第8話 いつもの依頼は森の手前で終わるはずだった
「その穴ネズミ、追いかけて森まで入るなよ」
ギルドの職員は、俺が取ろうとした依頼票の端を押さえた。
「森には入りませんよ。畑の害獣駆除でしょう?」
「そうだ。だから畑で仕事を終わらせてくれ。森の近くで何かあっても、ここの出張所じゃすぐに応援を集められないんだ」
「分かりました。危なくなったら撤退します」
職員はしばらく俺の顔を見てから、ようやく紙を離した。
「……あんた、本当に撤退する気ある?」
横からミレアが聞いてきた。
「当然だろ。俺が欲しいのは金であって、怪我じゃない」
「昨日、七匹捕るまで帰らないって言ってたのは誰だっけ?」
「昨日の俺は、荷物の重さを知らなかったんだ」
「たった一日でずいぶん賢くなったわね」
《超成長》持ちだからな。
そう言いかけたが、どうせミレアには見えない。説明を始めたら長くなるので、今回は黙っておく。
依頼票には、村外れの畑にいる穴ネズミの駆除と書かれていた。
名前は以前捕まえた畑ネズミに似ているが、穴ネズミは地面を掘るのが得意らしい。土の下を移動するなら、出入口を調べて罠を置けばいいだろう。
俺はすでに、籠を使った仕掛けを三つほど考えていた。
昨日の猟で使った網も、洗ってから父さんにもう一度借りてある。
これなら準備は十分だ。
「トウマ、内容を最後まで読んで」
「読んでるって」
「だったら、依頼人に先に話を聞こうね」
ミレアはそう言って、出張所の扉を開けた。
*
「……これ、籠だけじゃ済まないかもな」
畑に着いた俺は、細い水路の脇にしゃがみ込んだ。
穴ネズミが掘ったらしい穴が、水路に沿っていくつも並んでいる。穴から出た土は水の中へ落ち、流れを邪魔していた。
水があふれた場所では、隣の畝まで土が柔らかくなっている。
「穴を塞いでも、次の日には別の穴が開くんだ」
畑の持ち主が鍬を持ったまま言った。
「掘り返して追い出そうにも、水路が崩れそうでな。これ以上ひどくなると、畑に水を引けなくなる」
「出入口は全部分かりますか?」
「分かるところには枝を立ててある。ただ、下でどこにつながってるかまでは知らん」
俺は地面を見回した。
新しい土が盛り上がった穴。草が生え始めた古い穴。水路から少し離れた場所には、小さな足跡も残っている。
「ミレア、畑の外側を見てくれ。今使ってる穴を探そう」
「分かった。あんたは?」
「入口に仕掛けられそうな場所を探す」
ミレアは短剣の鞘を押さえ、畑の外側へ回った。
俺は一番大きな穴の前にしゃがみ、細い木の棒を差し込んでみた。
棒は途中で曲がり、予想より奥まで入った。
「……中は結構広いのか」
角度を変えてみる。
今度は手応えがない。
もう少し奥を確かめようと、俺は片足を前へ出した。
「おい。そこを踏むな」
横から声が飛んできた。
同時に、俺の足元へ長い槍の柄が差し出される。
「ん?」
「そのまま下がれ。ゆっくりだ」
言われたとおりに足を引いた。
次の瞬間、さっきまで靴の先が乗っていた土が崩れ、水路へ落ちた。
ばしゃん、と水が跳ねる。
「……危なっ!」
「下が空洞になってる。上から見ただけじゃ分かりにくいが、そこはもう踏めんぞ」
槍を引いた男は、俺たちより少し年上に見えた。
使い込んだ革の手袋に、土のついた靴。槍の穂先には布が巻かれていて、地面を調べるときは反対側の石突を使っているらしい。
「助かった。俺はトウマ」
「カイルだ」
男は短く名乗ると、水路を指した。
「俺も、ここの状態を見に来てたんだ。水の流れが悪くなったって聞いてな」
「じゃあ、同じ仕事か?」
