は震える手を握りしめた。
「何をするつもりですか!」
「決まっているでしょう?」
マリアが答える。
「この子は教会へ連れて行きます」
「何のために?」
「民衆の前で、聖なる奇跡として披露するのです」
マリアは嬉しそうに笑った。
「そうすれば、私の聖女としての地位も、より確かなものになるでしょう?」
ぞっとした。
この人は、コロンを生命として見ていない。
ただの道具だ。
「それに、あなたにはもう用はありません」
マリアはニヤリと口角を上げた。
「元の国へ帰ればいいのです。あなたのような女が、シルヴェスター殿下のお傍にいること自体がおかしいのですから」
「……嫌です」
「何ですって?」
「コロンを返してください」
「お断りします」
マリアが合図を送ると、神官たちは一斉に不気味な魔術の呪符を取り出し、私の足元へ投げつけた。
地面から黒い炎が立ち昇る。
「いや! ママ、たすけてぇっ!」
「コロン!」
黒い炎に行く手を阻まれ、追いかけることもできない。
「返しなさい!」
私は側に落ちていた石や砂を、炎やマリアたちに向かって投げつけた。
「なんて野蛮なのかしら!」
マリアは高笑いする。
「この虫は私が神の奇跡として、盛大にお披露目して差し上げますわ。神罰を下されたくなければ、廃れた自国に帰りなさい!」
マリアは、泣き叫ぶコロンの入った檻を神官に抱えさせると、足早に歩き出した。
私は怒りと悔しさで震えながらも、ドレスの裾をたくし上げ、何とか炎の向こう側へ行こうと足掻いた。
「……あ」
最悪な予感が頭をよぎった。
……これ、マリア様、完全に終わったわ。
コロンが誘拐されたということは、つまり――。
あの『世界最強のお母様』が、黙っているはずがない。
マリアたちが庭園を出て、まだ五十メートルも離れていない。
「いやぁぁぁっ! ママぁぁぁっ!」
コロンの絶叫が、空気を震わせた。
私は思わず上空を見上げる。
――次の瞬間。
世界の終わりかと思うほどの轟音が響き渡り、神聖ルーヴェンス帝国の空が真っ二つに割れた。
まばゆい七色の光。
むせかえるような強烈な花の芳香。
そして、その中心から降り立ったのは――。
全身から凄まじい神の怒りをみなぎらせた、精霊女王ティターニア様だった。
「エルザ! 我が愛しきコロンの悲鳴が聞こえました! 一体何事ですか!?」
「ティターニア様……!」
よかった。
来てくれた。
私は溢れ出す涙も気にせず、前方の聖女たちを指差しながら、ティターニア様にすべての経緯を説明した。
神官たちが闇の魔術でコロンを捕らえたこと。
教会へ連れて行こうとしていること。
そして、コロンが怖がって泣いていることを――。
私が話すそばから、ティターニア様の周囲の空間が、ピキピキと音を立てて漆黒の闇へと染まっていった。
彼女の美しい微笑みは、ガチの殺意100%へと変貌している。
「……なるほど」
ティターニア様は静かに呟いた。
「我が子を傷つけた、と」
その瞬間、空気が変わった。
「別に、私たちが祀れと言った覚えはありませんが」
ティターニア様は神官たちを見つめる。
「神に仕える者が、本物の『神』の恐ろしさを知らないとは滑稽です」
「ひっ……!」
七色の光が、彼女の背後で激しく渦巻く。
「その傲慢な教会ごと、望み通り神の力を下して差し上げましょう」
「ま、待ってください!」
マリアが叫んだ。
「私たちは何も――」
「もう遅いですよ」
ティターニア様が、静かに右手を掲げる。
次の瞬間。
――ドォォォォンッ!!
