第5話 超成長持ちでも寝ないと伸びないらしい
五往復目で、俺の足が言うことを聞かなくなった。
「あと一本!」
「……まだやるのか?」
「言い出したの、あんたでしょ!」
ミレアが道の向こうから手を振っている。
村外れの古い柵から、道の曲がり角まで。そこを往復するだけの訓練だ。距離にしたら大したことはない。
ところが、三週間ほど本格的に運動できなかった体には、これがなかなかこたえる。
角ウサギを捕まえた翌朝。
俺たちは朝飯を食べるなり、村の外れへ来ていた。
もちろん、理由はある。
昨日の捕獲は成功した。罠の置き方を変え、角ウサギが自分から網へ入るようにしたのは正解だった。
ただ、もし網が外れていたら、俺は逃げる相手に追いつけなかっただろう。
毎回罠が成功するとは限らない。失敗するたびに獲物を逃がしていたら、いつまでたっても金が貯まらない。
故郷ハルディンを便利な町にするには金が要る。その金を稼ぐには、まず仕事をこなせる体が必要だ。
つまり、今の俺がやるべきことは一つ。
「《超成長》の倍率を最大限に活かす特訓だ!」
「口を動かす元気があるなら、足を動かしなさい!」
……はい。
俺は再び走り出した。
そういえば、角ウサギの依頼票はまだギルドに届けていない。
まあ、訓練が終わってから報告すればいいだろう。
*
走り込みが終わると、今度は木剣を握った。
母さんに取り上げられていた木剣は、父さんが返してくれた。もっとも、母さんが承知したのは「無茶をしない」という約束つきだ。
「まずは十本ね」
ミレアが俺の前に立った。
手には短い木の棒が二本。いつもの短剣の代わりだ。
「十本? 百本の間違いじゃないのか?」
「最初から百本なんて振ったら、後半は腕が上がらないでしょ」
「そこからが本番だろ。《超成長》持ちなら限界を超えてこそ――」
「じゃ、一本目」
ミレアの右手が動いた。
俺は木剣で受けた。
受けたつもりだった。
次の瞬間、左の棒が俺の脇腹にぴたりと当たっていた。
「一本」
「……今の、もう一回」
「いいよ」
もう一度構える。
ミレアが右から打ってくる。俺はそちらを受けたが、今度は下から蹴りが来た。
「二本」
「短剣二本のはずだろ!」
「あたし、足も使うって登録したじゃん」
そうだった。
ギルドの申告書には、確かに体術と書いてあった。
「次は足も警戒する」
「じゃ、三本目」
右、左、足。
全部を見ようとしているうちに、目の前から棒が消えた。
こつん。
額ではなく、肩に当たる。
「三本」
「……お前、何か速くなってないか?」
「昨日も同じくらいだよ。あんたの足が遅くなってるだけ」
言われてみれば、踏み込むたびに太腿が重い。さっきの走り込みが響いているらしい。
それでも俺は木剣を構え直した。
十本が終わる頃には、ミレアの打ち込みを受けるだけで息が上がっていた。
「今日はここまでね」
「いや、もう十本追加だ」
「足が動いてないじゃん」
「そこからが訓練だろ」
「変な動きを覚えても知らないからね」
ミレアは棒を下ろした。
ならば、一人で素振りをすればいい。
俺には《超成長》がある。普通の人間が十回で覚えるなら、俺はもっと早く覚えられるはずだ。
せっかく成長が速いのに、十回で終わらせるのは損じゃないか。
俺は少し休んでから、また木剣を振り始めた。
*
昼を過ぎた頃、俺は地面に座り込んでいた。
木剣がやたらと重い。
最後の方は剣を振るたびに足の位置がずれ、構え直すだけで精いっぱいだった。
「ほら、立てる?」
ミレアが手を差し出した。
「……あと少し」
「さっきからそればっかり」
