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何度やり直しても君と別れる  作者: gratin
恋愛成立・最盛期
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26/48

3-15 未来形

年が明けるまで、あと数日。

新しいカレンダーを袋から出すと、薄いビニールが指に張りついた。


振っても離れず、もう片方の手でつまんで剥がした。耳元で凪が笑った。


「何してるの?」


「カレンダー、袋から出してた。来年の」


「もう替えるんだ」


「まだ。今年のも置いてある」


凪が帰ってから、数日が経っていた。帰りに寄った店では、入口の飾りが正月のものになっていた。新しい紙の匂いのするカレンダーを、俺は通話しながら机に立てた。


今まで使っていたものより、少し幅が広かった。


ペン立てを端へ寄せる。机の上を擦った底に、丸く薄い埃がついていた。ティッシュで拭いてから戻すと、カレンダーを置く場所ができた。


「来月、いつ会える?」


凪が聞いた。


俺は一月のページへ指を掛けた。


「第二土曜は?」


「ちょっと待って」


向こうで、何かを指で叩く音がした。俺はその土曜日の小さな数字を見ていた。


「うん。そこ、大丈夫。日曜も空いてる」


「じゃあ、そこで」


「また泊まりに行くね」


ペン立てから、黒いボールペンを取った。


土曜日の欄に、凪、と書いた。いつもより少し大きくなった。最後の線を引いてから、その下には何も足さず、ペン先を浮かせた。


「何時くらいの電車にする?」


「お昼前には着きたいな。あとで調べて送る」


「分かった。迎えに行く」


「うん」


まだ乾いていないインクが、照明を受けて少し光っていた。


俺はカレンダーの角を持ち、傾けてみた。光が消えると、凪の名前だけが、ほかの日より濃く残った。


「何か書いた?」


「凪が来る日」


「私も入れた。今」


それを聞いて、ペンのノックを戻した。


同じ日の、別の場所に、凪も予定を入れていた。そこには俺の名前が入っているのかもしれない。聞かずに、俺はカレンダーへ目を戻した。


「この前の川も、また行きたいね」


凪が言った。


「今は寒そうだけど」


「風、強かったもんね」


「あのときでも、けっこう吹いてたし」


白い穂の中へ駆けていった犬を思い出した。隣で笑う凪の頬へ、髪が掛かっていた。彼女がそれを耳へ戻すまで待ってから、俺はまた歩き始めたのだった。


「春になったら、あそこ、桜が咲くよ」


「そうなの?」


「駐車場から土手へ上がる道に、木があったでしょ。あれ」


「ああ、あった。じゃあ、春にも行こうよ」


俺はカレンダーをめくった。


二月、三月。まだ折れ癖のない紙が、指を離すと少し戻った。四月まで開いて、リングの下を指の腹で押さえた。


「桜、いつごろ?」


「その年によるけど、三月の終わりか、四月の初めくらいかな」


「咲きそうになったら、教えて」


「うん。近く通ったら見ておく」


凪は短く、嬉しそうに返事をした。


俺はまだ何も書いていない四月の欄を見ていた。咲く日を選べるわけではなかったが、今度あの道を通ったら、枝の先まで見るだろうと思った。


「お昼、持っていかない?」


凪が言った。


「お弁当?」


「うん。おにぎりとか。外で食べたい」


「いいね。朝、米炊いとく」


「じゃあ、卵焼く」


口元が緩んだ。


冷蔵庫を開けた凪が、振り返りもせず卵の数を聞く。俺は炊飯器の蓋を開け、湯気を少し逃がしてから、しゃもじを入れる。まだ作っていない弁当のために、頭の中ではもう二人が台所に立っていた。


