2-2 あと一戦だけ
終わる時間を決めるための言葉が、終わらせないための言い訳に変わっていきます。
凪からの『暇?』が、二度、三度と届くようになった。
毎日ではない。
一日空くこともあれば、二日続くこともある。送られてくる時刻にも決まりはなく、仕事を終えた直後の日もあれば、寝ようとしているところへ届く日もあった。
ただ、どのメッセージも短かった。
『何してる?』
『今日いる?』
『通話しよ』
こちらの都合を確かめているようで、凪は自分が俺と話したいことを隠さなかった。
その金曜の夜は、久しぶりに四人が揃っていた。
「凪さん、そこ罠あるよ」
坂口が言った直後、金属の弾ける音が響いた。
「踏む前に言って」
「言ったよ」
「私の画面では踏んだあとだった」
「回線のせいにするな」
「じゃあ坂口さんの伝達速度のせい」
「凪ちゃん、もう完全に馴染んだね」
牧野が笑う。
「最初のころ、ほとんど喋らなかったのに」
「人見知りするので」
「嘘だろ」
「坂口さんにはまだ人見知りしてます」
「馴染んだ結果がこれ?」
最初の夜、会話の隙間を探していた凪は、もういなかった。
誰かが話し終えるのを待つことはあっても、自分の言葉が歓迎されるかどうかを確かめるような間はなくなっていた。牧野の冗談に乗り、坂口の失敗を笑い、自分が捕まれば遠慮なく助けを求める。
四つの声は、もう数えなくても四つあった。
日付が変わるころ、最初に牧野が抜けた。
「明日朝から予定あるから、私はそろそろ寝るね」
「おつかれさまです」
「おやすみ、凪ちゃん。桐生くんも坂口くんも、ほどほどにね」
牧野が通話から消えた数分後、坂口も大きなあくびをした。
「俺も無理だ。もう目が開かん」
「その状態でよくさっき一人で地下行ったな」
「寝てたから行けたのかもしれん」
「夢遊病でゲームするなよ」
坂口は明日も仕事だと言って、待機部屋から抜けた。
画面の右側から二人分の名前が消える。
残ったのは、MINATOとNAGIだけだった。
前なら、誰かが抜けた時点でその日のゲームも終わっていた。
凪は自分のキャラクターを一度しゃがませ、すぐに立たせた。
「どうする?」
俺が聞くと、返事までにわずかな間があった。
「あと一戦だけ、やらない?」
終わる理由なら、いくつかあった。
日付は変わっている。明日は休日でも、生活のリズムまで崩す必要はない。四人用のゲームを二人で遊ぶ効率の悪さは、すでに経験している。
「短いところなら」
それでも、断る理由にはならなかった。
二人で選んだのは、旧資料棟という小さな区画だった。
必要な回収物が少なく、運がよければ十五分ほどで終わる。最後の一戦にはちょうどいい。
装備を選んでいると、凪が言った。
「ねえ、湊」
「何?」
「湊って、私のことずっと凪さんって呼ぶよね」
「呼ぶね」
「なんで?」
「凪さんだから」
「さんまで名前に入ってないけど」
「それは今初めて知った」
「戸籍見せないと信じない?」
「そこまでして外してほしいの?」
「私は最初から湊って呼んでるじゃん」
言われてみれば、そうだった。
出会ってまだそれほど経っていないのに、凪は最初からそう呼んでいた。坂口たちの呼び方に合わせただけなのかもしれない。俺はそれを不自然とも思わず受け入れていた。
「凪でいいよ」
「了解、凪さん」
「直す気ないじゃん」
「そのうち慣れる」
「今から練習して」
「呼ぶ用事がない」
「じゃあゲーム中にいっぱい作る」
その宣言どおり、凪は開始して三分で怪物に追われた。
旧資料棟は狭いぶん、見つかってから逃げ切る場所が少ない。凪のライトが、書棚の間を何度も往復する。
「湊、どっち?」
監視画面で位置を確かめる。
「凪、右。突き当たりの扉」
言ってから、自分が呼び方を変わっていることに気づいた。
凪は扉の前まで走り、そこで一瞬止まった。
「今、凪って言った?」
「確認するタイミングが違う」
「初回だから大事」
「後ろ来てる。早く入って」
「もう一回言って」
「凪、死ぬぞ」
「はい」
妙に満足そうな返事をして、凪は扉の向こうへ滑り込んだ。
