第4話 角ウサギは向こうから罠に入ってくる
畑の持ち主が差し出した葉には、半月形の歯形が二つ並んでいた。
「今朝もやられた。ここまでは食わせてやるつもりはないんだがな」
男は泥のついた指で、畑の畝から隣の畝まで線を引いた。若い菜だけが、ところどころ根元からなくなっている。
俺とミレアが朝一番に受けたのは、この畑に入り込む角ウサギの捕獲依頼だ。
登録翌日の初仕事としては、悪くない。畑はうちから歩いて来られる距離で、移動に金もかからなかった。
「依頼は一匹の捕獲でいいんですよね?」
「ああ。捕まえたら、畑の外へ出してくれ。まだ植わってる菜を踏み荒らすのは勘弁だ」
「追いかけません。できるだけ畑にも入りませんから」
男が眉を上げた。
「それでどう捕まえる?」
「向こうから罠に入ってもらいます」
「……そうしてくれるなら助かるが」
俺が使える道具はないか尋ねると、男は納屋から使い古した袋網を持ってきた。
縁は少しほつれているが、穴はない。支柱に使う枝と短い縄も貸してくれるらしい。
「壊すなよ。まだ使うんだからな」
「もちろんです」
返すと約束して受け取った。
俺の財布には十二リルしかない。初仕事から道具代で減らすわけにはいかないのだ。
「ねえ、あんた」
ミレアは袋網を広げながら、畑の端を顎で示した。
「あそこ。草が寝てる」
柵の下に、土が細く削れた場所があった。
周囲の茎は折れ、菜の葉に残った歯形の近くには小さな足跡もある。畑仕事をしていれば珍しくない痕跡だ。
俺も父さんと何度も害獣を追ってきたから、見れば大体分かる。
「通り道だな。ここで待てばいい」
「待つの? ずっと?」
「追いかけたら逃げる。だったら、逃げる必要がないと思わせるんだ。初級の罠師はここからだぞ」
「まだ一匹も捕ってないでしょ」
「今は初級の入口だ」
ミレアは袋網を俺の顔へ押しつけた。
待て。中に入るのは俺じゃない。
*
柵の隙間から畑へ続く細い通り道に、袋網の口を開いて置いた。
左右に枝を立て、ウサギが網の方へ進むよう道幅を狭める。奥には男が捨てるつもりだった菜の葉を入れた。
網の口は縄を引けば絞れるようにしてある。俺が離れた場所から縄を引き、ミレアは網が跳ねたときに支柱を押さえる役だ。
「この枝、角が当たったら外れない?」
ミレアが支柱を指で揺らした。
根元がぐらつく。
「……危ないな」
俺は枝を抜き、少し深い位置へ差し直した。
角ウサギは小さいが、角を向けて突っ込まれたら痛い。まして、こっちは病み上がりだ。今回は剣を抜かずに済ませたい。
畑の持ち主は作業へ戻った。
俺たちは人の姿が見えなくなるよう、風下にある低い石垣へ身を隠す。
ところが、腰を落とした姿勢を続けていると、太ももがじわじわ熱くなってきた。
「……まだ?」
「まだ。敵の巡回を待つのは基本だ」
「一時間でも?」
「基本だ」
「三時間でも?」
「……その前に俺の足が終わる」
ミレアは鼻で笑ったあと、石垣の下へ腰を下ろした。
枝の陰に隠れるよう座れば、しゃがみ続ける必要もない。
俺もまねをする。
最初からそうすればよかった。
しばらくして、草の間から角ウサギが現れた。
額の短い角を揺らしながら、柵の穴へ近づいてくる。俺は縄を握り直し、動きを止めた。
角ウサギは穴の手前で立ち止まった。
鼻をひくつかせ、網の口へ顔を向ける。
よし。そのまま入ってこい。
ところが、ウサギは一歩下がった。
今度は横へ二歩。草の陰へ頭を突っ込み、袋網の脇をするりと通り抜けた。
「……行ったね」
「行ったな」
しばらくすると、畑の奥で菜の葉が一枚揺れた。
見事に罠だけ避けられている。
俺が立ち上がりかけると、ミレアが肩を押さえた。
「追わないんでしょ?」
「追わない。……けど、今のは少し腹立つな」
「そりゃ、いつもの道に見慣れない網が置いてあったら、入りたくないでしょ」
まったくそのとおりだった。
俺だって、通り道の真ん中に大きな袋が置かれていたら避ける。
宝箱だと思って開ける可能性はあるが、それは人間の話だ。
*
「ここに網を張ると、横へ回るだろう」
戻ってきた畑の持ち主は、俺たちが立てた枝を見て言った。
「いつも柵の際を走るんだ。真っすぐ畑へ入るより、逃げ道が多いからな。追っても草の下へ潜られておしまいだ」
「毎朝、追ってるんですか?」
「追える日だけだ。畑を放っておくわけにいかんからな」
男は食いちぎられた菜を一束拾った。
まだ食べられる部分を分け、傷んだ葉だけを俺へ渡してくれる。
「使うならこっちにしてくれ。残りは持って帰る」
「ありがとうございます」
俺は袋網を外し、柵の隙間をもう一度確かめた。
ウサギが穴を抜けると、そのまま柵に沿って逃げられる細い道が続いている。
なるほど。網を正面に置いたから、いつもと違うと気づかれたわけか。
「だったら、今度は横だな」
柵の穴の正面を空け、畑の縁に沿うよう袋網の向きを変えた。
網の口が普段の通り道につながるようにし、支柱は草の陰へ寄せる。縄も土の上を這わせ、離れた場所から引けるようにした。
網の奥には、もらった菜の葉を置く。
今度は道を塞がない。ウサギがいつもどおり柵の際を進めば、その先に袋網の口がある配置だ。
