第7話 七匹のウサギは運ぶまでが仕事だった
父さんから借りた背負い籠を持ち上げると、底から乾いた音がした。
「待て、トウマ」
「何だ?」
「底板が緩んでる」
父さんは籠を受け取り、底の隙間を指で押した。板がわずかに浮き、木と木がこすれる音がする。
昨日、ミレアに聞かれたのだ。大量に捕まえた角ウサギを、どうやって持ち帰るのかと。
そこで俺は、家から背負い籠を二つ借りることにした。片方を俺、もう片方をミレアが背負えば、何匹かまとめて運べるはずだ。
「縄を通せば今日は使える。貸せ」
父さんは短い縄を取り、籠の底で交差させるように結んだ。何度か引っ張ってから、もう一度底板を押す。
今度は動かなかった。
「帰るときにも確認しろ。重いものを入れれば、結び目が緩むこともある」
「分かった。ちゃんと見るよ」
「網の方は?」
「そっちも借りていいか?」
「破れてないか確かめてから持っていけ」
俺は父さんと一緒に、畑の害獣対策で使っている網を広げた。
小さなほつれはあったが、穴は開いていない。紐を引いたときに口が閉じることも確かめる。
これで準備完了だ。
「それで、今日は何匹捕まえるつもりだ?」
「七匹!」
父さんの手が止まった。
「二人で運べるのか?」
「そのための籠だろ」
「……欲張るなよ。持って帰れん分は捕っても困る」
「大丈夫。計算してある」
父さんは俺の顔を見てから、もう一度籠の底を押した。
「帰るときに確かめるんだぞ」
「三回目だぞ、それ」
「三回言っても忘れるからな」
……信用が足りない。
だが、装備の点検は冒険者の基本だ。
父さんも、そこを教えようとしてくれているのだろう。
*
「今度はちゃんと持ってきたんだね」
ギルドの出張所で依頼票を差し出すと、職員は俺の顔を見て笑った。
「はい。昨日の仕事ですから」
「前回は何日持ってたっけ?」
「……今日は別の話をしませんか」
職員は帳面に畑ネズミ二匹の捕獲を記録し、俺たちに報酬袋を渡してくれた。
これで正式な依頼を二件達成したことになる。
「ねえ、トウマ」
ミレアが俺の手元を見た。
「最初の報酬、もう数えた?」
「いや。まだ袋に入ってる」
「じゃあ今日の分と混ぜないでよ。いくら稼いだか分かんなくなるから」
「分かってるって」
俺は二つの袋を分けてしまった。
昨日の分も今日の分も、硬貨はきちんと入っている。数えるのはあとでもできるだろう。
問題は、その金をどう増やすかだ。
俺たちは出張所を出ると、村の外にある共有猟場へ向かった。
低い草と茂みが広がる土地には、細い獣道が何本も走っている。ところどころ土が見えていて、小さな足跡が残っていた。
「今日は何匹が目標?」
「七匹」
「何で七匹なの?」
「二つの籠に入る限界が、そのくらいだと思う」
「思うって、測ってないの?」
「……現場で調整する」
ミレアは自分の籠を地面に下ろした。
「じゃ、途中で一回背負ってみよう。それで無理なら帰るからね」
「ああ。それはいい考えだ」
俺たちは籠を木陰に置き、網と縄を持って獣道を調べ始めた。
*
「トウマ、こっち!」
ミレアが茂みの向こうから手を振った。
近づくと、細い獣道が二本、途中で一つに合流していた。草の倒れた方向もそろっていて、何度も角ウサギが通ったらしい。
「ここなら、二つの道から来る相手をまとめて狙えるな」
「でも正面から網が見えたら、前みたいに避けられるよ」
「分かってる。今回は少し奥に張ろう」
俺たちは茂みの陰に網を広げた。口を低く開き、左右を枝で支える。獣道から見ると、網の入口は草に半分隠れる形だ。
ミレアは反対側へ回り込み、抜け道を探した。