「近いな。俺は水路のどこまでが傷んでるか、畑の持ち主に知らせるつもりだった」
カイルは槍の石突で、土の色が変わっている場所を示した。
「ここはまだ固い。だが、その先は水を吸ってる。ネズミを追うなら、こっちから回れ」
俺は改めて足元を見た。
見た目はほとんど同じ土なのに、踏んでいい場所と悪い場所がある。
罠を置くことばかり考えていたが、仕掛ける前に自分が落ちてしまっては話にならない。
「……カイル、ちょっと手を貸してくれないか」
「何をする?」
「水路を崩さず、穴ネズミを捕まえたい」
カイルは俺の持っている籠を見た。
「それで?」
「もちろん、これも使う」
「……まず安全に立てる場所を決めろ。今のままだと、お前が罠に落ちる」
もっともだった。
*
最初にやったのは、罠を作ることではなかった。
ミレアが出入口を調べ、カイルが地面の固さを確かめる。俺は使われている穴の位置を、拾った枝で地面に書き込んだ。
「こっち、草が倒れてる」
ミレアが穴の一つを示した。
「さっきネズミが通ったみたい。足跡も新しいよ」
「そこは使ってるな」
「でも、その前に籠を置いたら水路へ逃げると思う」
カイルが槍を伸ばした。
「水路側は駄目だ。あの溝の下も空いてる。追いかけて踏み込んだら、足を取られる」
「じゃあ、逃げる方向を変えるしかないか」
俺は籠を持ち上げ、別の穴の前へ移した。
畑ネズミのときと同じように、目立つ場所には囮を置く。ただし、今回は水路側へ追い込まない。
比較的固い地面の方に、細い通り道を残す。
その先へ網を張った。
「……あんた、どんどん罠が大きくなってない?」
ミレアが言った。
「今回は地形を利用してくる敵だからな。こっちも地形を使うんだよ」
「ネズミ相手に、ずいぶん大げさだな」
カイルはそう言いながら、網を支える枝を押して強さを確かめた。
「だが、水路へ追い込むよりはいい。俺はこっちを見ておく」
「頼む」
俺たちが準備をしている間に、畑の持ち主は隣の畑へ向かった。
水路の傷んだ場所をほかの人にも知らせ、しばらく近づかないよう伝えてくれるという。
これで作業の邪魔をする人もいなくなった。
あとは獲物を待つだけだ。
*
穴ネズミは、なかなか姿を現さなかった。
一度、穴の縁から鼻先だけが出てきたが、すぐに引っ込んでしまう。土の下では、ときどき小さな物音がしていた。
「……あいつら、こっちを見てるんじゃない?」
ミレアが声を潜める。
「見てるかもな」
「じゃあ、もっと離れる?」
「今動いたら、また引っ込む。少し待とう」
俺は地面に腰を下ろし、網につながる紐を確かめた。
こういう待ち時間は嫌いじゃない。
走り回らなくていいし、体力も減らない。罠がうまく働けば、あとは捕まえた獲物を回収するだけだ。
実に効率のいい経験値稼ぎである。
……もっとも、隣の二人は休んでいるわけではなかった。
ミレアは草の動きを見張っている。
カイルは水路の縁から視線を離さない。
俺も少し姿勢を変え、逃げ道の方を見た。
しばらくして、穴から灰色の小さな頭が現れた。
穴ネズミだ。
畑ネズミより体が細く、前足が太い。鼻を動かしながら地面を進み、籠の入口へ近づいてくる。
そこで止まった。
中の餌を見たらしい。
だが、入ろうとはしない。
穴ネズミは籠の脇へ回り込み、草の下を進み始めた。
「……来た」
俺は紐を握り直した。
穴ネズミが用意した細道へ入る。
網の入口に鼻を突っ込み、前足を乗せた。
一歩。
もう一歩。
後ろ足まで入ったところで、俺は紐を引いた。
網の口が絞まり、穴ネズミが中で暴れ始める。
「よし!」
ミレアが飛び出して網の口を押さえた。