ミレアが四つん這いになり、枝と網の間へ頭を差し込んだ。
「ちょっと、何してんだ?」
「ウサギの気分。ここ、狭い。角が枝に当たるよ」
「お前の頭、ウサギより大きいだろ」
「角の分を考えなさいって言ってんの!」
ミレアは両手の指で角の幅を作り、網の口に差し入れた。
確かに、このままでは右側の枝に当たる。
「もう少し広げるか」
俺は枝を一本減らし、網の口を広げた。
逃げ道が増えたようにも見えるが、角が引っかかって入ってこなければ意味がない。
袋の奥まで進ませてから口を絞ればいい。
「これなら引っかからないと思う」
ミレアが手を抜いた。
「じゃあ、もう一回待つか」
畑の持ち主は、その間も折れた柵の杭を直していた。
俺たちが害獣を捕まえている間に、自分の仕事を進めているわけだ。
こういう人に仕事を任せれば、ずいぶん楽ができそうだな。
……いや、今は依頼を終わらせるのが先か。
*
再び石垣へ戻った。
今度は俺が網を横から見られる位置へ座り、ミレアは支柱を押さえに行ける場所で待つ。
風が変わると、菜の葉の匂いも流れる向きを変えた。
俺は《ブリーズ》を使いかけて、やめた。
下手に風を起こせば草が揺れる。かえってウサギを警戒させるかもしれない。
じっと待っていると、草の間から角ウサギが現れた。
さっきと同じくらいの大きさだ。
穴をくぐり、柵に沿って歩いてくる。
網の口の前で一度立ち止まった。
頼むぞ。
角ウサギは鼻を動かし、そのまま一歩進んだ。
奥の葉をかじる。
さらにもう一歩。
後ろ足まで袋網の内側に入った。
今だ。
俺は縄を引いた。
だが、口が絞まるより早く、角ウサギが跳ねた。
網の縁が持ち上がる。右の支柱が土から浮き、袋の口に隙間ができた。
「ミレア、右!」
「分かってる!」
ミレアが飛び出し、浮きかけた網の端を踏んだ。
支柱を押さえ直す間に、俺は両手で縄を引き切る。
袋網の口が閉じた。
中で角ウサギが暴れ、袋ごと土の上を跳ねる。
「まだ手を出さないで!」
ミレアが声を上げた。
短い角が網目に引っかかり、袋の外へ突き出している。
直接つかむのは危険だ。
俺は縄をさらに引き寄せ、口が開かないよう結んだ。ミレアは長めの枝で網の端を押さえ、角がこちらへ向かないようにしてくれる。
暴れる力が弱くなるまで待つ。
やがて袋の動きが小さくなり、俺たちはようやく顔を見合わせた。
「……捕まえた?」
「捕まえた」
「逃げない?」
「口は結んだ。あとは中から破られなければな」
「最後まで心配させるわね……」
俺だって心配だ。
でも、今度こそ逃げられなかった。
*
畑の持ち主が駆け寄ってきた。
袋網の中を確かめ、結び目を見てから、しっかりと頷く。
「一匹、確かに捕まえた。菜も踏まれていない。助かったよ」
「よかったです」
「若いのに、畑を荒らさない方法を考えてくれたんだな」
「いや、走り回るのが面倒だっただけですよ」
「そう言って、待つ手間を惜しまなかった。ありがたいことだ」
「……じゃあ、依頼は成功ですね」
「ああ。ただ、畑の外へ運ぶところまで頼むよ」
男は納屋から蓋付きの木箱を持ってきた。
畑の外に置かれた箱へ、俺たちは角に気をつけながら袋網ごとウサギを収めた。蓋が閉まるのを確認して、ようやく肩の力が抜ける。
「袋網はあとで俺が外す。それより、この網の張り方は明日も使えるか?」
俺は支柱を立てた場所を振り返った。
枝は二本とも土まみれで、縄も少し伸びている。毎朝仕掛けるなら、もっと手早く張れた方がいい。
俺たちがいない朝でも、畑の持ち主が使えるようにしておけば、次からここへ呼ばれずに済むかもしれない。
「枝の長さを揃えれば、次は早くできます。入口もこの向きなら――」
「待て待て。今日はもういい。日が暮れる前に片づけてくれ。わしも畑を終わらせたい」
「……はい」
どうやら、改善案は次の機会にした方がよさそうだ。
俺たちは残った枝と縄を片づけ、借りた道具を確認してもらった。
男から依頼票に完了の印をもらい、仕事を終える。
網は預けたままだが、持ち主の道具なので問題ない。
あとは出張所へ報告すればいい。
道具代はゼロ。畑も荒らしていないし、走り回らずに一匹捕まえられた。
初仕事としては上出来だろう。
*
帰り道、ミレアが妙なことを言い出した。
「網が外れたら、あんた追いつけた?」
「追わない作戦なんだから、追わなくていいだろ」
「逃げた先が畑の中だったら?」
「……それは、少し走る必要があるかもな」
「じゃあ明日は走る稽古。そのあと木剣」
「待て。罠が成功した話をしてたんじゃないのか?」
「成功したから、次は逃げられたときの練習でしょ」
ミレアはもう明日の走る道を選ぶように、畑の脇を指さした。
「しかも、あたしがウサギ役ね。捕まえてみなさいよ」
「……角は?」
「生えてないわよ!」
「じゃあ、網を持って追いかけても――」
「却下!」
俺は空になった手を見下ろした。
金を稼いで楽をするための初仕事だったはずなのに、明日の訓練が二つも決まっている。
……どうやら俺は、ウサギより厄介なものを捕まえてしまったらしい。




