3-9 グラスの中
通算第二十話です。
夕食のあとにも、二人で作りたいものがありました。
棚からグラスを二つ出すと、凪が椅子を少し寄せた。
「それ、ちょうどよさそう」
普段は水や麦茶を飲むために使っている、小ぶりのグラスだった。口が広く、底へ向かって少し細くなっている。テーブルに置くと、照明の光が底の厚いところに溜まった。
夕食の片づけを終えてから、一時間以上が経っていた。
お茶を飲みながら話しているうちに、凪が冷蔵庫のほうを見た。俺も、さっきから何度かそちらを見ていた。
買い物の最後に、凪はいちごの前で足を止めた。
「パフェ、作らない?」
そう言って、透明な蓋の上へ指を置いた。俺たちは籠へいちごを入れ、アイスの売り場へ戻った。コーンフレークと、絞るだけのホイップクリームも買った。
冷蔵庫から出したいちごのパックを、凪が両手で受け取った。
「まだ入る?」
俺が聞くと、凪はパック越しに自分の腹を見下ろした。
「小さいのなら」
「グラスも小さいしね」
「うん。これくらいがいい」
凪はグラスを持ち上げ、もう一度、大きさを確かめた。
二人で台所へ立った。
俺がいちごを洗い、凪が水気を拭いてまな板に並べた。包丁を入れると、赤い実の内側に、芯へ続く白い筋が現れた。暖かい部屋の中で、切ったところから甘い匂いがした。
「上に載せるの、これにしよう」
凪が形のいい二粒を脇へ寄せた。
「下にも入れたい」
「底に?」
「うん。上だけだと、最初に全部食べちゃうから」
「じゃあ、小さく切る?」
「お願い」
俺は半分にした実をさらに切った。凪はその間に、コーンフレークを小さな器へ移していた。乾いた音がして、何枚かが重なったまま器の縁に引っ掛かった。
夕食の支度のときと違って、火をつけることはなかった。換気扇も止まっていた。袋を畳む音や、スプーンを置く音が、一つずつ近くで聞こえた。
材料をテーブルへ運ぶと、凪は椅子を角のほうへ寄せた。
俺も斜めに座り直した。さっきまで食事を挟んで向かい合っていた距離が、グラス二つの幅ほどになった。
「まず、これかな」
凪が底へいちごを入れた。
俺はその上にコーンフレークを落とした。思ったより音が大きく、凪がグラスの中を覗いた。
「けっこう入ったね」
「もう次、アイスでよさそう」
「うん」
冷凍庫から出しておいたアイスは、縁のところだけ少し柔らかくなっていた。スプーンを差し入れ、大きめにすくう。グラスへ移そうと傾けても、白い塊はスプーンのくぼみに残った。
凪がもう一本のスプーンを取った。
「押していい?」
「うん。ここへ」
俺が位置を合わせると、凪は裏側からそっと押した。アイスがゆっくり滑り、コーンフレークの上へ落ちた。
二人とも、同時に手を引いた。
凪が笑った。
「入った」
「もう一個も、この方法で」
次のグラスでは、言わなくても凪のスプーンが待っていた。俺はそこへ、自分のスプーンを近づけた。
白いアイスのまわりへ、切ったいちごを並べた。
凪がグラスの外側に指を添え、少しずつ回している。ガラスを通すと、向こう側の指が太く見えた。赤い実の断面が一枚ずつこちらへ向く。その下では、砕けたコーンフレークの隙間へ、溶け始めたアイスが細く入っていた。
「横から見ると、ちゃんとパフェだね」
凪は目の高さを下げた。
俺も少し屈んで、同じところを見た。近づいた肩が触れ、どちらもそのままでいた。
グラスの中に、赤と白と薄い茶色が重なっていた。俺が落としたところを、凪がスプーンの先で少し直す。きれいになったので、俺は隣のグラスを同じ向きへ回した。
凪はホイップクリームの袋を手に取った。
「上、私やってみるね」
「どうぞ」
袋を押すと、口金から細い筋のついたクリームが出た。凪はゆっくり手を回したが、グラスの縁を一周する前に、クリームが真ん中へ寄った。
「あ、そっち行くんだ」
俺は笑ってしまった。凪も袋を持ったまま笑ったので、白い先端が小さく揺れた。
「湊、次やって」
「見てただけで、できるかは分かんないよ」
受け取って、もう片方へ絞った。凪がグラスを押さえてくれたので、俺は袋を動かすことに集中した。
今度は輪になったが、最後に手を離すのが遅れた。高く伸びた先が、横へ曲がった。
凪は二つを見比べた。
「こっち、風強かったね」
「室内なのに」
声に出してからおかしくなり、俺は袋を置いて笑った。
凪は口元を手で覆っていた。目の端を少し濡らしながら、まだ曲がったクリームを見ている。俺もそこへ目を戻すと、また笑えてきた。
上へ載せるために残したいちごを、一粒ずつ置いた。
凪の指が離れると、クリームが重みで少し沈んだ。それでも赤い実は、ちゃんと上に残った。
「できた」
凪が両手を膝へ下ろした。
二つとも、グラスの縁より高くなっていた。側面のいちごはきれいに見えるところと、クリームに隠れているところがあった。テーブルにはコーンフレークの欠片が散り、二本のスプーンの先が白くなっていた。
