第45話 最初の降下を任されたのは石袋だった
「その鉄輪には結ぶなよ」
資材置き場で俺が縄を伸ばしたところ、ハーシュから声が掛かった。足元には先日見つけた旧縦坑の石蓋がある。四隅の鉄輪は錆びているが、縄を通すにはちょうどよさそうだった。
「ここに固定すれば楽じゃないですか?」
「それは蓋を持ち上げるための輪だ。人を吊るすためじゃねえ」
「でも石蓋って相当重いですよね」
「重い物を一度持ち上げられたからって、人の命を預けていいとは限らん」
ハーシュが輪の付け根を指した。錆の下では石が細かく欠けている。蓋を開けるときの力には耐えられても、人を吊ったまま動かしたときにどうなるかは分からない。
「もし途中で抜けたら?」
「縄ごと落ちるな」
「……別の場所に結びます」
「最初からそうしろ」
俺は鉄輪から手を離した。
今日もグレンとハーシュ、管理所の職員二人が来ていた。俺たちを合わせて七人。人数は前の調査と同じだが、運び込んだ道具はずっと多い。
管理所が用意した太い縄と巻き上げ台。固定用の木材、灯り石、測定棒。俺が買った予備の縄も背中にある。
「まず道具と人の位置を決める。穴を開けるのはそのあとだ」
グレンが床へ作業図を広げた。
「人を下ろすときの主縄は管理所のものを使う。別の固定場所には、引き上げや緊急時に備える縄を用意する」
「俺のを入れると三本ですね。これなら最強だ」
「三本目が必要になるような使い方をするな」
セオに先回りされた。
「数が多ければ安心ってものじゃないんですよ」
「昨日も似たようなことを言われたな……」
「昨日、覚えてくれればよかったんですけど」
これでも一本に減らしたんだから、少しは評価してほしい。
*
作業は縄を結ぶところから始まらなかった。
まず積まれた資材を移し、石蓋の周りに立ち入っていい場所を決める。グレンとハーシュが床石の状態を確認し、職員たちが固定用の木材を組んでいった。
巻き上げ台は穴の縁から離して設置する。力を掛けても動かないように固定し、縄の通る位置を調整した。
「引き上げるときの通り道はここだ」
グレンが床を指す。
「人が倒れた場合は?」
「入口側に救護場所を確保します。そこなら巻き上げ作業を妨げず、外へ運ぶこともできます」
セオが木箱を一つ動かし、空いた床を確かめた。
「折り畳み台は?」
「記録板を置くのに使います。ただし、穴から離して」
俺が台を開くと、ミレアが脚先を軽く押した。
「ちゃんと安定してるね。でも今日も人は乗れないから」
「分かってるって」
「ガルムさんがいなくてよかった」
「あの人なら座る前に聞くだろ」
「聞いてから座りそう」
……否定できない。
俺は記録台へ点検票を並べ、ハーシュの指示で縄の通る位置を地図に書き込んだ。
その途中、穴の近くに積まれた古い石材が気になった。角が欠け、ざらついた面が通り道へ突き出している。
「この石の角、縄が当たりません?」
ハーシュが身をかがめた。
「引き上げるときに横へ寄れば当たるな」
「ここだけ地図に印を付けておきます」
「印だけじゃ足りん。先に直すぞ」
職員が保護用の板を持ってきた。縄が直接石へ触れない位置に板を置き、張力を掛けても動かないか確かめる。
ハーシュは板の端を押さえ、何度か縄を動かした。
「よし。試験中もここを見ておけ」
「了解です」
セオが俺の地図をのぞく。
「危ない場所をよく見つけますね」
「当然だろ。マッピングを鍛えてるからな」
「確かに、トウマは壁も床もよく見ていますからね」
そう。隠し通路は何でもない壁の向こうにあるものだ。角を一つ見逃せば宝箱が一個減る。
もっとも、今日は宝箱より縄の傷を探す方が先らしい。
*
石蓋を開ける前に、グレンが全員の位置を確かめた。
「開放後は赤札の内側へ勝手に入るな。穴へ近づくのは作業担当だけだ。合図が聞こえなければ動かさない」
「了解!」