「凪」


「うん?」


「それ、楽しみだな」


「まだ、おかず、卵しか決まってないよ」


「そこも含めて」


凪が笑った。


俺は四月のページから指を離した。紙が一枚、軽い音を立てて戻った。


窓の下から冷気が来ていた。足首を組み替え、椅子を少し机へ寄せる。外は暗く、向かいの建物の窓がいくつか光っているだけだった。


それでも、川辺に座っている凪を思い浮かべられた。


灰色のコートを脱いだあとの、薄い上着。膝の上で弁当の蓋を押さえる手。風に飛ばされそうになった何かを、二人で同時に取りにいくところまで浮かんだ。


「あったかくなったら、長くいられそう」


凪が言った。


「うん」


「春は、二泊くらいしたいな」


「いいね」


「帰る前の日に行けば、夕方までいられるし」


「帰ってから、晩ごはん作ればいいし」


「もう晩ごはんの話してる」


「夕方には、また腹減ってると思う」


「たぶん、私も」


笑い終わってから、凪は少し黙った。


俺はカレンダーを一月へ戻そうとしていた。何枚かまとめて持ち上げたところで、また声がした。


「一緒に住んだらさ、帰りの電車、調べなくていいんだね」


紙を持った手が止まった。


凪が靴を脱ぎ、コートを掛けるところが浮かんだ。買ってきたものを台所へ運ぶ。黒い鞄は、部屋の隅に開いたまま置かなくてもよくなる。


朝になっても、帰るために荷物を集めなくていい。


俺は持ち上げていた紙を、ゆっくり下ろした。


「いいな、それ」


「ね」


凪の声が近かった。


目を向けた台所は、棚の灯りだけがついていた。流しの隣の、まな板一枚を置く場所。冷蔵庫を開けると、少し身体を避ける通路。


「台所は、もうちょっと広いほうがいいな」


俺が言うと、凪は笑った。


「すれ違えるくらいはね」


「皿持ったまま戻らなくていいくらい」


「でも、遠いのも嫌だよ。味見してって言ったら、すぐ来てほしい」


「そんなに広いのは、考えてなかった」


凪はまだ笑っていた。


俺も笑った。さっき見ていた狭い台所に、一人ぶんの場所を、頭の中で足してみた。


「机は二つ欲しい」


凪が言った。


「うん。俺、ずっと使ってることあるし」


「私も、本とか広げたままにしたい」


「じゃあ、二つ」


「テーブルは、一緒に使うやつ」


部屋の中央にある小さなテーブルを見た。


向かいへ座ると、二人の膝が触れることがあった。皿を並べれば、それだけでいっぱいになる。凪がお茶を置くために本を閉じ、俺がカップを置くためにスマホをずらす。


「今のより、少し大きくてもいいね」


「お皿、ちゃんと並ぶくらい?」


「うん」


「それがいい」


どの町の、どんな部屋なのかは、何も決まっていなかった。


けれど、そのテーブルなら、朝の光が当たるところに置きたかった。凪は食べ終わってもしばらくそこに座って、本を読むかもしれない。俺が皿を下げると、読んでいるところへ指を挟んで顔を上げる。


もう少し読んでいていいよ、と言う自分の声まで、無理なく浮かんだ。


「湊、今、部屋探してる?」


「探してないよ」


「静かになったから」


「ちょっと、考えてた」


「どんな部屋?」


「テーブルに、朝の日が当たるところ」


凪はすぐには返事をしなかった。


向こうで、何かを置く音がした。


「私も、それ好き」


声が少し柔らかくなった。


俺は机の端へ肘を置いた。掌で頬を支えると、自分の顔が温かかった。凪も今、まだ見たことのない部屋のどこかに座っているのかもしれないと思った。


「一緒に暮らせそうだね」


言うと、凪は小さく笑った。


「うん。暮らしてみたい」


俺は頷いた。


それから、聞こえるように同じことを言った。


「俺も」


机の上には、外した袋がまだ残っていた。指にまとわりついていたビニールは、今は平たくなって、照明を白く返していた。


片手で畳み、端へ寄せた。


カレンダーを一月へ戻す。土曜日の欄に、さっき書いた凪の名前があった。


「帰りの電車、決めたよ」


凪が言った。


「日曜の?」


「うん。行くほうも。今、送るね」


スマホが震えた。


画面を開くと、見慣れてきた駅の名前が並んでいた。土曜日の到着時刻を確かめ、カレンダーの名前の下へ、小さく書き足す。


「その時間に、待ってる」


「うん。楽しみ」


ペンを戻し、新しいカレンダーを机の奥へ置いた。


椅子に深く座っても、その土曜日が見えた。

第二十六話をお読みいただき、ありがとうございます。


次話は「好きの定義」です。

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