第6話 畑ネズミは本命の罠を知らない
「この紙、昨日はどこにあったの?」
ギルドの職員が、俺の差し出した依頼票を指先で持ち上げた。角ウサギを捕まえた日に押してもらった完了印が、紙の真ん中に残っている。
「服の内側です」
「一昨日は?」
「同じ場所です」
「……ずいぶん大事にしてたんだね」
職員は苦笑いしながら帳面を開いた。
「完了印は間違いないね。これで正式に一件達成。次からは、できればその日のうちに報告してね」
「はい。次は忘れません」
「本当に?」
「……次からはミレアが覚えてます」
「何であたし任せなのよ!」
ミレアに背中を小突かれた。
職員は笑いながら帳面に記入を済ませ、俺たちにそれぞれ報酬袋を渡してくれた。
ついに、冒険者としての初収入だ。
袋の中から、硬貨が触れ合う音がする。今すぐ数えてみたいが、隣ではミレアが次の依頼票を探し始めていた。
俺は袋を懐にしまった。
元から持っていた十二リルと合わせて数えるのは、家に帰ってからでもいい。今は仕事を増やす方が先だ。
「ところで、畑ネズミの駆除依頼って残ってますか?」
「あるよ。でも、角ウサギより厄介かもしれないね」
職員が掲示板から一枚の紙を外す。
「小さいし、すぐ穴に潜る。追いかけて畑を掘り返すと、依頼人に怒られるよ」
なるほど。
小さい敵。狭い通路。追いかけると逃げる。
どう考えても、罠の出番じゃないか。
「受けます!」
「内容は最後まで読んだ?」
「……今から読みます」
ミレアの肘が俺の脇腹に入った。
依頼票には、畑ネズミを二匹以上捕まえること、畑を掘り返さないこと、とある。捕まえたネズミの処理は依頼人が引き受けるらしい。
よし。これなら剣を抜く必要もなさそうだ。
*
今回の畑は、村の外れにあった。
湿った土の上に細い水路が走り、植えたばかりの菜が、あちこちで根元から倒れている。葉の食べられたものより、根をかじられて枯れかけたものの方が多かった。
「昨日の朝も、今朝もだ」
畑の持ち主が、根の残った菜を一本持ち上げた。
「葉だけならまだしも、根までやられると植え直しになる。穴を見つけても、畝の下へ逃げ込まれたら手が出せん」
「二匹捕まえれば、依頼は完了でいいんですか?」
「ああ。今、よく出てくるやつを減らしてくれれば助かる。残りの穴は、収穫の邪魔にならん場所からわしが塞ぐ」
男は畑の縁を指した。そこには、指が二本入りそうな穴がいくつも開いている。
俺たちが近づくと、一匹の畑ネズミが顔を出した。
灰色の毛に丸い耳。前歯は、普通のネズミを想像していた俺には少し大きすぎた。
「あ、いた」
ミレアが身をかがめた途端、ネズミは穴へ消えた。
「……速っ」
「追ったら逃げるのは分かってただろ」
「まだ追ってないっつってんでしょ」
ミレアはしゃがんだまま、穴の周りを指でなぞった。
「こっちは使ってる。あっちは草が生えてるから、古い穴かな」
俺も横からのぞき込む。
新しい土が盛り上がった穴と、草に埋もれかけた穴。畑の外側へ続く溝には、小さな足跡も残っていた。
父さんと害獣の罠を作ってきた経験が、ここでも役に立ちそうだ。
「よし。今回は二段構えでいこう」
「二段?」
「囮の罠と、本命の罠だ。目立つ方を避けたところに、本命を仕掛ける」
ミレアは畑の穴を見渡した。
「でも、どっちへ逃げるか分かんないじゃん」
「……まずは、それを調べよう」
「最初からそう言いなさいよ」
危ない。
危うく、作戦名だけ立派な計画を始めるところだった。
*
畑の持ち主から、古い籠と短い板、それに細い網を借りた。捕まえたネズミを入れるため、通気穴のある蓋付きの木箱も二つ用意してもらう。
「道具は壊さないでくれよ」
「もちろんです。できれば修理代も使いたくありませんから」
「正直だな」
俺は籠を逆さにし、片側を短い板で持ち上げた。
板には紐を結んである。少し離れた場所から引けば支えが外れ、籠が落ちる仕組みだ。餌には畑で捨てるはずだった傷んだ菜を使った。
「これが囮?」
「一応、捕獲もできる。中に入ったら一匹目はいただきだ」
「入らなかったら?」
「逃げた方角を調べる」
どちらに転んでも情報が増える。
俺たちは石垣の陰に座り、穴から畑ネズミが出てくるのを待った。
しばらくすると、灰色の頭がひょこりと現れた。
鼻を動かし、耳を震わせる。
そして籠を見た。
「……来るぞ」
俺は紐を握り直した。
