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何度やり直しても君と別れる  作者: gratin
恋愛成立・最盛期
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21/48

3-10 一人でいるより

二人で過ごした夜が、朝になりました。

ドライヤーの音が止んで、凪の息を吐く音が聞こえた。


お茶のあとにグラスを洗い、順番に風呂へ入った。時計は十時を過ぎていた。凪は首に掛けていたタオルを膝へ下ろし、髪の内側へ指を差し入れた。


「乾いた」


そう言って、まだ温かい髪を両手で後ろへ払った。


俺は椅子の背にもたれていた。腕を上げて伸びをすると、そのままあくびが出た。口を閉じようとしても間に合わず、目の端に少し涙がにじんだ。


凪が笑っていた。


「すごい眠そう」


「うん。今、急にきた」


「寝よ。私も眠い」


凪も口元へ手をやった。


「うつった?」


「髪乾かしてるときから、ずっとしてた」


俺は笑い、目の端を指で拭った。


テーブルを少し寄せ、二人で布団を敷いた。凪が掛け布団を広げると、下から空気が押し出され、俺の足首に触れた。まだ冷たい敷布団へ膝をつき、枕の位置を直した。


「寒くない?」


「入ったばっかりだから、まだ分かんない」


「それはそうか」


凪は布団の中で足を動かした。布が擦れる音がして、それから肩まで潜った。


「あ、大丈夫そう」


俺も横になった。


灯りを落とすと、カーテンの端に、向かいの建物の明かりが細く残った。さっきまで顔を見て話していた凪が、暗がりの中で寝返りを打った。


「今日はいっぱい作ったね」


「うん」


「明日のいちご、忘れないでね」


「凪も覚えてて」


「二人で忘れたら?」


「冷蔵庫開けたら分かるよ」


凪の笑い声が、枕の近くでした。


「おやすみ」


「おやすみ」


少しして、凪が長く息を吐いた。


俺も目を閉じた。布団の中で、曲げていた膝をゆっくり伸ばした。凪が動くたびに布の音がしたが、そのたびに目を開けることはなかった。


翌朝、いちごはトーストの隣に並んだ。


凪が残っていた実を全部洗い、小皿へ入れた。俺は焼けたパンを取り出し、バターを載せた。角のほうから透き通り、パンの表面へ染みていった。


二人で向かいに座り、手を合わせた。


「いただきます」


凪はいちごを一粒取った。噛んだあと、目と口を同時に少しすぼめた。


「朝のほうが酸っぱい」


「昨日は、まわりが全部甘かったからね」


「そっか」


もう一口かじって、今度は頷いた。


「でも、おいしい」


窓から入った光が、小皿の縁を明るくしていた。凪の髪は片側だけ少し跳ねていた。本人は気づいているのか、いないのか、パンをちぎるときにもそのままだった。


俺は、バターの溶け残ったところをパンの端へ広げた。


凪が一度、窓の外を見た。すぐに戻ってこない視線の先で、向かいのベランダに洗濯物が揺れていた。


俺もそちらを見た。


カップを置く音だけがして、しばらく会話が途切れた。凪は窓を見たまま、ちぎったパンを口へ運んだ。俺は自分のパンに目を戻し、端のよく焼けたところから食べた。


小皿が空になると、凪は最後の一口のお茶を飲んだ。


二人で手を合わせた。


「ごちそうさまでした」


昼前、凪が黒い鞄を閉じた。


洗面所に置いていたものが一つずつ収まり、口元に残った隙間へ本が入った。凪はファスナーを引きながら、部屋の中をもう一度見た。


俺は玄関からコートを持ってきた。


短いほうを渡すと、凪は両腕を通した。袖口から手を出し、肩のあたりを少し持ち上げる。昨日、鏡の前で見た灰色の布が、部屋の光の中では柔らかく見えた。


「これ着て帰れるの、いいね」


凪は下のボタンまで留めた。


俺も自分のコートを着た。ポケットに手を入れると、指先が底へ届いた。昨日は二人の手でいっぱいになっていたところに、今日は車の鍵を入れた。


外へ出ると、凪がマフラーを引き上げた。


車の後ろには、昨日の店の紙袋が残っていた。凪の古い上着が入ったほうを、黒い鞄の隣へ寄せた。


駅までの道で、凪は何度か窓の外を指さした。昨日歩いた通りが見えた。車で通ると、店のガラスも、長く待った信号も、すぐに後ろへ流れていった。


駅の駐車場から、鞄と紙袋を持って改札まで歩いた。


荷物を渡すと、凪は紙袋を鞄と同じ手へ持ち替えた。空いた手がこちらへ来たので、俺も手を出した。


掌が重なり、指が曲がった。


「またね」


「うん。着いたら教えて」


「教える」


凪は握った手を一度、小さく揺らした。