七色の光が一直線に放たれた。
その先にあったのは、帝国最大の大聖堂。
巨大な建物が光に包まれ――。
消えた。
跡形もなく。
瓦礫すら残さず、すべてが七色の光の粒となって空へ消えていった。
「…………」
「…………」
「…………」
その場にいた全員が、言葉を失った。
そして。
「きゃあああああっ!」
マリアと神官たちは、魔力の余波で吹き飛ばされ、地面を転がった。
まるで、ひっくり返った虫のようにもがいている。
「な、な、何を……!」
マリアは煤だらけの顔で、消滅した大聖堂を見つめる。
「わ、私の大聖堂が……!」
「知りません」
ティターニア様は、あっさりと言った。
「あなたが我が子にしたことの代償です」
「そ、そんな……!」
その時。
黒い檻が、ぱきん、と音を立てた。
檻を覆っていた魔力が砕け散る。
「ママぁ!」
「コロン!」
パタパタと精一杯の速さで飛んできたコロンを、私はぎゅっと抱きしめた。
「怖かったね……。もう大丈夫よ」
「ママぁ……!」
コロンは私の胸元に顔をうずめ、ぽろぽろと涙を流した。
その姿を見たティターニア様の表情が、ほんの少しだけ和らいだ。
「……よかった」
ティターニア様は優しくコロンを見つめる。
「エルザもコロンも、無事なのですね」
「はい。ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
「ティターニア様が来てくださらなかったら……」
「礼には及びません」
ティターニア様は微笑んだ。
「我が子を守るのは、母として当然のことです」
そして、その視線が倒れている神官たちへ向いた。
「ですが」
再び、空気が冷たくなる。
「言い訳は結構です」
「……!」
「我が子を傷つけた事実は、変わりません」
神官たちが震え上がる。
「二度と、この子に触れないことです」
「は、はい……!」
全員が必死に頭を下げた。
そこへ。
「ティターニア様」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
そこには、騎士たちを従えたシルヴェスター殿下が立っていた。
「シルヴェスター殿下!」
シルヴェスター殿下は私とコロンの無事を確認すると、ほっと息を吐いた。
そしてすぐに表情を引き締める。
「……状況は把握しました」
シルヴェスター殿下はティターニア様へ向き直った。
「こちらの処分は、私にお任せいただけますか?」
ティターニア様は少しだけ目を細めた。
「……ええ」
静かに頷く。
「あなたは人間側の責任者ですものね」
「ありがとうございます」
シルヴェスター殿下は騎士たちへ命じた。
「マリアを拘束せよ」
「なっ……!」
マリアが叫ぶ。
「私は聖女よ!この国の聖女なのよ!」
「――今この瞬間をもって、聖女の地位を剥奪する」
「え……?」
シルヴェスター殿下の声は冷たかった。
「国家に対する反逆行為。
そして精霊王を無断で拘束し、危害を加えようとした誘拐未遂。十分すぎるほど罪は重い」
「そ、そんな……!」
「地下牢へ収監せよ」
「嫌ぁぁぁぁ!」
マリアは騎士たちに連れていかれていった。
これで、マリアの破滅は完全に確定した。
シルヴェスター殿下は私の前まで歩いてくると、壊れ物を扱うかのような優しい手つきで、コロンを抱きしめている私の肩を抱き寄せた。
「エルザ、私の配慮が足りなかった」
「君を守るなら、私が不在でも安全でいられる仕組みを整えるべきだった。君を危険に晒したのは、私の判断の甘さだ」
「いえ、シルヴェスター殿下。私は大丈夫です。ティターニア様が助けてくれましたし……」
「それでもだ」
殿下は真剣な顔で私を見つめた。
「もう二度と、同じことは起こさせない」
そして、ふっと表情を和らげる。
「君の安全のためにも、明日から私の私室の隣の部屋に移ってもらおう」
「はい?」
「そうすれば、何かあった時にもすぐに――」
殿下が、ふと考え込む。
「……いっそのこと、私と同じ部屋で――」
「はいっ!? それはさすがに近すぎませんか!?」
「めっ!ママはぼくの!」
驚く私の顔にコロンが飛びつき、殿下から見えないように隠した。
殿下とコロンは私を挟んで所有権を主張し合っている。
「コロンもエルザも無事でよかった」
そんな私たちを、ティターニア様は笑いながら見ている。
爽やかな新緑の香りが辺りを穏やかに満たしていた。
こうして。
神聖ルーヴェンス帝国の誇る巨大な教会は、一瞬にして消滅した。
偽りの聖女も失脚。
教会勢力も崩壊。
そして私は――。
精霊女王様に守られ。
銀髪の大公に囲い込まれ。
小さな精霊王には独占され。
大きな安心のなかで、一息つけそうだった。




