↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
何度やり直しても君と別れる  作者: gratin
恋愛成立・最盛期
PR
28/48

3-17 零時を過ぎても

十二月三十一日。それぞれの部屋で、年を越します。

机を拭いた跡が、灯りを斜めに受けると見えた。


本を持ち上げ、そこだけもう一度布で擦った。乾いた木の手触りが戻ったので、元へ置く。ヘッドセットの線をつなぎ直すと、椅子に座った。


『片づけ終わった。話せるよ』


送ってから、窓の外を見た。


向かいの建物では、いくつかの窓がまだ明るかった。いつも洗濯物の掛かっているベランダは空で、手すりの横棒まで見えた。


十二月三十一日の夜だった。


呼び出しの音がして、通話に入った。


「おつかれ」


凪が言った。


「凪は、終わった?」


「だいたい。今、本を戻してる」


向こうで、硬いものが軽くぶつかった。


「一回全部出したら、さっきまで入ってたところに入らなくなった」


「順番、変えた?」


「変えた。こっちのほうが取りやすいと思ったんだけど」


しばらく返事が途切れた。紙をまとめて擦るような音がしたあと、凪が息を吐いた。


「入った」


「よかった」


「一冊、横にした」


「取りやすさは?」


「来年、考える」


時計を見ると、十一時を少し過ぎていた。


「あと一時間もないけど」


「じゃあ、すぐ考えることになるね」


笑い声が近づいた。凪がスマホのそばへ戻ってきたのだと思った。


俺は背もたれへ肩を預けた。


昼間、窓を開けて掃除していたときの冷たさは、もう部屋から抜けていた。床へ下ろした踵にも、椅子の肘掛けにも、いつもの夜の温度があった。


「今日、買い物も行ってきたんだけどさ」


凪が話し始めた。


「すごい混んでた」


「スーパー?」


「うん。明日のもの、ちょっと買うだけのつもりだったのに。かご持ったまま、ずっと同じとこにいた」


「年末だな」


「そう。みんなのかご見て、これも要るかなって思い始めて」


「増えた?」


「増えた。でも三つ葉、忘れた」


声の終わりが、自分でもおかしいというように揺れた。


「お雑煮?」


「うん。なくてもできるんだけどね。帰って袋開けたら、入ってなかった」


俺は朝に買ってきた餅を思い出した。台所の棚へしまった袋は、まだ開けていなかった。


「俺も明日、作るつもり」


「お餅、焼く?」


「焼くよ」


「そっか。私、そのまま入れる」


「鍋に?」


「うん。昔から家ではそうだったから」


どれくらい柔らかくするのかを聞いた。凪は、箸で持ち上げると伸びるくらい、と答えた。俺は焼いた表面の、少し硬くなったところが好きだと言った。


話しながら、白い皿に餅を取り出す凪の手を思い浮かべた。持ち上げすぎて、鍋から長く伸びてしまう。彼女はたぶん、箸を下ろしてから考える。


「それ、汁、濁らない?」


「煮すぎるとね。お餅も、どこにいるか分かんなくなる」


「探すんだ」


「うん。いるはずなんだけどなって」


俺は笑った。


「じゃあ、見つけたら先に食べないと」


「でも熱いから、すぐ食べられないの」


「また戻す?」


「お椀には出すよ」


凪も笑っていた。


俺は肘掛けに置いていた手を、膝へ下ろした。笑うたび、肩に掛かっていたヘッドセットの線が揺れた。


年末のスーパーの話を聞き、互いの台所にあるものを話した。途中で凪が、本を積み直したせいで充電器が取りにくい、と言った。さっき横にした一冊の下に、線を挟んでしまったらしい。