畑ネズミは穴から半身を出し、餌の匂いを確かめるように鼻を動かした。
だが、そこから先へ進まない。
一度穴へ戻り、また顔を出す。それを二回繰り返しただけだった。
「……入らないね」
「入らないな」
「籠が目立つんじゃない?」
「……そうかもしれない」
遠くからでも見える大きな籠。
俺がネズミでも警戒するだろう。
結局、そのまましばらく待っても何も起きなかった。
「どうする? あたしが反対から追い立てようか?」
「いや。畑へ逃げ込まれたら面倒だ」
「じゃあ、あたしは外側を見てくる。穴、ほかにもあったでしょ」
ミレアは石垣から立ち上がると、畝を踏まないよう畑の外側へ回っていった。
俺は引き続き籠を見張る。
餌はある。
支えも安定している。
しかし肝心の獲物が来なければ、ただの置物だ。
これでは、罠の性能を確かめようにも何も始まらない。
「トウマ、こっち!」
草の向こうからミレアが呼んだ。
行ってみると、低い草の下に細い通り道があった。土には、小さな足跡が何本も重なっている。
「見て。ここ、さっき二匹通った」
「本当か?」
「うん。あんたが籠を置いたあと、別の穴から出てきたの。籠の方へは行かないで、こっちの草をくぐってた」
ミレアは草の一部を持ち上げた。
その下には、畑の縁に沿って続く細い道がある。
なるほど。
畑ネズミは動かなくなったわけじゃない。目立つ場所を通らず、見えにくい道を使っていたのだ。
「ここなら本命を置けそうだな」
「最初からここを探せばよかったね」
「……それは言わない約束にしないか?」
「約束してないし」
もっともだ。
それでも、ミレアが見つけてくれなければ、俺は今頃も籠の前に座っていただろう。
*
本命の罠には、借りた細い網を使った。
草の下を通る細道に沿って網を袋状に広げ、入口が潰れないよう小枝で支える。周りの土は少し寄せたが、穴や畝には手を加えなかった。
「ここ、ちょっと狭くない?」
ミレアが入口を指した。
「畑ネズミなら通れそうだけど」
「その台詞、角ウサギのときも聞いた」
「……そうだったな」
前回は、角が枝に引っかかりそうになった。
今回は相手が小さいからといって、同じ失敗をするわけにはいかない。
俺は入口を少し広げ、丸めた木片を通してみた。網が途中で折れ曲がっていないことも確かめる。
「これなら大丈夫そうだ」
「うん。あとは口を閉じる紐ね」
ミレアが網の縁を押さえている間に、俺は長い紐を通した。ネズミが奥まで入ったところで引けば、口が絞まる。
問題は、獲物が本当にそこを通るかどうかだ。
最初の籠は、あえて動かさなかった。
あちらを警戒して草の道へ回るなら、この網が役に立つ。逆に別の穴へ逃げるなら、また通り道を探し直す必要がある。
畑の持ち主が様子を見に来たので、仕掛けを説明した。
「ほう。畝を掘らずに済むのか」
「はい。籠の方には近寄らないので、こっちに置いてみました」
「使わん罠を、そのまま置いておくのか?」
「籠を避けて草の下を通っているみたいなんです」
男は二つの仕掛けを見比べた。
「つまり、嫌がる道と通りたい道を分けたわけか。よく見てるな」
「いえ。最初は普通に籠で捕まえるつもりでした」
「失敗したから、ネズミの通り方を調べ直したんだろ。畑仕事でも、そういうのが大事なんだ」
……また評価が上がってしまった。
まあ、俺が何と言おうと畑の持ち主が納得してくれるなら、それでいい。
できるだけ少ない労力で依頼を終える。
その目的に変更はない。
*
夕方が近づくと、畑の草が揺れ始めた。
ミレアが俺の袖を引く。
「来た」
灰色の小さな体が、草の下を進んでいた。
畑ネズミだ。
籠のある方へ一度顔を向けたが、近づくことなく草の道へ戻る。
俺は紐を握った。
ネズミが網の入口で止まり、鼻を動かした。
一歩。
もう一歩。
後ろ足まで網の奥へ入る。
「今!」
紐を引くと、網の口が閉じた。
袋が跳ねる。
「よし!」
「まだ! 口を結んで!」
ミレアが飛び出して網の縁を押さえた。俺は紐を引き切り、逃げ道が開かないよう結び目を作る。
中のネズミは暴れていたが、網に穴は開いていない。
一匹目、捕獲成功。
「やったじゃん!」
「当然だ。二段構えだからな」
「最初の籠、失敗しただけでしょ」
「結果的に囮になっただろ?」
「……まあ、なったけど」
俺は畑の持ち主から借りた木箱を近くへ寄せた。
