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何度やり直しても君と別れる  作者: gratin
恋愛成立・最盛期
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15/48

3-4 声のするほう

約束した土曜日が来ました。

『起きた』


土曜日の朝、凪から届いたメッセージを、洗面台の前で読んだ。


『おはよう』


『ちゃんと起きたよ』


『えらい。あとは電車を二回乗り換えれば着くね』


『起きるので一回頑張ったから、今日は三回頑張るんだね』


歯ブラシをくわえたまま笑って、画面に水滴が落ちないよう、スマホを棚へ置いた。


七時半を少し過ぎていた。


凪が着くのは昼ごろだ。まだ時間はあった。


昨夜のうちに部屋を片づけ、泊まるための布団も出した。洗面所には新しいタオルを一枚置いた。


机の上だけ、何度片づけても気になった。


読みかけの本を棚へ戻し、また出した。どこまで読んだか分からなくなるので、挟んでいたレシートはそのままにした。


九時を少し回ってから、次のメッセージが来た。


『乗った』


『寝過ごさないようにね』


『まだ寝ないよ。本読む』


俺は凪が送ってくれた経路を開いた。


途中で乗り換えて、十二時すぎに着く。


一週間前に見た駅の名前を、もう一度、順番に追った。


『乗り換えできた』


その報告が届くころには、俺も出かける支度を終えていた。


『順調』


『初めて見る駅ばっかりになってきた』


少しして、車窓の写真が送られてきた。


線路沿いの木々は、緑と黄色が混ざっていた。ガラスに、凪の指とスマホの端が薄く映っている。


いつもなら一緒にゲームを始めるまでの時間に、凪は知らない町をいくつも通っていた。


俺は車の鍵を取った。


駅に着いたのは、電車が来る二十分前だった。


車を駐車場へ入れてから、改札へ向かう。


外では風があったが、駅の中に入ると、上着の下が少し暑かった。自動ドアが開くたびに、乾いた落ち葉が一枚、床の上を動いた。


改札の外でスマホを出す。


『着いた。改札出たところにいる』


『早いね』


『俺は十分だから』


『こっちは家出てから、もう三時間くらい経った』


凪のほうは、まだいくつか駅が残っていた。


『あと少しだね』


『うん。茶色の上着で、黒い鞄持ってるよ』


『俺は紺の上着』


送信してから、改札から出てくる人を見た。


紺の上着は、俺以外にもいた。


目印に何か足そうとして、自分の服を見下ろした。これといって特徴のあるものは着ていなかった。


『柱の横。時計があるほう』


それだけ追加して、スマホをポケットへ入れた。


少しすると、また取り出した。


まだ新しいメッセージはなかった。


人と会うことが苦手なわけではない。


待っている間に何をしていればいいか分からなくなるのは、久しぶりだった。


到着を知らせる放送が流れ、しばらくして階段のほうから人が増えた。


茶色い服と、黒い鞄を探した。


スマホが震えた。


『着いた』


返事を打とうとしたとき、斜め前から名前を呼ばれた。


「湊?」


知っている声だった。


顔を上げると、薄茶色のジャケットを着た人が立っていた。肩に掛けた黒い鞄の持ち手を、片手で握っている。


目が合った。


「凪?」


「うん」


凪は笑った。それから少し困ったように、俺の顔を見た。


「……こんにちは、でいいのかな」


「おはようは、もう言ったしね」


「初めましても変じゃない?」


「昨日も喋ってたからな」


「でも、初めてだよ」


言われて、また少し黙った。


改札を抜けた人が、俺たちの横を通っていく。


俺はスマホをポケットへ戻した。


「おつかれ。遠かったでしょ」


「うん。それがいい」


「何が?」


「おつかれ、が」


凪の指が、鞄の持ち手から少し緩んだ。


「最後の二駅くらいが、すごい長かった」


「そこまでは?」


「本読んでたから平気。でも、もう着くと思ったら読めなくなった」


「俺も、着くまでの二十分が長かった」


「そんなに前からいたの?」


「道が混んでたら嫌だなと思って」


「十分の道なのに?」


「そうなんだよ。思ったより心配性だった」


凪が笑った。


笑い始める前に、短く息を吸った。


それを聞きながら、頬が上がるところを初めて見た。


「鞄、持とうか」


「ありがとう。ちょっと重いよ」


受け取ってみると、たしかに重かった。


「一泊だよね」


「うん。本が二冊入ってる」


「読むほう決められなかった?」


「そう。分かるじゃん」


「俺もたまにやる」


凪は空いた肩を一度回した。


俺が歩き始めると、すぐ隣に並んだ。駐車場へ続く自動ドアの前で風が入り、凪がジャケットの襟に触れた。


「こっちも、朝は寒かった?」


「うん。昼はそうでもないけど」


「電車の中、暑くて脱いでた」


「この時期、何着ればいいか分かんないよな」


そんな話をしながら、車まで歩いた。


凪の歩幅に合わせて少しゆっくり歩くと、鞄が脚に当たらなくなった。


助手席のドアを開ける。


「どうぞ」