「写真、撮っとこう」
俺がスマホを出すと、凪は二つのグラスを近づけた。
「待って。こっち、いちご見えるほうにする」
彼女の指が片方を回した。俺は画面に二つが収まったところで、一枚撮った。
「あ、まだ動かしてる」
「もう一枚撮るよ」
今度は、凪が手を離すのを待った。
撮った写真を並べて見る。二枚目は、グラスの縁もいちごも、きちんと写っていた。
俺は一枚目へ戻した。
グラスを回しかけた凪の指が、少しぶれていた。片方の手は、もう一つが倒れないように添えられている。画面の端には、まくった袖口が入っていた。
凪が横から覗き込んだ。
「手、写ってるね」
「うん」
俺はその写真を少し拡大した。指先の向こうに、白いクリームの曲がったところが見えた。
さっきまで笑っていたときの息が、まだ喉のあたりに残っていた。写真を見ているだけで、隣からまた笑い声がしそうだった。
「こっちも送って」
凪が言った。
「両方送る」
送信すると、すぐそばで凪のスマホが震えた。彼女は画面を開き、俺と同じ写真を少しの間見ていた。
「食べよ。溶けちゃう」
凪がスマホを伏せたので、俺も置いた。
二人で手を合わせた。
「いただきます」
凪は、風が吹いたほうのグラスを自分の前へ引いた。
スプーンを入れると、クリームはほとんど重さを感じさせずに切れた。その下のアイスへ届くと、指に少し抵抗が返ってきた。
口へ運んだ一口は、思っていたより冷たかった。
舌の上で白いものが溶け、いちごを噛むと、甘さの間へ酸味が入った。コーンフレークの端が、一度だけ小さく鳴った。
隣で凪も、口を閉じたまま目を細めていた。
「おいしい」
「うん」
「ちゃんと冷たい」
「アイスだからね」
「さっきまで、作るのに夢中だった」
凪はグラスを持ち直した。外側に薄く曇りがつき、指を動かしたところだけ、内側の赤がはっきり見えた。
彼女は一口食べるたびに、少し離してグラスを眺めていた。スプーンをどこから入れたらいちごに届くのか、見える側へ回して考えている。
俺の前にも同じものがあるのに、凪がすくうところを見ていると、次にどんな一口になるのか知りたくなった。
「下、もう柔らかくなってる」
凪が言った。
「そっちは?」
「まだ上のほう食べてる」
「交換する?」
頷いて、グラスを渡し合った。
凪が持っていたところに指を掛けると、そこだけ曇りが薄かった。スプーンを底へ沈める。最初に入れたいちごのまわりで、溶けたアイスが淡い桃色になっていた。
「下にも入れといてよかったね」
「でしょ」
凪は俺のグラスだったものから、一口すくった。
「こっちは、まださくさく」
俺も食べた。下のほうは冷たさが少しやわらぎ、いちごの果汁とアイスが一緒に口へ入ってきた。
「こっちもいい」
凪が頷いた。
受け取ったグラスを傾けると、凪のスプーンが通った跡に沿って、残ったアイスがゆっくり流れた。
凪のスプーンがグラスの内側に当たり、短い音がした。俺が少し遅れて同じ音を立てると、彼女がこちらを見た。
何も言わずに笑い合い、また食べた。
作っているときから、凪の袖が少しずつ下がってきていた。グラスを傾けた拍子に、袖口が縁へ近づいた。
俺は空いた手で、その布を少し折り返した。
凪の手が止まり、こちらへ顔が向いた。
「つきそうだった」
「ありがと」
凪は袖を一度見て、それから残っていたいちごをすくった。
俺は自分のスプーンを持ち直した。
折り返した袖の下で、凪の手首が動いた。ほんの少し手を貸すと、彼女はそのまま続きを楽しんでいた。それが嬉しくて、俺はまた、グラスを見ている横顔へ目を戻した。
最後に残ったアイスをすくい、二人で手を合わせた。
「ごちそうさまでした」
空になったグラスの内側には、白い筋が何本も残っていた。底にはいちごの種が一つ、溶けたアイスに混じっていた。
「お茶、もう一杯飲みたい」
凪が言った。
「俺も。あったかいの」
立ち上がると、凪もカップを二つ持ってついてきた。
俺がお湯を沸かし直している間に、凪は残った材料を冷蔵庫へ戻した。閉める直前、いちごのパックを少し持ち上げた。
「これ、明日の朝にも食べよう」
「うん」
半分ほど残った赤い実が、冷蔵庫の明かりを受けていた。扉が閉まると、台所はまた、天井の灯りだけの色になった。
お茶を淹れて、テーブルへ戻った。
さっき寄せた椅子は、その位置にあった。俺も凪も、元の向かい合わせには戻さずに座った。
凪はカップを両手で包み、冷えていた指を少しずつずらした。湯気が上がるたびに、顎を引いたり、また近づけたりしていた。
俺はスマホに残った一枚目の写真を、もう一度見た。
グラスを支えていた手が、今はすぐ隣でカップを包んでいる。
凪が何か言いかけたので、俺は画面を伏せ、そちらへ顔を向けた。
第二十話をお読みいただき、ありがとうございます。
次話は「一人でいるより」です。