職員たちが鉄輪へ鉤を掛け、石蓋を持ち上げる。前より作業は早かったが、それでも片側だけを無理に引かず、左右の高さを確かめながら動かしていた。
冷たい空気が上がってくる。
穴の中へ灯り石を下ろすと、古い足掛けが並ぶ壁と、遠くの水面が見えた。
「さて。最初に下ろすのはこいつだ」
ハーシュが布袋を持ってきた。
中には石がぎっしり詰まっている。
「……石?」
「石袋だ。重さは確認してある」
「最初から人を下ろすんじゃないんですか?」
「まずは縄と巻き上げ台が、荷を下ろして引き上げられるか調べる」
セオが頷いた。
「人が乗ってから不具合が分かるよりいいです」
それはそうだ。
初見ダンジョンでいきなり仕掛けを踏むのは危険だし、今回は石袋が先遣隊というわけか。
「石袋隊長、先行をお願いします」
「名前を付けても返事はしないぞ」
ハーシュが主縄へ石袋を固定する。職員の一人が巻き上げ台を担当し、もう一人が縄の張りを確かめる。グレンが合図を出す役だ。
「降下開始」
石袋がゆっくり穴へ下りていく。
俺は目盛りを読み、記録板へ数字を書き込んだ。ミレアは縄の通り道を見ている。
「……あそこ、動いた」
ミレアが指した直後だった。
「止めろ!」
ハーシュが手を上げる。
穴の縁に置いた保護板がわずかにずれ、縄が石の角へ近づいていた。
「まだ擦れてはいないな。いったん戻すぞ」
巻き上げ台が逆に動き、石袋が引き上げられた。
職員が板を固定し直す。ハーシュは張った縄を横へ動かし、板がずれないことを確かめてから頷いた。
「もう一度、同じ深さまで」
石袋隊長、初出撃は中断か。
だが二度目は順調だった。石袋は水面近くまで下がり、そこで停止する。縄の張りと巻き上げ台の動きを確認したあと、ゆっくり引き上げた。
袋も縄も無事に戻ってきた。
「成功!」
「まだ石袋が帰ってきただけだよ」
ミレアが言った。
「それでも試験は成功だろ」
「うん。石袋の試験はね」
俺は記録票に『石袋による荷重試験完了』と書いた。
グレンが横から見て、もう一行書き足す。
『人員降下の安全確認は別途』
……そこまで書かないと駄目なのか。
いや、石袋隊長と人間では、落ちたときの被害が違う。仕方ない。
*
続いて、職員が検査用の道具を穴へ下ろした。人を下ろす予定の高さで空気の状態を調べ、結果を記録する。
「予定位置までは異常なし。ただし、底の状態はまだ分からん」
グレンは検査結果を確認し、次の作業を指示した。
「人を途中まで下ろす。底には降りない」
俺は顔を上げた。
「俺が行きます!」
「行かせるとは言ってない」
「一番下の足場が気になるんですけど」
「今回はハーシュだ。壁の状態を見られる者が必要だからな」
ハーシュが装備を受け取り、固定具を一つずつ確認する。
主縄とは別に、安全確保用の縄も体へ取り付けた。二本はそれぞれ別の固定場所につながり、操作する職員も分かれている。
「上からの声が届かなくなったら?」
グレンが確かめる。
「降下を止めて引き上げる」
「水位が急に変わったら?」
「引き上げる」
「壁の石が落ちたら?」
「作業を止める。確認できるまで再開しない」
ハーシュが答えるたびに、職員が点検票の項目へ印を付けた。
グレンは最後に固定具を確認する。
「よし。予定の位置までだ。それ以上は下りるな」
「分かってる。仕事を増やす気はねえよ」
ハーシュが穴の縁へ移った。
「じゃあ、少し行ってくる」
「足掛けは使わないでくださいよ」
「見りゃ分かる。あれに体重を預ける気はねえ」
縄が張り、ハーシュの足が床から離れた。
俺は思わず前へ出かけたが、ミレアが服の後ろをつかんだ。
「赤札」
「……分かってる」
許された位置で立ち止まる。
灯り石の光の中、ハーシュがゆっくり下りていった。鉄の足掛けには触れず、壁との距離を確かめながら進む。
「一つ目の印、通過!」
職員が縄の目盛りを読み上げる。
「二つ目、通過!」
巻き上げ台の音が低く響いた。
足元の石床にまで振動が伝わってくる。俺は地図を持つ手を止め、穴の中を見た。