ミレアに網の口を押さえてもらい、箱の入口へ向けてネズミを移す。蓋を閉じるまで少し手間取ったが、逃がさずに済んだ。
箱の中で小さく引っかく音がする。
よし。これなら網をもう一度使える。
「トウマ、まだいるよ」
ミレアが草の向こうを指した。
別の穴から、小さな影が二つ出てきていた。
先ほどの騒ぎを警戒しているのか、すぐには近づいてこない。だが、籠のある場所を避け、草の下を行き来している。
「……もう一回、張れる?」
「ああ。今度は早いぞ」
俺たちは網を元の位置へ戻した。
枝の長さも、紐を通す場所も分かっている。最初は何度も調整した仕掛けが、今度はほとんど迷わず組み上がった。
あとは、また通ってくるのを待つだけだ。
しばらくして、一匹が網の入口へ近づいてきた。
草の下で鼻を動かし、ゆっくりと奥へ進む。
俺は紐に指をかけた。
完全に入るまで待つ。
今度は慌てない。
後ろ足が網の奥へ消えたところで、力を込めた。
口が閉じる。
ミレアがすぐに駆け寄り、網を押さえた。
「二匹目!」
「よし!」
もう一匹は草の向こうへ逃げてしまった。
それでも、依頼票に書かれた二匹は捕まえた。
俺たちは二匹目も別の木箱へ移し、蓋が開かないことを確かめた。
どちらの箱からも、かりかりと音がしている。
初めの一匹を捕まえるまで、あれだけ時間がかかったのに。
二匹目は、仕掛けを作り直すところからずっと早かった。
同じ場所で同じ失敗を繰り返さなければ、次はもっと効率よくできる。
すると視界の端に、見慣れた青白い文字が浮かんだ。
【ステータス】
称号:罠の申し子
……来た。
どうやら、罠を使った仕事にも専用の称号があるらしい。
角ウサギに続いて畑ネズミも捕獲したんだから、獲得条件は満たしたはずだ。
「トウマ、何にやけてんの?」
「いや、罠師として一歩進んだ気がしてな」
「じゃあ次は、あたしが道を見つける前に気づいてよね」
「……努力します」
称号があっても、観察は自分でやらなきゃいけないらしい。
*
「二匹か。確かに捕まえたな」
畑の持ち主は木箱を一つずつ確かめ、蓋を押さえた。
俺たちは借りた網や籠を片づけ、捕まえた畑ネズミを引き渡した。残った穴については、男が畑仕事の合間に手を入れるという。
「畝を荒らさずに済んだ。助かったよ」
「いえ。掘り返したら、直すのが面倒だったので」
「そこまで考えてくれたか」
「いや、本当に面倒だっただけなんですけど」
「分かるよ。後の仕事を減らすために先に手間をかける。畑をやってりゃ、そういうことばかりだ」
男はそう言い、依頼票へ完了印を押した。
どうも俺が楽をしようとすると、周りの人には勤勉に見えるらしい。
悪いことではないが、そろそろ本当に楽になる方法も見つけたいところだ。
ギルドへの帰り道、ミレアは俺の隣で、土のついた指先を払っていた。
「今日のあれ、あたし一人だったら追いかけてたかも」
「俺一人だったら、籠の前で夜まで待ってたな」
「それ、効率悪すぎじゃん」
「否定できない」
ミレアは少し笑ってから、草むらの方を見た。
「でも、次はもっと早く見つけられそう。穴の周りの足跡とか、逃げ道とか」
「ああ。俺も罠を張る場所を工夫したい」
「じゃあ、次はもっと捕まえようよ」
「もちろん。数が増えれば、稼ぎも増えるからな」
懐の報酬袋に手を当てる。
初仕事の報酬は、まだ数えていない。今日の依頼票も、これからギルドで報告するところだ。
それでも、少しずつ仕事の進め方が分かってきた。
追いかける前に通り道を調べる。失敗したら仕掛けを直す。仲間に任せられるところは任せる。
これなら体力も残るし、無理な訓練で寝込むことも減る。
「……よし。次は共有猟場だな」
「角ウサギ?」
「ああ。今度はまとめて捕まえてみたい」
「いいじゃん。あたしもやってみたい!」
ミレアはすぐに乗り気になった。
角ウサギなら、通り道の探し方も分かっている。罠の作り方だって、最初のときより上手くなっているはずだ。
七匹、いや十匹。
まとめて捕まえられれば、町づくりの資金も一気に増える。
「ねえ、トウマ」
「何だ?」
「いっぱい捕まえたら、誰が運ぶの?」
俺は足を止めた。
角ウサギは一匹でも、袋網ごと持ち上げるにはそれなりの重さがあった。
十匹となれば、俺たち二人では到底抱えきれない。
荷車を借りる?
それとも、誰かに運んでもらう?
……待て。
楽に稼ぐための計画なのに、どうして仕事を増やす方法ばかり思いつくんだ?