怪物が通り過ぎるのを待ち、俺も監視室を出た。合流した凪は、必要もないのに自分のライトをこちらへ向けた。
「眩しい」
「慣れた?」
「何に」
「凪って呼ぶの」
「今ので二回」
「順調だね」
「勝手に訓練へ組み込むなよ」
その一戦は、本当に十五分ほどで終わった。
時刻は零時二十八分。
「じゃあ、終わるか」
「今のは練習だったから、一戦に入らなくない?」
「発電機直して、証拠三つ回収して、怪物から逃げたけど」
「呼び方の練習が主目的だった」
「俺は聞いてない」
「あと一戦だけ」
凪は、さっきと同じ言葉を使った。
俺は時刻をもう一度見てから、次の場所を選んだ。
二戦目は、ほとんどゲームの話をしなかった。
「この前、読もうとしてた本は読めた?」
凪が尋ねた。
「まだ途中」
「私のせい?」
「九割くらい」
「残り一割は?」
「俺が通話に出た責任」
「じゃあ私のせいじゃないね」
「九割を消すな」
「何の本?」
人間が判断を間違える仕組みについて書かれた本だと説明した。
同じ情報でも、最初に見た数字に引っ張られること。損を避けようとして、かえって大きな損を選ぶこと。自分に都合のいい証拠ばかり集めてしまうこと。
「それ読んだら、間違えなくなる?」
「自分がどう間違えたか、あとから説明しやすくなる」
「弱い」
「人間は本を一冊読んだくらいで強くならない」
「でも湊、間違えた理由を分かりたがりそう」
「間違えたままよりはね」
「私は、理由が分かったら、半分くらい直った気になりそう」
「気になるだけで直ってない」
「でも反省はした」
「反省を成果に数えるな」
そんな話をしていたせいで、二人とも近づいていた怪物に気づかなかった。
ほとんど同時に捕まり、画面が暗くなる。
「これは一戦に入る?」
「入らない」
「どうして」
「今のは読書会だったから」
「読書会としても内容が薄いだろ」
「じゃあ、もう一回」
三戦目は、反対にほとんど喋らなかった。
必要なときだけ互いの名前を呼び、見つけたものと怪物の位置を伝える。
凪が黙っていても、何か話題を探そうとは思わなかった。機嫌を損ねたのかと疑うこともなかった。
同じ目的のために別々の場所を歩きながら、ときどき呼吸とキーを叩く音だけが聞こえる。
誰かと一緒に遊んでいる時間というより、一人でゲームをしている時間に近かった。
それなのに、画面の向こうには凪がいる。
一人でいるときの気楽さを失わずに、一人ではなかった。
三戦目を無事に終えたとき、時刻は一時を過ぎていた。
「今度こそ終わりだな」
「うん」
凪は素直に答えた。
けれど、待機部屋からは抜けなかった。
俺も終了ボタンを押さなかった。
数秒の沈黙のあと、凪が口を開く。
「あと――」
「短いところなら」
凪が笑った。
「まだ何も言ってないけど」
「他にある?」
「お腹空いた、とか」
「何か食べて寝ろ」
「あと一戦だけ」
「知ってた」
次の場所を選ぶ。
何戦目までを一戦と数えるのかは、もうどうでもよかった。
俺たちはゲームを続けるために話していたのか、話し続けるためにゲームをしていたのか。その順番は、いつの間にか逆になっていた。
「湊、眠くない?」
読み込み画面で凪が聞いた。
「少し眠い」
「じゃあ、やめる?」
「凪は?」
「私は、もう少し湊と遊びたい」
「なら、あと一戦」
今度は俺が、その言葉を使った。
凪は一拍遅れて、「うん」と答えた。
その夜、最後にどの場所へ入ったのかは覚えていない。
勝ったのか、捕まったのかも曖昧だ。
覚えているのは、凪が俺の名前を呼ぶ声と、俺が「凪」と呼ぶたびに少しだけ弾んだ返事だった。
『あと一戦だけ』は、終わるために使う言葉のはずだった。
けれどその夜、俺たちはそれを、終わらせないために何度も使った。
最後の一戦を終え、俺はゲームを閉じた。
それでも、凪の声は消えなかった。
第七話をお読みいただき、ありがとうございます。
ゲームを終えることと、二人の時間を終えることが、少しずつ別の意味になり始めました。
次話は「ゲームを閉じても」です。




