第44話 縄は多いほど安心とは限らないらしい
「三本も持っていく気か?」
管理所の帳場で、グレンが俺の紙を裏返した。
そこには次の縦坑調査に必要だと思う道具を描いてある。
縄三本、予備の灯り石二つ、鉄の鉤、折り畳み台。
俺としては最低限の装備だ。
「初見ダンジョンの攻略で一番大事なのは準備ですよ。マッピングの次くらいに」
「お前の地図は使えた。だが荷物の量とは別だ」
グレンは昨日の点検票を開いた。
穴の深さ、水面までの距離、石の足場の位置。俺の地図へ書き込んだ値と、職員が別に測った値が並べられている。
「同じ場所を別々に測っても数字がほぼ合っている。危険な足掛けも位置で示してある。だから次の調査の相談に呼んだ」
「つまり、俺のマッピング技能が評価されたってことですね」
「記録が正確だったということだ」
そう言われると照れる。
宝箱を見逃さないため、壁も床も書き残しただけなのだ。ゲームで地図を埋めるのは基本だからな。
「次は降りるんですか?」
セオが尋ねると、グレンは首を振った。
「今日は降下を決めるための準備だ。水位の変化、空気の状態、引き上げる方法を確認する。古い足掛けは使わない前提で考えろ」
「降りる人も、まだ決まっていないんですね」
「ああ。必要な人数と装備がそろうまでは開放しない」
俺は描いた道具の横に小さく『準備』と書き足した。
どうやら隠しダンジョン初回攻略は、まだ装備確認の段階らしい。
「なら、今日のうちに見積もりを取ってきます」
セオが俺の紙を受け取る。
「いいな。必要な物はそろえておかないと」
「必要かどうかを確かめるための見積もりです」
「……買いに行くんじゃないの?」
「必要なら買います」
その表情は、買い物を楽しむ人のものではなかった。
*
「縄三本。全部新品を買うつもりですか」
道具屋の前でセオが値札を指した。
店先には太さの違う縄が何種類も並んでいる。俺は一つを手に取り、重さを確かめた。
細いものは軽いが、人を支える用途には向いていない。太いものは丈夫そうでも、長さがあればかなり重くなる。
「一本が切れたときに二本目。二本目も切れたら三本目だろ」
「最初の一本が切れる使い方をするなら、三本目まで同じ使い方をしないでください」
「それはそうだけど」
「切れた原因も分からないまま、次の一本へ替えるつもりですか?」
「……原因は調べるよ」
「なら最初から、切れない使い方を考えましょう」
セオは縄の値札を一つずつ読み上げ、三本分を紙へ書いた。
次は灯り石二個。その次に鉄の鉤。
最後に合計金額を出すと、俺の前へ紙を置いた。
「これに三人分の食料と運搬の手間が掛かります。共同経費からは出しませんよ」
「初回攻略に行く前から財布の方が空になるのか……」
「管理所には管理所の装備があります。誰が用意するか決まる前に、全部買う必要はありません」
セオが縄三本の横へ線を引く。
「まず管理所の備品を確認しましょう」
「でも、備品が足りなかったら困るだろ」
「その場合は足りない物を買います。順番が逆です」
ミレアは俺の背中に結んだ折り畳み台を指した。
「それにあんた、もう一つ背負ってるよね。三本も持ったら剣が抜けなくない?」
「背負い方を工夫すれば……」
「試してみなよ」
店員に許可をもらい、縄三本の束を背中へ掛けてみた。
折り畳み台の上から背負うと、束が肩の横へ大きく張り出す。
「これくらいなら――」
右へ身体を回した途端、束が棚へ当たった。
ごとん。
「おっと!」
「ほら」
「店の棚が近いだけだろ」
「じゃあ剣を抜いてみなよ」
腰の剣へ右手を伸ばした。
ところが肘が縄へ引っかかる。無理に引けば、背中の束まで一緒に動いてしまった。
「……少し削ろう」
「少し?」
ミレアが笑っている。
セオは灯り石二個と鉄の鉤にも線を引いた。
「こちらは管理所の装備を使うか確認します。引き上げ用の道具を勝手に用意しても、職員の許可がなければ使えませんから」
「全部なし?」
「まだ何が必要か決まっていません」
俺は店先の縄へ目を戻した。
三本は多い。背負えば剣も抜きづらい。
それでも、何も持たずに行くのは落ち着かない。
「……予備の縄は一本欲しい」
セオが顔を上げた。
「何に使うつもりですか?」
「本隊の道具が使えなくなったときの予備だよ。別の作業に回せるかもしれないし」
「人を支える用途ですか?」
「必要ならそういう使い方も考えたい。でも、勝手には使わない」
セオはすぐには答えず、店員へ縄の太さと長さを尋ねた。
材質、傷みの確かめ方、どんな用途を想定した商品なのか。値札を見ているときよりも質問が多い。
「縦坑で使うなら、固定先と結び方も確認が必要です」
「分かってる」
「管理所の点検を受けて、用途を認められるまでは人を支える縄として使わない。その条件なら予備を持つ理由はあります」
「じゃあ一本だけ買う」
「トウマさんの個人負担ですね」
「分かってる!」
新しい縄一本の代金を払った。
頭の中では装備が充実した気分なのに、実際に軽くなったのは財布だけだ。
便利な魔法鞄はまだ遠い。
*
午後、管理所へ戻って削った装備表を見せた。
グレンは購入した縄を確かめ、管理所側の備品一覧と照らし合わせる。
「主に使う縄と引き上げ道具は管理所で準備する。お前が買ったものは予備として扱うが、用途は点検してから決める」
「はい」
「買ったからといって、勝手に使えるわけじゃないぞ」