「ここからも逃げられそう」
「枝で塞ぐか」
「全部塞いだら警戒するでしょ。あたしがこっちを見るよ」
ミレアは短い木の棒を手に、茂みの陰へしゃがんだ。
俺は網の口につながる縄を握り、反対側の石の後ろに座る。
待つことしばらく。
草の向こうで、小さな影が二つ動いた。
角ウサギだ。
額の角を揺らしながら、一匹が先に獣道へ入る。その後ろを、もう一匹が追ってきた。
俺は縄を握り直した。
先頭の一匹が網の入口へ鼻を突き出し、そのまま奥へ入る。
続いて、二匹目も顔を入れた。
まだだ。
後ろ足が網の中に入るまで待つ。
よし、今だ。
俺が縄を引いた瞬間、一匹が横へ跳ねた。
「ミレア!」
「分かってる!」
ミレアが茂みから飛び出し、横の抜け道に立ちはだかった。
角ウサギは慌てて向きを変え、網の方へ戻る。
俺は両手で縄を引き切った。
袋状になった網の中で、二匹が暴れる。
「よし、二匹!」
「口を結んで! 角が出てる!」
俺たちは網の端を地面へ押さえ、角が触れない位置から縄を締めた。
二匹とも暴れる力が強い。
前に畑で捕まえた一匹とは、重さも勢いも違った。
「これ、まとめて捕まえるのはいいけど、押さえるのが大変ね」
「そうだな。次からは少し考えよう」
父さんから教わった手順で、獲物を手早く仕留める。状態を確かめ、清潔な布で包んでから木陰へ運んだ。
食材として売るなら、できるだけ傷をつけずに持ち帰りたい。
網を張り直す前に、角が引っかかってほつれた場所がないかも確かめた。
「……作業が増えたな」
「二匹同時に捕れたんだから、十分じゃない?」
「それはそうだ」
俺は網の口を広げ直した。
ただ待つだけより、捕獲したあとの作業まで考えた方がよさそうだ。
*
昼を過ぎる頃には、捕獲数が五匹になっていた。
二度目の仕掛けでは一匹が網を避けたため、ミレアが見つけた別の道へ位置を変えた。三度目には支柱が倒れかけたが、縄を張り直して何とか捕まえた。
少しずつ手順が分かってくると、網を張る時間も短くなった。
……やはり、繰り返しの訓練は大事だ。
「ねえ、これ本当に持って帰れる?」
ミレアは木陰の籠を指した。
「まだ入るだろ」
「入るかどうかじゃなくて、背負えるかどうか」
そうだった。
俺は五匹を二つの籠に分け、片方を背負ってみた。
「……おっ」
立ち上がった瞬間、肩に紐が食い込んだ。
前へ一歩出ると、中身が片側に寄る。体を立て直すため、思わず足を踏ん張った。
「思ったより重いな」
「だから言ったじゃん」
ミレアも自分の籠を背負った。
何歩か歩いて、立ち止まる。
「今なら帰れる。でも、あと二匹増やしたら休憩は必要だね」
「じゃあ、あと二匹だな」
「本当に七匹にする気?」
「せっかく順調なんだぞ。ここで帰るのはもったいない」
ミレアは一度空を見上げ、残っている網を拾った。
「分かった。あと二匹で終わり。日が傾いたら、捕れなくても帰るからね」
「ああ」
「追加で一匹とか言ったら、あんたの籠に全部入れるから」
「……それは困る」
交渉は成立した。
最後の二匹を捕まえたのは、草の影が長くなり始めた頃だった。
網を片づけ、七匹を並べて数える。
一、二、三、四、五、六、七。
「七匹だぞ、ミレア!」
「やったじゃん!」
ミレアが笑いながら手を上げた。
俺も思わず手を合わせる。
一度に七匹。
初めての共有猟場としては、上出来だろう。
あとは持ち帰って売れば、まとまった金になる。
……そう思っていた。
*
「ちょっと待って」
籠を背負おうとしたところで、ミレアに呼び止められた。
「そっちの底、また音がしてない?」