「来年まで待てなかったね」


俺が言うと、凪は笑いながら何かを動かしていた。


その音を聞いている間に、画面の隅の時刻が十一時五十九分になっていた。


「凪、もうすぐ」


「あ、ほんとだ」


向こうの物音が止まった。


俺も座り直した。足を組むのをやめ、両方の靴下を床へ下ろした。何かを待つ姿勢になってから、自分がわざわざそうしたことに気づいた。


「何秒?」


凪が聞いた。


「秒、出てない」


「私のも」


二人で笑った。


秒まで見える時計を開くこともできたが、俺はそのまま数字を見ていた。窓の外で車のドアが閉まった。エンジンの音がして、しばらく動かずにいた。


凪が小さく息を吸った。


「あ、変わった」


俺の画面でも、数字が零に並び直した。


「あけまして——」


声が重なった。


続けようとして、また同じところで止まった。凪の笑う息が聞こえたので、俺も笑ってしまった。


「あけましておめでとう」


今度は最後まで言えた。


「おめでとう。今年もよろしくね」


「こちらこそ。よろしく」


言いながら頭を下げた。


目の前にあるのは机だった。拭き残しのなくなった木目が近づき、起き直すと、ヘッドセットの位置が少しずれた。


「今、お辞儀しちゃった」


俺が言うと、凪は声を立てて笑った。


「見えないよ」


「うん。下げてから気づいた」


「じゃあ、私も」


マイクに布が触れたような音がした。


「よろしくお願いします」


さっきよりきちんとした声だった。


俺は、また頭を下げそうになって、顎を引いたところで止まった。


「今、またやりかけた」


凪が笑った。耳元で始まったその笑いを聞きながら、俺も机の前で笑っていた。


彼女の部屋は見えなかった。それでも、起こした顔に髪が掛かり、指で耳へ戻すところを思い浮かべられた。声が落ち着いてからも、口元にはまだ笑いが残っているのだろう。


俺はヘッドセットの位置を直した。両手で耳のところを押さえると、凪の息が一度近くなった。


「年、変わったね」


「うん」


「湊と年越しできた」


返事をしようとして、喉のあたりが温かくなった。


「うん。嬉しい」


言ってから、手を下ろした。


窓の外では、さっきの車が動き始めていた。タイヤの音が遠ざかり、向かいの建物の窓が、また静かに見えた。


俺は机の奥へ手を伸ばした。


二つ立てていたカレンダーのうち、古いほうを取った。底の折り目を畳むと、薄くなった一年が手の中に収まった。新しいほうを、少し手前へ引いた。


一月の第二土曜日に、凪の名前があった。


「何の音?」


「カレンダー、替えた」


「この前の?」


「うん。もう、一個でいいから」


古いほうは、本棚の端へ置いた。


椅子へ戻って、書いてある到着時刻を見た。


「凪が来るの、今月になった」


「ほんとだ」


声が弾んだ。


「もう来月じゃないんだね」


「うん」


指でカレンダーの底を押さえた。書いた日にはまだ遠く見えた名前が、今は、今日から続いている数字の間にあった。


「楽しみ」


凪が言った。


俺は紙から手を離した。


「俺も」


しばらくして、凪のほうで、ものを机に置くような音がした。


「充電できた」


「ああ、途中だったね」


「うん。今度は本の下、通さなかった」


俺は笑って、背もたれへ身体を戻した。


画面の数字は、もう零時を何分か過ぎていた。さっきまで二人で見ていたものが、俺たちの話している間にも進んでいた。


「それでさ」


俺は聞いた。


「お餅、ちゃんと見つかるの?」


凪が黙った。


それから、こらえきれないように笑った。


「その話、まだ気になってた?」


「お椀に出すところまでしか聞いてない」


「出したら、見つかってるよ」


「ああ、そうか」


言われて、俺も笑った。


凪は、でもね、と続けた。柔らかくなった端が汁に残っていて、全部食べたつもりなのに、最後にもう少し見つかるのだと言った。


「ちょっと嬉しいんだよね。まだあったって」


その言い方が可笑しかった。


明日の朝、凪は自分の台所で鍋を火に掛ける。湯気の上がるお椀を前にして、箸の先で白い端をすくう。そのとき、俺に話したことを思い出すだろうか。


俺はきっと、餅を焼きながら思い出す。


「明日、焼くほうも一個やってみようかな」


凪が言った。


「俺も、一個そのまま入れてみる」


「煮すぎないでね」


「見えるうちに出すよ」


凪は笑いながら、返事をした。


そのあとも、話は続いた。


俺は机の灯りを少し下げた。明るさが変わると、窓に映っていた自分の姿が薄くなった。カレンダーの下には短い影ができていた。


耳元で、凪があくびを噛み殺した。


「眠い?」


「ちょっと。でも、まだ話してたい」


「うん」


俺は片足を引き、座りやすいところへ腰を落ち着けた。


凪が言いかけていた話を、途中から聞いた。さっきより語尾がゆっくりになっていた。言葉を探している間、俺は続きを先に言わずに待った。


机の上には、明日から使おうと思っていたカレンダーがあった。


もう今日だった。


「それでね」


凪の声がした。


俺は時計から目を離したまま、返事をした。


「うん。聞いてる」

第二十八話をお読みいただき、ありがとうございます。


次話は「いちばん近い他人」です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。