「そこはセオにも言われました」
「ならいい」
資材置き場の入口では、ハーシュが通路の幅を測っていた。
工具や資材を運び込むとき、荷物が引っかからないか確かめているらしい。
「お前たちも背負って歩いてみろ」
俺は折り畳み台と新しい縄を背負い、通路を往復した。
さっきの三本よりはずっと身軽だ。
「これなら通れるな」
ハーシュが測量棒を畳んだ。
「その縄、何に使う?」
「本隊の縄が使えなくなったときの予備です」
「じゃあ、使う前に固定先も調べなきゃならんな。荷物を引くのと、人を引き上げるのじゃ話が違う」
「はい」
ハーシュは購入した予備の縄を点検対象として書き加えた。
道具を持っていることと、実際に使えることは別らしい。
資材置き場の奥には、昨日の赤札が残っていた。
『開放禁止・調査中』
石の蓋も閉じられたままだ。
ミレアはその手前で足を止め、耳を動かした。
「……下の音、昨日より多い気がする」
「石の下から聞こえるのか?」
「あたしにもはっきりは分かんない。水の音だけじゃない感じ」
俺も耳を澄ませたが、職員たちが道具を運ぶ音しか聞こえなかった。
「《超感覚》が進化したとか?」
「名前を付けないでってば」
「でも、昨日と違うんだろ?」
「違う気はする。でも何が違うかは分かんない」
ミレアは赤札より先へ進まなかった。
グレンは聞き取った内容を点検票へ書き込む。
『石蓋を閉じた状態で、同行者が音の変化を申告。原因未確認』
音を調べるために石の蓋を開けようとはしない。
「勘は進む理由にしないんだったな」
セオの言葉に、ミレアが頷いた。
「そう。危ないなら一回止まる。それだけ」
俺としては、音が増えたなら奥に何かあるというイベント表示に思える。
けれど今の装備で穴へ入れば、見つけた宝より救助費の方が高くつくだろう。
今日は赤札の前で引き返した。
*
「荷が多すぎる。それでは動けない」
管理所の入口で声を掛けられた。
ヴァルトだ。
別の依頼の書類を手に持ち、カミラが少し後ろで記録を取っている。
「もう減らしたんだけど?」
「腰の剣を抜いてみてください」
言われたとおり右手を伸ばした。
抜ける。
ところが背中の縄が鞘の上端に触れ、いつもより剣を傾けにくかった。
「……少し引っかかる」
「万一の退路でそれでは遅れます。安全を考えるなら、動けることも条件でしょう」
「予備の縄が要る場面もあるだろ。全部置いていくわけにはいかない」
「なら、固定する位置を変えるべきです」
ヴァルトは俺の荷物を指した。
「道具を残すなら、その分の負担も考えてください」
「そこまで考えて持ったつもりなんだけどな」
「実際に剣が引っかかっています」
「……それはそう」
カミラが荷物をまとめる紐の結び目を見て口を開いた。
「縄が右側へ広がっています。背中の中央から左へ寄せて、縦に固定すれば改善しそうです」
「じゃあ、それで頼む」
「ご自分で直した方が覚えられますよ」
セオまで同じように頷いた。
「僕もそう思います」
「二人とも厳しくない?」
俺は縄を下ろし、折り畳み台と重ならない位置へ結び直した。
もう一度剣を抜く。
今度は引っかからない。
少し走ってから向きを変え、縄が大きく揺れないことも確かめた。
「……これならどうだ?」
「先ほどよりいいですね」
ヴァルトは一度だけ頷いた。
「道具を持つ理由があるなら、動ける形にしてください」
そう言ってカミラを連れ、管理所の奥へ歩いていく。
「認めたってことか?」
「直したことは認めたんじゃない?」
ミレアの返事が妙に冷静だった。
俺は念のため、もう一度剣を抜いてから鞘へ戻した。
*
グレンの机へ戻ると、装備表には二種類の印が付いていた。
管理所が用意する、降下と引き上げに使う縄や道具。
それとは別に、俺が携行する私物の予備の縄。
誰が管理し、何に使うかも分けて記されている。
「降りるときは管理所の許可が出てからだ。水位が上がれば中止。足場が危なければ引き返す。合図が届かなければ進まない」
「はい」
「ずいぶん素直だな」
「準備不足で全滅したら、セーブ地点からやり直せませんから」
「何の話だ?」
「戻ってこられないと困るってことです」
グレンは俺の装備表を机の端へ置いた。
「そういうところを評価してる。先に帰る方法を考えているからな」
俺としては攻略の基本を守っているだけだ。
なのにグレンは仕事のできる冒険者を見るような目をしている。
おかしい。
そろそろ俺にもチートらしい派手な仕事をさせてほしい。
「次の調査では、この予備も持っていっていいんですよね?」
「点検してからだと言っただろ」
「……まだ駄目か」
グレンは返事の代わりに、机の下から古い貸出簿を取り出した。
端が擦り切れた紙には、昔の資材の貸し出しが記されている。
『旧東縦坑・巻上げ鉤一、縄梯子二』
返却欄には、縄梯子一本分の印しかなかった。
「二本借りて、一 本しか返してないのか」
「そういう記録になっている」
「もう一本は?」
「記録がない」
グレンの指が借り主の欄で止まった。
紙に書かれた名前を、もう一度確かめている。
「知ってる人なんですか?」
グレンはすぐには答えなかった。
帳場の向こうから職員の声が聞こえる。
それでも指は借り主の欄から動かない。
「……俺に、記録の付け方を教えた人の名前だ」
グレンはそれだけ言って、貸出簿を閉じた。