俺も立ち上がろうとしたが、カイルの槍が目の前へ伸びてきた。
「そっちは踏むな。回れ」
「おっと」
足元には、さっき調べた柔らかい土があった。
俺は固い地面を回り込み、ミレアと一緒に網の口を結んだ。
穴ネズミは中で暴れているが、逃げられそうにはない。
「一匹目!」
「さっき落ちかけたのに、よく言うわね」
「落ちてないだろ。カイルが止めてくれたからな」
カイルは槍を地面に立て、少しだけ笑った。
「お前ら、若いのに手間を惜しまないな。穴を全部調べてから仕掛けるとは思わなかった」
「いや、追いかけ回す方が面倒なんで」
「そうか。だから先に調べるんだな」
……あれ。
この人も、そっちに受け取るのか。
俺たちは捕まえた穴ネズミの網を固い地面まで運び、口をもう一度確かめた。
あとで依頼人に見せるため、逃げないよう荷物の脇に置いておく。
次の仕掛けを準備しようとしたところで、カイルが槍を持ち直した。
*
「……今日は、ここまでにした方がいい」
「まだ一匹だぞ?」
「水路の状態が思ったより悪い。ここから先は、足場を調べるだけでも時間がかかる」
カイルは槍の石突で、崩れかけた土を示した。
「このまま奥へ進むと、村へ戻る道まで危なくなる。まず依頼人に報告した方がいい」
俺は仕掛けかけた網を見た。
一匹だけでは、大した報酬にならないかもしれない。
だが、カイルの言うことは正しい。
昨日は獲物を捕まえたあとで運搬に苦労した。今日は捕まえる前から足場が危ない。
ここで無理をして水路に落ちたら、また余計な仕事が増えてしまう。
「……分かった。一度戻ろう」
「えらいじゃん」
ミレアが少し意外そうな顔をした。
「何で驚くんだよ」
「もう一匹だけって言うと思ってた」
「俺だって、ちゃんと学習するんだぞ」
網を片づけようとした、そのときだった。
森の方から、低い声が聞こえた。
最初は風かと思った。
だが、続いて聞こえた音は、はっきりした唸り声だった。
「……何?」
ミレアが顔を上げる。
茂みの向こうで、草が大きく揺れた。
現れたのは、黒茶色の毛並みをした魔物だった。
犬に似ているが、肩の高さは俺の腰ほどもある。大きな前足で地面を踏み、低く頭を下げてこちらを見ていた。
「フォレストハウンドだ」
カイルの声が低くなった。
名前は知っている。
森に住む、群れで動く魔物だ。
だが、こうして間近で見るのは初めてだった。角ウサギや穴ネズミとは、体の大きさからして違う。
「……一匹なら、何とかなるか?」
思わず口にすると、カイルは答えずに槍を構えた。
その視線の先で、二つ目の影が現れる。
続いて、三つ目。
「トウマ」
ミレアが短剣を抜いた。
「三匹いる」
「見えてる」
俺は足元の網を見た。
穴ネズミ用の仕掛けでは、あの大きさは止められない。
今から縄を張り直す時間もない。
ならば、戦わずに逃げるしかないだろう。
森へは入るな。
危なくなったら撤退しろ。
ギルドで聞いた言葉が、今になって頭の中へ戻ってきた。
「ミレア、ゆっくり下がれ。水路側には行くなよ」
「分かってる」
ミレアは短剣を構えたまま、固い地面を選んで一歩下がった。
カイルも横へ動き、俺たちが通れる場所を空けてくれる。
俺は片手剣を抜いた。
三匹は、こちらを見たまま動かない。
すぐには飛びかかってこないらしい。
ならば、このまま距離を取って――。
「待て」
カイルが声を低くした。
槍の穂先が、森とは反対の方角を向く。
「そっちへ下がるな」
「何で――」
振り向いた。
崩れかけた水路の向こう側。
俺たちが村から来るときに通った、細い土道。
その真ん中に、四匹目が立っていた。