俺は籠を下ろし、底を押した。
ぎしっ。
父さんが結び直してくれた縄が、少し緩んでいる。
「……本当だ」
「このまま運んでたら危なかったね」
「ああ。父さんに確認しろって言われてたんだった」
俺は余っていた縄を通し、底板をもう一度固定した。
中身を入れ直し、二人で籠を持ち上げる。今度は底が動かなかった。
「よし。帰ろう」
「うん。帰ったら絶対休憩ね」
ところが、帰り道は予想以上に長かった。
肩が痛い。
背中も重い。
道の段差を越えるたびに籠が揺れ、紐が肩へ食い込む。
最初の休憩は、猟場から少し歩いたところだった。
二度目は、大きな木の下。
三度目には、ミレアも尻尾を下げていた。
「……これ、運ぶだけで訓練になるな」
「もう十分、訓練したでしょ」
「でも《超成長》の効果が――」
「言わなくていい」
俺たちは籠を下ろし、中身が動かないよう詰め直した。
村へ着いた頃には、二人ともほとんど口を開かなくなっていた。
七匹を捕まえる時間より、運ぶ時間の方が長く感じる。
どう考えても、俺の予定にはなかった工程だ。
*
「……七匹?」
宿屋の主人は、二つの籠を見て眉をひそめた。
「これを全部、うちへ売るのか?」
「はい。角ウサギなら食材になりますよね?」
「なるが、全部は要らんぞ」
「……え?」
主人は一匹を取り出し、毛並みと傷の具合を確かめた。
「状態は悪くない。だが、うちで使うのは二匹くらいだ。客が少ない日に七匹買っても、使い切れん」
「残りも買い取ってもらえませんか?」
「売れる見込みのないものに金は払えんよ。保存するにも手間がかかる」
俺は籠を見下ろした。
七匹捕まえた。
だが、七匹全部が売れるわけではないらしい。
前世のゲームなら、店でまとめて売却できたはずだ。
現実の店には、買える量というものがある。
「じゃあ、二匹だけお願いします」
「いいぞ。ただし、丸ごとならこの値段だ」
主人が示した金額を聞き、俺は少し首を傾げた。
思っていたより安い。
「もっと高く売れないんですか?」
「解体して、使える肉に分けてあれば話は違う。だが、うちが手をかけるなら、その分は差し引く」
「……解体すると値段が変わるんですか?」
「きれいにできればな。下手に肉を傷めたら逆に安くなるぞ」
主人は買い取った一匹を作業台に置いた。
刃の入れ方を確かめながら、皮と肉を手際よく分けていく。
俺は思わず見入ってしまった。
同じ角ウサギでも、捕まえた状態、処理の仕方、買う人が必要としている量で値段が変わる。
つまり、七匹捕まえたからといって、単純に七匹分の稼ぎになるわけじゃないのだ。
「……相場って、面倒だな」
「面倒でも、商売はそういうもんだ」
主人はそう言い、二匹分の代金を渡してくれた。
残りは五匹。
俺たちはまた籠を背負い、自分の家へ向かった。
*
「……五匹?」
帰宅した俺たちを見るなり、母さんが動きを止めた。
「どうしてこんなに持って帰ってきたの?」
「七匹捕まえたんだけど、宿屋が二匹しか買ってくれなかった」
「だったら、先に売る相手を探しておきなさい」
「……はい」
母さんは籠の中を確かめ、すぐに袖をまくった。
「傷む前に処理しないと。トウマ、道具を洗ってきて。ミレアちゃんも、もう帰って休んでいいからね」
「あたしも少し手伝うよ」
「助かるけど、無理しなくていいんだよ」
ミレアは台所の隅へ籠を置いた。
「運ぶところまでやったし、片づけるところも見ておきたいから」
母さんはそれを聞いて、小さく頷いた。
作業が始まると、俺たちは思った以上に苦戦した。