手を借りて立ち上がると、足が震えた。
まさか、ここまで体力が落ちているとは。
ボアに頭を打たれてから、しばらくまともに鍛えていなかった。畑仕事で作った筋肉も、休んでいる間に鈍ったんだろう。
ミレアは俺の木剣を拾い、脇へ置いた。
「あたしは、もう少しやる」
「まだ動けるのか?」
「棒の使い方で、直したいところがあるから」
ミレアは少し離れた場所へ行き、二本の棒を構えた。
右手を出して、左手を戻す。
足の位置を変え、もう一度。
さっき俺を打ったときとは違う。右手を引くのと同時に、左足を半歩前へ出している。
何度か繰り返したあと、ミレアは首を横に振った。
「……違う。これじゃ次が遅い」
誰かに見せるための練習じゃない。
自分で納得するまで、同じ動きを確かめている。
俺は地面に座ったまま、その様子を眺めた。
そういえば、ミレアは昔からこんなふうに練習していた。俺が帰ったあとも、一人で残って動きを確かめていることがあった。
あいつも、外の世界へ行くために腕を磨いているんだろう。
「ミレア、もう一回相手を――」
「却下」
「まだ何も言ってない」
「あんた、さっきから木剣を持つ手が震えてる」
見れば、確かに指先まで震えていた。
「……じゃあ、今日はここまでにする」
「最初からそうしなさいよ」
明日なら、もっと動けるはずだ。
そう思いながら、俺は木剣を布で包んだ。
*
その考えは、翌朝になって崩れた。
「……痛い」
寝台から起き上がろうとして、俺は動きを止めた。
肩が痛い。背中も痛い。足まで痛い。
昨日は木剣を振るときだけ重かった腕が、今日は毛布を持ち上げるだけで文句を言ってくる。
「兄ちゃん、朝ご飯だよ」
リナが戸を開けた。
「……ちょっと待ってくれ」
「起きられないの?」
「起きられる。少し時間が必要なだけだ」
寝台の端に手をついて体を起こすと、太腿が引きつった。
リナはそれを見るなり台所へ走っていった。
すぐに母さんが来た。
「トウマ。また頭が痛むの?」
「頭は平気。体が……あちこち痛い」
「昨日、何時間やったの」
「……朝から昼過ぎまで」
「誰がそんなにやっていいって言った?」
母さんは壁に立てかけた木剣を見た。
俺も見た。
昨日返ってきたばかりの木剣が、再び母さんの手で戸の向こうへ消えていく。
「今日は休み。明日も痛かったら休み」
「いや、でも――」
「三週間も安静にしてたあとに、いきなり無茶したんでしょ。頭まで痛くなったら、すぐに言うんだよ」
母さんが出ていった。
代わりに父さんが顔を出した。
「動けんのか」
「動けるけど、稽古は無理そう」
「そうか」
父さんは少し考えてから言った。
「畑も同じだ。一日で全部耕そうとして、次の日に起きられんようじゃ仕事にならん」
「でも、早く鍛えないと」
「明日も動けるだけ残しておけ」
それだけ言って、父さんは畑へ向かった。
俺は寝台に横たわったまま考えた。
なるほど。
普通に鍛えるだけでは《超成長》を使い切れないと思っていたが、そもそも体が動かなければ次の訓練ができない。
せっかく成長効率が高くても、一日頑張ったせいで二日休むことになったら損だ。
だとすれば、休養まで含めて効率を考える必要がある。
「……チートの使い方、意外と奥が深いな」
「兄ちゃん、また何か言ってる」
リナが水の杯を持って戻ってきた。
「今日は寝てた方がいいよ」
「俺もそう思う。休むのも訓練の一部だからな」
「じゃあ、私も訓練してくる!」
「どこで?」
「昼寝!」
リナは笑いながら走っていった。
……それは違う。
いや、俺の理屈でいえば合っているのか?
