1-5 公平な人
第一部の最終話です。
四人の中で始まった関係が、初めて一対一の言葉へ移ります。
凪から初めて個人メッセージが届いたのは、その翌日の夜だった。
仕事を終えて帰宅し、食事を済ませ、いつものようにパソコンを起動する。
ゲームの一覧を眺めていると、画面の隅に小さな通知が出た。
『フレンド申請が届いています』
送信者はNAGIだった。
申請を承認すると、ほとんど間を置かずに新しい文章が届いた。
『テセウスの船、調べた』
昨日の話を思い出す。
ゲームの怪物から始まり、確率と記憶を経由して、いつの間にか船の部品を交換する話になっていた。
『ちゃんと調べたんだ』
そう返すと、すぐにもう一通届く。
『外した古い部品で、もう一隻同じ船を作る話もあるんだね』
そこまでは説明していなかった。
古い部品をすべて使って、元と同じ形の船をもう一隻組み立てる。部品を交換しながら使われ続けた船と、最初の部品だけで再現された船。そのどちらを本物と呼ぶのか。
『そこまで読んだなら、昨日の俺より詳しい』
『じゃあ今日から私が有識者ね』
『一日で権威になった』
『坂口さんが昨日と同じ坂口さんかどうかも判定できます』
『結果は?』
『前科は引き継がれてるので同一人物です』
『厳しい』
画面の前で、一人で笑った。
声がなくても、返事の速さは昨日と変わらなかった。
俺が文章を送り終えるころには、凪から次の言葉が届いている。短いやり取りなのに、どこで区切ればいいのか分からないまま会話が続いた。
数秒して、今度は少しだけ長い間が空いた。
『あと、昨日ありがと』
何のことだろうと思った。
『何かしたっけ』
『待っててくれたり、ライトのこと言ってくれたり、私が戻る前に次の場所を決めないでいてくれたり』
『ライトを渡したのは坂口だよ』
『そう言うと思った』
『事実だから』
『それも含めて言ってる』
意味が分からず、俺はしばらく返信欄にカーソルを置いたままにした。
『何を?』
『自分がやったことと、他の人がやったことを分けるところ』
『混ぜると坂口の功績なくなるだろ』
『普通はそこで、自分も褒められたままにする人が多いよ』
『坂口に功績って言うと大げさだけど』
『それはそう』
坂口の扱いについては、すぐに意見が一致した。
俺は、凪がなぜわざわざ昨日の礼を言い直したのか、まだ理解できていなかった。
待ったのは、そのほうが時間を無駄にしなかったからだ。
ライトの所在を確かめたのは、四人いるのに三本しか配られていなかったからだ。
次の場所を決めなかったのは、あとで一人だけ別の希望があると分かれば、決め直すことになるからだ。
俺の中では、どれも親切より先に理由があった。
『別に、凪さんに気を遣ってたわけじゃないよ』
少し迷ってから、そう送った。
否定する必要もなかったのかもしれない。
けれど、好意でやったわけではないことを、好意として受け取られるのは落ち着かなかった。
凪の返事はすぐに来た。
『分かってる』
続けて、もう一通。
『だから嬉しかった』
ますます分からなくなった。
『気を遣ってないのに?』
『私にだけ優しかったなら、たぶん気を遣わせてるって思ってた』
『でも湊って、誰か一人だけ外れるのが嫌なんでしょ』
俺は返信を打つ手を止めた。
凪が見ていたのは、俺が彼女へ何をしたかだけではなかったらしい。
『牧野さんが話してる途中で坂口さんが被ったときも、あとで何て言ったか聞いてた』
『坂口さんが一人で捕まったときも、文句言いながら助けに行ってた』
『私にだけじゃないんだなって思った』
少し置いて、さらに文章が届いた。
『最初の日も、別に誰かが意地悪だったわけじゃないんだよ』
『私も、どこで話したらいいか分からなかっただけ』
『でも湊が、聞こえてるって聞いたでしょ』
画面の隅で一瞬だけ灯った、凪の音声マークを思い出した。
俺にとっては、マイクがつながっているか確かめただけの言葉だった。
『あれで、ここで喋ってもいいんだって分かった』
同じ一言でも、言った側と受け取った側では、ずいぶん重さが違うらしい。
思い返せば、そんなこともあった。
どれも覚えておくほどの場面ではなかった。
牧野が何かを言いかけたから、聞き直した。
坂口がまだ生きていたから、助けに戻った。
相手が誰であっても、状況が同じなら、おそらく同じことをした。
『人数合わないのが気持ち悪いだけだよ』
正直にそう答えた。
『それを公平って言うんじゃない?』
『優しいとは違うと思う』
『うん。優しい人っていうより、公平な人』
画面に表示された言葉を、俺は二度読んだ。
優しいと言われることは、ときどきあった。
誰かが困っていれば手を貸すし、輪から外れている人がいれば声をかける。結果だけを見れば、そう呼ばれてもおかしくはない。
けれど、それを自分の性格だと思ったことはなかった。
誰かを助けたいという感情より、同じ条件にいる人間が違う扱いを受けている状態のほうが気になった。
もちろん、誰に対しても同じ話し方をしているわけではない。
冗談が通じる相手と通じない相手がいる。説明が必要な相手もいれば、前提を置かずに話せる相手もいる。距離に応じて、使う言葉も声の調子も自然に変わる。
ただ、誰の意見を聞くか、誰の言葉を会話へ戻すか、誰が来るまで待つかというところに、相手によって差をつける理由がなかった。
同じ接し方というより、同じ一人分として扱っていただけだった。
凪は、俺がしたことだけではなく、その順番まで見ていた。
『それ、褒めてる?』
『かなり』
『褒め方が珍しい』
『じゃあ、もっと分かりやすく言う?』
入力中を示す小さな点が、しばらく点滅した。
待っているあいだ、なぜか姿勢を直した。
『私は、そういう人好きだよ』
その文章は、告白というほど明確ではなかった。
そういう人が好きなのか。
そういう人である俺を好きなのか。
主語も目的語も足りているようで、結論だけが決まらない。
深く考えるほどのことでもないと思い、俺は短く返した。
『どうも』
『急に返事下手になるじゃん』
『褒められる想定で会話してないから』
『じゃあ練習しといて』
『また褒めるの?』
『気が向いたら』
すぐに、もう一通届いた。
『また遊ぼ』
『もちろん』
返信してから、ゲームの一覧へ戻った。
それまで凪は、画面の右上に並ぶ四つの名前の一つだった。
その夜、初めて彼女の名前だけが、画面の中央で光っていた。
凪が俺を見つけた理由は、俺が凪だけを見ていなかったことだった。
第五話をお読みいただき、ありがとうございます。
第一部「出会い」は、ここまでです。
次話からは、四人の中で始まった関係が、凪のほうから少しずつ二人の間へ移っていきます。