「三つ目の印!」
「停止!」
グレンの合図で巻き上げ台が止まる。
ハーシュは壁の一部へ灯りを向けた。
「こっちの足掛けも駄目だな! 固定してる石が欠けてる!」
「記録した。ほかは?」
「壁に水の跡がある。今の水面より高い位置だ!」
俺は記録板に書き込んだ。
昨日までの測定では、底の水は膝より浅い程度だった。だが壁に残った跡は、それよりずっと高い。
「増水したことがあるってことですか?」
「少なくとも、そこまで水が来た跡だ。いつのものかはまだ分からん」
グレンが答える。
ハーシュがもう一度壁を見上げた。
「今の水面からは離れてる。ここの石も湿ってないな」
「分かった。今日は戻ってこい」
俺は穴の中へ声を掛けた。
「下まで行けそうですか?」
「まだ行かねえよ!」
返事はすぐに戻ってきた。
「もう少しで底なのに……」
「戻る試験も必要だ」
グレンが巻き上げ台へ目を向けた。
「下りられても、上がれなければ意味がない」
職員が合図を受けて巻き上げ台を動かす。
ハーシュの体がゆっくり上がり始めた。もう一人の職員は安全確保用の縄が緩みすぎないように調整している。
「停止!」
途中で一度止め、固定具と縄の状態を確認する。
「問題なし。再開」
やがてハーシュの頭が穴の上へ現れた。
「お帰りなさい!」
「おう。帰るまでが試験だからな」
ハーシュが床へ足を下ろす。装備を外し終えたところで、俺は記録板を持って近づいた。
「水の跡、どの辺でした?」
「縄の三つ目の印より少し下だ。横に長く続いてた」
「壁の反対側まで?」
「そこまでは見えん。見えた範囲だけ書け」
「了解です」
地図の余白に印を付けた。
石袋隊長の初陣に続き、ハーシュも無事帰還。
さて、次は俺の出番だろうか。
*
「降りることはできた。ただし、底まで行けるとはまだ言えない」
グレンが試験結果を並べた。
石袋による荷重試験は成功。途中までの人員降下と引き上げも予定どおりに終わった。
だが古い足掛けは使えない。底付近の空気は未確認だし、水位がどの程度変わるかも分からない。
「じゃあ次は底まで?」
「その条件を揃えてからだ」
「条件ばっかり増えるなあ」
「増えたんじゃない。確認していなかったことが分かったんだ」
グレンが点検票をまとめる。
セオは俺の背中を指した。
「今日も予備の縄は使いませんでしたね」
「二千リルの台まで持ってきて、予備縄も背負って、結局石袋とハーシュさんが主役か」
「台は記録に使ったでしょう」
「そうだけどさ」
「それに、出番のない予備はいい予備です」
ミレアが笑った。
「次も使わずに済めばいいじゃん」
「買ったからには役立つところも見たいんだけどな」
「じゃあ荷物を縛るのに使えば?」
「それじゃせっかくの冒険装備が……」
「何のために買ったのよ」
返す言葉が見つからない。
グレンは前回の水位記録と、今日見つけた高い位置の水の跡を見比べていた。
「次は水位が変わる条件を調べる。場合によっては排水側の調査を先にする」
「また外からですか?」
「中へ入るための調査だ」
「今度こそ俺も降りられます?」
「まだ決めない」
「ですよね」
職員たちが道具を回収し、石蓋を元へ戻す。赤札も立て直された。
『開放禁止・調査中』
俺の地図には新しく、壁の傷みと水の跡が加わった。底へ下りるための情報は増えたのに、攻略済みの範囲はほとんど変わっていない。
ハーシュが帰り際にグレンへ声を掛けた。
「次に下ろす奴は、途中で止まるだけじゃ済まねえぞ」
「ああ。底へ着いてから戻る方法まで決める」
俺は背中の予備の縄へ手を伸ばした。
今日は一度も使わなかった。次も出番がないかもしれない。
ただ、縄を一本増やすだけで安心できるほど、あの穴は単純じゃなさそうだ。
だったらせめて、必要になったときすぐ取り出せるようにしておこう。
俺は予備の縄を背負い直し、結び目の位置をもう一度確かめた。