*
その日の午後、ミレアが訪ねてきた。
「聞いたよ。起きられなかったんだって?」
「起きられた。ちょっと時間がかかっただけだ」
「はいはい」
ミレアは窓の下に腰を下ろした。
いつもの木の棒を持っている。握りの部分には、細い布が巻かれていた。
「それ、どうしたんだ?」
「昨日、手の中で棒がずれたの。短剣でも同じことになったら困るから、握りを直してみた」
「それだけで変わるのか?」
「まだ分かんない。試してるところ」
ミレアは立ち上がり、二本の棒を構えた。
右手を出し、引き戻す。
続けて左手。
昨日よりも、持ち替える途中で棒がぐらつかない。
「……上手くなってないか?」
「少しね。布の巻き方も、まだ変えるつもりだけど」
「自分で考えたのか?」
「そうだけど。何?」
「いや、いいなと思って。使いやすい道具なら、余計な力が要らないし」
「……珍しく素直じゃん」
「いつも素直だろ」
「そういうところがね」
ミレアは笑い、棒を一本だけ俺の足元に置いた。
「次は軽めにやろう。あたしも足が少し重いし、無理して変な癖がつくのは嫌だから」
「明日なら動けそうだ」
「痛かったら休み。治ってからでいいでしょ」
俺は棒を手に取った。
木剣よりずっと短く、重さもほとんどない。それでも構えると肩が痛んだ。
……今日は素直に寝ておこう。
*
翌日も休養にあて、その次の朝。
俺たちは再び村の外れに立っていた。
今度は走り込みを短くして、息を整えてから木剣を構える。
「まず十本ね」
「おう」
ミレアが二本の棒を構えた。
昨日までの筋肉の痛みは、ほとんど引いている。足を動かしても、前のような重さはなかった。
「行くよ!」
右から棒が来る。
俺は木剣で受けた。
続いてミレアの左手が動く。
だが、今度はそちらへ木剣を追いかけない。
右足を半歩引く。
棒が空を切った。
「……へえ」
ミレアが口元を上げる。
「今の、よかったじゃん」
「だろ?」
俺は木剣を構え直した。
前の訓練では何度やっても間に合わなかった動きだ。
足を引くこと自体は、昔からの稽古でも教わっていた。けれど、疲れていたときには分かっていても体が動かなかった。
なるほど。
《超成長》で身につけた動きも、体が回復していなければ出せないらしい。
「よし! 今のをあと百本――」
「十本」
「二十本」
「十本」
「……十五本」
「十二本。終わったら休憩」
交渉の結果、十二本になった。
前の俺なら少ないと思っただろう。
だが、今日は十二本とも足を動かして終えられた。ミレアも棒の持ち替えが前より滑らかになっている。
終わったあと、二人とも地面に座り込まずに済んだ。
「明日もこれくらいにする?」
ミレアが聞いた。
「ああ。これなら次の日も動けそうだ」
「珍しく話が早いじゃん」
「当然だ。効率のいい訓練方法を見つけたからな」
「何それ」
「訓練して、休んで、また訓練する。たぶん《超成長》には休養が必要なんだ」
ミレアは少し考えてから頷いた。
「まあ、休むのも大事って分かったならいいんじゃない?」
「つまり、寝るのもチートのためだ」
「……あんた、結局そこなのね」
俺は木剣を布で包んだ。
これなら無理をして寝込まずに済む。訓練を続けながら仕事もできるし、稼いだ金を町づくりに回せる。
完璧な計画だ。
「じゃあ、そろそろギルドに行こうか」
ミレアが言った。
「そうだな。次の依頼を――」
「その前に、角ウサギの依頼票」
「……あ」
「あんた、何日も報告してないでしょ」
俺は服の内側から、角ウサギ捕獲の依頼票を取り出した。
きちんと依頼人の印がある。
角ウサギは捕まえた。畑も荒らさなかった。
なのに、まだ報酬は一リルも受け取っていない。
ミレアが紙を指さす。
「ねえ、トウマ」
「……何だ」
「仕事って、どこまでやったら終わりなの?」
俺は依頼票を握ったまま、ギルドの方角を見た。
どうやら冒険者の仕事には、俺が思っていたよりずっと多くの工程があるらしい。




