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何度やり直しても君と別れる  作者: gratin
近づいた暮らし
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33/48

4-4 桜の下で

冬に話したお弁当を持って、川へ出かけます。

炊飯器の蓋を開けると、窓のほうへ湯気が流れた。


凪が菜箸を持ったまま、少し顔を寄せた。


「何個になりそう?」


「六個。小さめにすれば」


「小さめにできる?」


「最初の一個で決まる」


凪は笑い、フライパンへ目を戻した。


四月の最初の日曜日だった。


昨夜から泊まりに来ていた凪は、起きるとまず窓を開けた。向かいの屋根に日が当たっているのを見て、よかった、と言った。天気予報では何日も前から晴れると言っていたが、俺も、その声を聞いてから外を見た。


台所の小さな窓は、まだ少し開いていた。


俺はごはんを広げて粗熱を取り、ラップの上へ載せた。真ん中をくぼませ、鮭を入れる。両手で包むと、熱が指の付け根まで回った。


一度開いてみた。


思ったより大きかった。


「それ、小さめ?」


隣から声がした。


「まだ調整できる」


「鮭、もう入ってるよ」


「じゃあ、これは俺の」


凪が肩を揺らした。菜箸で卵の端を持ち上げ、手前へ巻く。最後の一巻きで、少しだけ横へずれた。


「あ」


「笑わせた?」


「ちょっと」


凪はフライパンの縁へ卵を寄せた。形を整える間、俺は黙って二つ目のごはんを取った。


鮭が二つ、梅が二つ、昆布が二つ。


並べると、最初の一つだけが大きかった。凪がまな板の上で卵焼きを切りながら、それを見た。


「目印いらないね」


「少なくとも一個は、中身が分かる」


「残りも分かるようにして」


俺は包みの上に小さく具の名前を書いた。


その横へ、凪が卵焼きの容器を置いた。黄色い切り口が、隙間なく並んでいる。一番端の二切れだけ、少し斜めになっていた。


彼女の手紙を思い出した。


卵焼きは私が作るから、おにぎりをお願いします。


紙は今、机の引き出しにしまってある。俺は指についた米粒を取り、六つの包みを見た。凪は冷めた卵に蓋をして、留め具を左右から押した。


かちり、と二度鳴った。


保冷剤と一緒に弁当を袋へ入れ、二人で部屋を出た。


車の中で、凪は薄い上着を脱いだ。


膝に畳んで載せ、窓の外を見ていた。冬にはマフラーの下に隠れていた首筋に、髪の先が触れていた。


川へ向かう道の途中で、桜が見え始めた。


家と家の間に、白く膨らんだ枝がのぞく。曲がり角を過ぎると見えなくなり、次の道で、もっと大きく現れた。


「咲いてる」


凪が言った。


「写真より多いね」


「金曜は、まだあそこまでじゃなかった」


「間に合ったね」


その言い方に、俺も頷いた。


駐車場には、前に来たときより多くの車があった。空いている場所へ入れ、エンジンを切る。凪は曲が終わるのを待ってから、シートベルトを外した。


ドアを開けると、遠くで子どもの声がした。


土手へ向かう道の脇には、短い草が生えていた。秋に白く光っていた穂はなく、茶色い茎の間から、柔らかそうな緑が出ている。


凪が少し先で立ち止まった。


俺も顔を上げた。


桜は、道へ覆いかぶさるように咲いていた。


近くで見ると、白いと思っていた花の中心に色があった。枝の影が重なるところは薄く暗く、日を受けた先だけが、空から浮いて見えた。


風が吹くと、枝全体が少し遅れて揺れた。


凪はその下で、顎を上げていた。


まぶしそうに目を細めてから、一歩横へ移る。枝の間に見える空を、違うところから見直しているらしかった。


俺は袋を持ち直した。


「あっちまで歩いてみる?」


「うん。でも、ちょっと待って」


凪がスマホを出した。


画面を上へ向け、少し傾ける。撮った写真を確かめて、また木を見上げた。


「全部入らない」


「離れたら?」


「でも、近くのこれも入れたい」


彼女の指した枝には、まだ開ききっていない花があった。


俺はその横へ並んだ。凪が画面を見せてくれたので、一緒に覗き込む。そこに写っていない枝が、俺たちの頭の上で揺れた。


「二枚撮ろう」


俺が言うと、凪は少し笑った。


「そうする」


低い枝から離れ、凪がもう一度スマホを構えた。


俺はその間、袋を足元へ置いた。朝、湯気の中で閉めた容器が入っている。顔を上げると、凪は撮り終えたあとも、そのまま花を見ていた。


川を見渡せるところに、シートを敷いた。


端が風にめくれ、凪が膝で押さえた。俺は反対側に袋を置き、靴を脱いだ。座ると、地面の小さな凹凸が手のひらに伝わった。


弁当の包みを開く。


風が薄い布の角を持ち上げたので、俺が押さえた。その間に凪が容器を取り出し、蓋を外した。俺の前へ小皿を置いてから、自分の膝を少し寄せた。


二人で手を合わせた。


「いただきます」


凪は梅のおにぎりを選んだ。


包みをほどき、海苔を巻く。ひと口かじったところで、海苔が切れずに少しついてきた。指で押さえ直し、ようやく口を離す。


俺は大きな鮭のおにぎりを持っていた。


「どう?」


凪は飲み込んでから、頷いた。


「おいしい。塩、ちょうどいい」


その言葉を聞いてから、俺もかじった。


ごはんはもう冷めていた。噛むと粒がほどけ、鮭の塩気が広がった。朝、ラップ越しに持っても熱かったものが、今は掌の中にすっかり落ち着いていた。


凪が卵焼きを一つ、俺の皿へ載せた。