「お邪魔します」


凪が座ったのを見て、俺は鞄を後部座席に置いた。それから運転席へ回った。


シートベルトを引く音が二回した。


凪は膝に置いたスマホの画面を消した。俺も地図を開こうとして、必要がないことに気づいた。


家までの道なら分かる。


「緊張してる?」


凪が聞いた。


「少し」


「湊でも?」


「俺でも。凪は?」


「してる。さっきまで、何話そうって考えてた」


「月の話は?」


「帰れなくなるから、やめたんでしょ」


「覚えてたか」


「覚えてるよ」


凪が笑ったので、俺も笑った。


エンジンをかけて、駐車場を出た。


道沿いの街路樹には、まだ青い葉が多かった。日なたへ出ると、フロントガラス越しの日差しが手の甲に当たった。


凪は窓の外を見ていた。


「乗り換え、けっこう歩いたんだよね」


「そうだったんだ」


「端のホームから、反対の端。乗り換え一回って聞くと、もっとすぐだと思ってた」


「回数には距離が入ってないからな」


「一回の中身が濃かった」


「本、二冊持ってるしね」


「途中で一冊置いていこうかと思った」


「それは持ってきてあげて」


「持ってきたよ。二冊とも」


赤信号で停まって、隣を見た。


凪は笑いながら、俺を見た。


目が合う。


意識して、俺も笑った。


「湊?何?」


「笑ってるとこ見たかったんだっけ」


「そうだったね」


「見られると、ちょっと恥ずかしいんだけど」


凪が口元に手をやった。


俺も前へ向き直った。


少しして、隣から小さく笑う声がした。


部屋の鍵を開けると、凪は玄関で靴を脱いだ。


「お邪魔します」


今度は、さっきよりきちんとした声だった。


「どうぞ」


凪は靴の向きを揃えてから、俺の後についてきた。


鞄を床へ置く場所を示し、洗面所を案内する。凪が手を洗っている間に、台所でお湯を沸かした。


「お茶でいい?」


「うん。あったかいのがいい」


棚からマグカップを二つ出す。


背後で、凪の足音が止まった。


「いつも、ここにいるの?」


振り向くと、凪は机の前に立っていた。


「そう。だいたいその椅子」


「あ、ヘッドセット」


俺が頷くと、凪は机の端に置いたそれを見たまま、少し笑った。


「今日は使わないんだね」


「うん」


「窓、思ったより近い」


「コードが届く範囲だから」


凪はカーテンの開いた窓に近づいた。


「ほんとに、建物だ」


「建物しか見えないって言ったでしょ」


「もうちょっと空があるかと思ってた」


「上のほうなら、少しあるよ」


凪が首を傾けて、向かいの屋根の上を見た。


俺はその横顔を見てから、沸いた湯をカップへ注いだ。


「どうぞ」


小さなテーブルにお茶を置くと、凪は窓から戻ってきた。


「ありがとう」


ジャケットを脱いで椅子の背に掛け、両手でカップを包む。


俺も向かいに座った。


しばらく、どちらもお茶を飲んでいた。


凪は一口飲むたびにカップを少し離し、湯気の向こうから部屋の中を見ていた。


「そんなに珍しいもの、ないと思うけど」


「あるよ。全部初めて見るし」


「まあ、そうか」


「あの椅子で、宇宙止めてたんだね」


「止めてたの、凪のほうでしょ」


「そうだった」


凪が笑って、カップをテーブルに置いた。


俺も笑った。


凪が息を整えるのを待ちながら、椅子の背にもたれた。


窓の外で車が通った。いつもの部屋の、いつもの音だった。


「なんかさ」


凪が言った。


「駅に着く前、もっと困ると思ってた」


「何に?」


「会ったら、話せなくなるとか。電話だと平気だったのに、顔見たら全然違うとか」


「少しは違った?」


「顔は見ちゃう」


そう言って、凪は俺を見た。


俺も目を合わせた。


今度は、先に凪が笑った。


「でも、今、普通に喋ってる」


「うん」


「さっきまで何話そうって考えてたの、もう忘れてた」


俺はカップを持ち上げた。


凪が来たら、退屈させないように何かしようと思っていた。ゲームをするならどれがいいか、出かけるならどこがいいか、昨日はいくつか考えた。


そのどれも、まだ始めていなかった。


「俺も、忘れてた」


凪は頷き、お茶を飲んだ。


会話が途切れてからも、そのまま座っていた。


凪がカップを持ち直し、両手を添えた。俺はテーブルの端に置いたティッシュの箱を、二人の間へ少し寄せた。


足を少し伸ばすと、凪も椅子に深く座り直した。


「湊」


呼ばれて、顔を上げた。


凪が、空になったカップを両手で持っていた。


「お腹、空かない?」


時計を見ると、一時に近かった。


「空いた。朝、何か食べた?」


「パン一個。電車で食べようと思って買ったのに、乗る前に食べちゃった」


「それは腹減るね」


「うん。会うまでは忘れてた」


俺は笑って立ち上がった。


「何食べたい?」


返事が聞こえてくるのを待ちながら、テーブルに並んだ二つのカップを持ち上げた。

第十五話をお読みいただき、ありがとうございます。


次話は「ラーメンのスープ」です。

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