宿屋の主人が迷いなく動かしていた刃も、自分で使うと位置が分からなくなる。
「そこを切ると、使える肉が減るよ」
母さんに止められ、手を引っ込めた。
「こっちからか?」
「そう。焦らなくていいから、少しずつ」
何度か確かめながら進める。
ミレアは肉を分ける作業を手伝い、俺は道具を洗って次の準備をした。
母さんが一匹分を片づける間に、俺はようやく一つの工程を終える。
……すごい差だな。
夕食に使う分を取り分け、残りは塩を使って保存の準備をすることになった。
「保存すれば、あとで売れるかな?」
俺が聞くと、母さんは塩の入った器を持ち上げた。
「買う人がいればね。でも、塩も薪もただじゃないよ。それに、ちゃんと保存できなければ全部無駄になる」
「……保存にも金がかかるのか」
「当たり前だろう」
父さんが畑から帰ってきた。
作業台の上を見て、少しだけ目を丸くする。
「本当に七匹捕ったのか」
「捕ったぞ。二匹は売れた」
「残りを全部持って帰ってきたのか」
「……はい」
父さんは何も言わず、手を洗って作業に加わった。
ようやく片づいた頃には、窓の外がすっかり暗くなっていた。
俺は椅子に座り、肩を回した。
捕まえる。
運ぶ。
売る。
解体する。
保存する。
七匹捕まえれば七匹分の金になると思っていたのに、獲物を手に入れてからの方が、ずっと仕事が多かった。
「……これ、稼ぎ方を考え直さないと駄目だな」
「そうだね」
母さんが洗った道具を棚へ戻した。
「たくさん捕るなら、その分をどう使うか先に決めておかないと」
俺は何も言い返せなかった。
せっかくの大量捕獲だったのに、最後は家族全員を働かせてしまったのだ。
*
翌朝、俺は机に七歳の頃の空想メモを広げた。
前世の町には店がたくさんあった。
肉屋も、食事を出す店も、保存食を売る店もあったはずだ。
だから俺は、獲物を捕まえさえすれば、どこかが買い取ってくれるものだと思っていた。
だが、ハルディンには七匹の角ウサギをまとめて買う店がない。
店があっても客が少なければ、仕入れられる量は限られる。
それなら。
「……市場が必要だな」
俺は机を指で叩いた。
売りたい人と買いたい人が集まる場所。
誰が何を欲しがっているのか分かる場所。
そこで値段まで確かめられれば、獲物を抱えて村じゅう歩き回らなくて済む。
もちろん、今すぐ市場を作れるわけじゃない。
商人を呼ぶ方法も、売り物を集める方法も分からない。
だが、拠点を育てるなら、いずれ必要になる設備だ。
そう考えた途端、視界の端に青白い文字が浮かんだ。
【拠点メモ:ハルディンに足りないもの】
・灯り
・水
・治療師
・市場と相場
よし。
新しい拠点施設の解放条件を見つけたらしい。
俺の《超成長》があれば、いつか全部そろえられるはずだ。
ただ、そのためにはまだ金が足りない。
まずは冒険者として依頼をこなし、少しずつ資金を増やしていくしかないだろう。
俺は登録証を持ち、ギルドの出張所へ向かった。
ミレアは先に来ていて、掲示板の前に立っていた。
「トウマ、新しい依頼が出てるよ」
「何だ?」
「穴ネズミの駆除だって」
俺は依頼票をのぞき込んだ。
小さい魔物。
穴に潜る。
追いかければ逃げる。
……なるほど。
これなら、また罠を使えばいい。
「よし。これを受けよう」
俺が依頼票へ手を伸ばしたところで、奥の机から職員が声をかけた。
「トウマ、その依頼は少し待って」
「え?」
「先に説明しておきたいことがあるんだよ」
職員は帳面を閉じ、俺たちを手招きした。
……おかしいな。
穴ネズミを捕まえるだけなら、今までと同じはずなんだけど。