箸で取ると、切り口に沿って柔らかく曲がった。口へ入れれば、端の少し焼けたところから香ばしい匂いがした。


「これ、好きだな」


俺が言うと、凪は容器を見た。


「朝のうちに、端っこ食べたくなった」


「よく残したね」


「ここで食べたかったから」


俺はもう一つ、卵を取った。


木の下を、自転車を押した人が通った。少し離れたシートで、子どもが水筒の蓋を落とした。転がった蓋を追う声がして、凪がそちらを見て笑った。


風はまだ冷たいのに、背中へ当たる日は暖かかった。


俺は上着の前を少し開けた。


「冬に言ってたやつだね」


凪が、おにぎりを持った手を見ながら言った。


「ここで食べようって」


「うん」


「ちゃんと、おにぎりになった」


「米のまま持ってこなくてよかった」


凪が笑いかけたので、俺は自分の口元を手で隠した。


「今、食べてる」


「湊が言ったんでしょ」


凪も下を向いた。肩が少し動き、それが収まるまで、二人とも次のひと口を待った。


昆布のおにぎりを半分にして、凪へ渡した。彼女も残していた鮭を半分にしてくれた。交換すると、崩れた断面から具が見えた。


食べ終わるころ、凪の膝に花びらが落ちた。


彼女は指で拾おうとして、うまくつまめず、手のひらでそっと払った。花びらはシートの上へ移り、そこで止まった。


二人で箸を置き、手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


空の容器は軽かった。


凪が蓋を重ね、俺が包みをまとめた。水筒のお茶を分けて飲んだあと、しばらくそのまま座っていた。


見上げてばかりいた首を戻すと、凪の髪に細い影が掛かっていた。風が来るたびに、影と髪が別々に動いた。


触れたいと思い、手を伸ばした。


頬に掛かった髪を、指の背でそっと避ける。凪がこちらを向いたので、途中で目が合った。


「ついてた?」


「ううん。髪」


凪は耳へ手をやりかけ、そのまま下ろした。


俺の指が離れるのを待っていた。


耳の後ろへ髪を戻すと、指先に少しだけ肌の温かさが残った。手を下ろしたところへ、凪の手が重なった。


掌に、草の細い切れ端がついていた。


俺がそれを取ると、凪は指を開いた。そこへ自分の指を入れる。今日はコートのポケットへ隠さなくても、そのまま握っていられた。


凪は前を向き、俺の手を自分の膝の脇へ置いた。


指の側面に日が当たっていた。


帰り支度を始めたのは、それからしばらくしてからだった。


シートを畳むと、裏に乾いた草がついてきた。二人で端を持って払う。凪が折ったほうへ俺も折り、最後は彼女が両手で押さえた。


駐車場までの道を歩きながら、凪が言った。


「この前、面接の話したでしょ」


「うん」


三月に入ってから、凪は仕事を探していた。今の職場を離れることは、もう決めていた。通話で、面接の帰りに足が痛くなった話も聞いていた。


「こっちの会社、決まった」


俺は足を止めた。


凪も一歩先で止まり、振り返った。


「昨日、ちゃんと返事した」


「そうなんだ。おめでとう」


言ってから、口元が緩んだ。


「ありがとう」


「じゃあ、こっちに?」


「うん。部屋、探そうと思ってる。四月のうちに移れたらって」


凪は持っていた袋の紐を直した。


俺たちは歩き出した。さっきまで花の間にあった光が、今は道の上に細かく落ちていた。


「仕事の内容、やってみたかったことに近いの。休みのことも聞けたし」


凪は面接で話したことを、少しずつ教えてくれた。


俺は頷きながら聞いた。新しい通勤路を歩く凪が浮かんだ。まだ知らない建物の入口で、鞄の中を確かめている。そこから仕事へ行き、自分の部屋へ帰る。


「それと、湊にも会いやすくなるし」


凪がこちらを見た。


俺は笑った。


その言葉を、待っていたのだと思った。


「嬉しいよ。かなり」


「顔で分かった」


「もう出てた?」


「こっちに、って聞いたときから」


駐車場へ着いても、俺はまだ少し笑っていた。


車へ袋を置き、ドアを開けたまま、凪が見つけた部屋の写真を見せてもらった。画面には、何も置かれていない床と、小さな台所が写っていた。


「ここ、本棚置けそうなんだよね」


凪が壁の一面を指した。


「窓、こっちか」


「うん。明るさも、見に行って確かめたい」


「内見、車が必要なら出すよ」


「ありがとう。日が決まったら言うね」


凪は写真を閉じ、助手席へ座った。


今夜、彼女はまた電車で帰る。いつもの三時間がなくなるのは、まだ先だった。


俺は運転席へ回り、ドアを閉めた。


凪が膝の上の上着を広げると、小さな花びらが一枚、座席へ落ちた。


「連れてきちゃった」


指先で拾い、掌に載せている。


俺が見ていると、凪は窓を少し下げた。


手を外へ出して開く。花びらはすぐには離れなかった。凪がそっと息を吹きかけると、指の先から浮き、車の向こうへ流れていった。


戻ってきた手を、俺は一度だけ握った。


「また、この川来よう」


「うん。花がなくてもね」


凪の指が、俺の指を軽く挟んだ。


手を離し、シートベルトを引いた。凪もベルトを留めたので、俺はエンジンをかけた。


帰り道の分かれ目で、彼女が窓の外を指した。


「さっきの部屋、たぶん、あっちのほう」


信号が赤になり、車を停めた。


俺は初めて、その道の奥を見た。

第三十三話をお読みいただき、ありがとうございます。


次話は「近くに住む」です。

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