指を離すと、その間へ駅の冷たい空気が入った。まだ触れているつもりでいた指先を、俺はゆっくり曲げた。


凪が改札の向こうで振り返った。


手を上げると、同じ灰色の袖が上がった。


帰ってきて、部屋の鍵を掛けた。


コートを脱いでハンガーへ戻し、椅子に座った。窓の下から差す光が、朝より短くなっていた。流しの水切りには、二人で使った皿が伏せてあった。


背にもたれ、脚を伸ばした。


ふくらはぎには、昨日よく歩いた重さが少し残っていた。足首を回すと、靴の中に収まっていたところがようやく自由になった。


そのまま、しばらく座っていた。


誰かと長く過ごした日は、帰るとすぐには何もしたくなくなることがあった。楽しかった日にも、そうなる。着替えを後にして椅子へ沈み、誰にも向けなくていい顔で天井を見る。話しかけられることも、返事を考えることもない時間を、しばらく挟んでいた。


今日も、そうするつもりだった。


けれど、座ってみても、いつものような長い息が出なかった。


肩を一度上げて下ろした。顎を引き、椅子に深く座り直した。


楽になったのか、よく分からなかった。


昨日、凪の前でもこうして座っていた。腕を伸ばし、あくびをして、眠いとそのまま言った。今朝も、パンを食べ終えるまでの間に、何度も黙った。


そのたびに、凪はそこにいた。


俺は膝の上の手を見た。


帰ってから休もうと思っていたのに、凪のいる間から、もう休んでいた。


洗面所へ行き、二人が使ったタオルを洗濯機へ入れた。洗剤を量って蓋を閉めると、水が入り始めた。


部屋へ戻って、朝の皿を棚へしまった。


水切りに残った小皿を持ち上げた。朝、ここにいちごが載っていた。縁を拭くと、凪が酸っぱそうに目を細めたところが浮かんだ。


俺は少し笑って、皿を棚へ戻した。


夕方、凪からメッセージが届いた。


『着いたよ』


『おかえり。おつかれ』


『コート、すごくよかった。ホームで待ってても脚が寒くなかった』


俺は玄関のほうを見た。


『買ってよかったね』


『うん』


その夜、通話をつないだ。


「ただいま」


凪が言った。


「おかえり」


「文字でも言ったけど」


「声でも聞いとく」


笑う息が聞こえた。昨日から何度も、顔を見ながら聞いていた音だった。


「電車、途中でちょっと寝た」


「疲れたでしょ」


「うん。座りっぱなしも、けっこうくるね」


凪が身体を動かしたらしく、服の擦れる音がした。


「湊は? 今日、何してた?」


「洗濯して、片づけて。あとは本読んでた」


「いつもの湊だ」


「うん」


俺はカップを手元へ寄せた。


「凪が帰ったら、少し休もうと思ってたんだけど」


「休めなかった?」


「いや。凪がいる間も、ちゃんと休めてたんだなって」


凪は少し黙った。


俺はカップの持ち手から指を外した。


「人と長くいると、そのあと一人でぼうっとしたくなるんだよね。楽しくても」


「うん。分かる」


「今日は、それがなかった」


向こうで、小さく息を吸う音がした。


「私も、湊の家でぼうっとしてた」


「今朝?」


「今朝も。人の家なのに、パン食べながら窓見てた」


その横顔を思い出した。片側だけ跳ねた髪と、ちぎったパンを持っていた手。


「見てたね」


「何か喋ろう、とかも考えてなかった」


「俺も」


凪が笑った。


「一緒にいたのにね」


「うん」


俺は椅子の背へ身体を預けた。


一人の時間は、今も好きだった。本を読むことも、洗濯物を干すことも、凪が帰ったあとでいつもどおりにできた。


それでも、朝の窓を見ていた凪を思い出すと、自分まで深く息を吐けた。


何かしてほしいと思ったわけではなかった。あの椅子に座って、眠そうにパンをちぎっていてくれるだけでよかった。


「湊」


「うん?」


「また、何もしない時間も作ろうね」


「いいね」


「昨日は作りすぎたから。ごはんとパフェ」


「お腹が空くまで?」


「うん。空いたら作る」


俺は笑った。凪も笑い、少しして声が途切れた。


通話の向こうで、カップを置く音がした。


「お茶、淹れてくる」


「うん」


凪の足音が遠くなった。何かが開く音がして、水の音が続いた。


俺はヘッドセットをかけ直し、目を閉じた。


何を話そうかと探すこともせず、そのまま待っていた。昨日、灯りを消したあとも、凪が動く音がこうして聞こえていた。


やがて、足音が戻ってきた。


「湊?」


「いるよ」


目を閉じたまま、返事をした。

第二十一話をお読みいただき、ありがとうございます。


次話は「続きから」です。

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